第一話:衝撃のセカンドコンタクト(2)
こんこんと湯気がわく音と、シャワーの水音だけが大浴場に響いていた。
そこに私が肌や髪をこすったり漉いたりする音が加わると、それなりに雰囲気を持った音楽となった。
私以外に、だれかはいるみたいだ。
脱衣場のロッカーはひとつだけ閉まっていたし、モヤってよく見えないけれど、露天や水風呂、サウナを行き来する人影が見えた。
だけどクロウは、夢に見た女湯に突入することはなく、脱衣場で人形に徹しているようだった。
理由は、わかる。
彼は、ヘコんでいた。
「……」
ぺたぺたと、素足を忍ばせて入り口の前に近寄り、私は
「刺されたってヒトと、仲良かったの? 古いなじみとかなんとか、言ってたっけ」
水音を縫うようにして、そう質問した。
「……ほんと、気の遠くなるぐらい古い付き合いの友達だよ。数えきれないぐらい、世話になってきた。ほら、お前の病室に俺運んだのも、あの人って言ったろ」
あの槍を持った彼、あんがい歳くってるのだろうか。見た感じ、私のちょっと上ぐらいに見えたけれども。
でも「友達」と聞いて私は小首をかしげた。
その言葉に、どうにも引っかかるものを感じていたからだ。
いや、みじかいやりとりの中でも、たしかに彼らなりの友情を感じ取ることができた。でも、それ以上のつながりが、それこそ年月なんて関係ないぐらいの強い絆が、あるように思えてならなかった。
桂騎さんは、クロウと示し合わせるでもなく、自主的にしんがりを買って出た。
クロウが見守り、桂騎さんが彼を守る。そういう関係が、ふたりの間には出来上がっていた。
それはまるで、友人というよりかは、
主従
……とか、そういうものに近かった。
「最初、あの人をこの戦いに巻き込むのは反対だった。いちおう、俺だってヤバイって忠告はしたんだぞ」
「でも、参加してきた」
「いわく『あなたのために戦うんじゃない。自分が正しいと思うから戦うのです』だとさ。『仮にあなたが筋道通らない行動をとっていたなら、俺は迷わずあなたに槍を向けていたでしょう』とも言った。相も変わらず、頑迷な男だ」
クロウはそう言ってから、かるく笑ったようだった。でも、陰のある笑い声だった。
「……そう言うとわかっていた。あぁなったら、あの人はテコでも動かん。誰であろうと止められない。理屈ではわかってる。業を背負う覚悟もしていた。でも……辛いんだよな。ただ、目の前で自分を助けようって奴らがいるってのに、何もできないっていうのはさ」
それもまた、もう私にとっては遠い感覚だった。
私には何もかもができる、らしいから。それだけの力があるみたいだから。
ただ、昨晩彼の言ったことがよみがえってくる。
「命を差し出された相手はな、もう命を捧げ返すしかなくなるんだよ」
たしかに、助けようとしたヤツが自分のせいで傷ついたり、死にかけたとなれば、何もしてやれないとなれば、いたたまれなくなってくる。
そんな気持ちを、人助けをしているつもりで、あるいは軽い気持ちで押し付けるようなヤツは、すごくタチが悪い。
私は答えず、ただ扉をへだてて彼のそばに寄り添っていた。
クロウもまた、脱衣場からこっちに近寄ってきて、球体の影が、ガラス戸に浮かび上がった。どこからともなく取り出した帽子を、まるですがるように羽先でいじくっていた。
きっと気の遠くなるぐらい長い間、数えきれないぐらいの多くを、この鳥は苦しんでいただろう。何度も何度も問い続け、思索をめぐらし、言葉を吐きながらも自分自身がそれにがんがらめになりながら、ずっと。
十年プラス五年程度しか生きていない私が、明確な解答を提示できるはずもなかった。
「でも、生きてるんでしょ」
と、月並みなことしか言えなかった。
私をふくめた誰かが死んでもおかしくないあの地獄のなかから、生還を果たした。それだけでも、十分に奇跡といえる。
「生きてりゃ、いいことあるんでしょ」
「……でも、俺にも責任があるわけだからな。お前のことにしたって」
「ほんっと、君はヘンな鳥公だよね。私には聖人ぶっていろいろ説教するくせに、自分の身の回りのことで矛盾するんだよ。自分で気づいてる? 君、めっちゃブレブレだよ」
