園の主と鋼鉄に魅せられた少女 弐
「あ~レイジーの奴、どこに行ったのかしら~」
「まぁ良いじゃないですか~。叡智の紙園内の整備が終わったって報告は、レイジーさんを見つけてからでも良いんですから~……ん?」
レイジーがオリュンポスの神々と、想定外の大変な目にあっていたのに対し、叡智の紙園内の掃除を手伝わせたラファエルに、アテナが膝枕をしたまま、ミネルヴァと共にレイジーの部屋にある縁側でくつろいでいた。
ミネルヴァが縁側から外を見た時、観賞用の植物の葉に混じって、赤と青のコントラストがデザインされた帽子のようなものが見えた。
その姿を視認したミネルヴァは、すぐさまハリセンを構えて、帽子が消えた鉢植えにゆっくりと近づく。
「出てきてください。誰かは知りませんが、手荒な真似をしなくてはいけなくなりますよ?」
ミネルヴァの声が、あまりにも威圧的だったからか、何かが鉢植えの影から、ミネルヴァの前へと飛び出してきた。その道化にも似た服装と一言も物を言わぬ仮面を見て、ミネルヴァと傍で見ていたアテナは、揃ってその道化の名を言った。
「タ、タナトスさんでしたか。って、なんでこんなところにいるんですか?! モタモタしてたら、ハデスの伯父さんに切り刻まれちゃうんじゃ……」
「タナトス!? 何でアンタがこんな場所に……アンタの持ち場って冥界じゃなかったっけ?」
「お二方のお嬢さん達の言い分は尤もだ」と、タナトスはパントマイムとジェスチャーを交えつつ、文字通り身振り手振りで語る。そしてタナトスは、二人に一言も喋らずに助けを懇願した。
「本来なら私は、ハデス様とペルセポネ様に付き従って、ゼウス様の神殿へと参上するはずでした。ですが、ゲートを潜ってみると、ハデス様とペルセポネ様の姿は、どこにも見当たらないのです。そこで無礼を承知でお願い申し上げます。どうか私を、ハデス様とペルセポネ様の元、つまりゼウス様の神殿へとお連れしていただけないでしょうか……と言いたいんですか?」
ミネルヴァは、タナトスのパントマイムとジェスチャーを交えた仕草から、彼の言いたい事を全て読み取る事ができた。
タナトスは、自分の伝えたい事を、一言一句漏らさずに読み取ったミネルヴァに親指を立て、ミネルヴァに両手を使って握手をする。
傍からその様子を見ていたアテナは、ラファエルに膝枕をしている状態で、肩を竦めて首を振った。
「なんでアンタは、タナトスの言いたい事が分かるのよ……。まぁ、いいわ。とにかく、父さんの所にいるハデス伯父さんの元へ、貴方を連れて行けばいいのね?」
「ぅ、ぁ……なぁに?」
そんなやり取りをしている最中に、ラファエルが目を覚ましてしまった。
ミネルヴァとアテナは、いきなりラファエルが起きた事に慌てだす。だが『死の精霊』であるタナトスは、そんな2人などお構いなしに、『神癒の熾天使』である、ラファエルへと近づいた。
仮面の眼を覗かせる穴や、白黒の道化服にある縫い目からも、真っ黒な液体が際限なく零れている。
そんな不気味な姿を見ても、ラファエルはなにも恐れる仕草を見せずに、タナトスの仮面に触れる。だが、ラファエル程度の腕力では、簡単に仮面は外れない。
「……ピエロさんなの? なんか様子が変だけど大丈夫?」
ラファエルに聞かれても、やはりタナトスは喋ろうとはしない。
数歩後ろに下がったタナトスは、自分の胸に手を突き刺し、真っ黒なボールを五個も取り出して、3人の目の前でジャグリングをし始めた。
ラファエルが、先程の質問も忘れ、キラキラとした双眸で、ジャグリングをするタナトスを見ている事に気付いた彼は、ジャグリングしているボールに、自分の息を吹きかける動作をする。
すると、5個の黒いボールは、次々とピンにブロック、本にナイフなど、実に様々な形へと変形していった。
最後は、最初にジャグリングしていた五つのボールに戻り、その五つのボールを高く上げ、タナトスが少しだけ、仮面を上にずらして待ち構える。
そして、上から落ちてくるボールを、1個も取りこぼさずに全て飲み込んで終了した。
あまりの器用さと、想像を絶するジャグリングに、ミネルヴァとアテナは開いた口が塞がらない。
