冥府からの凱旋

「っと!? ヘラクレス大丈夫か?」


「あぁ、この位なら……なッ!!」


 別々の方向から、2人に襲い掛かってきた植物の様な生物を、寸でのところで避け、葉の付け根を、拳一発で吹き飛ばす。


 気味の悪い悲鳴のような声をあげた生物の頭は、地面に落ちてもなお、吹き飛ばされた箇所から、透明な液体を垂れ流して、暫くの間、蜥蜴の尻尾のようにのた打ち回った。


 そこから間髪入れずに、次々と襲いかかってくる植物達を、バックステップやバク転を使って、何の苦も見せずに避ける。


 そして今度は、3方向から同時に、スサノオへと襲いかかってくる。するとスサノオは大きく跳躍して、その植物の攻撃を避けた。


 しかし、今度は逃さないぞとばかりに、地面に衝突した植物達が、高く跳躍したスサノオの足元から襲いかかってきた。


「ヘヘッ、この瞬間を待ってたんだよ!」


 スサノオは左手の親指の腹に、自分の爪で切り傷を付け、その血を右掌に付ける。


 そして、空中で見事に旋回して、植物達の噛みつきを避け、茎に自分の隣にあった茎に、血を塗った右の掌を叩き付けた。


「来いッ! 八岐大蛇!」


 すると、スサノオの姿は煙の中に消え、掌を叩き付けた植物の茎がメキメキと、嫌な音をたてる。


 そして、スサノオから少し離れた場所でも、オロチを呼んだ時のような煙が上がっているのが見える程、巨大な物であった。


 そして、その煙の中から、地面に向かって何か巨大な物が落ちる。


 何かが地面に落ちた衝撃だけで地が砕け、衝撃波が周囲にあった木々や建物を、根こそぎ吹き飛ばす。


 そこから、大気を震わせる程、巨大な。その咆哮に呼応するように、もう八頭分の轟音が離れた場所から聞こえた。


「ここからが本番だ! 征けッ!! オロチッ!!」


「ギュゴォォオオォオォン!!」


 八つある頭の一つに乗ったスサノオは、オロチに進撃するように指示を与える。するとオロチは、自身の尾を高く持ち上げ、もう一つ大きく咆哮を上げる。


 すると、砕けた地の欠片が、吸い寄せられるようにしてオロチの尾に集まり、巨大な剣の形を成した。


 しかし、それがどうしたとでもいうように、植物はオロチの四方八方を取り囲み、徒党を組んで襲いかかってくる。


「神様を敬わない奴には、それ相応の祟りがあるって事。今しっかりと教えてやるぜ! 草薙剣くさなぎのつるぎで、この雑草どもを薙ぎ払えオロチ!」


「ゴゴガァァァアアァァアァ!!」


 「回れ!」というスサノオの合図を送った瞬間、山のように巨大な図体からは、とても想像できない程の俊敏な身のこなしで、自分の周囲にいた植物達を、剣へと変化した尾で薙ぎ払う。


「スサノオの奴、かなり派手にやってるな。俺達もド派手に行くぞヒュドラ!」


「ピィイガァアァアアァァァァ!!」


 ヘラクレスの声を引き金に、ヒュドラが口から襲いかかってくる植物に、毒を吐きかける。


 いきなり毒を吐きかけられた植物達は、避ける暇もなく毒の塊の中に、自ら頭を突っ込んでしまう。するとたちまちにして、毒に突っ込んだ箇所が、紫色に染まったかと思えば、ボロボロとその形そのものが崩れ去っていく。


