0からの再出発 ~監獄の奥より、憎悪と怨恨を込めて~

「クレイッ!!」


 今まさに、光線を発射しようというタイミングで、デウスクエスがギャンボットへと、鉄拳を叩き付ける。


 ギャンボットは、本来の機動力を失っていながらも、少しずつゆっくりと、鉄拳を避けるべく後ろに後退するが、デウスクエスの振り下ろした鉄拳が、ギャンボットを掠めた。


 光線の狙いが定まらなくなり、ギャンボットはデウスクエスの顔面に向かって光線を放ってくる。間一髪で、それを避けたデウスクエスの顔面には、鉄が熔けたような跡ができた。


 それが最後のエネルギーだったのか、光線を撃った後、ギャンボットはふらふらと飛行を続けていたが、やがて地面に着地してしまい、最終的に動かなくなった。


『お前……』


「相棒だったんだから当然でしょ。……アンタには、色々と助けられたんだし」


 応答したカエデの声は、ほんの少しだけではあるが、確かに震えていた。レイジーは、なぜ彼女の声が震えているのかを知っている。


 彼女が一番恐れるモノ。それは――――『身近にいる大切な人間が消える事』なのだから。




 もう、今から5年以上も前の話だ。カエデは幼い頃、母を無くしていた。元々、病弱な体だった母だったが、それでも自分の体に鞭を打ち、カエデの為を思って働いていた。


 毎日荒い息を吐きながら、家へと帰ってくる母の姿を、カエデはずっと見ていたのが、今でも彼女の脳裏に残っているだけ。


 そう、そんな母親の後ろ姿を、眺めている内に――――彼女の母親は亡くなったのだ。


 これから、どうやって生きて行けばいいのかなど、まだ当時の彼女に、到底分かる訳がない。


 布団の中で、冷たく動かなくなっていた母親を、朝になって目の当たりにしたあの時の衝撃は、十何年経った今でも忘れられない程、彼女にとって衝撃的なものであった。


 学校に行く事も忘れ、ただ泣いていた時、夕方ごろになった辺りで、この家を訪ねてきた者がいた。その者は、カエデと母親の名を、繰り返し玄関で叫んでいる。


 カエデが少しだけ、奥の部屋から顔を覗かせた時、なぜかその者は「うおっ!?」と、お化け屋敷で、お化けに遭遇した時のような、すごく短い悲鳴を上げた。


 一瞬だけ、逃げる体勢をとった後、勇気を出してその顔をジッと見つめる。


「……ってなんだカエデか。どうしたんだよ、そんな目しt」


「クレイッ! お母さんが……お母さんがッ!!」


 頼れる者は、クレイ一人。クレイは、訳も話さずいきなり飛びついてきたカエデを、慌てて自分の体から引き離すと、カエデの両肩を掴んで語り掛ける。


「おばさんがどうかしたのか? 来た時からずっと家の中が静かだが、何があった!?」


「朝起きたらお母さんが……動かなくって。それで、それで……」


「……!! け、警察に連絡してくるから、ここで少しだけ待ってろ。……見つけた時の事、ちゃんと言えるな?」


 動かなくなったと聞いた時、クレイはカエデの母親の身に何があったのか、全てを察した。


 クレイの問いかけに、カエデは自分の体を抱き、震えながらも首を縦に振る。それを見たクレイは、「とにかくそこでジッとしていろよ?」と念を押すと、外へと飛び出した。


 それから数分後、警官を連れてやって来たクレイは、カエデに連れ添い、事情聴取を受ける事になる。


「おばさん……過労死だな? 何の予兆も無く、いきなり亡くなるなんてありえねぇからな」


 「それに働き過ぎていたのは、他人の俺の目から見ても、明らかだったしな」と、申し訳なさそうに言った後、取調室から出てきたカエデの手を取った。


「……気付いていたのにすまねぇ。お前のおばさんはきっと、お前の事を第一に考えて、あんなに働いているんだと思うとその……。他人の俺からは、どうしても忠告しづらくてな……」


