園の主と鋼鉄に魅せられた少女 壱

 ガタノゾア達の騒動から、既に数日が経とうとしている。叡智の紙園に住む者達、はそのような事など気にも留めない。


 レイジーは、そんな住人達の様子を見ながら、一人思索に耽っていた。争いを回避しようとしても、最終的には人同士で争いは始まる。


 レイジーは、人間のそんな所が嫌いだった。だが、アテナやミネルヴァ達に出会って、それは仕方ないのだと悟る。いかに高貴な神々も、神同士で争う事を知ってしまったから。


「……まぁ、アテナやアレスは軍神だから仕方ないとして。どうして争いは収まらねぇんだろうな……」


(……悩みがあるようだな。『叡智の紙園』を治める主よ)


 頭の中で野太い声が聞こえたと思った瞬間、視界がねじ曲がり、方向感覚がいきなり狂い始めた。だが歪みも一瞬で収まり、方向感覚を取り戻した所で、レイジーは自分の周囲を見渡す。


今――――自分は大理石で作られた部屋にいる。


 そして、自分の前にある玉座に座す、立派な髭を蓄え、威厳に満ちた男が、レイジーをジッと見ていた。隣には艶かしい美女がその男の傍にたたずんでいる。威厳に満ちた男が、誰かを把握しかねている、レイジーの様子を見て自ら名乗った。


「……念でも少ししか話した事が無いので、私が誰か分からないだろう。私はゼウス。『ゼウス=ジュピテル』だ」


「ゼウス……? という事は……」


「そうよ。私が『ヘラ=イーリアス』。貴方との話し相手は、ほとんど私だったから覚えてるわよね?」


「自己紹介もこれぐらいにしておく。……さて、悩みを聞こう。叡智の紙園の主よ」


 最初は、いきなり呼びつけられ、悩みを話せと言われて、困惑していたレイジーだったが、これもいい機会だと思い直し、全知全能の神とも評される『ゼウス』に問う。


 人も神も化物も、なぜ違う種族だろうと、同じ種族だろうと関係なく争うのかと。


 この問いに、全能の神であるゼウスが、思わず答えを詰まらせた。すると、その話を隣で聞いていたヘラが、ゼウスの代わりにレイジーの問いに答える。


「なぜかと問われても、その答えは神にも分からないわ。でも……似た者同士っていうのかしら。元は一つの物から、私達も貴方も生まれているのかもしれないわね。……ごめんなさいね。このひとは口下手なのよ」


 ヘラの意表を突く言葉に、レイジーは困惑した。目の前にいる全能とまで言われた神々と、こんな自分が似た者同士であると……。


 レイジーはヘラの言った事に、真っ向から異論を唱える。そして、自分は何をして、何があったから、最高神として崇められている筈の貴方達二人の前で、こうして話が出来ているのかと。


 その問いに答えようとしたヘラを、片手で制止させた人物がいた。


 黒いローブに、大鎌を携えた死神のような外見をした人物が、突如としてヘラの隣に現れたのだ。大きさはゼウスとほぼ同等、真っ黒なローブを纏っているせいで、ゼウス以上の大きさにも見える。

 

