主の悩みは尽きない 弐


「チッ、この汚らわしい触手が…鬱陶しいのよ!!」


 アテナが、無数に伸びてくるガタノゾアの触手を、次々に飛び移りつつ切り捨て、ガタノゾア本体に接近する。


 ケートスはガタノゾアの触手に縛り上げられて、身動きが取れないままであった。


 眼前まで触手は伸びないのか、ガタノゾアは眼前にいるアテナに手を出さない。


 その隙を突いた彼女が、アイギスをガタノゾアの顔面へと突き立てる。だが、ガタノゾアには、全く効いていないように見えた。


 ガタノゾアは、上下逆に付いた不気味な顔にある目で、アテナを捉えた。血を連想させるほど紅い、深紅の双眸に緑色の髪をした彼女の姿が映る。


 その眼は、アテナのいかなる攻撃も通さないガタノゾアが、まるで彼女を嘲笑っているようにも見えた。


 その嘲笑っている不気味な瞳が、アテナのプライドに火をつける。


「アンタがどんな化物かは知らないけど。神様をなめるなぁッ!!」


 頭に血が上ったアテナが、アイギスをガタノゾアの眼に突き立てた。


 これには堪らず、ガタノゾアも大きく後ろに下がって悲鳴を上げる。その勢いで、ガタノソアはケートスを拘束していた触手を、無意識に放してしまった。


 この時がチャンスとばかりに、ケートスはアテナを丸呑みにせんと大きく口を開いて襲いかかる。


 空中でアイギスを引き抜いたばかりのアテナは、ケートスの攻撃に気付いていたが、回避する事ができない。


「…!!」


 丸呑みを覚悟したアテナが、目を固く瞑った瞬間、ケートスがアテナを避けるような形で真横へと吹き飛んだ。


 だがその行動は、アテナを避けようとしたのではなく、何者かに壁へと叩き付けられたと言ったほうが正しい。


「……レイジーから話は聞いている。何とか丸呑みにされる前で良かった。あの男と幼い子供が、いきなり2体の巨人の面倒を、一手に引き受けてくれたかと思えば、今度はお前が丸呑みにされるところだったからな」


「えっ?」


 アテナが驚いて、ジークフリートの背後に視線を移すと、真っ赤に燃える長髪の男が、2体の巨人を相手取って、笑い声を上げながらさも楽しそうに戦っていた。


 心に思い当たる節があったアテナは、一体誰があんな笑い声を出しながら、巨人と戦っているのかと目を凝らすと、案の定見知った顔で、呆れたあまり溜息を吐いた。


「あの2人は私の知り合いよ。小っちゃい子は熾天使メンバーの『ジャスティア=ラファエル』。そして男の方は私と同じ、オリュンポス十二神の一柱『軍神 グラディネート=アレス』言って、私と似ているけど正反対の神よ」


