デウスクエスVS掠奪者 アラストゥム!

 レイジーと大悪魔達が、てんやわんやしている時。アテナ達は、白い光を放つページをもつ本の前に集まっていた。


 一堂に会したメンバー達を、一人ずつ数えていたヘルメスは、数え終えたと同時に、ちらとアテナに目配せで合図をする。


「……レイジーとカエデ、それに一部のメンバーがいなくなってるけど、作戦は問題なく遂行するわよ。それで異存はないわね?」


 実は、カエデがあの後、デウスクエスに乗り込んだかと思えば、すぐに姿を消してしまっていた。デウスクエスを置いていた場所に、アテナ達が着いた頃には、もう姿が無くなっていたのだ。


 その後、ヘルメスやロキ達と相談した結果、探す必要はないと判断。その理由は……どうせこれから行く場所に、彼女がいる事が、ほぼ確定的だから、という事だった。


 何ともいい加減な返答に、アテナは二人をはり倒してやろうかと思ったが、ここでそんな事を起こしても、何の得にもならない。むしろ作戦実行が、さらに遅れてしまう事に繋がりかねない。


 ……それに加えて、アテナ本人も、レイジーの事を内心では、ずっと気にかけていた。


「あの時のモニターで見た通り、アイツ等は正真正銘の化物よ。私達の知っている怪物達が、心なしか可愛く思えるぐらいの……ね」


 そこで言葉を切ったアテナは、踵を返して軍勢に背を向ける。そして、アイギスを高らかに掲げ、声を大にして叫んだ。


「さぁ、久しぶりの晴れ舞台よ! レイジーも言っていたけど……張り切って行くわよッ!」


 そう啖呵を切ったアテナは、真っ先に白く光るページの中へと飛び込む。彼女に続いて、ジークフリートやブリュンヒルデ、アレスなど……様々な者達が、一斉にそのページの向こう側へと消えて行った。


「アテナも随分と、頼もしくなったんじゃないかしら? ……やっぱりあの子と出会って、色々と変わったのかしらね」


「あぁ、そうだな。昔は……私の兄であるポセイドンにまで、喧嘩を売るような子だったが、彼と出会ってから、何か変わったのだろう」


 そんな軍勢を、静かに遠目で見守る二つの影。……ゼウスとヘラだ。彼等は、レイジーから出てくるように言われてなかった為、アテナにも内緒でコソッと様子を見に来ていた。


 「まぁ、彼がアテナのブレーキになってくれれば、それはそれで、アテナにとって良い事なのだろうが……」と言ったゼウスが、冗談交じりに大きく笑った。


 ヘラも彼につられて笑っていた時、ふと彼女の視界の隅に、一人の人影が映った。その人は、端がボロボロにすり切れた黒いローブを身に纏っており、見ているのは後ろ姿だけだが、十分な威厳と風格に満ちている。


「……あら? あんなところに誰かいるわ」


「おかしいな。さっきはそこに、人なんていなかったはずなんだが……?」


 ゼウスも見覚えのない人物に、頭を傾げていると、その人物が踵を返して、偶然にも一瞬だけこちらに顔を向けた。


 その人物は白髪の老人。そして白い髭を蓄えており、ゼウスとはまた違った威厳のある顔立ちであった。そして何よりゼウスと違うのは――――左眼の眼帯であった。


 その老人は、二人の姿を目にした時、一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに元の表情に戻すと、静かにゼウス達の元へと歩み寄る。