 壊死にも似た症状は、葉の部分から茎にまで及び、まるで植物を喰らい尽すかのように、茎を紫色に染め上げてから崩していく。


「やりぃッ! これで少しは大人しくn……!?」


 ヘラクレスが効果覿面こうかてきめんと知り、ガッツポーズを決めたのと同時、複数の植物からブツッと、何かが断ち切られたような音が聞こえた。


 すると、木が木葉このはを落とす様に、、植物が自身の先端部を切除して見せたのだ。


「やっぱり、キツい除草剤を散布しただけじゃ、すぐには枯れないって事か?」


 ヘラクレスの疑問に答えるように、自分で切断した尖端部から、元あったように下顎が裂けた顎のような部位を持つ葉が、再び生えてくる。


「……あぁ、これはコッチが、ジリ貧になるパターンだな」


「ギュガ?」


 ヘラクレスが、悟ったように呟いた言葉を理解しかねたヒュドラが、彼を見て小さく鳴いた。その直後、その植物の間を縫うようにして、一陣の旋風が吹きあれる。


「百鬼夜行 一夜之刺客・鎌鼬かまいたち


 どこからともなく、クラマの声が風に乗って聞こえたかと思えば、一陣の風が金属光沢を放ち、一瞬にしてヒュドラを包囲する一部の植物を、粉微塵に切り刻んでしまった。


「速い。……いや、ってのか?」


「少し違います。私が起こす風に乗って、をしてくれる妖怪がいるのです」


「うぉっ!?」


 いつの間にやら、ヘラクレスの隣にいたクラマが、ヘラクレスが見た光景に関して解説を加えた。


 よく見ると、クラマの右肩に、何とも奇妙な生物の頭がある。別にその頭が変だとか、様子がおかしいと言う訳ではない。


 ただ、クラマの首に、マフラーのようにして巻き付いている、金色の毛を持つ動物。テンによく似ており、フサフサしていて、いかにも愛くるしい見た目をしている。


 しかし、その生物の、人間でいう膝から先は、フサフサした金色の毛ではなく、冷たい光を放つ金属光沢を、チラチラと覗かせる。そう、この生物の膝から下は、全てのだ。


「これも口寄せの一つです。『百鬼夜行』とはその名の通り、私の知る妖怪達を、自由に口寄せする秘術の事です。このイタチのような動物は鎌鼬かまいたちと言います」


「キュー!」


 何とも愛くるしい鳴き声で鳴きながら、クラマのお面に、自分の顔を擦り付ける鎌鼬。ギラリと鈍く光る足の鎌が、そんな可愛さを見事に打ち消しているのだが。


 せっかくの、可愛らしい見た目がもったいないなぁ…と思いつつ、ヘラクレスは細切れにされた植物の残骸を見つめながら徐に呟いた。


「ま、をバラ撒いても、しつこく生えてくる植物に、をする意味があるかと言ったら……な?」


 そして再び、その言葉に対して返答するかのように、先端部を鎌鼬に切断された植物の茎が残骸に近寄る。


 すると、細切れにされた残骸の一つ一つが、茎に反応してとピクピクと小刻みに蠢き始めた。


 そして、その残骸達が元あった場所を記憶しているかのように、一つ一つ元に戻り始める。


「ヒュドラの毒は超が付くほどの即効性があるはずなんだが、それを上回るスピードで、毒に侵された部分を本体から切除して、自身の体が損傷したら、ああやって元に戻る……。コレって、ちょっとズルくね?」


掠奪者達ブランダラプターズという呼び方をしていた化物達は、ある一定の大きさまで切り刻んで、生命活動を停止させるか、猛毒を盛って処理していましたが、今回はそれらが一切通用しないみたいですね」