「す、すごいわねアンタ……。もういっそのこと、死の精霊なんて思いきって辞めちゃって、大道芸師にでもなったら?」
「今の仕事をクビになった時の為に考えておきます……と言ってます」
「……死の精霊さん? ピエロさん、貴方は精霊さんなの?」
「……!!」
ラファエルの質問に、タナトスは少し困ったような仕草を見せる。彼は確かに精霊だが、『死』という概念を司る精霊。
そして相手は、天使という彼とは真逆の種族だ。タナトスはその部分を、彼女に伝えるべきか否かのジレンマを抱える事になってしまった。
悩む仕草を見せるタナトスを見て、ミネルヴァとアテナはラファエルにこう助け舟を出した。
「そうですよ。たしかにこのピエロさんは妖精さんです。でもこのピエロさんは、ラファエルを楽しませるために、ここに来たからそろそろ帰らなくちゃいけないの」
「……!?」
「タナトス。今は、今だけは……嘘で塗り固めましょう。それがラファエルあの子の為なんだから。それとも……貴方は
「…………」
ミネルヴァがラファエルに、ウソを言い出した時、タナトスは慌てて2人に駆け寄ろうとした。
しかし、そこをアテナに止められてしまう。タナトスは、アテナが耳元で囁いた言葉に、ただ頭を垂れるしかなかった。
道化と呼ばれる者は、語らずして全てを伝える力が求められる。その姿は、子供に大きな夢を与える反面、それは同時に、残酷な嘘を新たに作り出してしまうきっかけにもなる。
それは元々、言葉が喋れないタナトスにとって、一番残酷な事であった。
アテナの言葉に、タナトスがジェスチャーとパントマイムで返事をしようとした瞬間、突如として、叡智の紙園中に響いた爆発音と共に、空から真っ黒に焦げた、二つの大きな塊が落ちてきた。
その黒い塊はモゾッと動くと、自分に付いた灰を払い始める。それと同時に、非常に聞きなれた声が、黒い塊から発せられた。
「ハッハッハッ! お前の嫁もやるな! まさか俺と同じように炎を扱えるとは!」
「……笑い事ではない。どう収拾をつけるつもりだ」
「アレスにジークフリート!? 一体何があっ……!!」
アテナが、何の唐突もなく、いきなり吹き飛んできた二人に、何があったのかを聞く前に――――異変が向こうからやって来た。
体の至る所に業火を纏ったブリュンヒルデが、憤怒の形相のままジークフリートを睨み付けている。だが、彼女らしくもなく、怒鳴り声を一つも発さない。
ジークフリートの隣に行ったアテナは、2人に目の前の状況を説明するように求める。
「ちょ、ちょっとアンタ達!? 一体何があったのか説明しなさいよ!」
「……説明に困る。ブリュンヒルデが出合い頭に、私へと襲い掛かってきたのだ。その際、近くにいた彼も巻き込んでしまった。……私はここまでされるような事は、全くしていないつもりだが」
「ハッハッハッ! お困りなら助けるのが礼儀! アテナとミネルヴァお前達もそう教わらなかったか!」
高らかに笑ったアレスが、全身に力を込めて両腕の拳を叩き合わせる。叩き合わせた拳から、紅蓮の炎が立ち上がり、燃える武具を形成した。
ジークフリートも、「最早仕方がないか……」と言いたげに溜息を吐いて、業火を纏うブリュンヒルデに、バルムンクの切っ先を向ける。
対するブリュンヒルデは、左手に力を込めて、『ニーベルングの指輪』の能力を使う。
指輪が緑色に光ったかと思えば、ジークフリートと同じように、ブリュンヒルデが紅い鎧に身を包んだ。彼女の両手には、彼のバルムンクと、ほぼ同じ大きさの剣が、携えられている。
「その刃紋……間違いない、ノートゥングだな。……やる気か、
よほどの怒り心頭で、我を忘れているのか、一言も発さないブリュンヒルデは、無言でノートゥングの切っ先を、自分の夫であるはずのジークフリートに向けた。その表情は紅い甲冑に阻まれて、確認する事も叶わない。
甲冑の隙間からは、絶えず紅蓮の炎が噴き出している。その炎が周囲の草木を焼き払い、辺りを地獄同様の様相へと変貌させてしまった。そして両者が、自分の剣を構えつつ、少しずつ互いの間合いを詰めていく。
次の瞬間――――両者にあった間合いは、一瞬にして零距離に縮まる。
まるで花火の様に紅い火花が、両者の剣を衝突させる度に、幾度となく両者の間で飛び散った。紅く血にも似た火花は、お互いの紅と蒼の甲冑に反射して繰り返し跳ね回る。