「……儂が見た限り、貴方は『ゼウス=ジュピテル』殿と御見受け致す。そして隣にいるのは……ゼウス殿の妻『ヘラ=イーリアス』様かな?」


「……? 確かに私がゼウスで、彼女は妻のヘラだが……以前どこかで会った事が……?」


「私も知らないわよ? こんなおじいさんが、私達の知り合いにいたかしら?」


 そう言っている二人の様子を見て、眼帯をした老人は、少しだけ愉快そうに「ホッホッホッ……」と小さく枯れた声で笑って見せた。


「貴方方の言っている事は正しい。確かに儂等は、お互いに初対面じゃ。……儂の名は『ヴォーダンツ=オーディン』。トールの弟……と言うた方が、早いでしょうかの?」


「オーディン……。そうか、彼が言っていたのは、貴方の事でしたか。これは失礼な事を……」


 ゼウスはそう言いながら、オーディンに握手を求める。対するオーディンも、ゼウスに笑いかけながら、差し出された手を握り返した。


「いやはや、失礼したのはこちらの方じゃ。自分の名前も名乗らず、いきなり名前を言い当てるような真似を……」


 この二人のやり取りを見ていると、どこぞのサラリーマン達が、お互いに謙遜し合うような光景が頭の中に浮かぶ。


 ヘラは、そんな二人の態度を、完全に呆れた眼差しで眺めていた。……しかし、ふとある事が気になった為、オーディンに尋ねてみる。


「……そう言えば、なんで私達と同じように、影から見守っていたのかしら? 兄のトールの事が気がかりだったりするの?」


「まぁ、確かにそれもあるんじゃが……一番は娘の事じゃな。儂に似ず、血の気の多い娘での……。根はちゃんとした良い子なんじゃがのぉ……」


「……親が考える事が一緒なら、子供も似通ってるのね」


 その話を聞いた途端、ヘラはオーディンが言っている事を、他人事のように思えなくなった。彼の妻は知らないが、オーディンとその娘は、自分達親子とよく似ている。それが率直な感想であった。


「ホッホッホッ……似た者同士、という事じゃな。しかし……あの子もロキもトールも、レイジー殿と出会って変わったの」


 「まぁ、自分も変わってしまった者の一人なんじゃが」と言って、オーディンは屈託なく笑って見せる。そんな様子を見て、ゼウスもポツリと呟いた。


「変わった……か。私達も、自分で気が付かない内に、変わったのかもしれんな」


 そんな様子で、二人の最高神とヘラは、数時間かけて話し込んだそうだ……。



「あ~もう! しつこいったら! このまま張り合っても、キリがないわね……」


 どこからともなく、水が地の底から湧くように、デウスクエスめがけて掠奪者が襲い掛かる。まるで小型の蜂が、大型の蜂と戦っているような様子だ。


 だが、デウスクエスは蜂とは違って、蒼に銀色のラインが入った鋼鉄の装甲がある。掠奪者が、大量に寄って集った所で、デウスクエスが腕を一振りしただけで、相手はミンチになっていく。


(でも大型になると、あの時の様に光線をはいてくるから気を付けないと……)


 そんな事を考えながら、カエデはデウスクエスに比べると、小型サイズの掠奪者達を、もろともせず侵攻をしている。


 空を飛ぶタイプの掠奪者は、蠅を追い払う様に腕を薙ぐと、馬力任せに叩き付けられた勢いで、腕に潰れた肉のようなものがこびり付いた。


 カエデはそんな事など気にも留めず、小型カメラと自分の目に見える範囲で、レイジーがいた痕跡を探している。


 と、その時。いきなり、警告を知らせるブザーが、喧しく鳴り響き、操縦桿の近くにあった小さいランプが点灯した。いきなりの事態に、カエデは故障か不具合を起こしたのかと身を強張らせる。