「……似ているのに正反対とは、支離滅裂もいいところだな」


「あまり言及しないでほしいわね。私が一番気にしてる事なのに」


「……神にも複雑な事情があるのだな」


 ジークフリートは、アテナが言わんとしている事を察したのか、それ以上は物を言わなくなった。


 そんな話をしている内に、ジークフリートに吹き飛ばされたケートスが意識を取り戻し、2人に再び牙を剥いて襲いかかったのである。


 アテナとジークフリートは、背後からの襲撃に反応が遅れてしまい、攻勢に転じることが出来なかった。


 ケートスの牙が、彼女達の眼前まで到達したその時。ケートスの姿が、真上から落ちてきた物体に、あっけなく押しつぶされてしまう。


 目をアテナに潰されたガタノゾアにも、大きな塊が投げつけられた。


 何が起こったのか分からずに、唖然としていた2人の元に、アレスとラファエルがやって来る。


「ハッハッハッ! 2人共、そんなところでボーっとしてたら、レイジーに怪物のエサにされてしまうぞ!」


「さっきからうっさいわね! それと、どういうつもりよ! もし管理している化物が死んじゃったら、アンタがどう責任とるっていうの!?」


 アレスは、岩や瓦礫を二2体の化物に向かって、投げつけたのではない。を、ケートスとガタノゾアに向かって、投げつけたのだ。


 しかしアテナの唐突な剣幕に、流石のアレスもたじろぐが、ラファエルの方をちらと見てから、口を開いた。


「い、いや…『どうやってもいいから、とにかく怪物達を一つに集めて』と、そこのお嬢ちゃんが言ったんだ。俺は一番、手っ取り早い方法を取っただけだが?」


「うん、この人の言ってる事は全部事実だよ。アテナのお姉ちゃん」


「へっ!? う、うん。ラファエルが言うなら仕方ないか…」


 アテナが見る限り、ラファエルがアレスに怯えているような仕草もない。


 彼女にとっては、少し癪に障る話なのだろうが、アレスは本当に通りかかったところで、偶然ラファエルの手助けに入っただけらしい。


 それにアレスの力技が無ければ、アテナとジークフリートは、今頃ケートスの腹に納まっていたかもしれない。


 それをふまえると、今回の事件の沈静化に関して彼の貢献は、とても大きいものである事に間違いはなかった。


「まぁ、聞くところの話では、ラファエルも助けて、私達も助けたアンタが一番活躍したみたいね。…すごく癪に障る話だけど」


「……私の方からも礼を言おう。これで妻からの嫉妬の眼も、いくらかマシになるだろう」


「ハッハッハッ! 生憎だが、その話は後回しだ。さぁ、お嬢さん。あの化物達にしなくちゃいけない事があるんだろう? 今なら大丈夫だから、今のうちに行っておいで」


 アレスの言葉に、ラファエルが頷いた後、四体が倒れている場所へと近づいて行った。そしてラファエルは、胸の前で両手を合わせ、光の力を込めた後、光が漏れている合わせられた両手をゆっくりと離す。