「まぁ、スサノオはとても楽しそうだけど……」


 ヘラクレスが後ろを見ると、尾の剣を振るいながら、八つの頭から炎を吐くオロチと共に、植物の間を飛ぶように移動しながら、茎を片っ端から叩き折るスサノオの姿があった。


 そんな調子のスサノオを見て、クラマは深く溜息を吐いて、面の額に手を当てる。


「……まぁ、多少は大目に見ましょう。レイジー様からの救援が来るまでは、せいぜい溜まっていたストレスを、目一杯発散する程度にはなるかもしれませんし」


 スサノオが今のうちに、溜まりに溜まっていたストレスを発散をすればいい、とクラマは考えているのだろうが、クラマの隣に飛んできたアマテラスが、彼の言葉に異を唱えた。


「だからと言って、神々わたしたちの気まぐれだけを理由に、人の世界を壊していい訳がありません。大体、クラマもスサノオに甘いのです」


「……お言葉ですがアマテラス様。単にアマテラス様ご自身が、スサノオ様に厳しく接しているだけではn――――」


「ちょッ!? ス、スサノオの姉さん! それは流石にやり過ぎだって!」


 否定的な意見をした瞬間、クラマの目の前に、オロチが持つ草薙剣とほぼ同じか、それ以上に巨大な燃ゆる剣の切っ先が、彼に向けられる。


「シャー!!」


 クラマの首元で、毛を精一杯に逆立てて、アマテラスを威嚇する鎌鼬を見て、彼女はクラマに問いかける。


「人に害を為す化生の者は、神々わたしたちとは対をなす邪な存在。神性を手に入れてもなお、そんな者達の力を借りて、貴方は八百万の一柱として、恥ずかしくないのですか?」


「スサノオ様を悪く言いながら、繋がりを断ち切ろうとはしないアマテラス様と同じように、私自身にもこの者達と切れない繋がりがあるのです。例え私の位が、彼らと同じ妖怪だろうと、高貴な神格になろうとも…」


