Revenge of the Machine ~機械の怒りは電光となりて~

 レイジーは、その廊下の奥を目指して、ただひたすらに奥を目指す。オロバスはピッタリと後ろを付いて来ているが、ハルファスとマルファスは、噴き出す蒸気にビクビクしながら、二人の少し後ろを付いて来ていた。


 蒸気が吹きあがる度に、二人揃って悲鳴を上げる双子を見て、オロバスは『お化け屋敷じゃねぇんだぞ……』と小さく溜息を吐く。一方でレイジーは、全く取り合う姿勢を見せない。


『ところでよ。主人はここにいた時期があったんだよな』


「……その話、どこの誰から聞いた」


 『アモンの旦那から、全部聞かせてもらった』とごまかす様子も無く、オロバスは素直に答える。それを聞いて、レイジーは「やっぱりか……」と溜息を吐いた。


『なぁ、一体何があったんだよ? アモンの旦那も、そこまで詳しくは教えてくれなかったからよ』


「あまりその話はしたくないんだがな……。お、アレだな」


 その話を打ち切る形で、レイジーが廊下の奥にある鉄製の扉を指さした。重々しい扉に近づいた4人、そしてオロバスがその扉に手をかけた。……しかし、その扉は開かない。押しても引いても、びくともしない。


『……チッ、少し離れてろ。この扉をぶち抜く』


 オロバスが小さく舌打ちをした後、3人を下がらせ、自分の扉から距離をとる。そして、側面に棘状の装飾がびっしりと付いている黒いブーツで、勢いよく助走をつけて扉に蹴りを入れた。


 彼の口から出てきた通り、腐っても彼は大悪魔の一人。たった一撃の蹴りを入れただけで、衝撃波にも似た風が、彼の後ろにいた3人の間を吹き抜けた。


 扉を開けるのではなく、足が鉄の扉を貫通したのではないかと思わせる程の音が、先程の衝撃波と共に響く。しかし、そんな音とは裏腹に、鉄の扉はへこんだ程度で、開く気配は先程と変わらず全く無い。


