第六話:渇望のデスロード(2)

 いまだゴールは見えてこない。どこまでいけばこの追撃は止むのか。その問いに答えられる人間は、この場にはいなさそうだった。

 ……そう、いまだに車にへばりつく、ひとりを乗せたまま。

 天井から鉄の五本指が生えた。それが天井を引っぺがし、放り投げられる。

 腹立たしいほどに場違いな青空があらわになって、そこからプロテクターを胴体につけた軍人が降り立った。


 当初は上と後ろからはさみ打ちを狙っていたんだろうか。

 天井に回り込んでいる間に相棒が脱落して、自分ひとりでの突入を決意したというところか。


 天井を破ったのは、日系の顔立ちの男だった。細められた目は笑っているようでもあり、ピンク色の唇は真っ黒なアフロヘアや褐色の肌でもやたらと目を惹く。


 そして彼の両手にはめ込まれていたグローブ型の鉄塊こそ、この車をオープンカーにした凶器だった。


「こんな娘がターゲットとは、気が向かないかもけど、お金のためにゃ、やらにゃなならん」


 しゃべったのは意外にもこちらに合わせた日本語。けど、下品な言葉を無理やりお上品にした感じの、奇妙な言い回しだった。


 笑っているんだか眠っていないんだか読み取れない微妙な顔のまま、ノーモーションで彼は私に飛びかかってきた。


 軽いジャブを三連で突き出したあと、腰をひねり両腕を回転させて周囲をけん制する。

「おっ死ね!」

 気合い十分に本命のストレートが発射され、私は『鏡』を盾にそれを防ぐ。

 両腕の装置から黒色火薬みたいなものが噴き出て、


「ナックル=トダ!? 戦争屋くずれからラムのような強盗まで……よくもまぁ群れたものだ」

「解説はけっこうだから、手伝ってよ……っ!」


 脇から口をはさんだ相生さんを横目でにらみ、私は目の前のナックルだのなんだのという敵を蹴っ飛ばした。


 その横合いから、茄子紺色の棒状のものが、割り込む。

 今まで静観していた、いちばん若く見える兵士。

 彼は自身の布にくるんだままの自分の得物を自在にたぐり寄せたり、伸ばしたりして存分にトダを打ち合った。


 いくらその拳が頑丈で巨大な武装の塊だと言っても、腕と長物とじゃリーチが違いすぎる。閉所にもかかわらず自在に棒をあやつる彼は、慣れた手つきで敵を払い落した。いや、不利を悟ってトダは自分から飛び降りた気がする。


 安心できたのは、つかの間だった。

 息をつく間もなく、車内に異常が起こった。


 私たちの中心で磁場がゆがみ、起こるはずのない風が渦を巻く。


 それに瞬きした次の瞬間、中心には細いシルエットが立っていた。

 どこから現れたのか、男か女か。

 それを判別する前にするどい蹴りが私の仲間たちを蹴り飛ばした。


 そして私の首元に、蜂蜜色の短刀のようなものが押し当てられた。

 片方が鍵溝のようになっていて、私に向けられたほうが両刃となっている。奇妙な武器。いやそれは武器というよりも暗器で、暗器というよりかは……儀式につかうような仏具に近かった。


「悪いが死んでもらうぞ……あいつを救うためには、どうしてもその『鏡』がいる」


 それを握るのは、若い女の子……に見えるほどの美少年だった。

 腰には真紅の錠前のような器具を巻き付けている。そこから何やらあやしげなエネルギーがうごめいて、彼の得物に力を与えているのが、五感以外の部分で感じとれた。


 下した前髪からのぞくふたつの目は、真剣そのものだった。そして、不安と人を殺すという恐怖で、揺れ動いていた。

 トダや『破城槌』みたいな、この状況を愉しんでるわけでもない。私たちを裏切った人たちとおなじ、憎くも恨みもないけれど、ただ誰かのため、自分はどうなっても良いから私に死んでほしいと純粋にねがう目だった。


「あ……」


 知らず手の力が抜けて、鏡がその手からすり抜ける。

 クロウや相生さんの呼ぶ声が、研ぎ澄まされたはずの聴覚にも遠く聞こえた。


 一度引かれた刃が私の喉笛めがけてせまったとき、


「やはり、来たな」


 という声が、横合いからかかった。

 おどろいて振り向く男の子のきれいな顔に握り固められた拳が、たたきつけられた。


 私の時間は完全に停止することなく、ふたたび動きだした。


 目の前で、ナックル=トダと打ち合った少年が、その侵入者と対峙している。


「おま、え……ッ! なんで、ここに……ッ」


 顔見知りなのか、そう声をかける美少年には答えず、棒のようなもので少年の腹部を打擲し、次に瞬間にはその襟髪をひっ掴んで、キックを何度も、あばらを折るほどの勢いでためらいなくお見舞いした。