「ちょっ!? いきなり何なの!?」


 纏わりついていた掠奪者達を、地面に叩き付けるようにして振り落とした後、カエデは片手で操縦桿を持ち、別の手で操作パネルを触り始めた。


 少し調べてみると、『発信元の分からないデータ一件を受信』と書かれていた。何事かと思い、そのデータを展開するよう、操作パネルに指示を出す。


 その瞬間、操作パネルが赤い光を放つ。あまりの眩しさに、カエデは目を覆って光を遮った。それから数秒後、操作パネルから発せられた、紅く眩い光は消えた。


 恐る恐る、光を遮っていた腕を下げ、固く瞑っていた目を開くと……操作パネルの中に、見覚えのある姿が映っているではないか。


 そのパネルの中には、紅いネオンのような光を放つ長い髪。そして、1と0の二進数を映す黄色の双眸に、サイバーパンク調に統一された衣装。


 データ検索をしていた最中だったのか、その操作パネルの中に映る少女は、少し間を置いた後に、極めて機械的な口調で口を利いた。


《……データ登録されている、風木蓮華様のログインを確認。元所有者であった上官様の命令に従って、貴女様のお帰りを心待ちにしておりました》


「誰かと思えば《L.u.C.y.》じゃない! なんで貴女が……っていうか大丈夫だったの!?」


《大丈夫も何も、私は電脳空間に存在する人工知能。私のデータには、何一つとして異常はありません》


 彼女の話にもある通り、彼女……通称コードネーム《L.u.C.y.》は、電脳空間にのみ存在する人工知能。


 名前の《L.u.C.y.》には意味があり、前のLとuには、『学習する(Learn)案内人(Usher)』という意味がある。


そして、後ろのCとyには、『共存する(Coexist)従者(Yeoman)』という意味が込められている。


 これら四つの単語の頭文字をとって、《L.u.C.y.》の通称で呼ばれているのだ。


 その時、ふと思い出したように、依純が操作パネルにしがみ付くような形で、ルーシーに迫る。


「そうだ。そう言えば貴女が、警備システムの全てを一任してたわよね? クレイをどこかで見なかった!?」


 カエデの質問に対し、ルーシーは《少々お待ちください……》とだけ言うと、再び黄色の双眸の中で、膨大な量の二進数が蠢き始める。


 それから数秒と経たぬ間に、再び双眸の中の二進数が消失し、暫く黙っていた後、彼女が口を開いた。


《……クレイ様なら、アラストゥムとご一緒です》


「ホントに!?」


《えぇ、確かです。……直前まで、私がアラストゥムの機能を、御護りしていましたので》


まさか掠奪者が――――電脳世界の私にまで介入してこようとは。


「え、ちょっと……それは本当なの?!」


《本当です。掠奪者が、アラストゥムの機体内部に、隙間から入り込み、私を排除してシステムを乗っ取ろうとしていました。……私は命からがら、別のケーブル経由で、何とかアラストゥム内部からは逃れる事はできましたが、私が逃れた際に、クレイ様がアラストゥムに連れ去られてしまいました》


 ルーシーが言うには、システム内部は、ほぼ占拠された状態になってしまっており、彼女も何度か奪回を試みた。


 しかし結果として、占拠されたシステムの奪回は難しく、アラストゥムは本来の主である筈の、クレイと取り巻きの者達を攻撃し始めたのだという。


 ルーシーは、自分の意識の一部をアラストゥムの外にある監視カメラに移し、クレイがアラストゥムと戦っている姿を目の当たりにした。


 その一部始終を見た彼女は、彼ならば、掠奪者に操られている状態のアラストゥムとも、互角以上に戦えると判断。


 そこでルーシーは、彼の従者らしき者達に、乗っ取られたアラストゥムに攫われてしまった、レイジー救出の全てを任せ、自分はデウスクエスを駆る、カエデの元へとやって来た……という次第らしい。


《上官が私に言ったのです。最後の最期、私との通信が途絶する直前に、上官は『アイツら二人を、くれぐれもよろしく頼む』と》


「上官の最期……それから、それから上官はどうなったの!?」


《……それは私にも分かりません。その後、一方的に通信が強引に打ち切られるような形で、途絶しましたから》


「……そうだったの。本当なら私が真っ先に駆けつけるべきだったのだけど……良かったわ、あの人の最期が貴女から聞けて」


 ルーシーは、そこから先は、何も語るまいとでも言いたげに顔を伏せる。そこから先は、彼女が言わずとも分かっていた。レイジーにも散々言われた事だ、生き残っている確率は、どんな事があろうとも万に一つも無い。


 それよりも、現時点で生きている可能性の高い、クレイの救出が先決だ。そう心に決めたカエデは、フーッと長い息を吐く。


 ルーシーの言う事が正しいのであれば、恐らくアモン達がアラストゥムと格闘しているに違いない。それならば、一刻も早く助け出す必要がある。


しかし、クレイを助け出すには、このデウスクエスで――――アラストゥムを機能停止まで追い込む必要があった。


(まさか、こんな事になるとは思ってなかったけど、一緒に連れて逃げなかった私が撒いた種。……ちゃんと、根こそぎ掘り返して、しっかり処分しなくちゃね!)