 あれだけ大きな音がしたのにもかかわらず、この程度しか扉に変化が無い事に、少しだけオロバスは驚く。


『おいおい。この扉、後ろに何かあるんじゃねぇか? 出入り口に物を置く奴があるかよ。……格納庫じゃなくて物置の間違いじゃねぇか?』


「それはおかしい。確かにここであっている筈なのだが……。ハルファス、マルファス。さらに一発だけ頼めるか?」


 そう言ったレイジーは、オロバスを下げて、ハルファスとマルファスを扉の前に立たせる。二人は互いの顔をみて頷くと、鉄の扉めがけて走り出した。


 そして、その扉の前で急ブレーキをかけて止まったかと思えば、二人同時に魔掌を拳に変え、へこんだ扉へと叩き付ける。


『『打ち砕け、そして吹き飛べッ!!』』


 叩き付けられた、2つの拳の衝撃は流石に耐えかねたのか、扉の金具が壊れる音と共に、部屋の奥へと扉が吹き飛ぶ。


 目的地への進行を阻む障害物は、これで無くなったのだが、4人の耳には本来ならば、絶対に耳にしないような音が聞こえた。


扉が後ろに吹き飛んだ瞬間――――肉を力任せに引き千切ったような音がしたのだ。


 ブチブチと奇妙な音が聞こえた事に、レイジーが怪訝な顔をする。その顔は、その音が何を意味するのかを、全て知っているかのような表情であった。


「あと一歩……いや、あと数十歩は遅かったと言ったところか」


『あ? どういう事d……!!』


 オロバスは、レイジーが呟いた言葉の意味を聞こうとする。だが、それを遮るような形で、その扉に閉ざされた先の光景が、オロバスの目に飛び込んできた。


 カエデは、ここの場所を格納庫と呼んでいた。レイジーもここが格納庫だと思っていた。しかし、実際は違っていた。


 格納庫を隠す様にそびえ立つ壁、しかしその壁は、生物の肉らしき物体でできている。ここまでグロテスクな光景は、大悪魔達も見た事が無い。


 4人が奇怪な光景を、目の当たりにして黙り込んでいると、グリモワールがひとりでに光りだし、2つの紋章が飛び出した。


 2つの紋章から出てきたのは、バエルとアモン。二人は紋章から出てきたと同時に、レイジーの顔を見る。そしてアモンが、申し訳なさそうに一礼した後、重い口を開いた。


『……既に手遅れでした。掠奪者ブランダラプターの正体を掴んだ時にはもう……』


「どんなに急いでも、無理な物は無理だったって事だ。そう気を落とすな」


『ちょ、ちょっと待ってくれアモンの旦那。なんだよ、掠奪者ブランダラプターの正体って?』


 口ではそう言っているが、レイジーは内心焦っていた。最悪の場合は、そう滅多に起こる事ではないと想定していただけに、いざ現実に起こったショックは大きい。


 オロバスは、掠奪者の正体という単語を、自ら口にしたアモンに、更に深く言及する。一方でハルファスとマルファスは、完全に怯えきって状態で、バエルにぴったりとくっついている。


 アモンは、バエルを説明に加わらせようとしたが、二人に付きっきりになっているのを見て諦める。そして、一呼吸置いてから、アモンは口を開いた。


『そのままの意味です。奴等の起源を辿ると、奴等は合成生物キメラなどではなかった。元は敵対生物の幼体に擬態する、擬態能力が非常に高い小動物でした』


 アモンが調べた事実によると、掠奪者の先祖はここまで狂暴な生物ではなかったようだ。掠奪者の先祖は、先程も彼が言った通り、敵対生物の子供の幼体に擬態して、敵の目を欺く小動物だったと言う。


 しかし、それはあくまで一つのグループであった。高度な擬態能力を持っていたこの小動物はなんと、動物の幼体はもちろんの事、その気になれば、植物にも擬態する事ができる程の、擬態能力も持っていたらしい。


 そこまでの高度な擬態技術に隠された秘密は、自分の体細胞の遺伝子配列を、自由自在に入れ替える事が可能だと言う点に隠されている。


 様々な生物の特徴に関する遺伝子データを、自分の体の中に溜め込み、必要となった時にそのデータを抜き出して、自身の体に体現させる。


これを繰り返して、この生物は弱肉強食の世界を生き残ってきたと言う訳だ。


『なるほど。……で、いつからコイツ等は、あんな化け物になったんだよ?』


『そこについてですが、とても興味深い事実が見つかりましたよ』


 そう言ったアモンは、更に言葉を続けた。アモンによれば、この生物が今の様な姿となったのは、つい最近の事だという。


 バエルが偶然にも参考文献を見つけ、2人でそれを調べてみたところ、『とある種族』と大きな争いが起こったとされている。


『その『とある種族』についても、色々と調べてみたのですが、肝心の参考文献が古く、名称どころか実在するのかどうかも、全く分かりませんでした』


『それがいつ起こった話なんだ? つい最近だって言っていたが……』


『その争いが約200年前の話です。ひょっとすると、その種族の起源を示す、神話的な話にすぎない可能性もあります』


『人間の目線で考えると、全然最近の話じゃないな……。お前達にとってみれば、つい最近の話なのかもしれないが……』


 ここで、悪魔と人間の感覚の違いを、改めて認知させられたレイジーは、改めて軽く溜息を吐く。大悪魔と常日頃から関わっていると、こういう事が頻発するのが、レイジーの悩みの種となっていた。だが、こんな所で溜息を吐いたところで、結果として何も進まない。


『その文献には、《いきなり姿を変えた化物が、瞬く間に私達の生活圏を奪い去り、多くの同胞が化物に喰われた》と書かれてありました。この話から察するに、恐らく突然変異のような物かと思われます』


