第二話:ガール・ミーツ……?

 ひとっ風呂浴びた私は、脱衣所の中で男の悲鳴を聞いた。

 貸し切り状態の風呂から出る。

 身体を拭いて着替える。もう上着が使い物にならなくなっていたから、ブラから上はすべてここで買い与えられた、サイズだけは合った適当なブラウスにジャケットだ。

 値段だけはケチらなかったから、たとえ買い手のセンスの欠片のないもんでも、組み合わせればなんとかマシに見えるのが、救いだった。


 ドライヤーでさっと髪を乾かし、ヘアゴムを結わえながら外に出ると、


「よう、湯上がり美人」


 いの一番に私に声をかけてきたのは、チキンのサンドイッチを器用にほおばるクロウだった。

 その彼の目の前で、腰を抜かした男がいた。

 私たちをここまて護送してきてくれた一団のリーダー、たしか時州相生とか名乗ってきたひとだ。


「な、なんだその珍妙な物体は!? 君の使い魔だとでもいうのか!」


 私は魔女か。

 というか、私のほうこそクロウが彼らの使いっ走りだと考えいたのに、その推測は違っていたらしい。


 いったいどこに入っていくのやら。サンドイッチをおいしそうについばむクロウを、あらためて見つめる。


「コイツは」

 自分の口からあらためて紹介しようとして、とっさに言葉が出ない。

 当然だ。

 夢に見た謎の男が、カラスの姿で現実に出現した。それ以外はなにも知らないのだから。

 強いて言うなら、


「のぞき魔、ストーカー、セクハラ野郎」

「……不名誉な異名で呼ぶのやめて」


 ~~~


 ようやく落ち着きを取り戻した相生さんは、もう一個買ってあったサンドイッチを、私にくれた。


「あと三分で出る。さっさと支度しろ」


 と口早に言うや、彼はみずから私たちの荷台に乗り込んだ。


 見た目は若い隊員のひとりが、私と、私のかかえるカラスに向けて、「お先に」とほがらかに言って、後につづいた。キャップの下の顔は、イケメンと言うにはちょっと遠いけれども、人好きのしそうなさわやかな笑顔だった。


「……え、あんたらも同乗すんの?」

「そこのカラスが何者か知るまで、安心はできん。監視はさせてもらう」

「人畜無害な鳥類だよ、俺は」


 ぶー、とふくれるクロウを胸の前で締め上げると、ぐぇっと潰れたカエルか、出来損ないのビニール人形みたいな声が出る。


「なんか君のせいで不審がられたみたいなんだけど?」

「いやいや、あいつがムリして突っ張ってるだけだ。……いろいろ大変らしいからな、あの御仁も」


 ふたりがどういうやりとりをしていたのかは分からないし、想像もつかないけれど、とりあえず私がこのカラスの存在を隠したり、弁解する面倒はなくなったみたいだ。捨ててもいかないらしい。

 いちおうは一緒にいてくれると契った仲だから、安心した。


 安心したら、ノドがかわいた。


「おい、どこへ行く」

「ちょっとそこの自販機。そのクルマにウォーターサーバーがついてるなら、今すぐにでも乗り込むんだけどね」


 あわてて護衛を部下に指図する相生さんをほっておいて、私はさっさと先に行く。後ろからSPが足早についてくれば、気分はお姫様気分だ。

 といっても、彼らがほんとうに守護したい、というか逃がしたくないのは、私の『鏡』のほうなんだろうけど。


 どいつもこいつも神様も、私に理不尽を平然と押し付けてくるのだ。

 べつに、これぐらいのワガママ、言ってもいいだろう。


 ~~~


 私のお姫様あつかいは、ものの数分で終わった。

 私は自分の浅はかさを素直に認め、相生さんに心の中で謝った。


「だから、そのコーラのしぶきがかかったってんの? わかる?」

「なにも弁償しろとか謝れ、とか言いたいんじゃないのよ? こーいうのも出会いだし? オレらとちょーっと楽しくお話しようってだけのハナシ、なにも難しーことないっしょ」