 ヘラは驚きつつも、黒いローブを纏った人物を見る。その隣には、黒い喪服にも似た婦人服のような衣装を纏った、比較的小柄な女性が付き従っていた。


「ハデスにペルセポネ……!?」


「貴様は、その者にこれ以上の口をきくな。貴様の甘言で、レイジーを唆したのではあるまいな?」


「なによ! 私がこの子を唆したって言いたいの!?」


「ハデス。減らず口はそのぐらいにしないか。お前は何が言いたいんだ?」


 二人の言い争いに、ゼウスが仲裁したところで、本来の目的を思い出したハデスが、ゴホンと咳払いをして、自身の顔を覆う黒いローブを、自らの手で取り払った。


 黒いローブが覆い隠していたのは、ゼウスやヘラ達のような顔立ちではなく、どこをどう見ようと完全な骸骨であった。


 ハデスの隠されていた顔を見て、レイジーは思わず声を失う。怯えたような姿で、ハデスを見るレイジーを見たペルセポネが、彼に笑いかける。


「あら、ごめんなさい。このひとは昔から顔が怖くて、誰も近寄ろうともしないの。でも根は良いひとなのよ。だから心配しないでくださいね?」


「い、いや。いつみても慣れねぇなぁと思ってよ……」


 ペルセポネは、根は良いひとと言うが、ハデスは冥界を司る神。つまりは、人の命を奪う事など容易い事だと、暗に示しているようなものだ。


 そんな物騒な神を、「根は良いひとだ」などと説得されても、レイジーにはペルセポネの話など、はなから納得できなかった。


 ペルセポネが言った言葉も、頭から信用していないように見えたのか、ハデスが少しだけ咳払いをして、ジリジリと後退あとずさるレイジーに語り掛けた。


「……自分で根は良いひととまでは言わんが、私に生物モノの命を奪う能力はない。そういう仕事は――――お前の後ろにいる奴が受け持っている」


「は……?」


 そう言って、自分の後ろを指さしたハデスの指先に、不思議な魔力があるかのように、レイジーの視線も自分の後ろへと移動する。


 だが、レイジーの視線が、自分の真後ろを見る前に、彼の背中が何かに突き当たった。


 何かに当たった感触を覚えた瞬間、レイジーは突発的に前へと飛び出す。


 そして、やっと自分の真後ろを向いた時、その異質な黒い影のようなモノが、真っ白な大理石に仕切られた部屋にいる事を認識した。


 その黒い影は、道化のような恰好をしており、仮面で自分の顔を覆っている。


 だが、仮面の視界を確保する穴や、道化服の縫い目から、黒いドロドロがあふれ出ており、道化とは大きくかけ離れた有様であった。


 そしてその影は、何の躊躇もなく、自分の腕を自分の体に突っ込んで見せる。


 自分の纏っている衣装をすり抜けて、自身の体に深々と突き刺さった腕。それだけでも事の異常さが分かるが、異常なのはそれだけではなかった。影は、自分が突っ込んだ腕を、自分の体から引き抜いて見せる。


――――引き抜いた腕に続いて、その手には真っ黒な大鎌が携えられていた。


「……!?」


「道化に似た姿をした、不気味な奴の名は『死の精霊 タナトス』という。この道化のような姿は、私の妻であるペルセポネの趣味だ。見た目が少しでも明るくなるようにと言って、妻が道化の服を奴に与えてみたのだが……。こうして見ると、余計に不気味だな」


「や、やはり失敗でしたか……。私も出来上がった時に思ったのですが、当の本人が、コレを大層気に入ってしまってて……」


「…………」


 あまりの不気味さに、ゼウスとヘラは言葉を失っている。


 レイジーもそんな具合だが、タナトスは逃げようとしたレイジーを、ただ見張っているだけのようにも思えた。……背を見せた途端に、その大鎌を振り下ろされそうな気はするが。


「案ずるな。タナトスは、私の指示無しには動かない。背中を見せたところで……!!」


 ハデスが説明している最中、タナトスがいきなりハデスに飛びかかった。

 

 余りに唐突かつ、瞬く間に距離を詰められたハデスは、その姿を眼で追うだけで、反応しきれない。


 だが、ハデスへと飛びかかるタナトスの間に、ペルセポネがハデスの大鎌をひったくって飛び込んだ。


 ハデスを護る為に飛び出したペルセポネの目の前に、道化の仮面を付けた死の精霊が、今正に大鎌を振るおうとしていた。その仮面から溢れる黒い液体に混じって、紅く光る双眸が彼女の視界に映る。


(様子がおかしい……? 何があったのタナトス……)


 ペルセポネは、タナトスが振り下ろした大鎌を、ハデスの大鎌で受け止める。2つの大鎌が衝突し、火花を散らす中で、ペルセポネの右目が、深い碧色に光る。


 次の瞬間、巨大な樹木の根が、大理石でできた床を突き破り、タナトスを締め上げた。


 一瞬で全てがあっと言う間に進む出来事と、忠実なはずの部下がいきなり刃を向けてきた事に、ハデスとレイジーも茫然としていたが、ペルセポネがタナトスを捕えた時に全てを理解した。


「ペルセポネ! あまり手荒な真似はするな!」


「手を緩めないとタナトスが死ぬぞ!?」


「二人共……申し訳ありません。その事はもちろんわかっています。ですが……」


 ハデスの声を聞いても、タナトスの拘束の手を緩めようとしないペルセポネ。彼女が召喚した樹木の根に、首を締め上げられても、タナトスは全く動じない。その様子を見た彼女は、ある事を確信した。


「彼は……『タナトス』ではありません」


 次の瞬間――――聞くのもおぞましい音と共に、タナトスを縛っていた樹木の根が二つに分かれた。


 真っ二つに分かれたタナトスの体からは、紅い血液ではなく、大量の鉄でできた部品が零れ落ちる。タナトスの異様な姿を見て、ペルセポネ以外の全員が驚いた。


「……こ、これは!?」


「コイツは……最初から精霊ではなく、機械だったのか?」


「いや。……どうなっている? タナトスはこんな鉄の塊ではなかったはずだ」


「恐らくは、どこかに本物のタナトスが、閉じ込められているのではないでしょうか。その可能性が非常に高いかと思われます」


 ペルセポネは、このタナトスに似た人形を作った者が、他の者達にも危害を加えていないのかも心配していた。


 ペルセポネの言葉を聞いて、レイジーは真っ先に、ミネルヴァとアテナの顔が思い浮かぶ。そして、何を察したのか、血相を変えてゼウスに詰め寄った。


「早く俺をミネルヴァとアテナの所へ! ココが狙われたんなら、アイツらも危ない!」

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