「ッ!!」


 クラマが話している最中に、いきなり植物群が全方位から襲いかかってきた。


 アマテラスは後ろを振り向き、燃ゆる巨剣を薙いで、自身に喰らいつこうとする植物を、一つ残らず焼き切る。


 ヒュドラの頭に乗ったヘラクレスは、クラマが巻き起こした風にヒュドラの猛毒を吐きかけて、毒でできた巨大な風の壁を造り上げた。


 その壁を、無理に突破しようと突っ込んだ植物は、ボロボロと形が崩れてゆき、最後には残骸すら残っていない。


 再び同じような頭を生やし、壁の向こう側からクラマとヘラクレスを、顎を開いて威嚇する植物群。アマテラスを威嚇していた鎌鼬も、流石にこの植物に対して威嚇しない。


「ホンットにいよいよ気味が悪ぃな。ヒュドラの毒を、地面にぶちまけた方が早いんじゃね?」


「……人が住んでいたと思しき痕跡が多々あるところを、猛毒で汚してしまうのは、どうかと思いますが」


「まぁ、そうなるよなぁ」


「スサノオには、洪水や山を司る化身である、あのオロチが付いています。よっぽどの事が無い限りは大丈夫でしょう。それよりも私達が食べられないようにしないt……?!」


 そう言っている最中、アマテラスの足元にある地面から、一体の植物が飛び出してきた。


 慌てたアマテラスは、燃ゆる巨剣を振るおうとするが、僅かな差でその植物に、届かない。


「……ッ!!」


「アマテラス様!!」


 植物は大きく口を開き、アマテラスを一呑みにしようと彼女に迫った時――――植物の動きが停止する。


「こ、これは……!?」


 クラマが周囲を見渡すと、全ての植物達が動きを止めている。まるで、時が止まってしまったかのような光景に、一同は目を丸くするしかなかった。


「あん? 何で急に動かなくなっちまったんだ?」


 アマテラス達とは、少し離れた場所で戦っていたスサノオも、突如として動かなくなった植物の茎を揺らして、反応を確かめてみるが、やはり一つも反応がない。


「…間に合ったようだね。姉さん達」


「ツクヨミ様! どうしてここが分かったのですか!?」


「主に教えてもらったんだ。スサノオ達が落ちたところから落ちれば、まず違う場所には落ちないだろう…ってね」


 そう言った後、オロチの姿を見つけたツクヨミは、頭に差していた櫛を取り、オロチのいる場所めがけて放り投げた。


「スサノオ! 貴方って人は…!」


 聞き覚えのある声が、いきなり頭の中に響く。


 その声を聞いた途端、スサノオはビクッと肩を震わせると、周囲をキョロキョロと見渡し、怯えたような表情に変わった。


「そ、その声はクシナダか!? なんでお前が紙園の外に…!?」


「人にばっかり心配かける貴方を見かねて、レイジーさんがツクヨミお義兄さん達と一緒なら、こっちに来てもいいと言ってくれたんです!」


 その声が途切れたと同時、カンと何かが落ちたような音が、オロチのいる方向から聞こえた。


 直感的に嫌な予感を察したスサノオは、ジリジリと後ずさりしながら、オロチから距離を取る。


 オロチから数歩だけ距離を取った時、いつもスサノオが乗っているオロチの頭の上で、玉虫色の光が一瞬だけ見えたかと思えば、その光が見覚えのある女性へと変わっていた。


 その顔は、ツクヨミが持っている般若の仮面よりも、激しい怒りの感情を宿していた。


「さぁオロちゃん! 常日頃からロクな事をしないダメ旦那に、キ~ッツいお灸を据えてちょうだい!!」


「ゴァアァァアアアァ!!」


「燃える燃える! お灸どころか灰になる!? それは流石にやり過ぎだクシナダ!?」


 スサノオが、オロチとクシナダに背を向けて、逃走を始めたのと同時、八つの頭から情け容赦のない火炎が、スサノオめがけて発射される。


 火を吐きながら、逃げるスサノオを追うオロチを遠目に見ながら、ツクヨミは小さく笑っていた。


「フフフッ。アレぐらいがスサノオにとって、丁度良いんじゃないかな」


「それはさておき。ツクヨミ、そちらのお二方は?」


「主から「連れて行け」って言われただけだったから、詳しくは知らないひとだけど、アルテミスとアポロンってひとらしいよ」


 その2人の名前を、ツクヨミから聞いたヘラクレスが、ピクリと反応する。


「ほうほう……ん? なんか聞き覚えがあると思ったらアポロンじゃねぇか!」


「ヘラクレス!? 紙園から落ちた奴って君だったのかい!?」


「なんだ、アンタ達知り合いだったんだ」

 

「お知り合いがいれば話は早いでしょう。…そしてツクヨミ。レイジーさんから紙園へと帰る方法を、何か聞いていますか?」


「ううん。僕が出発するときに「思い付いたから、今から準備を始める」って言ってたんだ。だから詳しい事は知らない」


「……レイジー様は一体何を考えていらっしゃるのでしょうか?」


「正直な所、私にも分かりません。あの方は時々、何を考えているのか分からない節がありますから……」


『悪かったな! 明日の献立から騒動の処理まで、色々と考えていると何とも言えねぇ顔になるんだよ!』


 今度は、頭の中に誰かの声が響く。その場にいる全員が、互い違いに別々の方向を向くが、彼等を取り囲んでいるのは、動きを止めた植物群だけであった。


「あら、聞こえていらしたのですか? 乙女の話を盗み聞きとは、趣味が悪いですよレイジーさん」


『騒動の芽ってのは、いつどこから生えるか分からねぇからな。アレもコレも全部筒抜けだぞ』


「えっ!? じゃ、じゃあ…アテナと話してたあんな話や、こんな話も全部ってこと!?」


「あの、レイジーさんも姉さんも、アレやコレばっかり言ってたら、全く話が伝わりませんよ?」


「『ゴ、ゴホン…』」


 アポロンに、ぐうの音も出ない正論を言われ、レイジーとアルテミスが同時に咳払いをした。


 すると、地面が途端に紫色に光り、オロチとヒュドラが召喚された時と同じように、大地が大きく震える。地面を突き破り、動きを止めた植物達を押し退けて、オロチ達よりも巨大な門が一つ、スサノオ達とアマテラス達の間に現れた。