「……いいのよ。私が忠告したって、母さんは……聞く耳を持たなかったかもしれないし」


「おまっ。子供が自分の母さんを悪く言うんじゃねぇよ!!」


「そんな事ぐらい分かってる!!」


 そう言ったカエデは、クレイが握っていた手を振り解く。俯いている顔から、一滴ずつ零れていく涙が、コンクリートの床を濡らした。


「私が分からない訳ないじゃない! それに私は、まだ働ける年じゃないし、アンタと同じ学生じゃない……。こんな状態の私が、母さんに対して何が出来るっていうのよッ!!」


「……確かに、そうだな」


 学生という身分である以上、この国で働く事はできない。かなり厳しく規制されており、学生を雇った企業は、いかなる理由があろうと、学生を雇った事が判明した時点で、企業の取り潰し処分を受ける法律が制定されている。


 それは、学校でも取り沙汰されている為、クレイの耳にも自然と入ってくる情報だ。それ故に、クレイもそれ以上の反論が出来ずにいた。


「君が彼女にしてあげた事。それは君がずっと、彼女のそばに居てあげた事だと、私は思うがね」


「……誰だおっさん。いや、あんちゃんか?」


 そんな二人の話に、割って入ってきたのは、クレイが言っている通り、中年と青年の中間辺りの外見をした男であった。


 クレイは怪訝そうな顔で、この男の全身を舐めるような視線で見回す。そこで分かったのは、外見からして、警官ではない事だ。警察官の服とは、明らかに色も意匠も違っている。


「まぁ、どっちでもいいか。それよりも……アンタ警官じゃないな? それだけはハッキリと分かるぜ」


「服が違うからな。名乗っておこうか、私はかz……『日向 蓮』と言う者だ。職業は……あまり大きな声では言えないが軍人だ」


「軍人……!? 軍の関係者が、一般人の俺達に何の用だよ……」


「あ、いや……別に君達を拘束するとか、そういう事じゃない。私は蓮華ちゃんの母親と知り合いだった人間だ。彼女とは遠い親戚だったものでね」


「……おばさんの訃報を聞いてやって来たら、偶然俺達を見つけたって訳か」


「半分は合ってるが、もう半分は間違っている……と言っておこうか。ところで君は? 彼女の子供は、蓮華ちゃんだけだと、彼女本人から聞いていたんだが……? ……まさか蓮華ちゃんのボーイフレンドという奴か?」


「……!?」


 レンの口から、思いもしなかった発言が飛び出した瞬間、カエデは動揺したような仕草を、一瞬だけレンに見せた。肝心のクレイには、彼の後ろに立っていた事もあって、一瞬も見られていないから良かったのだが……。


「おいおい……悪い冗談かなにかだろ。そういう事を言うのは、エイプリルフールだけにしてくれよ」


「ハハハ……すまない。私にはそう見えてしまったからな」


 「会話はこれぐらいにして……早速本題に入るか」と、レンは急に声音を変えて、2人と接しはじめた。


「単刀直入に言おう。蓮華ちゃん……いや――――風木 蓮華さん。私は君の母親からの遺言に則って、君を引き取りに来た」


「「……!?」」


 いきなり現れた、カエデの母親の知人を名乗る人物に、いきなり母からの遺言で、自分を引き取りに来たと言われて、簡単に信じられる人間がいるだろうか。


 クレイとカエデは、2人揃って面食らったような顔をしている。いきなりこの話は不味かったかと、レンの胸中に後悔が渦巻き始めた時、カエデがクレイの前に歩み出て、レンの顔をジッと何も言わずに見つめ始めた。


「ど、どうした。私の顔に何か付いているのか?」


「……私、お母さんの親戚の人には、1回も会った事が無い筈なんだけど。おじさん、私と会ったことある?」


「……いや、私には君と会った覚えはない」


(? 一瞬だけ動揺した……か?)