「行くわよ《L.u.C.y.》!」


《了解いたしました。デウスクエスの機動重心安定を確認、Ribrith限界突破いたします》


 そう言った途端、ルーシーの姿が、紅い光を残して、操作パネルから消える。すると、デウスクエスの装甲の隙間が、紅く赤熱し始めた。


 相当な高温になっているのか、煙と見間違うほど濃い水蒸気が、装甲の隙間から噴き出していた。更に各関節部から、白い蒸気を噴出させ、黄色のダイオードでできた双眸が、一瞬だけ強く光を放つ。


 デウスクエスがアラストゥムと違うのは、ダイナモ・エレクティクスが発生させた熱を、自身の武器に転用する事だ。


 デウスクエスは、核のエネルギーによって、発生した熱エネルギーを、装甲の隙間から外気へと排出するという、独特な機構を持っている。


 これは、カエデが後から気が付いた事なのだが、この熱がデウスクエス本体の装甲を大きく加熱していた。これを武器に転用した結果、なんと装甲の表面温度が、鉄の融解温度の半分を超える800℃にまで達していた。


 全身が熱エネルギーによって、加熱されている為、熱に対する耐性を持つ者でなければ、接触する事すら敵わない。かといって一度接触すれば、高熱を帯びた装甲によって、触った者の表皮が、忽ちにして焼け爛れてしまうだろう。


 それだけの高温を、機体に纏うのだから、当たり前の事だが、操縦席に座るカエデにも直ちに影響が現れる。


「シュミレーターで、実際に体感する高温に耐える訓練は受けたけど……それでもあっついわね。こんど操縦席を冷却する装置でも、どこかに積もうかしら」


 カエデはそんな事を愚痴りつつ、額や頬から流れ出る汗を拭って、背部に取り付けてある、修理されたブースターを展開する。


 そして操縦桿を引き上げると、ブースターが火を噴き、衝撃波を辺りに撒き散らしながら、デウスクエスの巨躯が空へと舞い上がった。


 一気に広がった視界の果て、建造物に遮られた地平線の一部を隠すかの様に、建造物に紛れて動く、一つの巨大な影がある。


《……排除対象ターゲット捕捉ロック排除対象名ターゲット・ネーム――――アラストゥム》


 ルーシーが、機械的な口調でそう言った直後、アラストゥムの機体が前進する。瞬く間に加速しつづけ、たった数秒でトップスピードに達した。


 空気を裂いて進むデウスクエス。それに合わせて、アラストゥムとの距離が、みるみる内に縮まっていく。


 そして、一切の減速を許さず、足の裏についているローラーを全速力で回転させ、デウスクエスを地に下ろす。すると、轟音を上げて地面を滑走する鋼鉄の巨人が、アラストゥムめがけて突撃し始めた。