 そして、その門が軋む轟音を立てて開き、その門とは不釣り合いなほど小さい人間の姿が、開いた門の中から現れる。


「間一髪ってとこだなツクヨミ。よくやってくれた」


「主、一体どこから出てきてるんだい? それってだよね?」


「こんな使い方は、宜しくないとか言いたいんだろ? でもここから紙園に帰るには、これしか方法がないぜ?」


 「前回の掠奪者の一件も、そっちで帰るハメになったのを、お前と話している最中に思い出したんだよ」と苦笑いを見せるレイジー。


 すると、レイジーの後ろにある黒紫色の空間に、紅い点が二つ浮かび上がる。その紅い点は、レイジーの後ろから音もなく姿を現した。


「レイジー。お前は冥界を便利な抜け道などと考えていないか?」


「まさか、そんな考えはしちゃいないさ。ただ、俺やガープの移動魔法が届かない範囲に出る時の切り札って考え方はしてるけどな」


 「口では何とも言えるだろうが、意味は同じだぞ……」と、ハデスが額に手を当てて、呆れたような声音で独り言を呟いた。


 ハデスが額に手を当てて独り言を言い終わった瞬間、どこからか弓矢がハデスめがけて射られる。


 額に手を当てている状態だったが、ハデスは素手でその弓矢を掴み、およそ骨とは思えない程の握力を使って、弓矢を片手で圧し折って見せる。


「……私は忘れてないわよハデス」


「根に持つ女は、誰からも好かれないぞ。まるでヘラを見ているようで、気分が悪くなる」


「あんなのと一緒にしないでくれるかしら。あの年増にだって、まだ返せてない貸しがあるんだから」


「えっ? ちょ、おま……」


 (しまった。アルテミスがいるところに、コイツを持ってきたのは間違いだったか……!?)と、レイジーがハデスとアルテミスの顔を交互に見る。


 レイジーの焦っている姿を見て、何かを察したアポロンも、アルテミスに弓矢を治めるように、彼女の前に立って説得を始めた。


「ね、姉さん。ここで個神的こじんてきな恨みを持ちだすのは良くないって! 今は喰われるか喰われないかの瀬戸際なんだよ!?」


「アンタは知らないかもしれないけど、アイツがオリオンを殺したも同然なのよ! 退きなさい! 姉さんの言う事が聞けないの!? それとももう一度、あの時のように半殺しにするわよ!」


「うっ……」


 予想の斜め上を行くアルテミスの剣幕に、彼女のブレーキであるアポロンも、思わず怯んでしまう。アポロンは、渋々といった表情で、彼女の前から退いた。


 その瞬間、ハデスが圧し折ったアルテミスの矢じりを、ダーツの要領でアルテミスに投げつけた。


「ちょ!? ハデスおまっ…!?」


「ッ!?」


 まさか、圧し折った矢じりを、自分に向かって投げ返してくると思っていなかったアルテミスは、思わず怯んでしまい、弓の弦から手を放してしまった。


 レイジーは距離的に、何をしても届かない。アポロンが弓で撃ち落とそうとしても、弓を構える間に矢じりがアルテミスに当ってしまう。


 ハデスの唐突過ぎる行動に皆が驚いた時、アルテミスの眼前で、ハデスの投げた矢じりが止まった。


「えっ?」


「………」


 ハデスとアルテミスの視線の先には――――ツクヨミが立っている。


 ツクヨミが左手を強く握ると、まるでスクラップにされたかのように、一瞬で鉄の矢じりごと、グシャグシャと音を立てて歪んでしまった。


「ハデスさん。例えイザナミ僕の母の知り合いだとしても、その行いは許される事ではありません。すこし冷静になってはどうですか?」


「…すまない。略奪者の一件で、冥界が死者で溢れかえっているのだ。そのせいで、知らない内にストレスが溜まっていたのかもしれないな」


 ハデスは俯きがちに首を横に振った後、踵を返して門の中へと戻っていった。そんな彼の姿を、横目で見届けた後、レイジーが深く大きな溜息を吐く。


「助かった、すまねぇなツクヨミ」


「主、お礼を言うのは後にしてくれるかい。……僕もそろそろ限界が近いよ」


 ツクヨミが何を言っているのかと首を傾げかけた時、遠くからスサノオの声と思しき悲鳴が聞こえた。


「ギャァァアアァァアァァ!? 何でオロチと植物に追いかけられなくちゃいけねぇんだ?!」


「その調子よオロちゃん! さっさとスサノオを消し炭にしてしまいなさい!」


「ゴァァァアァァアァアアアァァァ!!」


 スサノオではなく、クシナダを頭に乗せたオロチは、自分に牙を剥く植物達を、まるで人が蟻を踏み潰すかのようになぎ倒しながら、植物の茎から茎へと飛ぶように逃げ惑うスサノオを追いかける。