 更にアモンは、今自分達がいるこの空間に、とても似たような記述がある事にも言及した。


 辺り一帯が肉で埋め尽くされ、それらは全て、自ら息をしているように動いている。そして、その肉の中から、その化物が生み出されている……との記述があると言うのだ。


「……おいおい、それじゃココがアレか? その……母体とか本体って奴か?」


『この記述と酷似している事から考えて、そう見ても良さそうです。つまり外を徘徊している物をいくら殺そうと、ここから延々と生み出され続ける……という事でしょう』


 そして、掠奪者が喰った色々な遺伝子情報を、母体であるコレも、ある程度は有しているらしい。


 掠奪者の体を作る為に必要な、最低限の遺伝子は母体が用意しておき、生み出された後は、個体が気の向くままに喰らい、そして成長する……という仕組みなのだ。


「……獅子は我が子を崖から突き落とすとは言うが、この母体は自分の子供に共喰いまでさせるのかよ……」


『それほど生存競争の激しい種族なのでしょう。どのような手段を用いてでも、強き個体を残さねば、その種の絶滅に繋がりますから』


 「いくら何でもやり過ぎじゃねぇのか……」と言うレイジーの隣、オロバスがふとある事に気が付いた。


 彼とハルファス・マルファスは、レイジーが『アラストゥム』と呼ぶ、彼の探し物を探す為に召喚された。……だが、この場は、掠奪者の母体である肉に覆いつくされ、探し物どころか物の一つすら見当たらない。


『なぁ、そう言えば俺達は、主人の探し物を探す為に呼ばれたんだよな? ……肝心の探し物はどこにあるんだ?』


「あ? それなら探す必要も無いぜ。なんたって、それはそれはと~っても大きな人型の……」


 レイジーは、そう言いながら肉に覆われた部屋中を、くまなく見回したが、アラストゥムらしき影は、どこにも見当たらない。


 オロバスが言い出した事につられて、アモンやバエル、ハルファスとマルファスも、周囲をキョロキョロと見渡し始めた。


彼等の頭上に――――翠に光るダイオードの双眸がある事も知らずに。


 そのダイオードの双眸を持つ者は、肉の壁にほぼ全身が覆われている状態であった。しかし、辛うじて露出していた双眸に反射して映っていたのは、その場にいるレイジーと大悪魔達だ。


 次の瞬間、レイジー達は、一瞬だけ痺れたような感覚を覚える。その感覚を覚えたのとほぼ同時、肉の壁も一瞬だけ目に見える動きで大きく収縮する。


「なんだ……? 今さっきの痺れたような感覚……!?」


 レイジーが、最後に「気のせいか」と言おうとした時、肉の壁のいたる箇所から、蒸気が吹きあがる。よく見てみると、肉の壁がうっすらと汗をかいているように濡れていた。


 気のせいではなく、何かが来ると直感したレイジーは、グリモワールを取り出して辺りを警戒する。


 先程から、絶えず噴き出す蒸気の量が更に多くなり、噴出する音が喧しく響いていた。……しかし、それも数秒間の話。何が起こったのか、いきなり蒸気の噴出が、ピタリと止まってしまったのだ。


 辺りは、蒸気の噴出音が止んだ為、音一つしない。それがかえって不気味に思える。


 咄嗟にアモンが出した指示で、レイジーを囲むようにして、大悪魔達がレイジーの周囲を警戒する。


『……気を付けてください。どこから、何が来るか分かったモノじゃありませんよ』


『言われなくたって分かってるぜ、アモンの旦那。さぁ……どこからくる?』


 オロバスがそう呟いた直後、肉が引き千切られるような音が聞こえた。


 相当な量の肉を引き千切る音が、肉の壁に反響して、音源がどこなのかさっぱりわからない。


 その時、自分達の真上で何かが、激しく衝突する音が響く。驚いた大悪魔達が上を見ると、レイジーが予め展開した魔法壁に、紅い体に金色のラインが刻まれた、巨大な物体が衝突していた。


 一目見て分かる通り、自分達よりも遥かに大きい。天井が暗くて見えなくなっている為、その物体の全貌は分からないが、見えている範囲だけでも、自分達よりも遥かに大きい物である事は明らかであった。