 死角からの突撃に、アラストゥムは顔をこちらに向けたまま、一切動けない。


 デウスクエスの腕が、やっと届く範囲になった時、既に拳が固く握られていた。デウスクエスは半身をとった瞬間、全馬力を傾けて拳を前に押し出す。


「いっけぇええぇぇぇえぇぇえええぇ!!」


 カエデの叫びと同時、グンとリーチを伸ばしたデウスクエスの拳が、アラストゥムの胸部装甲に激突した。



 時間を少し巻き戻して、レイジーやアモン達の行動を見てみよう。


 アモン達が、色々考えた結果。ハルファスとマルファスを、アモンがアラストゥムの拳にめがけて、投げつける作戦がとられていた。


 だが、肝心の本人達に了解をとっていない。アモンはバエルを投げる事はできないと拒否、オロバスは棘のアクセサリが痛いので却下されてしまった。


 ……となれば、残るのは自動的にこの2人だけ。都合が良いのか悪いのか、今のバエルよりも、この2人は小さい為、他の2人に比べて、投げるには都合のいい大きさであった。


『『怖い怖い怖い!! ぶつかっちゃったら本当にどうするの!?』』


『私が行きたいって言っても、首を縦に振らないし、オロバスはトゲトゲが痛いからダメっていうし。だから……ガンバッ☆ バエルのお姉ちゃんは、応援してるぞッ☆』


『今ここには、お前達2人しかいねぇんだ! 本当ならガープの奴に、主を攫ってくるように頼むところだが……我慢しろ!』


『『んな滅茶苦茶な理由がぁああぁあぁぁぁあああぁぁ!!?』』


 2人が文句を言おうとした矢先、問答無用だと言う言葉の代わりに、アモンが二人を引っ掴んだかと思えば、次の瞬間には投げ飛ばしていた。


 流れるような動きだったのにもかかわらず、2人を投げ飛ばした後、時間差で風が巻き起こる。発生した衝撃波にも似た風圧に、バエルとオロバスの2人は、危うく後ろに吹き飛ばされそうになった。


 風圧を遮る為の腕を退けた時、バエルとオロバスは、アモンの後ろに、2人の見覚えのある後姿を見る。


 その二人の後ろ姿を、自らの双眸で視認したと同時に、少し遠方で、ガツンと何かが固い物に激突したような音が聞こえた。


「流石は『ガープ』だ。ここまで一瞬で移動できるなんてな。今度教えてもらいたいぐらい便利な能力だぜ?」


『……お戯れはお止しになってください。主人にご教授してしまうと、悪用しかねませんので。例えば……女湯を覗いた後の、逃走方法に用いたりですとか』


「言っておくが、俺はそんなベタな変態キャラじゃねぇからな!?」


 レイシーがツッコミを入れているのは、小さく2つの角が生えた頭に、丈の長いワインレッドのロングドレスを着た女性。おまけに、同じワインレッドの翼が、背中から一対だけ生えている。


 ロングドレスと同じ、ワインレッドの艶やかな髪を持つ彼女こそ、バエルやオロバス達が言っていた『ガープ』こと、グリモワール序列33位の大悪魔『バッサール=ガープ』である。


『『『…………あ』』』


 3人はただ、『あ』の一言を言うしかなかった。心の中では、無理矢理投げ飛ばしてしまった2人に、申し訳ないと思いながら……。


 それから数分後、アモンがガープに事情を説明し、ハルファスとマルファスを、自分達の元へと連れ戻してもらった。


 先程のガツンと、何かが固い物に衝突した音の正体は、やはりこの2人が同時に、アラストゥムの手を形作る装甲へと、衝突した時の音だったようだ。


 その証拠に、彼等の頭頂には、メロンよりも、ほんの少しだけ小さいタンコブが、堂々と出来ている。


『……私のとんだ誤算でした。考えていた事が、レイジー様と一致していたとは思わず……。ハルファスとマルファスには、申し訳ない事をしました』


『あ、足が……痺れて動けない……』


『全部アモンの旦那が言った通りだ。すまねぇ……』


 バエルにアモン、オロバスの3人は、コンクリートの床の上で土下座をして、レイジーに猛省させられていた。


 一方でハルファスとマルファスは、破損した建物の残骸に腰かけたガープの膝の上で、レイジーの治療を受けている。


 治療と言っても、ほんの一瞬の出来事だ。レイジーが、ハルファスとマルファスの頭に向かって、パチンと一回だけ指を鳴らすと、あっという間に、メロンより少し小さいタンコブが、引っ込んでしまった。


 タンコブが引っ込んでも、両目に並々と溜まっている涙は拭いていないようで、まるで色のついた水晶のようにも見えた。


「……まぁ。許してやれとまでは言わねぇが、アイツ等はアイツ等なりに俺の事を考えて行動してくれたんだ。別に悪気があって、お前達を投げ飛ばしたんじゃねぇよ。偶然タイミングが被っちまっただけさ」