 クレイの目には、カエデに尋ねられたレンが、ほんの一瞬だけ動揺したように見えた。


 だが、今この場でそこに突っ込むと、話が更に抉れてしまうと判断したクレイは、何も言わずに二人のやり取りを傍観するだけにした。


「……どうする。私の元に来るか? 来ないならば、それも君の意志だ。君の母親の遺言を、破ってしまう事になるが、私は引き下がるよ」


「…………」


 カエデはよっぽど、この男について真剣に考えているのだろう。レンの顔を見つめたまま何も言わず、表情も一つとして変えていない。


(精神面もちゃんと成長してるじゃねぇか。ちょっと前までは、あまり深く考える事もしなかったのによ)


 少し感心したような表情で、カエデの後ろ姿を見つめるクレイ。……と、その時。徐にカエデが口を開いた。


「……クレイ、どうしよう」


「何でそこで俺の名前が出てくる!? お前まさか、俺を頼るか頼らないかを考えてたのか!?」


「え? もしかしてダメだった?」


「もしかしなくてもダメだろ!? 自分の事は自分で考えろ!」


「すみません。ちょっとだけ、考える時間を貰えますか?」


「あぁ、構わないとも。こちらも待つつもりで来たからね」


 そう言ったレンは、「あそこの待合室で待っているから、付いて来るか否か決まったら、声をかけてくれ」と言って2人に背を向けた。


 待合室に入るレンの後ろ姿を見て、カエデは泣きつくような声でクレイに懇願する。


「なんで頼っちゃダメなの?!」


「あのな、自分の人生だぞ? 自分で付いて行くなら付いて行く、行かないなら行かないって、ハッキリ言えばいいじゃねぇか」


 クレイにスパッと、支援要請を切り捨てられたカエデは、何も言い返せず俯いた。


 そんなカエデの姿を、ジッと見ていたクレイは、ため息を吐いた後、彼女の手を握る。いきなり手を握られたカエデは、ハッと息を呑むような表情を見せた。


「今のお前が頼れるのは、確かに俺だけかもしれねぇが、最後は自分の意志で決める事だ。お前は操り人形なんかじゃねぇだろ?」


 その言葉に、俯いていながらも、カエデは首を縦に振る。それを見て、クレイはカエデの頭に手を回し、自分の額とカエデの額をくっつけた。


「それで、お前はどうしたいんだ? 他人の俺に口出しする権利はねぇが……」


「……私は」


 カエデはそこで、言いかけていた言葉を詰まらせた。自分の意志とは言ったが、これを伝えるという重圧が、カエデの声を詰まらせた。


――――貴方と一緒に居たい。


 どうして……どうしてこの短い一文が、彼に向かって言えないのか。


 「私……私は……」と、モジモジしているカエデをみかねたのか、クレイは頭を掻きながら口を開いた。


「色々思うところがあるかもしれねぇが、俺はあのオッサンに付いて行った方が得だと思うぜ」


「そ、そんな。もし悪い人だったらどうするの!?」


「大丈夫さ、きっと……。赤の他人なら動揺しない場面で、動揺するような人だしな」


「……? それってどういうk」


 クレイのよく分からない発言に対して、カエデが言及しようとした時、レンが待合室から出てくるのが目に入る。


 そして彼は、真っ先にカエデへと声をかけるのではなく、クレイの方に声をかけてきた。


「話の方はまとまったか? それともう一つ、君に話さなくてはならない事が増えてしまってな……」


「え? このタイミングで俺に話が来るの?」


「あぁ、そうだ。――――君が適任だろうと私が判断した」


 そう言ったレンは、クレイの耳元で、カエデに聞こえないような声量でその話の内容を囁く。その内容に、驚いた表情を見せたクレイは、カエデにその話の内容を、彼女にも分かりやすく伝える。