余りにも苛烈な夫婦の戦い夫婦ケンカに、流石のアレスも茫然としていた。唐突に始まったジークフリートとブリュンヒルデの戦いに、ラファエルは怯えきって、ミネルヴァとアテナの後ろに隠れて、怯えながらも二人の様子を見守っている。
「す、凄まじいな。
「私達も、いつかはああなってしまうのかしら。それだけは御免被るわね」
バルムンクを持ったまま、高く跳躍したジークフリートが、真上からバルムンクを使って、質量任せに真上から叩き潰そうとする。
それに対して、一瞬だけ力を溜めたブリュンヒルデが、上を薙ぐようにノートゥングを、ドーム状に薙いだ。
両者の剣は、甲高い悲鳴を上げるかのような金属音を発し、再び火花を花火の如く辺りに撒き散らす。両者はそのまま、刃を突き合わせたまま競り合った。
だがブリュンヒルデが、一瞬だけ体勢を崩してジークフリートの体勢を崩しにかかる。
ブリュンヒルデに、思わぬ形で体勢を崩されたジークフリートは、突き合わせた刃を引き、地面にドッと倒れ込んだ。倒れた時に、ガチャンと甲冑が触れ合う音が大きく響く。
彼が地面に倒れ込んだのを、自身の視界の隅で捉えたブリュンヒルデは、真上に薙いだ剣を止め、高らかに掲げるように持ち上げる。その様子を見てアレスは、考えるよりも先に駆け出した。
「ちょ、アレス!?」
「うぉおおぉぉぉおぉぉぉッ!!」
ブリュンヒルデは、大声を上げてこちらへと突撃してくる橙色の炎塊を見て、負けじと自身の纏う火力を増幅させる。
ジークフリートが、バルムンクを持って立ち上がった瞬間、両者の炎が激しく衝突した。炎という形を成さない物が、衝突しただけの衝撃で、バルムンクを持ったジークフリートが真後ろへ吹き飛ばされた。
衝撃に吹き飛ばされたジークフリートが、壁に叩き付けられる直前、アテナとミネルヴァにタナトスが、三人がかりでその巨大な甲冑を受け止める。
タナトスは、巨大なジークフリートを受け止めた衝撃で、道化服の中から中身が飛び出して、黒い液体と化してしまったが、一瞬でまた道化服の中へと戻り、何事もなかったかのように振る舞ってみせた。
「……助かった。すまない」
「礼は私達ではなく、アレスに言ってください。彼がブリュンヒルデさんの隙を作ったんですから」
業火に身を包んで、橙と紅蓮の炎のどちらが、片方を飲み込むかの勢力争いをしている。
これでは埒が明かないと判断したアレスは、ブリュンヒルデの顔面を覆う甲冑に、右腕の拳を叩き付けようとした。
だが、突き出した拳は、彼女の眼前で真横に薙がれたノートゥングによって、無残にも相殺されてしまう。
そうなる事を見越していたように、アレスは弾かれた反動を利用して、その場でターンする。そして、遠心力で威力の増した左腕の拳を、ノートゥングに叩き付けた。
ノートゥングは、側面でアレスの拳を受けて、鈍い音を立てる。あともう一押しかと思われた矢先、突如としてアレスの真横から大振りの剣が飛び出した。
その剣は、鈍い音を立てたノートゥングを砕き、ブリュンヒルデの胸部甲冑をいとも容易く貫いて見せた。その瞬間、ブリュンヒルデから発せられていた紅蓮の炎が消え、アレスの放つ橙色の炎だけがその場に残る。
ジークフリートは、大ぶりの剣が胸を貫いたまま、動かなくなったブリュンヒルデを抱き起し、その姿をじっと見つめ続ける。
「ブリュンヒルデが……死んだ?」
「何を言っているのかしら。貴方は自分の嫁の見分けもつかなくって?」
ジークフリートの様子を見ていたアレスは、先程の気配とよく似たモノを自分の背後に感じ取り、踵を返してその気配の正体を視界に捉える。
そこには、先程まで自分が戦っていた筈の、紅蓮の甲冑が仁王立ちをして立っていた。驚いたアレスは、目を擦って前を見た後に、自分の後ろを交互に見比べる。
やはり、ジークフリートが抱き起した紅蓮の甲冑と、自分の目の前で仁王立ちしている紅蓮の甲冑は、どこからどう見ても同じ物であった。
ジークフリートが自分の方を見てもなお、自分が抱き起した甲冑と、全く同じ自分を見比べている姿を見て、彼女は拳を固く握りしめ、紅蓮の炎を甲冑の隙間から吹き上げる。