『『う、うん……』』


 そう言った2人は、自分の服の袖で、両目いっぱいにたまっていた涙を拭いて、いつも通りの顔に戻った。……目元は若干、赤いままだが。


 そんな2人を見て、もう大丈夫だろうと判断したガープが、2人を膝から下した時、途轍もない轟音が轟いた。


 その音がする方向を見やると、見覚えのある人型の巨大な影が、レイジー達に背を向けて直進するアラストゥム目がけて、横殴りの形で突撃しようとしているのが見てわかった。


――――もちろん、その人型の巨大な影が何かも、一目でわかった。


「デウスクエスが何でここに……!? おいおい……まさかカエデの奴が……ッ!!」


 そこまで言った時、デウスクエスが地面を滑走し始め、紅色に光る拳が、アラストゥムの胸部装甲めがけて、捻り出された。


 あの巨体でありながら、行われた行動はほぼ一瞬。掠奪者の母体に、操られている状態のアラストゥムでは、到底反応できる速度ではない。


 だが、デウスクエスの追撃が、これを皮切りに始まった。胸部装甲に叩き付けた拳から、大きく蒸気が噴出する。


 デウスクエスは、自身が放出する熱気のほぼ全てを、叩き付けた拳から放出しているのだ。


 60mを超えるかと思わせる機体の、至る所から発せられる熱のほぼ全てを、1ヵ所に集中させるとどうなるのか。……それは想像に難くないだろう。


――――余りの高温によって、アラストゥムの装甲が融解を始めた。


 叩き付けられてから、装甲が融解するまで、たったの1秒もかからない。瞬く間に融解してしまった装甲の穴からは、内部の機構が見え隠れしてしまっていた。


 しかし、内部の機構と表現したが、アラストゥムの内部にあるのは、機械だけが全てではない。それは遠巻きに、事の一部始終を見ていたレイジー達にも、易々と見えた。


「機体内部に……肉!?」


 アラストゥム内部には、掠奪者の母体である肉が、露出してしまった部分を、何とかして隠そうと蠢いていた。これこそアラストゥムが、レイジーの承認なしで、勝手に動いていた秘密だ。


 アラストゥムの機能を、上官に言われるがまま守っていたルーシーは、電子回路と物理的な占拠によって、アラストゥムの内部から、外部のデウスクエスへと追い出されたという事だ。


 確かに外見は機械。しかし中身は、不定形な形をとる、生きた肉の塊だ。


 デウスクエスの拳撃によって、真後ろに小さい放物線を描いて吹き飛んだアラストゥムは、咄嗟に背中のブースターを展開し、空中で体勢を立て直す。


 その時、カエデの目に一瞬だけ、アラストゥムの両腕に、電光が迸ったのが見えた。


「ッ!? マ、マズいわね……。ここで、アレを撃たせるわけには……!!」


《標的アラストゥムの機体内部で、爆発的かつ異常な電力数値の上昇を確認。――――危険デンジャー! 危険デンジャー! 『電磁砲 ギャンボット・レールガン』発射開始の合図です》


 それはレイジーが、何としてでも、アラストゥムに搭載しようとした兵器『ギャンボット・レールガン』であった。


 名前の通り、『別動体浮遊ユニット ギャンボット』を、高圧電流を通している両腕の間から、鉄砲の要領で前方に向かって発射する……というものだ。


 これだけ巨大な物体が、電磁砲の弾として発射されれば、まず止められる者はいない。仮に受け止めたとしても、弾の周りを取り囲む高圧電流に、一瞬にして身を焼かれてしまう。


――――『止められる者はいない最強の矛』とまで称された圧倒的な破壊力。


 唯一の救いだとすれば、ここは既に人が消え失せた区域だという点。万が一防ぐ方法が無く避けしまっても、人が1人としていない為、実質的な被害は限りなく0に近い。


 アラストゥムは、電光が迸る両手を前に突き出し、胸部装甲を開く。白い蒸気を上げて開かれた、胸部装甲の内部には、弾丸を射出する穴あり、アラストゥムの背後にある風景が、その穴の中から見えていた。