 魔法壁の展開は、グリモワールの力を借りているとはいえ、相手が巨大すぎる。レイジーの額にも、流石に少し汗が滲んでいた。


「……ハッ、少し見ない間にグレたな――――!」


『『『『『……?!』』』』』


 紅い機体に、金色のラインが入った物体――――アラストゥムは、レイジーの声に反応するかの様に、翠のダイオードの双眸を再び光らせた。


その眼は、レイジーに対する復讐に、燃えているようにも見える。


『こ、これが……レイジー様の探しものですか!?』


『お、おっきい。何でこんなのを……。しかも動いてるし』


「コイツは、カエデが乗っている『デウスクエス』の弟みたいなもんだ。それなら……例えグレたとしても、ちゃんと連れて帰らなくちゃいけねぇだろッ!」


 そう言いきった途端、レイジーが、魔法壁を解除したと同時に、右手を真上に突き出した。すると、アラストゥムの動きが、空中で静止する。


 そして右手の指を、パチンと一回鳴らした時、デウスクエスが真上に吹き飛んだ。


 正しくはと言った方が、ちょうど良い表現だろう。それ程の強力な力で、跳ね退けられたのだ。


 72の悪魔全員を叩きのめした主の実力を、改めて目の当たりにした5人の大悪魔達は、全員揃って絶句する。


 真上に落ちるように、吹き飛んだアラストゥムは、肉で覆われた天井に激突。その瞬間、潰れた天井を覆う肉が剥がれ落ち、肉片がレイジー達の頭上に降り注ぐ。


 だが、叩き付けられた程度の衝撃では、アラストゥムにダメージを与えられていないらしい。アラストゥムの翠色のダイオードは、それでもなおレイジーを捉えていた。


 天井に叩き付けられたのとほぼ同時、アラストゥムが左手の人差し指を向けて、指鉄砲の要領で、何かをレイジー達に向かって発射する。


 しかし肉の壁に叩き付けられた直後だった為、狙いが逸れてしまい、肉で覆われた床に、アラストゥムの指から発射された物体が突き刺さった。


「コイツは……!!」


 レイジーは、アラストゥムの開発に携わった者として、肉の床に打ち込まれた物が、何なのかを即座に察した。


それは――――電磁マーカーだ。


 一瞬だけ、電磁マーカーに注がれた視線を、再びアラストゥムに注いだ時、落下してくるアラストゥムの背中から、アラストゥムの体と比べて、とても小さい物体が飛び出した。


 自分を中心に、円陣を組んでいる大悪魔達に、自分の身の回りに集まるよう、指示を与える暇もない。小さく舌打ちをして、足を床に打ち付ける。


「お前ら、伏せろッ!!」


 その言葉と同時に、大悪魔達は床に叩き付けられるような謎の力で、強引に床へと伏せされられる。だがその時、自分の顔の目の前に、レイジーの足がある事に気が付いた。


 レイジーは、一瞬の間に、複数の魔法を使っているのだ。


 一つは重力を強くし、強制的に床に伏せさせる魔法。そしてもう一つは、自分の周囲にある空間を消し、大悪魔達を自分の周囲に固める魔法。


 そして、自分の足元に大悪魔達が寄ってきたのを、自分の目で確認するよりも先に、アラストゥムの一撃を防いだ先程の魔法壁を再び展開する。


 魔法壁を展開するのと、ほぼ同時であった。目にも止まらない速度で、レイジー達めがけて飛来してくるのは、アラストゥムの別動体浮遊ユニットであるギャンボット。


 このユニットは、先程床に撃ち込まれた電磁マーカーを頼りに、自動的に相手を襲撃する独立兵器だ。


 レイジーが開発に携わっていた当初、この兵器には不具合が多く、ここ数年での実用は、ほぼ不可能だと結論付けられた筈だったのだが……。


(アイツがやってのけたのか……数年単位では無理だと言われたコイツの仕上げを)


 ギャンボットの仕上げを、引き継いでくれていたカエデに対して、嬉しく思う反面。ギャンボットが搭載されている、アラストゥムの対処のしづらさは、軍の誰よりもレイジーが一番知っていた。


 一時的とはいえ、アラストゥムの操縦者だったのだ。自分が駆る機体の特徴が、さっぱり分からない訳が無い。


(だが、何があってアラストゥムが動いている……? 認証システムには、俺が登録されたままになっていると、カエデが言っていた筈なのに……)


