第十話:賭ける命と、捨てる自分
結論からいうと、私たちは死地を脱した。
奇跡的に、というかたぶんアラタが尽力してくれたおかげで、相生さんの危惧していた脱落者や死人は出なかった。
あれからも何度かの妨害や小競り合いはあったものの、もう私の力を必要とするような争いには発展せず、そのうち駆け付けた政府の役人の
相生さんに負けず劣らずのコワモテのスーツ男で、人形じゃないかってぐらいに表情や目の輝きがなかった。
ただ車内の点検のときにクロウを見つけると、ほんの少しだけ驚いてみせて、それからなんとも言えなさげな、複雑そうな顔で彼の青空色の瞳や、頭にかぶった赤い帽子とかをにらむように凝視していた。
それから微妙かつ皮肉げに唇を捻じ曲げ、
「宿を手配した。時州本家までの安全は保障する」
と手短に言い切ると、自分自身はさっさと姿を消してしまった。
なんとも怪しげだったけど、その部隊の人の何人かは相生さんとも顔見知りらしく、素性もたしからしい。
さして驚いた様子を見せなかったあたり、こちらの事情は把握済みということか。
相生さんいわく、彼ら時州一族というのは、政府ともつながりがあったそうな。
貸し切りになっている政府の保養施設に連れていかれた私たちは、それぞれに部屋をあてがわれた。
当然監視はついているだろうけど、空間的には昨日寝泊まりしたあの車よりはるかにマシだ。
ともかく、長い道のりだった。
部屋に入ってからは、カメラの有無とかをたしかめる前に風呂場へ一直線だった。
今朝にはゆっくり温泉につかっていたはずなのに、もう何日も風呂に入っていないみたいな疲労感と汗と埃が、全身にへばりついていた。
そして、耳にはあの少年の言葉が、残っている。
明確な殺意と敵意。
「どうして、自分の大切な人間じゃなくてこいつが生き残ったんだ」
という、そうした態度にある非難。あのバス以来、ずっとそういう目で見られてきたから、イヤってほどによく伝わってくる。
そんなことは、私が知りたいよ。
いっそのこと、本当に……
「『いっそのこと、本当に殺されてしまえばカタがついて相生さんたちにも迷惑かからなかったし、高速道路はブッ壊れず、桂騎習玄や楢柴アラタたちはいまだ消息不明になることもなく、あのガキンチョの大切な相手の命も救えてあいつ自身もハッピーエンドになれた』……ってなところか?」
声が聞こえた。
目の前から。
わずかにお湯をためた風呂桶に、茶碗の鬼太郎のオヤジよろしく、クロウが浮かんでいた。
帽子はなく、そこにいたのは青い目のただのデブカラスだ。
「……なにしてんの?」
「カラスの行水、かな」
「いや、うまいこと言ってないから」
「安心しろ。襲う意欲があったら最初の着替えのときに宣告してる。俺の好みはもっとこう……! いやよそう。むなしくなるだけだ」
「……」
といって、「クロウさんのエッチ!」だなんて追い返す気分になれないほど、私は滅入っていた。
ヒザを伸ばす。
湯船に張った湯水を器用に、クロウは羽を櫓に、桶を船にしてわたってくる。そして胸元に近づきながら、カラスは言った。
「これだけは言っておくぞ、輪。自らを賭けて自分の意志で誰かを助けることと、自分を捨てて誰かを救うことは、ちがう。似て非なるものだからこそ、後者はタチが悪い」
でも、他のみんなは、そうやって命を賭けて、私のなかの『鏡』をもとめた。あるいは、護ろうとした。
「少なくとも、あの独鈷杵持ったガキはちがう。あれは、ただ周囲の状況で流されて勝手に自分を追い込んでるだけだ。誰かを救う気になってても、あのボウズには結局自分しか見えてなかった。アラタにせよ、桂騎殿にせよ、あいつが殺されないようにあつかってたってのに、そんなことにさえまるで気づいちゃいなかった。あんなものは信念とは呼べない」
「でも、クロウだって、私がナンパされたとき、『いっしょに死んでやる』とかなんとか言ってなかった?」
「ぶっちゃけ本音を言えば死にたかないよ。せっかく生き返ったんだから、おいしいもの食べてキレイな姉ちゃんと遊びたいさ」
「……また、ウソだったんだね」
「ウソじゃないって、ただ」
私のあきれ顔が、湯船の水面とクロウの瞳に映り込む。
細められたその目のなかの色とかがやきが、ほんの少しだけ変化した。
「ただ、命を投げ出すようなヤツ相手にしてやれることって言ったら、こっちも命差し出すぐらいなもんだろ」
私は口を薄く噛んだ。
「なにも、そこまで強制したわけじゃない。私は、べつに心中したいなんて」