 こういうアホに絡まれるのも、まぁヒロインっぽいといえばヒロインっぽい。


 マイク片手にアカペラでも歌いそうなファッションの二人組は、欲求と直結したような、動物的なスピードで私を壁際に追いやる。


 これが世に聞く壁ドンか。

 一回り以上体格差のある男ども相手に逃げ場をうしなえば、そりゃドキドキはするだろう。

 もっぱら悪い意味で。


 その彼らの脇の下から、道路側のSPたちを見る。

 わざわざ安否を確認しに来たはずの彼らは、遠巻きにその様子を見つめている。


 私服の大人たちがポケットに突っ込んだ手。そこに異様な緊張感と自信を感じる。多分あれは、小型の拳銃か何かを握っている。


 その気になれば、一秒ともせず不良たちの後頭部を吹っ飛ばせるはずだ。

 多分、逃げ出そうとすれば、容赦なく私にも使う。


 けど、事態が大事にならないうちは、私じゃなく、私の中の『鏡』が危険にさらされない限りは、静観を決め込むつもりらしい。


「言わんこっちゃない」

「いい気味だ」


 とでも伝えたげな目が、サングラス越しにも見て取れる。たとえ奪われるのが『鏡』じゃなくてバージンだったとしたら、あいつらは眉ひとつ動かさず監視するつもりだろう。


 この身体になってから、イヤな部分にも目が届くようになってしまったし、間近からただようヤニの残臭は、鼻が曲がりそうだった。


「モテ期到来だな。どうする?」


 抱えているクロウが、この状況を茶化す。

 私にとっても、その気になれば自分でどうこうできる状態だから、それほど危機感はなかった。


 でもだからこそ、どうこうできる力があるからこそ、そいつをカンタンに使いたくなかった。

 『鏡』が本体、なんて無神経なコトを言われるの、なんかシャクだし。


 かと言って、こんな連中とファミレスでドリンクバーをご一緒するのなんてゴメンだし、このバカどもが私の目の前で射殺されて後味悪さを残されるのも困る。


「……めんどくさ。ヒマそうなアンタらがうらやましいよ」

 他意もなくつぶやいた言葉だったけど、目の前の二人組はそれを侮辱と受け取ったらしい。


「あぁ!?」

「んだとテメェ!?」


 お次は「このアマ!」か、それとも「いっぺん地獄見るか!?」かな。


 せめて大声で助けを呼んで、それでダメならパンチの一発でもこの場で食らって、周囲の誰かにおまわりでも呼んでもらおうか。


 一種の諦めや悟りの境地に達した私は、すっと脱力した。

 その次の瞬間だった。


「イィィいでででで!?」


 私の眼前で悲鳴が裏返る。

 顔を上げれば、男のひとりが腕をねじり上げられていた。

 おそらく私の肩でもつかもうとしていただろう彼の手は、痛みと無理な曲げ方によって小刻みに震えていた。


 そして割って入った第三者は、相生さんたちじゃない。

 見ず知らずの、美少年だった。


 中性的な顔立ち。見つめられるだけで切られそうな鋭い目つき。東風にあおられてバサバサとはためく無造作な黒髪は、よく見れば手入れが行き届いているのがうかがえた。

 身長は私の頭ひとつぐらい上だから、160cm後半程度といったところ。

 厚手のスカジャンを着込んでもわかるぐらい、華奢な体。なのに、男はその細腕から逃れることもできず、一回りちいさい人間相手に屈服させられていた。