 ラファエルの両手の中には、光の輪がゆっくりと音もたてずに回転しつつ、温かくも静かな光を放っていた。


 その光の輪は、やがてラファエルの手を離れて宙に浮く。そしてその辺り一帯に黄金の光を撒き散らし始めた。


「ちょっ! ご主人あまり前に押さn…うわぁ!?」


「ラファエル!? お、遅かったのか? それとも間に合ったのか!?」


 ラファエルが作り出した光の輪が、辺りに光を撒き散らし始めたのとほぼ同時。


 熾天使達を前に押し出す形で、レイジーが姿を現した。


 だが、その時には既に、ラファエルの創り出した光が、辺りに拡散し始めており、その光の影響を受けて、傷がみるみる内に無くなっていく最中だった。


 レイジーは、ボロボロになっていた自分の服が、少しずつ修復されていくのを見て、自分の後ろにいるガブリエルへと指示を出す。


「こ、これは…! ガブリエル、予定変更だ。今すぐ施設の復元と、ガタノゾア怪物達を、再び封じ込める用意をしておけ」


「分かった。なるべく早く準備を済ませるよ」


 そう言ったガブリエルは、一際高いところへと飛び立ち、指を組んで小さい声で詠唱を始める。黄金の光は、アテナ達だけではなく、化物であるガタノゾア達の傷も治していた。


 アテナのアイギスで、ガタノゾアは潰された目が治り、視力を取り戻す。


 ケートスは、ガタノゾアとアテナ達の戦いで傷ついた、自分の体や鱗を元通りにしてもらっていた。


 ヘカトンケイルとゴリアテは、互いやアレスによってつけられた傷が、最初から何もなかったかのように跡形もなく消え失せる。


「これが…これがラファエルの力か。最悪ヘカトンケイルを、ゼウスに何とかしてもらって、事を収めようかと考えていたが、その必要もなかったみたいだな」


「言っておくけど、父さん達のような『最高神』は、めったな事では動かないわよ。それより早く2人に分けてちょうだい」


 レイジーが、アテナに言われるがまま、彼女の背中に触れた。すると少し間を置いた後、再びアテナが光の玉へと変化し、2つに分かれる。


 巨大な光の鎗となっていた『アイギス』はハリセンへ、ゴルゴンの顔を模した盾『イージス』は、ピコピコハンマーへと戻ってしまった。


 ハリセンとピコピコハンマーを持ったレイジーが、ゆっくりと目を開けた、ミネルヴァとアテナに笑いかける。


「お疲れさま。ラファエルの力でダメージは帳消しとはいえ、精神的にきている筈だ。アレスの助力には驚いたが、結果として2人共助かった。お前達もゆっくり休んでおけ」


「ハッハッハッ! それではお言葉に甘えて、暫し日課の鍛錬でもこなすとするか!」


「……やはり妻には、私の方から少しだけ話をしておこう。お前はこの子達の面倒を見ておけ」


「そうか、背中にご注意を。龍殺しの王子様」


 そう言ってアレスとジークフリートは、アレスが吹き飛ばした壁から、化物を管理している施設を出て行った。


 最後のジークフリートが出て行ったのと同時に、ラファエルが創り出した光は、徐々に収まる。その代わりに蒼い光が、レイジーやミネルヴァとアテナ、その場にいた全員を照らし始めた。


 見事な蒼い光を、その場全員で眺めていた最中、ウリエルがそっと後ろから話しかけてきた。


「ご主人。そろそろ施設の修復が終わるとのことです。それと、あの化物達は…」


 そう言って指さしている方向の先で、ラファエルがケートスやガタノゾア達の頭に乗って遊んでいるのを見る。どうやら、自分達の傷を治してもらった事で、ラファエルに懐いたようだ。


「それならラファエルに、それぞれの施設へと帰るよう説得してもらおう。そうした方が、無理やりに押し込むよりは、不快感もないだろうしな」


 ラファエルが、『邪神 ガタノゾア』『海獣 ケートス』『百腕巨人 ヘカトンケイル』『剛神 ゴリアテ』に神通力を使って説得し、それぞれの場所へと帰すことができた。


 ラファエルが神通力を使う姿を見て、レイジーやアテナ、他の熾天使達も驚いていたが、ラファエルが不思議そうに一同の顔を見返す。


「…どうしたの皆?」


「あ、いや…説得してくれたのは良いんだが。神通力なんてものを、一体どこで教えてもらったのかと思ってな」


「あ、そう言えば皆には言ってなかったよね…。名前を忘れちゃったんだけど『ニッポン』ていうところの、鼻がなが~い神様に教えてもらったんだ…」


「その話から察するに、恐らく『天狗』か。まさかラファエル、お前…あの気難しいアイツとも付き合いがあるのか?」


「子供の天使は、どこに行っても受けがいいようですね。付き合いが他の神話の神にも及んでいるとは…」


「イザナミとかアマテラスなら、まだ分からなくもないが…まさか天狗アイツとつながりがあったとはな。流石は子供の大天使。正直恐れ入った」


 ラファエルの持つ人脈には、流石のガブリエルも驚きを隠せないでいた。


 レイジーは、イザナミやアマテラス達が、他の神話からの影響を受けやすい神である事も知っていたので、(まぁ、当然といえば当然か……)と、1人で納得していた。


 ラファエルの、思いもしなかったカミングアウトに、一同が驚いていた時。アレスが吹き飛ばした壁の方向から、途轍もない怒声が響いてきた。


 爆発音が聞こえ始めた辺り、ブリュンヒルデがジークフリートを怒鳴り散らしているのだろう。


「あ、ブリュンヒルデがお怒りだ…。ちょっとジークフリートのフォローに行ってくるから、お前らここの後始末は頼んだぞ! これ以上施設を吹き飛ばされたら、俺だって堪ったもんじゃない!」