「強制するんだよ。力や立場を持った人間は、それを望んだかどうかはさておき、自分を守る責任を持った奴らへな」
カラスはそう言って、自分の頭を羽で押さえつけた。
ほんとうは、帽子を目深にかぶりたかったのかもしれないけど、それは今、彼の頭にはなかった。
その分、ふだんは隠れている怜悧な瞳があらわになって、ぞっとするほどに青く輝いていた。
「……俺も、若いころはそうだった。自分が体はっとけば、ほかのみんなは幸福になる。そんな風に考えてた。でも、ことあるごとに自分を捨てて誰かを救う国家元首なんていてみろ。そいつが首にロープをかけるたびに、あるいは戦場に真先に突っ込んでいくたびに、それをかばってほかの誰かが命を差し出すハメになる。それで救われた側なら、なおさら次の機会によろこんで命を投げ出すさ。命を差し出された相手はな、もう命を捧げ返すしかなくなるんだよ。たとえそいつが王道を敷いて善政をとりおこなったとして……いや、だったらなおさらに悪辣だぞ。そいつは、自分を慕う臣民を巻き添えに殺していく。自分を愛してくれたみんなをな。命の搾取だ。苛政をおこない互いに憎み、蔑み、殺し合うよりもはるかに、業が深い」
「それって」
クロウ自身のことか。
そう聞こうとしている自分が幼稚に思えて、私は顔を湯船に沈めた。
聞かぬが花、という言葉もある。
しばらく、ぷかぷかと湯船に浮かぶ時間がつづいていた。
「相生のあんちゃんだって、あんなでも気は優しい善良な人間だ。マジメにお前を気にかけてる。ほかの連中にしたって、お前が助けてくれたことに少なからず恩義を感じてるはずだ。俺も俺なりの目的があってお前に接近しちゃいるが、なんだかんだで肝の座りようと鼻っ柱の強さは気に入ってる。……そいつらにとっては、お前はもう『鏡』のオマケじゃない。お前だって、そんなに嫌いじゃないんだろ?」
私はクロウと目線を合わせながら、ブクブクと泡を口から吐いた。
そんな私の幼稚なしぐさにほがらかな笑い声を立てながら、カラスは言った。
「じゃああいつらのためにも、精一杯生きてやれ。よくも悪くも、そりゃあ縁ってやつだ。お前はここに来るまでにいろいろと失った。けっして埋め合わせのできないものだってあるだろう。でも空っぽなんかじゃない。お前の世界は、つながりは、そうやって広がっていく。そのひとつひとつを、噛みしめて自分を大事にしろ」
クロウは、さっき「命を賭けることと、自分を捨てることは違う」と言った。
直後にはよく違いがわからなかったし、今もよくわからないけれど、彼の言葉を聞いてなんとなく、納得がいった気がした。
クロウはウソつきだろう。
でもここまで、ただの一度だって、彼は『自分』であることをやめたことがなかった。言葉自体はウソだとしたって、そこには彼なりの真心があった。
ウソをふくめたいくつもの言葉のなかに、彼は自分の魂を賭けている。みじかい付き合いなんだけれど、ふとそんな気がした。
「吉凶あざなえる縄のごとしってな。まぁその時には悪いと思っていたものが、思いがけず幸運をまねくことだってあるさ。ん? どっちかってと塞翁が馬か?」
「じゃあ、カラスになっていいことってなにかあるの?」
「うーん……たとえば……」
「たとえば?」
「たとえば女湯に忍び入っても、どこぞの女児が置き忘れたぬいぐるみだとおもって怪しまれないあたりと、か」
その語尾が、不自然に途切れた。
カラスは羽を交差し腕汲みしたまま、真顔になった。そのまま、目がランランと輝きを取り戻し、うんうんと何度かうなずいた。
気まぐれに思いついたことだったかもしれない。でもそれは、彼の中じゃ現実味を帯びた名案だという結論に達したようだった。
「たしか、政府の監視連中のなかに若い女も多かったよな」
「いたねー」
「あの童嶋っての、背はお前ぐらいちいさかったけど、胸あったよなー」
「なに食えばあぁなるんだろうねー」
「……わるい、急用を思い出した」
「行かせるかァ!」
私は気合い一発、『鏡』をクロウの顔面にシュートした。
こういう邪念煩悩を捨てきれず、どんなにうまくシメても最後で台無しにするあたりも、クロウの良いところ、なのかもしれない。
水しぶきをあげて昏倒するカラスをお湯から放り出しながら、私はぼんやりと思い、そりゃあやっぱ気の迷いだったと、すぐに考えをあらためたのだった。
サイクル2:With great power comes great responsibility. ……END
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