 もちろんスサノオも、植物に追いかけられているわけで、スサノオを追いかける植物には、クシナダの指示で、オロチも一切手を出していない。


「……アイツ等は、ここに置いて行っても、別に大丈夫そうだな」


「そうかもしれないけど、スサノオはともかく、オロチは連れて帰った方が良いと思うよ?」


 ツクヨミは、苦笑するだけの余裕は見せているが、その額からは汗が噴き出ている。


 この状態だと、そう長くは持たないか……と考えたレイジーは、グリモワールを開き、追いかけっこをしているスサノオとクシナダに話しかけた。


『聞こえるか、クシナダとスサノオ。今までツクヨミが、何とか植物を抑えていたが、もう限界が近い。お前達から見て巽の方角に、冥界へと通じる門がある。ツクヨミが、この植物どもを抑えられる時間は、お前達の周りを見ても分かる通り、残り少ないぞ』


「仕方ないわね。ツクヨミお義兄さん、無理してないといいんだけど……。オロちゃん、スサノオを回収して。お説教は紙園に着いてからですっ」


「うおぉぉ!?」


 オロチが大きく口を開け、逃げ回るスサノオを、自分の口の中に収めようとする。


 しかし、口が完全に閉じる直前、スサノオが隙間から逃げ出そうとしたが、身に付けていた服が、オロチの口に引っ掛かってしまい、結果としてスサノオは、宙ぶらりんの状態で、オロチに運ばれるハメになった。


 レイジーが、門の反対側にいるハデスへと指示を出し、門の方向をオロチ達がいる方に向かせる。


 冥界に通じる門は、難なくオロチを中に入れてしまうほど、途轍もなく巨大な物であった。オロチが入ったのを見て、再び門を向いていた方向に戻させ、今度はヒュドラとヘラクレスを先に入れる。


「…よし、これで何とかなるはずだ。お前らもさっさと門を潜れ。俺が殿しんがりになる」


 レイジーの一声で、アマテラスとクラマが、ツクヨミを気に掛けながら、冥界の門へと入った。続いてアルテミスとアポロンが、ツクヨミを先に行かせようとしたのだが…。


「この門を僕が抜けた途端、植物達が一斉にこの門を襲い始める。この数は到底、本調子じゃない主と君達では、太刀打ちできないだろう? さぁ、早く門の向こう側へ…」


「で、でも…」


「大丈夫だ。コイツの事は俺が責任を持つ。だからお前達はさっさと門を潜れ」


 レイジーがアルテミス達の顔を見て頷くと、何度も後ろを振り向きながらではあったが、門を潜った。


 その時、アルテミス達と入れ替わりになるように、門の中から出てきた者がいた。


「何をモタモタしてるの! さっさとしないと、この気味の悪い植物が動き始めるんでしょ!?」


「へ、ヘル!? 俺はハデスにしか、助けを頼んだ覚えはないんだが…」


「別にいいでしょそんな事。貴方こそ、まだ本調子じゃないってのに、一体何を考えてるのよ。……お願いだからロキ父さんを悲しませる事だけは、何が何でもしなさいよね! 兄さん、出番よ!」