 アラストゥムは、レイジーの言う通り、そしてカエデが駆るデウスクエスと同様に、操縦者の認証が無ければ、1mmたりとも動かないシステムとなっている。


 認証者は自分のまま。しかし、自分が乗っていない筈のアラストゥムは、動作的に何の問題も無く、レイジー達を容赦なく攻撃してくるのだ。


 何があって、アラストゥムはこのような事になってしまったのか、理解に苦しんでいた時、自分の足元に伏せていたバエルが、ある事に気が付く。


『……あっ、主人ますたぁ! あそこに何か、変な紐みたいなのが!』


「紐? 一体どこにそんなのがあるんだよ。適当な事を言うのもいい加減に……!!」


 アラストゥムの巨体に遮られて、非常にわかりづらい位置に、バエルが言った通り、『紐のような何か』がある。それを目で辿ると、肉の壁に繋がっているのだ。


 真正面から見た限りでは、その肉の壁とアラストゥムを繋いでいる部分は、どこにも見受けられない。あるとすれば、背後のどこかに繋がっている筈だ。


「でかしたバアルッ!」


 そう言ったレイジーは、ギャンボットの攻撃を魔法壁で防ぎ、『鏡反射』と呪文を唱えて、ギャンボットが放った光線を反射して撃墜する。


 そして、反射させた光線が、ギャンボットを貫通し、肉の壁に接触する前に、レイジーが再び同じ呪文を唱えた。


 すると肉の壁の上にバリアを張るように、魔法壁が展開され、再びギャンボットの光線を弾く。レイジーは、反射する軌道を予測して、その先に魔法壁を展開していた。


 反射したその先、ギャンボットが放った光線を待ち受けていたのは……。バエルが先ほど言っていた、紐のようなものであった。


 まるで、レーザーが肉を焼き切るかのような素早さで、その紐のような物が、ギャンボットの光線によって、あっという間に焼き切れてしまう。


 焼き切れた紐のような物の断面は、チューブ状になっていたのか、中から緑と紫色の液体が流れ出てきた。それに合わせて、アラストゥムが、システムダウンの音と共に、あっという間に止まった。


「……ふぅ、助かったぜバアル。おかげで戦闘が長引かずに済んだ」


『ア、アタシ……今度こそ役に立てたか?!』


 バエルが、キラキラと目を輝かせて、しつこくレイジーに聞いてくる。そんな状態のバエルを宥めるように、レイジーが頭を撫でている。


――――その時だった。


《ザザ…ザー…ザザザ……》


 格納庫内部にある連絡用のスピーカーが、何の前触れも無く、いきなりノイズを発し始めたのだ。


 そのノイズは、どこからどう聞いても、言葉としては全く聞き取れない音声であったが、時間が経つにつれて、次第に何者かの声が聞こえ始める。


 その声は、ノイズ塗れで非常に聞き取りづらい物であったが、女性の声であると言う事だけは、辛うじて分かった。


《ザザ…危……す! 直…にア…ザザザ…トゥ…ら離…ザザザー……》


 途中までは途切れつつも、辛うじて女性の声が、聞こえていた。しかし、最後の方はノイズに塗れて、何も聞こえなくなってしまい、最後にブツリと何かが途切れる音がする。


「……通信が途絶した? 一体誰が通信を使ってたんだ? ……っていうか、電子回路が生きてる部分があって、まだどこかに生きてる奴がいるのか?」


『ま、主人ますたぁ……後ろ後ろ!!』


「あぁ? お前ら何をそんなにビビってr……」


 その瞬間、レイジーの視界が暗転する。何が起こったのかもわからず、周囲に手を当てると、冷たい何かが自分の周囲を取り囲んでいるのだ。


「……何で急に狭くなって、さらに暗くなっちまうんだ?」


 どこからか、何かが騒ぎ立てる声が聞こえる。しかし、何かにぶつかるような音が聞こえ、その声達をかき消してしまった。


 レイジーはジッと数秒だけ、自分の身に何が起こったのかを考える事にする。……と、その時。自分の上に、穴のような物がある事に気が付く。丁度レイジーが、一人分だけ通れそうな大きさだ。


 その穴を目指すべく、足を掛けられそうな場所を、手探りで抜かりなく探すが、数える程しか足場がない。


「……コイツは壁をよじ登るしかねぇか。しかも真っ暗な中を……」


 レイジーは、一人でブツブツ文句を言いながら、見えない足場を手探りで探しながら、少しずつよじ登り始めた。



 一方で大悪魔達は、レイジーがどうなってしまったのか、その一部始終を全て目の当たりにしていた。大悪魔達の目の前で、一体何が起こったのだろうか。


 簡潔に言うと、自分達の目の前で、活動を止めた筈のアラストゥムに――――レイジーが攫われた。


 一瞬の出来事であった為、レイジーに逃げるように言ったのだが、肝心の本人が後ろを向かなかった為、巨大な掌に握られてしまったのだ。


 アモンとオロバスが、レイジーを握る手をどうにかするべく、慌てて近づいたのだが、彼等が拘束を解くべく、その手に触る前に、レイジーを握った手が、宙に持ち上がる方が早かった。