 そして、肉を引き千切るような音と共に、アラストゥムの背中から、2体のギャンボットが飛び出し、背中から胸部に空いた穴を塞ぐ形でセットされる。


その動きは――――発射まで、あと幾許も無い事を意味していた。


《危険です。このまま直撃した場合……機体の40%が喪失します。そうなってしまえば、デウスクエスの機能停止は、絶対に免れません》


「そんな事は分かってる! でも――――今ここで撃たせなくちゃいけないのよ!」


 ルーシーの忠告を、無視したカエデは、逃げ出したくなる衝動を抑え、デウスクエスを操る操縦桿を強く握る。


 ……カエデ自身も怖いのだ。彼女の額から頬、そして顎へと一粒の汗が伝って落ちていく。


 万が一、アラストゥムの放つ『ギャンボット・レールガン』が、デウスクエスの機体に掠りでもすれば、高圧電流によって、ルーシーが言った通り、間違いなく機能停止に追い込まれる。


 命懸けの賭けではあるが、カエデにはデウスクエスを停止させる、たった一つだけの方法があった。


(……勝負は一瞬。レールガンを発射するタイミングと――――アレを出すタイミングを合わせる)


 カエデが、ジッと出方を窺っている間にも、アラストゥムの両腕に迸る電流の量が、徐々に多くなっているのが、目に見える。


 ……とその時、彼女の視界に蒼い光が、いきなり飛び込んできた。


「な、何ッ!?」


 カエデは、眩き蒼い光が、いきなり目に飛び込んできた為、反射的に自分の手で光を遮ってしまう。操縦桿から手を放した事を思い出し、再び操縦桿を掴もうとしたが――――時は既に遅かった。


 鼓膜が裂けるような轟音と共に、レールガンが発射された音がした。一瞬の隙を突かれたと同時に、カエデは死を覚悟する。


 更に今度は、デウスクエスの巨躯が揺れる程の振動が、操縦席にいるカエデにも伝わってきた。突然閃く閃光と、大地を揺さぶる轟音と衝撃に、カエデは世界が終わるのではないかと直感する。


 恐怖からか、慣れない現象に直面したからか、カエデは自分でも無意識の内に眼を固く瞑って、大声で叫んでいた。


「なんでいきなりこんな事が起こるのよ~ッ!? ひょっとして世界の終わり!? お、お助けぇ~ッ!?」


『お~い、しっかりしろ~? まだまだ世界もお前も、終わっちゃいねぇぞ~?』


 頭の中に直接響くような、聞き覚えのある声。気が付けば、先程の揺れも光も、最初から何事も無かったかのように無くなっている事に気が付く。


 ……だが、カエデが座る操縦席の前、強化ガラスの向こう側に、なぜかレイジーが立っているのだ。レイジーは非常に冷めた目で、カエデを見下すような視線を浴びせかけている。……先程の、カエデが発した叫び声を、傍から聞いていたからだろう。


「ア、アンタ今までどこに行っt……!?」


『んな事より、命拾いした事を、俺達に感謝するんだな』


 そう言ったレイジーの後ろから、ガブリエルの後姿が、チラチラと見え隠れしていた。


『……それと、気まぐれかどうかは知らねぇが、意外な奴が手を貸してくれたぜ? どこか遠くでお前を見てるのかもな?』


 そう言ったレイジーは、自分の後ろを指さした後、すぐさま視界の端へと退いた。そこには、先程からチラチラと見えていた、ガブリエルの姿と、あと2つ――――巨大な鏡のような壁と、一本の水でできた棒があった。


 その棒は、地面に突き立てられている。液体である筈の水が、なぜ地面に突き立てられているのかと、カエデは自分の目を擦って疑ったが、自分の目の前で起こっている事に何の変化もない。