「うっさいな。理屈はわかってんだよ。理屈は……」
「私は」
グダグダと、子どもじみた言い訳をしようとするクロウをさえぎって、私は言った。
「君と会えて、生きててよかったと思い始めてる」
身体にまとわりつく湯が、外気に触れてしだいに冷えていくのがわかった。
だけど、そうした変化もまた、貴重で、大切なもののように感じられた。
「本音を言えば、死にたくなるような状況ばっかだし、周りからは死ね死ね言われまくってて、たぶん私の知らないところでマジで死人も出てるだろうし、なんかもういっそ本当に死んでやろうかってぐらいギリギリで、綱渡りしてしかもグルグル回ってるみたいな心境だけどさ」
「……」
「でも、それと同じぐらい、生きてよかったと思った。今まで生きてきて、はじめてそう感じたんだ。君には誰かを傷つけた責任があるかもしれないけど、でも、間違いなくひとりの女の子を救ったよ」
ガラス戸に映る虚影に手を伸ばす。
彼の背に、指先を這わせながら、額を押し付ける。
「それでプラマイゼロ、イーブンってことで良いんじゃない?」
息を吸い、吐く音がする。
それがどちらのものだったかはわからない。というよりたぶん、どっちも同じような呼吸をしていたと思う。
やがて、震え声がガラス戸の向こう側で、
「ありがとう」
と告げた。
「あ、もしかして泣いてる?」
「うん。ちょっと感動して泣いちゃったぞ」
「ヒクわー」
「お前が言うそれ!?」
ようやく、風呂場が騒がしさを取り戻したあと、べたべたと、遠慮なく足音が近づいてきた。
「ったく、辛気臭いハナシがようやく終わったか。出るタイミング失っただろーが」
と、足音に見合ったぶしつけなその声はどこかで聞き覚えがある。
聞いた数こそ少なかったし、記憶にも新しいけれども、一度聞けば忘れないような、ちぎって捨てるような口調。
長い間、おとなしくお湯にでも浸かってたのだろうか。上気した肩に手をやりながら、凝り固まった身体をほぐすようにひねっている。
「だいたい、風呂場ってのは一日の疲れや悩みをリセットするためにあるものだ。心身のケガレを払う禊ってヤツだ。ウダウダと沈み込むもんじゃねーんだよ」
ジロリと睨み返しながら、私たちの恩人……楢柴アラタは、女湯にいた。
一瞬の思考硬直のあとで、私は、思い切り叫び声をあげた。
「……ギャアーっ!? のぞき!? なんて大胆不敵なノゾキ!?」
「なっ、なにっ!? そんな不届き者がなかにいるのか!?」
「どの口が言うかエロ鳥!」
やたらウキウキしながら飛び込んできたクロウへのツッコミもそこそこ、私はアラタを睨み返した。
二度ならず助けてくれた恩はあるけれども、それとこれとはハナシが違う。私なんてシュミじゃないと放言する鳥はともかく、人間相手に視姦をゆるしたおぼえはない。
戸が開け放たれたことによって、充満していた湯気が放出されて濃度が下がる。
私は、次第にあらわになっていくアラタの全身を見て、違和感に気付いた。
その上半身には男としてないはずのものがあって、下半身にはあるはずらしいものがない。
意外とほっそりとした身体にくびれのある腰、引き締まった腿から下。
一切の隙がない完璧なプロポーションは、どう見ても男じゃない。
アラタはため息まじりに姿勢を変えた。そのたびに上半身の一定の部位が揺れ、たわむ。
……デカイな。
粗野なふるまいのクセして、『ないはずのもの』は、私より一回り以上大きかった。
腕組みして肉の袋がふたつ乗っかるとか、マンガでしか見たことがなかった。
ようやく私は、出会った当初からつづいてきた勘違いに、ようやく気が付いた。
思えば男性的な豪快なしぐさや性格、口ぶりではあっても、「オレ」とか「ボク」とか、もっと言えば直接性別を聞いてなかったってわけだ。
「……女が女湯に行って、なにが悪い?」
私の思い違いを見透かしたかのように、不機嫌そうに彼女は言った。
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