「あのね! それは私のニセモノよ!! さっきレイジーから連絡があったのよ。そっちで戦闘沙汰になってる事があったら、ジークフリートと一緒に止めて欲しいって。それから騒ぎを聞いて駆けつけてみれば……私のニセモノが、貴方を相手に暴れてるなんて思ってなかったけど」
そう言いながら、ジークフリートに近づいたブリュンヒルデは、ジークフリートが抱き起したニセモノの胸に、深々と突き立てたノートゥングを引き抜き、一思いにその首を刎ねて見せた。
すると斬られた首からは、紅い液体が一つも噴き出ない。代わりに、タナトスの時と同じく、鉄でできた歯車などの部品が飛び出した。
大量の部品を噴き出した妻のニセモノを見て、ジークフリートはその鉄屑を突き飛ばすように、自分の手からニセモノの亡骸を放す。
「……すまない、私は夫として失格だな」
「そんな事を言ってる暇は無いわ。できる事ならすぐにでも、一日中説教をしてあげたい所だけど、それはこの騒動が鎮圧できてからの話よ」
ブリュンヒルデは、自分に跪いたまま首を垂れるジークフリートの頭を軽く叩いて、立ち上がるように促した。ブリュンヒルデに言われるがまま、ジークフリートが立ち上がった時、彼女が彼の胸に飛び込んでくる。
「でも……貴方が無事で良かった。もし何かあったら私は……」
「……私は本当に情けない果報者だな」
小さくすすり泣くブリュンヒルデを、優しくあやす様にジークフリートが優しく抱きしめる。そんな二人の姿を、何も言わずにジッと見るラファエルに、タナトスがソッと目隠しをした。
「な、何も見えないよ~……?」
「貴女が見るには、少しばかり刺激が強い物です。こういうのはもっと大人になってから見てくださいね……と、タナトスが言ってるわよ。ラファエル」
「フッ……あの二人も、やはり夫婦なのだな。仲睦まじい姿がその証だな」
「そうね。……私達の
「アテナにミネルヴァ! 大丈夫だったか?!」
突然、二人の目の前の空間が歪み、その中からレイジーが大慌てで飛び出してきた。レイジーは二人の手を握って、二人の顔を交互に見て、ホッと安堵の溜息を吐いた。
レイジーが大声を上げた事に気付いたタナトスは、レイジー達を見た瞬間、ラファエルの目隠しを止めて、一目散にレイジーの後ろにいた者達の元へと駆け寄ってきた。いきなり慌てて、自分達の元へと、駆け寄って来た臣下を見て、ハデスとペルセポネは驚いた。
「タナトス……! 無事だったのか」
「心配しましたよ……貴方のニセモノが現れて、いきなりハデス様に襲い掛かったのです」
二人から、自分のニセモノが現れたとの言葉を聞いて、タナトスは物を言わないまま、その場で飛び上がった。レイジーに、ハデスの元へと連れて来られたアテナとミネルヴァは、タナトスが非常に驚いた表情をしている事に疑問を持った。
「タナトスに何かあったのかしら?」
「自分のニセモノが現れて、ハデス様を傷つけようとしたらしいのです……と言っているようです」
「なるほど……つまりブリュンヒルデと同じような事が起こっていたって事なのね。ところで叔父さま、父さん達は無事なのかしら?」
「叔父様と言うのは止めないか。確かに私はこんな風貌だが、そこまで年はとってないぞ。……安心しろ。ゼウス達は無事だ」
ハデスは、少し不服げな声音で、アテナに応答する。だが、アテナはまるで取り合おうとはしない。
「私からすれば叔父さんなのよ。父さんのお兄さんなんでしょ?」
「確かにそれはそうだが……」
「おいおいアテナ。あまりハデスを
レイジーが二人の間に割って入り、ミネルヴァにアテナを引き離させた。そして、ハデスに向き直ったレイジーは、礼を言った。
「助かった。まさか冥界を経由して紙園に繋げるとは……流石は冥界の王だな」
「フン……好きで冥界の王になった覚えはないがな」
「フフッ……こんな主人ですが、時折顔を見せてあげてください。そうしたら主人も喜ぶと思うので」
ペルセポネがフォローをしている間に、ハデスは踵を返し、冥界より繋げたゲートに、片足を入れようとしていた。その時、彼は思い出したかのように後ろを振り返る。自分の後ろには、ペルセポネとタナトスが控えていた。
「お前達は、レイジーに付いて行き、この騒動の原因を探れ。……私は別途の用で同行はできない」