「今は君達2人共、身寄りのない子供扱いだが、そのような者達が働いても罪にならない場所がある。――――来い、私と共に」


この時より――――クレイとカエデは、軍人として『大将 日向 蓮』が率いる軍隊に、所属する事となった。




『……過去は過去、現在は現在だ。わりぃが、お前が呼んでいるその名前も、今となってはとっくの昔に捨てちまったモノだ』


――――もう俺は『ヴァル―ジア=クレイ』じゃねぇ。俺は『レイジー=リアス』だ。


 そう言ったレイジーは、そう言い終えた直後、トライデントをアラストゥムに向けて投擲する。トライデントを投げた直後、グリモワールが膝をついた。


 放たれたトライデントは、アラストゥムの半身を包み込むように形を変えて、アラストゥムに纏わりつく。


 そして、トライデントを投げた後、膝をついたグリモワールの、体を組織していた半透明な紫色の光が、風に流されるように散っていき、最終的にレイジーと、彼を支えるアテナの2人だけがその場に残った。


 レイジーは、アテナに自分の体を支えられながらも、こちらを見つめるデウスクエスに向かって、声を大にして叫ぶ。


「カエデ! 最後はお前がやれ! 見ての通り、俺はもう動けない! 後はその鎗の持ち主がどうにかしてくれる!」


 カエデは、レイジーの声に小さく頷き、操縦桿を後ろに引く。


 デウスクエスが、動かなくなったアラストゥムに狙いを定めた時だった。アラストゥムの装甲の隙間から、気味の悪いスライム状の何かが、ドロドロと溢れてきたのだ。


「ッ!? ポセイドン! 俺の投げたトライデントで、何とか捕えられないか!?」


 レイジーの声に答えるように、アラストゥムの半身を包んでいたトライデントが、あふれ出てきたスライム状の物体を取り囲む。


 トライデントに包囲され、行き場を失ったスライム状の物体は、逃げ場を探す様にその場をウロウロとし始める。


「これだけ暴れておいて……この期に及んで逃げようとしたってそうはいかないわよ!!」


 カエデは、自分の中に渦巻いている怒りや恨みを、全て吐き出すかのように、もう一本のトライデントを、そのスライムめがけて投げる。


 投げられたトライデントは、スライム状の物体を取り囲んでいるトライデントと再び一つとなり、完全な水のドームを形作る。


『まったく……どうしようもない程、業の深き化物よ。一体どこからこのような生物が生まれたのか……』


 呆れたような、気怠そうなポセイドンの声が、カエデの耳に聞こえた直後、ドームの壁から数多の鎗が突き出し、内部にいたスライム状の物体を、幾重にも串刺しにする。


 その直後、ドームが一気に収縮し、スライム状の物体をトライデントの流水で細かく分解してしまった。


 その後、水の球体は縮小しつづけ、最後は滴のような一滴の水が、地面に落ちただけで、地面に吸収された一滴の滴以外、何もその場に残っていない。


 そんな様子をどこから見ているのか、再びポセイドンの声が、カエデの頭の中で響いた。


『いつの時代も……哀れで呆気ないものだな。業の深い生物の最期は』


 その言葉を最後に、ポセイドンの声は途切れてしまった。もう威厳に満ちた声は、カエデの頭の中で響く事は無くなった。


 何が起こったのかも分からず、カエデはデウスクエスの操縦桿から、自分の手を放して暫くの間、何をするでもなくただ茫然としていた。


 そして、思い出したように、強化ガラスで作られたハッチを開き、デウスクエスの操縦席から、人が消え失せ廃墟と化した、市街地や軍事施設を見渡す。


 倒壊寸前の超高層ビル群と、ほぼ同じ大きさのデウスクエス。その操縦席から見る廃都市は、見ていて気持ちの良いものではなかった。


「何もなくなったのね。私と私の思い以外……本当に、何も」


「無くなったんじゃねぇ……これから始まるって言ったばかりじゃねぇか。見ないうちに物忘れも激しくなったのか? デウスクエスだっているじゃねぇか。アラストゥムはぶっ壊れちまったから、当分の修理が必要だが……まだ全部終わった訳じゃねぇよ」