 そのオトコノコが一層強く関節を極めると、さらにきわどい悲鳴があがった。

 うるさい、と言わんばかりにすかさず蹴りが背中に入り、そこでようやく 彼は解放された。


 くっきりそこに、靴跡を残されて。


「て、メ……ッ」


 憤怒の形相で振り返る男の顔面に、靴底が容赦なくめり込んだ。

 飛びかかったもう片方を、少年の裏拳が容赦なく叩きのめし、面白いぐらい下顎を歪めさせながら、私の足下に不良は倒れこんだ。

 そして両方に一発ずつ、トドメのキックが振り抜かれた。


 王子さま的な風体やシチュとは対照的な、ケンカ殺法。

 ある種思い切りの良さとか、爽快さはたしかにあった。

 けど、私の身近に身じろぎせず転がるヤンキーたちを見れば、それ以上にドン引きだ。


「あり、がとう……ございます?」

 そりゃあ、思わず疑問系にもなるというものだ。


 向こうにしても善行を積んだとか人助けをしたという自覚はないらしく、つまらなさげにこっちを見返した。


「別に。ただ、目に付いたゴミは片付けたいだけだ」


 冷ややかにそう言うと、埃を払ってシュッと上着を正す。

 切れるような所作をおこなうその手に、奇妙なアザというか、刺青が垣間見えた。

 右手首のあたりにある、赤黒い紋様。ラインが幾重にも交差したバッテン印は、異様に印象ぶかく、立体感さえ感じられてリボンや包帯、腕輪に見えなくもなかった。


 それについて尋ねようかどうか迷っていると、ようやくそこで相生さんが駆けよってきた。

 倒れ伏す不良に一瞥をくれると、


「すみません、どうもウチのもんが。ありがとうございます!」


 と口早に言い放つ。そして私の手首をつかんで小走りに、その場を離れた。


「……あまり面倒を起こすな、あまり人とも関わるな」

 と、走りながら私に釘を刺してくるので、反論したくなった。


「むちゃ言わないでよ。あっちが絡んできたんだから。それに」

「……わかってる、護衛につけた奴らの怠慢でもあった。それについては厳重に注意しておくし、自分からも詫びておこう。すまなかった」


 おや、と私は片眉を吊り上げた。

 出会い頭のどことなく不器用なあいさつといい、今の切り返しといい、そう悪い人間でもなさそうだった。

 この異常な状況において、このひとは貴重な常識人には違いなかった。


 掴まれたほうとは逆の腕のなかから、「輪」と名を呼ぶ声がする。

「なに、君までお説教?」

「そうじゃない。……よく『鏡』の力を気安く使わなかった。えらいぞ」


 まるで父親のようにしみじみと、カラスは私をほめてくれた。

 ……実の親となんてふたり合わせても指で数えるぐらいしか思い出はないから、親にほめられる感覚なんてわかんないけど。

 でも胸のあたりがこそばゆくて、なんとなく誇らしくて。

 そんな気持ちを察せられたくないから、顔をそむけてつい軽口なんて叩いてしまう。


「いやホントは、君を投げつけてその隙に逃げる気だったけど」

「ヒドッ」

「だって君、そんぐらいしか役に立たないじゃない」


 たしかに、といった感じでクロウは頭をすぼめておどけてみせる。


「まぁたしかに俺は、この姿じゃなーんもできないしな。というか、人間の姿でも人並み以上のことできないし、たいした才能とか能力とか、そんなん期待されても困るし、ぶっちゃけお前を守るだけの力もない」