「はいはい、了解しました。ウフフ……素直じゃないんだから」
笑いつつもハデスに一礼した後、ペルセポネは彼に背を向けレイジーに向き直る。タナトスは、ハデスに何も言わないままハデスに一礼した後、自分の体から黒い紙吹雪をばら撒いて見せた。後ろも振り返らずに、ハデスは冥界へと続くゲートへと入り、そのゲートを閉じてしまった。
「少し羽を伸ばしたかったから、私やタナトスにとって丁度良かったわ。よろしくねレイジーさん」
「あ、あぁ……。だが、帰る方法はどうするんだ。あのゲートはハデスしか開けないんだろう?」
「あぁ、その点はご心配には及ばないわ。実は私もゲートは開けるのよ。……行きつく先までは、あの人の様に指定できないんだけどね」
「おい……それって大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。冥界に着けば、タナトスがあの人の元へと連れて行ってくれるから。彼は冥界にいれば万能なのよ?」
肝心なところで抜けている冥府神の妻を見て、レイジーは額に手を当てて深く溜息を吐いた。それと同時に、こんな調子な冥府神の妻に付き添う、タナトスの身を案じる。
だが当の本人であるタナトスは、その程度の事は苦にも思っていない様子だ。
「まぁ、無駄話はこの程度にしましょう。……で、この騒動の犯人に目星はついてるの?」
「あぁ、それについては……今調べるところだ」
そう言った後、ペルセポネとタナトスに踵を返したレイジーは、ブリュンヒルデに首を刎ねられた鉄の塊に近づく。
その周囲には、先程の戦いの傷を治すラファエルや、彼女の治療を受けているアレスとジークフリートなどがいた。レイジーは、その中でアテナとミネルヴァが、無性にイライラしているように映る。
「……どうかしたのか? そんなに怒ったような顔をして……」
「なんで私達だけ戦闘がお預けなのよ!? アレス達だけしか活躍してないんだけど!?」
「そうですよ! 何で私達はこのままなんですか!?」
「俺は予言者じゃねぇ! そもそもこんな事になるなんて、誰が予想できたんだよ!?」
二人に捲し立てられ、追い詰められたレイジーが、苦し紛れに発した正論に、二人はひとまず冷静になった。二人が少し落ち込んでいるように見えたレイジーは、深く溜息を吐いた後、二人の頭に手を置いて、呪文を詠唱する。
すると二人が光の球体へと変化し、引き寄せられるかのように合体した。人の形を成した光は、周囲に光を撒き散らして消えてしまう。手にはハリセンとピコピコハンマーではなく、光の鎗と黄金の盾が握られていた。
「何で……また急に……?」
「お前達がそこまで言うなら、お前の思う様に好きなだけ戦え。ただし、施設は壊さない事が条件だぞ。分かったな?」
「……うん。それと……ありがと。レイジー」
「全く……脳筋の相手は疲れる。……これっきりにしてくれよ」
アテナの肩に手を置いた後、レイジーは彼女の隣を通り過ぎ、首のない残骸の前に立った。叡智の紙園を管理するレイジーは、この鉄の塊が外から送られた物体である事を察する。歯が付いた輪のような物が、残骸の中身にこれでもかと詰まっている。
この残骸を分解してみると、緻密な計算によって作られている物体である事が伺い知れた。だが、ここまでの物を作り上げる事ができる神は、叡智の紙園のどこを探してもいるわけがない。
「これは……人間が作った物なのか? だが、神の姿を模して造られた人形に何の価値があるのか……」
「それをこれから調べるんでしょ。もうちょっと頭を働かせなさい」
隣に立ったアテナは、指先でレイジーの後頭部をパチンと弾いた。レイジーが調べている体の隣に転がる、甲冑を纏った生首を抓み上げたブリュンヒルデは、顔を覆っている甲冑を剥いで、目を瞑ったまま動かない自分の顔を、何も言わずにジッと見つめる。
するとその隣にジークフリートがやって来て、生首を抓みあげるブリュンヒルデと、生首の顔を交互に見比べていた。
「本当に私と瓜二つね。私を鏡ごしに見ているみたい」
「……まるで型に流し込んだかのように瓜二つだ。違いなどどこにもないように見える」
「全くね。これだけ似てれば、貴方が分からないのも無理はないかもしれないわ」