 侵入者は自分がそうされることが信じられない、といった感じの面持ちで、壁まで追い詰められた。


「お前わかってるよな!? オレがなんで『鏡』を必要としているのか!」

「わかっているから来た。君のやり方は間違っている。だから俺は全力で君の敵になる。それだけのことだ」

「ほんっと、腹が立つほどの正論家だよ! こンの、分からず屋!」


 因縁の相手……というよりは気心の知れた、憎からざる相手、といった間柄か。

 みじかいやりとりの中に、ふたりの間にだけ通じ合う符号のようなものを感じさせた。


 というか、『分からず屋』て。

 痴話ゲンカか、痴話ゲンカ。


 だん、という音とともに仏具を持った少年は、後ろ足で壁を蹴った。

 次の瞬間、現れたときと同じような磁場と風が巻き上がり、棒を持った彼とともに、美少年は姿を消した。


 開きっぱなしになった扉から車外後方を見れば、ふたりがもつれ合いながら道路を転がっていくのが見えた。落ちた帽子が、私たちを追尾する車にひかれてぺしゃんこになった。


「桂騎殿!」


 なかば車から身を乗り出しながら、クロウが声を張り上げた。

 立ち上がった棒の少年はその声に反応した。すずしい横顔を向けながら、


「ご心配なく、すぐに追いつきます」


 と、ふしぎとよく通る声音で答える。

 その彼らが遠ざかっていくさまを、カラスは苦い眼差しで見送っていた。


「……桂騎って、まさかあの『鏡塔事件』の桂騎習玄だったのか」


 うろたえ気味にまたもビックリ人間解説をはじめた。というか、よく知らない人間を乗せていたのか。これじゃ獅子身中の虫がまぎれるのも納得というわけか。


 という考えが、私の視線を通して伝わってきたらしい。

 不本意そうに顔をしかめながら、相生さんは弾倉を入れ替えた。


「時州一族が『デミウルゴスの鏡』を占有しないよう、公平に協力勢力……『吉良会』から供出された人員だ。まぁ、牽制役というわけだが……まさかそれが、あの事件以降行方不明になっていたあの少年とはな」

「まっ、セージ的ハイリョ、てヤツだな」


 訳知り顏でうなずくクロウの視線は、時折シュウゲン、とかいう少年の消えた方角へと向けられる。


「……クロウ、あのお兄ちゃんと知り合い?」

「古いなじみっつーか、お前のとこまで、あの人に護送してもらってたんだ」


 こともなげに、秘密主義の鳥公はだいじな情報ケロリと漏らしてくれる。

 そんなカラスを、相生さんたち時州一門は薄気味悪げに見下ろしていた。


「いよいよもって、貴様何者だ? 『吉良会』の密偵か」

「……昔の知り合いがちょっと、な。あ、でも俺自身は桂騎殿みたいに武術に心得があるわけじゃないし、特殊能力なんてのもないし。というか鳥だけど飛び方知らないし……まぁ、だからそのなんだ? 俺はただの愛らしいマスコット。戦力にゃなれない」


 周囲のどこかから、安堵とも呆れともとれるため息が漏れる。

 でもそれは、ここにいる全員の代弁だった。私にしたってそうだ。


「俺、いちおう異世界転生者だけど、内政能力とか戦闘力で無双とかできないしさ。一芸全振り」

「それは?」

「場の空気を、読むこと」

「……は?」

「場の空気とか、流れを読んで汲むこと。これでなんとかやってけるもんだぞ」


 外では、相も変わらず追撃や同士討ちがくり広げられていた。

 時折間近で起こる爆発が、振動となって肌に染み渡る。


 そんな状況でこんな発言すること自体、非常にKYなんじゃないのか。


 私たちの無言の非難に、クロウは心外そうにクリクリとした目をするどく尖らせた。


「あ、信じてないな」

「抽象的すぎてコメントに困ってるだけ」

「まぁ見てなって。いま、桂騎殿が起こした風で、ちょっとずつこの戦場の風が変わり始めてる。もう少し耐えれば、この状況から脱却できる」


 相変わらず具体性に欠ける、けどまるで予言者めいた、確信に満ちた言葉。

 だけどそんな彼の神託とは裏腹に、状況は悪化の一途をたどっていく。


 敵の銃弾が上空から、後方から届くようになっていた。

 完全に射程内に捉えられたけど、運転手さんは『鏡』から生み出された規格外の馬力を、コントロールしきれず、細かいところでタイムロスを食っていた。


 といっても私にできることはハンドルの操縦じゃなく、馬力の調整だけだ。そしていまこの段階でも追いつかれているのに少しでも走力を弱めれば、この高速に入った全員に捕縛されるだろう。


 歯がゆい思いをするなか、後方から一台のバイクが私たちを猛追していた。


 さんざんゴツい追跡者ばっかり見てきた目からすればやや見劣りする華奢な車体にまたがる、すらりと伸びた背丈のライダー。

 顔までは見えないけれど、分厚いスカジャンには見覚えがあった。


 かなりの改造がされているのか、車間距離がグイグイと詰められる。フルフェイスのヘルメット越しに、あの強すぎる眼光が光っているのが見えるぐらいに。

 その視線が私と、私が持ち直した『鏡』とに、視線が一心にそそがれている。


 間違いなく、その目と服装は、ナンパ男たちから私を助けてくれた、あの美少年のものだった。

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