サークレット・レガリア ~デミウルゴスの鏡~
瀬戸内弁慶
プロローグ:黒いしじまと光の海で
幼稚園の頃、私はアイドルにあこがれていた。
順位的に言うとケーキ屋さんの次で、歳をかさねるうちにそれはどんどんランクダウンしていって、中学生の頃にはとうにベスト10からは弾き出されていた。
だけど、中学卒業間近にまさかとうにあきらめた夢の疑似体験……脚光を浴びることになろうとは思わなかった。
カメラのフラッシュがたかれる中、様々な質問が、無意味な名乗りとともにくり返されている。
おかげで私はバス転落事故から二週間で、新聞社やテレビの地方局の名前にはくわしくなった。
「八葉さん、
これは要するに、悲劇の少女をドラマチックの脚色してサラリーマンや主婦の同情と共感のネタを提供してくれ、というもので、
「おつらいでしょうが、あの時いったい何が起こったのか、説明できませんか」
これはお前の個人的感傷なんてどうでも良いから、新聞が飛んで売れるようなマル秘ネタを披露してくれ、という意だろう。
だけど、本当はみんなこう聞きたい。
聞いてみたいけど、おそろしくて聞きづらい。
人の昼寝タイムにはこうしてズカズカと踏み込んでくるクセに、理解のおよばないものや自分のオサイフをにぎっている権威には妙に臆病になるらしい。
「一週間前には頭蓋骨陥没、全身複雑骨折、腹部等大小十箇所貫通。いつ死んでもおかしくないその状況から、どうやって立って歩けるまでに回復したのか」
……と、すなおにそう聞けば良いものを。
今日は比較的気分が良かった。
その気分をこの無意味な会見で乱したくなくて、つい口が軽くなった。
「……去年の暮れ、トモダチと卒業旅行で京都に行くことになった。時期的に受験シーズンだったけど、もう高校合格は決まってたし、雪の金閣寺が見たくて。でも、すくないお小遣いで予算をやりくりしたもんだから、移動手段は夜行バス。シートは硬いし、毛布は薄いしで最悪だったけど、まぁテンションは高かったかな」
前置きとしてはすごく穏当かつ無難なものだった。
軽いジョークもまじえたけれど、カメラの皆さんは無反応。フラッシュが光る頻度は高く、傍にひかえる記者さんは一心不乱にノートPCのキーボードやスマホに、私の一言一句を打ち込みはじめた。
「で、バスが裏山の道路を抜けようとした時、学校が見えた。
ピタリ、とシャッター音もタイピング音も途絶えた。
予想通りの反応だったから気にすることなく、私はつづけた。
「実物のヘドロは見たことないけど、とにかく黒くてドロドロしたもの。石油ダムでもいいや。とにかくそれがブワーッと地上にあふれ出して、町の灯りを食いながら広がっていった」
それが、悪夢のような悲劇のはじまりだった。
逃げ場をうしなってふくれあがった黒い泥は、天へと伸びて、積もり重なって……爆発して、黒い雨になった。
バスの天井に、その雨音はしなかった。
赤黒い……それこそ血の雨とも言うべきそれは、鉄の車体をなんなくすり抜けて、私たちに降りかかった。
アメーバのように粘りけがあって、弾力があって、キツイ芳香剤のトイレみたいな、腐った花に似た臭いが、バス中を満たす。
私はびっくりして顔や頭を手で覆ったけれども、他は誰も、それに気がついていないようだった。
身の丈以上のコスメやこじゃれたブランドの話をする女友達が、顔中泥パックになっても、それを振り払うこともしない。
いつもはゲームの中のムシや怪物に大騒ぎする男子が、今文字通り『降りかかる』ショッキングな出来事に、いつものようなバカデカい声を張り上げたりしない。
夢とか幻かと思ったけれども、誰の目にも留まらないその異常は、私には眼に見えて彼らに異常を与えていった。
はじめは、ちょっとしたことが原因だったと思う。
男子が鞄に置いたスナック菓子がないとか、誰か盗み食いしたとか、そんなん。
そいつ……サトルは声を荒げて犯人捜しをし始めた。
オイオイオイ、他にもっと驚くことがあるでしょうよと私は思ったけれども、その迫力に押されて黙ってることにした。
やがて、恐れていたことに動きを止めようとする女子との口ゲンカ、他の男連中とのもみ合い、殴り合いに発展した。
周りの大人たちはそれを止めるどころか他のところで争いはじめて、老若男女、みーんなどこかおかしくなって車内全員が暴力沙汰のランチキ騒ぎになった。
女は男に押し倒されて、殴られて歯を折られるわ、サトルのアホはマトモに歩けやしなばあちゃんの首を絞めるわ。そりゃあもう散々。
黒いヘドロは車内で溜まっていく一方だし、席の下に身をかくす以外方法がなかった。
でも、さすがに驚いたことには
「俺のバスでなにやってる!? ここは俺の
……とか、運転手のおっちゃんまでそれに参戦してた。
もちろん、フリーハンド。ハンドルなんてもう持っちゃいなかった。
「……で、もう結果は見えてるでしょ。車はコントロールをうしなってガードレール突っ切って真っ逆さま。あとは」
「いい加減にしないかッ」
そこから肝心なことを続けようとした私に、ひとりの記者が声を荒げた。
「不謹慎だぞ、君! ここはそんなデタラメを披露する場じゃないんだ! なくなった運転手さんやご学友のご遺族に、申し訳ないと思わないのか!」
何人かがそれに同調の意気をあげて、「ほら来た」と私は顔をそむけた。
そもそも病み上がりの私をこんなところまで強引に引っ張ってきたのはそっちなのに。
それとも、親族をタライ回しにされてきたひとりぼっちの私には、生き残る資格も、生還を喜び、誰からありがたがられる権利もなかったとでも言うのか。
「事故のあとですので、いささかショックがおおきく混乱しているようでして……」
付き添いのお医者は感情に訴えて弁護してくれるけど、あの薬くさい偉そうな爺さんだって、別に私の気持ちを理解して言ってることじゃない。ただ、当人のメンツの問題だ。
そもそもこの説明をしたのは彼が最初の人だった。信じてもらえず、記者の前ではぜったいにこんなことは言うなと念押しされた。
だったらなおさらブチまけてやりたくなるのが、人情ってもんじゃないのか。
私は私を置いて騒ぎになってるその場をあとにして、軽やかな足取りで自室へともどっていった。
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