そう言ったブリュンヒルデは、自分にそっくりな顔に飽きたのか、なんの躊躇もなく投げ捨てる。投げ捨てられた衝撃で、その生首からノイズにも似た、非常に耳障りな音が流れ始めた。
その奇妙な音に、ギョッとしたブリュンヒルデは、慌ててジークフリートの後ろに隠れる。ジークフリートは、バルムンクを構えてその生首をじっと見つめていた。生首は、警戒するジークフリートに構う仕草も見せず、ノイズ塗れながらも言葉を漏らし始める。その声は、野太い男性の声であった。
「我々…遂に……神…住ま…場――――を発見するに至る。この場……侵攻す…為……
そこまで言った後、ノイズだらけとなり、音声も聴き取れなくなったところで、プツンと何かが切れたような音と共に事切れた。結局、何事も無かった事を確認したジークフリートは、バルムンクを納めてレイジーの方を向く。
レイジーの後ろで、ペルセポネとタナトス、アレスにラファエルやアテナ達も、その話に息を止めているかのように聞き入っていた。
「……でかしたブリュンヒルデ。それだけの情報が引き出せれば上出来だ」
そう言いつつレイジーは、敵が単体ではなく、組織的な者達である事に気付く。さらにその
ブリュンヒルデや、タナトスのニセモノが現れたという事は、アテナ達の姿を模した人形達も、敵側に存在する可能性があるという事になる。
しかし、それを恐れて、ここで手を拱こまねいていては、敵に先手を打たれてしまい、こちらが不利になる事も必至であった。
レイジーは、ジッと何も言わずに、ブリュンヒルデのニセモノを見ながら考え事をする。顎に手を当てて、何も言わないまま、アテナにアレス、ジークフリートにブリュンヒルデ。さらにペルセポネとタナトスに、ラファエル達の各々が、代かわる代がわるレイジーの視界に映り込んできた。
そして全員が、彼の顔を覗き込んでから数十秒間。息遣いすら聞こえない程、レイジーが静かに策を練っていた。……そして、顎に当てていた手を下ろし、ニヤリと口元が不気味に嗤った。
「お前達。こんな真似をした人間達を、神であるお前達は赦すか?」
レイジーからの唐突な問いかけに、アテナ達は顔に困惑の色を示す。全員の、いまいち分かっていなさそうな表情を見た彼は、溜息を吐いて自分の左顔面に左手をあてた。
「あのなぁ……お前達は、向こうの世界では、存在しない事になっているんだぞ? 『神なんていない。神に救いを求めても、そんな救いを求める声に応じてくれる者などいないのだ……』と考えてな。だが……お前達は誰だ。俺が今、こうして話しているお前達は、一体誰なんだ?」
「……神。そう、私達は神よ」
そう答えたアテナの声に、レイジーの顔が向く。彼の右目が一瞬だけ紫色に光ったような気がしたが、アテナにはそれが彼の魔法によるものか、そう見えただけなのか判別がつかなかった。レイジーは、その場にいる一人一人の顔を覗き見ながら、アテナが発した言葉の続きを口にする。
「そうだ。そしてここは、俺と
そう言ったレイジーは、首だけになったブリュンヒルデのニセモノを、苛立った様子で蹴り飛ばして見せる。蹴り飛ばされたニセモノの首は、バキッと割れるような音を立てて、文字通りの鉄塊へと化してしまう。
レイジーの苛立ったような態度を見て、声音を変えたジークフリートが彼を問う。
「……それはつまり、ブリュンヒルデとの関係を、邪魔する者が再び現れたと言ってもいい……という事か?」
「そう捉えてもらっても、俺は一向に構わない。どの道、俺達の敵である事に、なんら変わりはないんだ。なにが理由であれ、ここに奴等を入れてはいけない」
ニセモノを処分してスッキリしたのか、レイジーは振り返ってジークフリートに理解を求めた。ジークフリートもアテナと同様に、彼の右目の奥で、紫色の光が揺らいだように感じたが、本当に灯ったのかどうかは判別しかねる。
そしてレイジーは、この場にいた者達に、声量を絞ってさらに語り掛けた。
「そこで思い付いちまったんだよ……。わざと手を拱きながら、敵に対して先手を打てる手段って奴をな……」
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