 カエデの左隣から、レイジーの声が聞こえてきた。その声に反応して左を向くと、アテナに支えられながら、大悪魔や熾天使達と一緒に、デウスクエスの装甲の上に立つ、レイジーの姿があった。


 彼は懐から、グリモワールを取り出し、その表紙を捲る。グリモワールの表紙裏には『グリモワール・使用者共に完全復帰まで 約14日』と書かれていた。


「……二週間ちょっとか、ちょっとばかり飛ばし過ぎた。それ相応の報いって奴かな。お前等、ちょっとばかり後片付けを頼む。ガープ以外の奴等は、アラストゥムの様子をちょっと確認してきてくれ。ガープは別で動いている奴等に、作戦終了の旨を伝えてくれ。あとツクヨミを……」


 大悪魔達に指示を与えた後、彼等は方々に散っていく。そして、その場に残ったレイジーはアテナの助けを借りて、カエデの隣へと歩いてくる。


 アテナの助けを借りているのにも拘らず、レイジーの足取りはフラフラとしている。


「ちょっと……私が支えてるのにフラフラじゃない」


「わりぃな……さっきの戦闘で、魔力を使い過ぎたせいか……」


 そう言ったレイジーは、少し改まった表情でカエデに向き直る。何があるのかと、カエデは少しドキッとした時、いきなりレイジーが右手を差し出してきた。


「改めて言っとかねぇとな。――――ようこそ、叡智の紙園へ。お前なら喜んで歓迎するぜ」


「……えぇ、こちらこそ。またよろしくお願いね。クr……じゃなかったわね。レイジー!」




 この話の冒頭で、神話に登場する生物をも、レイジーは自分の管轄内に入れている話があった事を、覚えているだろうか。


 目的はまだ明らかにされていないが、紙園の主であるレイジーが、彼の化物達を統率するだけの実力を持つ事は、これまでの話で分かったと思う。


 冒頭に出てきた、神話の化物達を収容している施設は、熾天使や神々の力を借りて、化物達を収容する監獄として、機能しているように見えている。


――――だが、この施設には裏側がある。


 神話に出てくる化物達を、収容・統率する目的で作られた……のは表向きの話だ。


 実はこの監獄の中には、神話の化物達をも凌ぐ、とんでもない怪物が幽閉されている。その怪物たちを幽閉している場所の名は――――『Ω』ゾーン。


 アルファベット順に、並べられた監獄ではなく、また別の監獄が用意されているのだ。もうこれだけで、どれだけ危険な者達が、このΩゾーンに幽閉されているかが、少しは伺い知れるだろう。


「おぉ……レイジーは順調に成長しているようだな……アレを扱えるようになれば、いつかは……」


『おいジジイ。一人で何を喋ってやがる。もうボケはじめたか?』


「なんじゃ――――。年寄りのたった一つの楽しみを邪魔するでない……」


 今にも消えそうな電灯だけが、頼りなく床を照らす廊下。その廊下を挟むように、二つの声がやり取りをしていた。


 一つは、口調や枯れた声から分かる通り、かなりの年を取った老人の声。そしてもう一つは、かなり気性が荒く、落ち着きもなさそうな印象を受ける声だ。


『うるせぇ!! そんな覗きをする暇があったら、早くここから出しやがれ!! 可愛い弟子だか何だか知らんが、俺様はソイツらをまとめて、皆殺しにしねぇと腹の虫が収まらねぇんだよ!!』


「……それ位にしないか、ベリアル。少々煩いぞ」


「…………」


『うるせぇつってんのは、こっちの台詞だルシファー!! お前は悔しくねぇのか!? ……おい、サタン。眠りこけてる余裕があんなら、とっととこの牢をぶっ壊してくれよ!!』