 ツクヨミを支えているレイジーを、2人まとめて門の中へと、突き飛ばすように押し込んだ後、レイジー達とすれ違う様にして、ヘルの呼び声に応じた兄達が、門から出くる。


 ツクヨミが門を潜った事によって、拘束が解けた植物達は、冥界の門の前に立つ者達に標的を絞った。


「レイジー。そこからでいいから、兄さんたちの制限を解除してちょうだい!」


 そう言った後、ヘルは胸の前で指を組むと、黒と紫の混じった瘴気を、体中から発生させる。


「ニヴルヘイムの亡者達…。お願い、また私に力を貸して」


 すると、ヘルが放つ瘴気に反応してか、彼女の言葉を聞きつけてか、地から草が生えるように、大小様々な亡骸達が種族を問わず、確かに地に足を付けて立ち上がる。


 妹が臨戦態勢に入ったのを見たフェンリルは、自分の頭の上に乗っているヨルムンガンドを、少し離れたところへと放るように、首を振って飛ばす。


 ペトッと地面に着地したヨルムンガンドは、兄の顔をチラッと見た。放り投げたヨルムンガンドを、ジッと見つめていたフェンリルと、目が合った瞬間だった。


 2匹の間に、グリモワールが突如として現れ、一筋の光で2匹を照らす。


 するといきなり、フェンリルとヨルムンガンドの周囲に、クレーターのような擂鉢すりばち状の窪みができた。


 そしてそこから、フェンリルの体とヨルムンガンドの体が、地を砕きながら大きくなり続け、あれよあれよという間に、2体とも冥界の門より巨大になってしまう。


 巨大化したフェンリルとヨルムンガンドには、能力制限をかけていた時の面影など、微塵も残っていない。


 巨大化したフェンリルの口や四肢には、地面から生えてきた黒鉄の鎖が巻き付き、なんとも動きづらそうな外見になった。


 ヨルムンガンドは、もはや蛇ではなく、龍の面影を感じる、雄々しき姿へと変貌する。


「ウゥオォオオォォオォォン!!」


「グォォオオォォオォオオォン!!」


 咆哮の規模たるや、先程のオロチやヒュドラの比ではない。天を衝き、地の果てまで響くかという2体の轟音に、彼等の隣に居たヘルは耳を塞いだ。


「咆哮で威圧してくれているんだろうけど、もうちょっと静かにできないかしら」


「ヴヴヴッ」


「…………」


 「そんな事できるか」とでも言いたげな声音で、ヘルを威圧するフェンリル。


 ヨルムンガンドは、何も言わないまま、フェンリルと同じように、自分の足元にいるヘルを見下ろしているだけだったが。


「…あ~ハイハイ。私が悪ぅございました」


 ヘルも最初は、兄達を反抗的な目で睨んでいたが、これでは埒が明かないと判断し、一切謝罪の念が込められていない謝罪を口にする。


 その言葉を聞いて2体とも、ヘルから目を逸らしたが、フェンリルだけは渋々と言った感じだった。


 神を殺した経歴を持つ、2体の天を衝くかの如き巨大な怪物。そして彼等の周囲を取り囲むように、ニヴルヘイムの亡霊がいる。


 ヨルムンガンドが、大砲の弾のように、巨大な毒の弾を天に向けて放つ。


 するとそれはさながら、紫色の花火のように空中で弾け、雨霰のように植物達が生えている根本の辺りに、これでもかと降り注いだ。


 まともに頭からかぶった植物は、痙攣しはじめた挙句、その体を地に横たえる。


『お、意外と効いてる様子だな。ヘル、ちょっとお前の従者を使って、そこら辺に転がっている植物の死骸を、いくつか持ち帰れないか?』


「…あまり大きい物はダメよ。巨人の骸なら、ある程度の物は運べるけど」


 ニヴルヘイムは、神話大戦ラグナロクや北欧の戦渦に巻き込まれて亡くなった者達が、一同に会する場所だ。


 従って、亡者の中には、かつてオーディン達『アース神族』や『ヴァン神族』と激しく対立していた、『霜の巨人』や『山の巨人』達もいる。


 ニヴルヘイムの瘴気にやられて、肉体が腐り落ち、骸骨同然の姿になってはいるが、力の強さは巨人だった頃と何ら変わりない。


「仕方がないわね。巨人達はその辺りに転がってる、植物みたいな残骸を集めて、冥界の門の中に運び込みなさい。……数はどうするかって? そうねぇ、大体3~4体分あれば良いんじゃないかしら?」