 そして、さらに不味い事に、彼を握ったまま、アラストゥムが格納庫の肉の壁と鉄の壁を突き破り、格納庫の外へと出てしまったのだ。


『アモンの旦那……コイツはガチでヤバい奴なんじゃねぇのか』


『……ヤバいなんて言葉では済みませんよ。下手をすればグリモワールごと握り潰されてしまいます』


 アモンの表情は、まるで掴まれている自分の心臓が、いつ握りつぶされるのかを、ひやひやしながら窺っているような表情だ。


 アモンがそんな表情になるのも無理はない。なぜならば、グリモワールは、72の悪魔達の全員の本体ともいえる代物だ。それを握りつぶされてしまった場合、たちまちにしてアモン達を、現実に召喚できなくなくなってしまう。


『一体何が起こっているのでしょう……。カエデ様が乗っていた、デウスクエスと呼ぶ巨人と同じ仕組みならば、操縦する者が一人乗っていなくてはならない筈……』


『誰かが入って、中で操ってるだけなんじゃないの?』


『いえ。デウスクエスはカエデ様、この巨人はレイジー様という様に、所有者が決まっているのです。よってレイジー様以外に動かせる者など、いる筈がないのですが……』


《その……方には、一…だけ間違……ります》


 いきなり、慌てふためく五人の大悪魔の後ろにある、アナウンス用の拡声器から、ノイズ塗れの声が再び聞こえてきた。


 その声は、レイジーが攫われる直前に聞こえてきた、あの女性の声である。その声を聞いた途端、オロバスが喧嘩腰な口調で、その女性の声を発する拡声器に迫った。


『おい! どこの誰かは知らねぇが、例えお前が主の知り合いだったとしても容赦しねぇぞ! お前のせいで主が攫われt……』


『よしなさいオロバス。現にこれだけ音声が乱れているのです。伝えたい事があったとしても、これではままならないでしょう』


 拡声器を叩き壊さんとする勢いで、拡声器に向かって怒鳴りつけるオロバスを、アモンが片手で制した。それから、少しの間をおいて、アモンが拡声器に向かって問いを口にする。


『……ですが、彼の言う通りです。私達は、貴女が誰なのかを、一切存じ上げていない。貴女は一体誰なのです?』


《私…名は、…c…。私の名前はL…》


『L…c? 一体何を言っているのです。もう少しはっきりt……』


 アモンが、ノイズ塗れで聞こえなかった為、もう一度聞き直そうとした時、再びブツンと何かが着れたような音がする。その音を聞いたアモンは、それ以上は口を動かさなかった。


『また切れやがった……アイツ、一体何様のつもりだ!?』


『ですから。そう、やたら滅多に激情する物ではありません。そんな事を繰り返していると、自身の寿命を縮めてしまいますよ』


 オロバスを諭した後、アモンはアラストゥムが突き抜けた、格納庫の大穴の先を見つめる。今から追いかければ、追いつける可能性は、まだ残されている距離だ。


『こういう時に、なぜ『ガープ』がいないのでしょうか。彼女であれば、こんな距離も一瞬で移動が出来るというのに……』


『ウダウダ言っても、何も始まらねぇぜ、アモンの旦那。確かに、アイツが欲しい場面だが、さっさとあの巨人を追いかけねぇと……行くぞお前ら!』


『ちょっ……1位のアタシに向かって、なんて口の利き方よ!』


 金切り声にも聞こえる怒声で、オロバスを怒鳴りつけながら、彼の後を追うバエル。その後ろを互いの顔を見て、溜息を吐いた、アモンとハルファス、マルファスが追いかける。


 その様子を、傍らでジッと見つめる、一つの監視カメラがあった。彼らの動きに合わせて、左右にスクロールするその動きは――――まるで誰かの、目の代わりとなっているような気さえする。


《……クレイ様を宜しくお願い致します》


 拡声器から、誰に聞かせるでもなく、独りでに言葉が発せられた。

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