「はいはい、逝ってらっしゃい」


「くれぐれも、ガブリエルさんの仕事が増えない程度には、抑え込んでくださいよ~?」


 爆発音が聞こえる穴の中へと、レイジーが消えて言った瞬間、爆発の代わりに業火と見紛う程の炎が、穴から噴き出した。


 それと同時に、男2人分の断末魔が、穴の中から聞こえたような気がしたが、アテナは気にしていない。


 流石にレイジー達が死ぬのでは…と言いたげな表情で、ミネルヴァが隣にいるアテナに耳打ちをした。


「あ、あの…あんな炎に焼かれたら、ご主人やさっきの甲冑の人が、流石に死んでしまうのでは」


「大丈夫よ。たとえ死んだとしても、ハデスかイザナミにでも頼み込んで、魂をむこうの世界から引き戻してもらえば。焼かれた肉体の治療はラファエルの専門だし」


「あ、それもそうですね…。それに、マスターにお灸が必要だと言ったのは、よくよく考えたら私でした」


 先程から、炎が吹きあがる穴より聞こえる、男達の断末魔と女の怒声を聞き流しながら、アテナ・ミネルヴァと熾天使達は、ガタノゾア達が荒らした施設の修復に取り掛かり始めた…。


「…で? まだこの期に及んで、言い訳が続く訳?」


 彼女達が、管理施設の修復を始めた一方で、レイジーとジークフリートは、ブリュンヒルデの業火に焼かれていた。


 プスプスと、何かが焦げた臭いが、辺りに充満している。


 凛とした風貌の女性が、周囲へ火の粉を撒き散らしながら、目の前で真っ黒になった鉄の塊と人の姿を、軽蔑するような目で見下していた。その時、二つの灰の塊同然に見えた物体がピクッと動く。


 立ち上がった二つの真っ黒な塊は、人の姿をしていた。そして、自分の手を使って、纏わりつく真っ黒な灰を払い落とす。


「い、いやだからなブリュンヒルデ…。少しは俺達の話を聞いてくれ。説明するといった途端に、お前の炎で焼かれたら説明すらできないだろ……」


「……レイジーが言うのも尤もだ。すこしは冷静になった方が良いと思うぞ。……でなければ話自体ができない」


「だって…貴方が他の人に盗られたらいけないと思って…」


 先程の行動を、ジークフリートにいさめられると、ブリュンヒルデは途端に小さい声になる。それと同時に、ブリュンヒルデが撒き散らしていた火の粉も収まった。


 彼女の子供染みた言い訳を聞いたジークフリートは、溜息を吐きながらも、鎧を纏った手をブリュンヒルデの頭に乗せる。


「……安心しろ。ここはレイジーが整えてくれた場所だ。もう私達を邪魔する者はいない。我が妻ブリュンヒルデよ…そんな事はもう分かっているだろう?」


「そうそう。今回助けさせた奴なんて、俺のいう事を聞かない漢女なんだからさ! お前は心配せずに、ジークフリート最愛の旦那さんの帰りを、素直に待ってればいいんだって! お前に何かあれば、ジークフリートや俺が何とかしてやるよ!」


「お、おい…! いくら私でも、限界というものが…」


 根拠もない事を勝手に言われて、途端に焦りだすジークフリートの後ろから、満面の笑みでレイジーが自信ありげに、ブリュンヒルデに笑いかけてきた。彼女も、レイジーの笑顔につられて、一緒に笑い出す。


「それも…そうよね。レイジー、ごめんなさい…。私がどうかしていたわ、確かに私のジークフリート旦那さんの言う通りね」


 すっかり、機嫌を良くしたブリュンヒルデは、踵を返してジークフリートよりも先に、機嫌良くスキップまでして帰り始めた。そんな彼女の後姿を見て、レイジーはポツリと呟く。


「…互いに辛かったんだろう? ジークフリートアンタブリュンヒルデアイツも…」


「それは何回も言っただろう。お前の助けなしで、私達は決して結ばれなかったと…」


「だからアイツに言ってやったんだよ。お前の方こそ、何度言わせる気だよ。俺とジークフリートお前で、ブリュンヒルデアイツの笑顔を、いつまでも護ってやるって誓っただろ? 大魔導士をナメるなよ?」


「…フッ。その言葉、確かに信じさせてもらうぞ。レイジー=リアス……いや『大魔術師 レイジー=グロリアス』よ」


 踵を返したレイジーは、何も言わずにジークフリートへと片手を上げて去っていく。


 ジークフリートは、そんなレイジーの姿を見送りつつ、ブリュンヒルデが呼ぶ声に答えて、彼もまたレイジーとは逆の方向へと踵を返して歩み始めた。

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