「……無駄だ。この牢はあの熾天使達によって、堅牢に作られている。壊そうと思って、容易に壊せるものではない」


 サタンはそう言った後、自分の体を起こして牢屋から通路に顔を出した。


 反対側の牢屋にいるルシファーの、ベリアルの声にうんざりしている表情が見えた。逆に自分の前方右側には、自分の方を睨み付ける、機嫌を損なったベリアルの顔があった。


 今にも牢屋を壊して、自分の元までやってきそうな勢いすら感じる程だ。


 サタンは、呆れた表情で溜息を吐いた後、ベリアルに言い聞かせるように、さらに彼の神経を逆撫でしないよう、細心の注意を払いながら口を開く。


「それに……彼がいるのだ。この牢を、仮に抜け出せたとしても……彼から逃げ切れる保証はないぞ」


『そうは言ったってよぉ……!! こんな退屈な場所で一体、何十年過ごされりゃあ、レイジーあのクソ野郎の気が済むってんだ!? こんな所で無駄な油を売ってる暇があったら、人の何十人ぐらいパパッと俺様の生け贄の為に、殺せるってのによぉ!!』 


 ベリアル――――彼はグリモワール序列68位にあり、72の悪魔に存在する9人の王の中でも、最後に位置する大悪魔の名だ。正式な名は『サタナロス=べリアル』と、本人が名乗っている。


 72の悪魔達の中でも、最も危険な大悪魔であり、ルシファー達と結託したり、様々な理由があって、今はこの場所に幽閉されてしまった。


 先程から、4者間で交わしている会話から分かる通り、単純で激情しやすいが、誰よりもよく喋る事が何よりの特徴。


 そして、ベリアルが幽閉されている牢の隣。そこに幽閉されているのは、ベリアルの発言にもあった、『ルシファー』こと『フォルスタン=ルシファー』だ。


 彼は熾天使達との戦いに敗れた後、一度はレイジーに従う意向を示したが離反。


 忌まわしき神々もろとも、叡智の紙園を滅ぼそうと企み、サタンやべリアルと結託したが、レイジー達によって捕えられ、その企みも未遂となってしまった。


 あまり口数が多くなさそうな人物。ルシファーの真正面にある、牢の中に『サタン』こと『アルベラル=サタン』が捕えられている。


 鎖に繋がれたサタンは、逃げる事も諦めている様子で、監獄の中で胡坐をかいている。そして彼の視線は、先程から手持ちの水晶ばかりを覗いている、1人の老人に注がれていた。


 老人は、3人の囚人など気にも留めず、鼻歌交じりに水晶を覗いている。……そんな様子を、暫く見ていたサタンは、胡坐をかいたまま、自分の顔に手を当てて、深く溜息を洩らした。


 溜息を漏らした後、サタンは改まったような口調で、その老人に語り掛ける。


「なぜ……貴方のような人が、このような場所にいらっしゃるのですか。紙園の主の師にして叡智の王とも称された『ソロモン王』――――ヒッタイト=ソロモンよ」


「それも其の通りだ。ソロモン、貴様はベリアルとサタンが起こした裁判に、裁判官として関わっていたそうじゃないか。なぜそこまでの聡明な王である貴様が、ここにいるのだ」


『確かに、言われてみりゃ、2人の言う通りだ。なぁソロモンのジジイ。何でこんな逃げられない牢屋がある上に、アンタみたいな偉そーな老いぼれジジイが、俺達の見張りに使われてんだ? もうそろそろ答えてくれたって、別に良い頃合いじゃねぇかよ?』


 その名で呼ばれるのは、久方ぶりだったのか、彼――――ソロモンは自分の名に少し反応して、水晶を覗く動きを止める。


「……何の因果か、お主らに共通している事は、地獄を司る者。ワシは間違っても、レイジーに遣わされて、此処にいる訳ではない。考えてみれば、ベリアルの言う通りじゃな……いいじゃろう、お答えしようとも。なぜワシが、このような場所に、お前達とと共に閉じこもっているのかを……」


 囚人たちの方へと顔を向けず、ソロモンはポツリポツリと、地獄を司る者達に、自身の生涯と最期について、静かに語り始めたのだった……。

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