「……胸張って言うこと、それ?」

「でも、お前が死ぬようなことがあるなら、一緒に死んでやる。俺にできるのは、お前のカウンセリングと、あとはまぁそれぐらいかな」


 ……至極当然のように、息を吸うように、彼は言った。

 気負いもなく、いつみたいな気取りもなく。カッコをつけた酔ったふうもなく、彼にとってはそれが当たり前の姿勢だと言わんばかりに。


 予想外にディープな方向にいったもんだから、私はそれ以上は何も反応できなかった。


 ~~~


 去っていく少女たちの姿を、柱にもたれてポケットに手をつっこみ、スカジャンの若者……楢柴ならしばアラタは目で追っていた。


 やがて彼らのバンに乗り込み、パーキングを出て行く。同型車がその後につづき、まるで軍隊の行軍かのように規則ただしく走っていく。


「……さて、こっちも出るか」


 ときびすを返したところに、


「オイゴラァッ!」


 と鋭く重く、「待った」がかかった。

 よろめきながら起き上がる男ふたりに、その彼らを従わせるかのように、2mちかい巨漢が立っていた。


 ど派手なシルバーを巻き、硬質な器具を指にはめた、二十代後半とおぼしき男。パンクな衣装を身にまとい、布地の厚さに反して面積はせまく、露出は多い。ムリに逆立てた髪は、整髪料とへばりついたヤニで悪臭をただよわせ、ひどい髪質をしていた。


「オレのソウルメイトたちをずいぶんと痛めつけてくれたみたいじゃねーか、あぁ!?」


 アラタの眼前すれすれを、メリケンサックをはめた鉄拳が縦横無尽に乱舞する。

 一目で、格闘技経験者、そしてある程度のラフファイトの実績の持ち主とわかる、キレがあった。


「へっ、この荒巻さんはなぁ! ここいらじゃ名の知れたボクシング部の部長だったんだよ」

「ちゃんと高校出てりゃあ全国だって夢じゃなかったんだぜェ!?」


 という野次が左右から飛んで、アラタにちょっとした頭痛を起こさせた。


「……古典もここまでいくと、なんつーか。ギャグだな。そのギャグにしても古いってーのがタチの悪い」

「ヘッ、そう強がってられるのも今のうちだ。テメー、今年の水着はあきらめ」


 面倒になって殴った。

 拳を全力で振り抜いた。

 男が対応も感知もできない速度で、対応できないパワーでもって。


 ヘビー級はゆうにパスできる剛体が横っ飛びに宙に浮き、ゴミ箱目がけてダイブした。


 そのままノックアウト状態の巨体にはもう目もくれず、凍りついたふたりを冷えた目を向ける。


「ひぃ、バケモノ!」


 女のような悲鳴をあげて逃げ出した彼らをよそに、アラタはゴミ箱の隣に設置された自販機に手のひらを叩きつけた。


「バケモノ……ってのはこーいうことかッ!?」


 その手の触れた先から、異様な刻印が漏れ出た。何筋ものラインがクロスして伸びて、筐体を絡めとる。


 その自販機が、硬貨も入れていないのに缶ジュースを吐き出した。

 際限なく転がり出る缶が男たちの足をとり、滑らせて転倒させて、後頭部や腕の関節をしたたかにコンクリートに打ち付けた。


 何度目かの痛みに身悶える彼らを無表情に見下ろしながら、


「いいことを教えてやる。お前らがさっきナンパしたあの娘……アイツのほうがよっぽどか怪物だぜ?」


 そんなふうにうそぶいたアラタの背後で、事態が動き出す気配があった。

 たむろしていたバイカー集団、ガスで給油していたはずの自家用車、ツアーのバスや天然ガスを積んだはずの、有名企業のタンクローリー。

 それらが本来のスペックを無視したような機動性や発進速度でパーキングから出て行った。

 果ては売店の店員ことごとくが表情を無機質に切り替えて、なにかを通信している。


「っち、よけいなことして出遅れちまった」


 上空にはまるで渡り鳥の大移動のように、ヘリコプターがひしめいて一定の方角へ進み、このパーキングを無視して通過し、おびただしい数の軍用ジープや改造バイクが通過していく。


「い、いったい、何が」

「戦争だよ。お前らはマヌケにも、一触即発の戦場にノコノコ出てきたアヒルだ」


 まるで夢見心地でつぶやく男たちを放置し、アラタはみずからのバイクにまたがた。分厚いグローブをはめ、ヘルメットをかぶった。カワサキのスーパーシェルパ。ライトグリーンで塗装されたそれは、ショウジョウバッタにも似ていた。


「そうだ。これは争奪戦だ。お前らとおなじ、どんな手ェつかっても、あの娘を手に入れるためのな」

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