 地面に突き立てられている尖端部は、ちょうど三叉の槍状になっており、その尖端部から逆側、槍を握る部分の先端に向かって、水が激しく巡っていた。


 そんな、普通ではない素材で作られている槍を見て、レイジーが静かに、その武器の名を呼ぶ声が頭の中に響く。


『……コイツは『三叉水鎗 トライデント』だ。コイツを投げた奴は、自ずと特定できる。ハデスに見せれば、コイツを見た瞬間、震え上がるだろうぜ』


 ふざけたような口調で、レイジーが面白おかしく言っているが、まだこの鏡のような壁の向こう側に、アラストゥムがいるのだ。


 ズドンと、何かが打ち付けられたような、大きく鈍い音がした途端、鏡のような巨大な壁に大きく亀裂が走った。


 亀裂が走ったと同時に、ガブリエルをアシストするような形で、他の熾天使達もやってくる。ガブリエルとミカエルが、悲鳴にも似た声で、レイジーに話しかけた。


「ご主人!? もうこれ以上、オリハルコンの壁は持ちませんよ!?」


「あの大技を、一回防ぐので精一杯だよ~!」


『……だとよ。それに、珍しいポセイドンからの厚意だ。ソイツを使って、俺のアラストゥムを止めてくれ。俺にはもう、どうにもできそうにない。……すまねぇな。お前を巻き込みたくはなかったんだが』


「……元相棒の私を信じてくれるだけでも、アンタにしては上出来よ」


 それだけ言ったカエデは、再び操縦桿を握る。すると、棒立ちになっていたデウスクエスが、再び蒸気を上げて動き出し、ポセイドンが彼女に寄越した『三叉水鎗 トライデント』を手に取った。


 するとその瞬間、カエデの脳内へと、威厳に満ち満ちた声が語り掛けてくる。だがその声は、レイジーの声ではない。


『……話は兄のハデスから聞いている。昔のペルセポネにそっくりな人間がいるとな。珍しく思って覗いてみれば、実に面白い人間だよ。……アテナの奴がいるのは、癪に障る事だが、一時的に貸してやろう。せいぜい、うまく使いこなせ』


「……ありがと! ありがたく使わせてもらうわ!」


 胸中で、ポセイドンに向かって礼を言った後、カエデはデウスクエスを操作して、地面に突き立っているトライデントに、デウスクエスの手をかけさせた。


《デウスクエスが、握った物体Xの分析を開始します。……素材名『???アンノウン』》


「あら、ルーシー。この素材を知らないの? ……これは水っていうのよ、これを機に学習おぼえておきなさい。これに貴女が触ると壊れちゃうって!」


《素材名『???アンノウン』……これ以降、名称を『水』と認識します。……危険》


 口ではそう言っているが、学習できていない為、全く分かっていないらしい。……まぁ、学習おぼえてしまったら、彼女が壊れてしまうのだが。


 デウスクエスが、ポセイドンより特別に贈られたトライデントを掴んだ瞬間、レイジーは手で熾天使達に合図して、オリハルコンの壁から離れさせた。


 ガブリエルの、能力的な支えもあって、何とか取り成していたが、その支えが無くなった途端、オリハルコンはガラスが砕けるような音を立てて、木端微塵に四方へと吹き飛んでしまう。


 大きく空いた穴の先、オリハルコンの欠片が地面に散らばっている先で、アラストゥムが指先をデウスクエスに向けている。


 デウスクエスは、手をかけたままのトライデントを引き抜き、アラストゥムの前へと突き付ける。トライデントを突き付けた時、またあの声が頭の中に聞こえてきた。


『我が海神の鎗は――――流れる水そのもの。この意味をよく肝に銘じて立ち回れ』


「流れる水って言ったって……私には相手を串刺しにする為の武器にしか見えないんだけどッ!!」


 常人であるカエデに、水を握る、という感覚は分からないが、トライデントが突く武器である事は認識できる。


 デウスクエスが、トライデントで相手を突こうと、前に突き出した瞬間、鎗の先端部が――――まるで水鉄砲の様にアラストゥム目がけて飛び出したのだ。


「……!?」

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