『よく分かってるじゃねぇか。流石は盟友の娘ってとこだな』


「……貴方もロキ父さんも、似た者同士だと思えば、案外扱いやすいものよ」


 口ではそう言うが、彼女の顔は苦虫を噛み潰したような表情をしている。


 ヘルが右手を上げると、彼女の後ろからボロボロの装備で、自分の身を固めた骸達が、彼女の前に立って一斉に弓を構えた。


「主戦力の巨人がいない今、貴方達の力が物を言うわよ。それと兄さん、ちょっとだけ


 ヘルの声を聞いたヨルムンガンドが、ヘルの方に顔を向けた。そして、ヘル達の頭上に移動したヨルムンガンドの口元から、一滴だけヘル達の目の前に、毒の滴が落ちてくる。


 その紫色の滴が、地面に落ちてしまう前に、狙いを定めた骸の弓兵達が、一斉に弓矢を発射する。


 すると弓矢の一本一本が、紫色の滴を通り抜け、ヘル達を数の少ない巨人の亡者達と戦っている植物達に、次々と突き刺さった。


「うまくいったわね。正直成功するかどうか怪しかったけど、貴方達にしてはよくやったと褒めてあげるわ」


 そう言ったヘルが、まるでおはじきを弾くように、指先に作った紫色の小さい球を、弓矢が突き刺さった植物達に対して弾く。


 紫色の小球が、植物群の一つに着弾した瞬間、パチンとシャボン玉が弾けたように、ヘルの放った瘴気が広がった。


 すると、一瞬にしてヒュドラの時とは違う腐り方をしていく。ヘルの瘴気に触れた瞬間、植物群がみるみる内に、土へと還っているではないか。


「せいぜい自分の体を以って、新しい森を造る事ね。…尤も兄さんの神経毒が混じっているから、暫くは草の1本も生えないでしょうけど。あ、暫くなんて簡単に言ったけど…ざっと100年前後かしらね」


 ふざけたような口調で、おもしろおかしく独り言を呟くヘルを、真横から一呑みにしようと、植物が近づいていた。


「しまっ…!」


 ヘルに向かって、大きく口を開いたまでは良かったのだが、その直後に鎖の巻き付いた脚が、植物を強く踏みつける。


「ギュリュリュリュリュ~~ッ!?」


 メリメリと、奇妙な音を立てる茎。踏みつけられた植物は、聞くに堪えないような奇声を発しながら、やがて口から透明な泡を吹いて動かなくなった。


「……フン」


 「妹に手を出すからそうなるのだ」とでも言っているのか、フェンリルは自身が踏みつけて泡を吹かせた植物を、見下したような目で見ている。


 その後、ヘルには目もくれず、植物を自身の爪や牙で、八つ裂きにし始めた。


 その場にへたり込んで、暫し茫然としていたヘルは、ハッと我に返り事の顛末を、見守っているであろうレイジーに話しかける。


「そろそろ戻った方が、良いかもしれないわ。ちょっと門を大きくしてもらう様に頼めないかしら?」


『あぁ、お前が喰われかけたって事は、それだけ奴らの勢力も、大きくなってるって事だろうな。フェンリルの奴に助けられて、ボーっとしてるお前の顔……なかなか見物だったぜ?』


「……貴方、後で覚えておきなさいよ」


『じょ、冗談だって。そう何回も、お前の瘴気で四肢を腐らせられちゃ、流石に堪ったモンじゃねぇよ……』


 「どうせ心臓を腐らせたって死なないくせに……どうだか」とヘルが答えた後、彼女の一声で、植物達と戦闘をしていた骸達が、一斉に冥界の門へと駆けていく。


「兄さん達も早く戻った方が良いんじゃないかしら? 今のところはこれで撤退するべきだと思うけど? 私は骸達の面倒を見なくちゃいけないから、先に行くわよ」


 ヘルは一言だけ、フェンリルとヨルムンガンドに言い残した後、冥界の門に殺到する骸達に混じって、門の中へと消えてしまった。


 いきなり殿しんがりを擦り付けられた2匹は、攻撃の手を止めて互いの顔を見合わせる。


 そして数秒後、同時に頷いた途端、フェンリルが足に噛み付いていた植物群を、鎖を引き千切るように、茎を引き千切って拘束を振り解き、冥界の門の前まで後退する。


 すると、すかさずヨルムンガンドが前に出て、口から紫色の毒を煙状にして吐き出した。


 ヨルムンガンドに襲いかかろうとした植物は、口から紫色の煙を吐いて、威嚇してくるヨルムンガンドに怯んでしまう。


 すると今度は、ヨルムンガンドが煙を吐いたまま、頭を激しく左右に揺らし、紫色の煙幕を張り始めた。


 そうはさせるかと、植物達が突撃しようとするが、ヨルムンガンドが作り出した、猛毒の煙幕である為、植物達は下手に動けなくなるだけだった。


 そして、毒の煙幕が消えてしまった時には、フェンリルとヨルムンガンドはもちろん、冥界の門も跡形もなく消えてしまっていた。

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