狡知と知恵と知識と…… 壱

「……と言う訳なんだ。お前の娘の力を、少しだけ借りたいんだが……ダメか?」


「う~ん、そうだねぇ……どうしようか」


 ここは、レイジーの執務室。先程の騒動に関与していた人物達には、いつでも集合できるように一か所で待機してもらい、レイジーだけは別行動をとっていた。


 今まであった事情を話した後、レイジーは頭を下げ、チラリと上目遣いで目の前の人物の顔色を見る。たった今、彼が頭を下げた相手は、この叡智の紙園の中でも一二を争う程、危険な思考の持ち主であった。


 その名は――――『クローズド=ロキ』。北欧神に属する巨人族で、とても悪知恵の働く神である。特技は変身や変装で、巨人族にしては珍しく、顔や声を自在に変えられる他に、自分の大きさも自在に変えられる特徴を持っている。


 更に、とても美しい顔立ちをしているが、笑い方がとても不気味なのが特徴的。彼が嗤った時は十中八九、何か良からぬ事を考えている証拠だと、レイジーは考えている。変身や変装は、十中八九この笑い方のせいでバレるのだ。


 ロキはまるで、レイジーを見定めるかのように、ジロジロと何もせずに見つめている。とその最中、不意にガチャリとドアの開く物音がした。


「……ん? 何事かな」


 ロキがレイジーから視線を外し、執務室の入り口を見る。レイジーもロキにつられて入り口を見ると、扉の先に狼を何倍か大きくしたような姿の獣と、左半身が蒼黒く変色した若い女性が、狼のような獣にまたがっていた。


 女性の首には、まむしほどの大きさの蛇が、チロチロと舌を出してレイジー達を見つめている。


「なんだフェンリル僕の子供達か。丁度お前達の話をしていた所だよ」


「あら、そうだったの? ……で、私の何について話してたのかしら?」


 妙な色っぽさを持つ、この女性の名は『クローズド=ヘル』といって、ロキの娘だ。そして狼のような獣と、ヘルの首にかかっている蛇も、実はロキの子供である。


 彼らの名は『クローズド=フェンリル』と『クローズド=ヨルムンガンド』。ロキの子供であることに間違いはないが、そもそも人のなりではない為、ロキと同じ苗字の、『クローズド』を付けられて呼ばれる事は滅多にない。


 因みにこの三兄弟の中では、フェンリルとヨルムンガンドに限った話だが、彼らはレイジーの意志一つで『本来の姿』へと戻る事ができる。


 実は他にも、彼らと同じような状況の生物が、数え切れないほど沢山いるのだが、その話は後にしよう。


 レイジーから、この叡智の紙園に迫る者達の存在を聞いた三人は、一斉に父親であるロキの顔に目を向けた。


「なんだ、僕が思っていたよりも、やる気がありそうだ。それなら……全員行っておいで。くれぐれも僕の『もう一人の盟友』を、危ない目には遭わせてはいけないよ」


「そんな事ぐらい、言わなくたって分かってるわよ父さん」


 ヘルの言葉に同意するように、フェンリルとヨルムンガンドも、父親であるロキの顔を見て頷いだ。


 「念を押すまでも無かったか……」と三人に向かって苦笑しつつ、ロキの顔がレイジーの方へと向き直った。ホッと安堵の溜息を吐いて、胸をなでおろしたレイジーは、ロキの手を握って礼を言う。


「ありがとうロキ。ヘルだけでなく、フェンリルとヨルムンガンドの協力があれば、この作戦もうまくいくだろう」


「礼には及ばないさ。……それよりも、もう一人の作戦立案者はまだなのかな?」


 そう言いつつ、ロキは三兄弟達をアテナ達が待つ部屋へと行くように指示を出す。そして、三兄弟が退室するのを見届けた後、レイジーに顔を向けると、彼の後ろに一人だけ人が立っていた。

 

 その事を怪訝に思ったロキは、キョロキョロと部屋の周囲を見渡した。この部屋の出入り口は、先程のフェンリル達が通った扉以外に存在しない。この部屋には窓もあるが、それは全てレイジーが閉じてしまっていた。


「……おや? この部屋には、あそこしか出入り口は無い筈だが? かといってこの部屋の窓は全て閉じている。君は一体どこから入って来たんだ?」


「これには流石のトリックスターもお手上げかな。ロキ、何もトリックスターはお前だけじゃないんだ」


「ほぉう。ならそこにいる彼が、僕と似た者同士だと言いたいのかい?」


 レイジーの発言から、自分と似た者同士だと分かった途端、ロキはその人物に興味を示した。ロキが興味を注ぐ人物は、二人に背を向けて、何かをゴソゴソと漁っているように見える。その時、パサッと紙切れが一つ、その人物の足元に落ちた。


「あ、これこれ! やっと見つけましたよ……」


「ちゃんと自分のカバンの中身を整理しろと、前にあれほど言っただろう。お前は、この紙園内の通達係なんだから、もう少ししっかりしろヘルメス」


 彼『ゲルホンテ=ヘルメス』は、アテナ達の間でも知れた、ギリシャのトリックスターだ。アテナやアレス達とも関わりが深く、ゼウスからも『ギリシャ神の中で、彼の顔を知らない者は、まずいないだろう』と言わしめる程に顔が利く神だ。


 普段は叡智の紙園内で、レイジーが行う事を様々な神に伝える伝達係をしている為、実際にはギリシャ神だけではなく、他方の神々とも顔を突き合わせている事になる。


 しかし、主であるレイジーの招集に合わせて、伝達役から参謀へと様変わりする事も珍しくない。ついでに、先程の仕草からも分かる様に、整理整頓が途轍もなく苦手。


 今回、レイジーが彼を呼んだのは、伝達係としてではなく、もちろん参謀として彼を呼んだのだった。


「すみません。いつかまとまった暇が頂けたら、その時に整理したいと思います。……それで、これがくだんの侵攻に備えた作戦ですが。ロキさん、どうでしょうか?」


 その紙面の参加者名には、アテナ達や熾天使をはじめ、『クローズド=ロキ』『クローズド=フェンリル・ヨルムンガンド・ヘル』の名が連なっている。


 そして最後の名前に、付け足されたような感覚で、『ゲーデルマン=トール』と本人の名前が、直筆で記されているのには、流石のレイジーも驚いた。


 紙面を最後まで読んだ後、ロキはその紙を置き、ヘルメスの顔をみて満足そうに頷いた。


「……うん。これで問題はないと思うよ」


「ト、トール!? あのトールを、どうやって説得したんだ!?」


「彼を説得するのは、流石の僕でも骨が折れたよ。でも、あのニセモノ騒動が、彼の耳に入った途端、今度は逆に彼自身が、『流石にソレは見過ごせない、お前の作戦に協力させてくれ』と話を持ち掛けてきたんだ」


「……なるほどな。トールまで助力してくれれば、鬼に金棒といった所か。……ところで、この話をオーディンには通しているのか?」


「そこについては、トールと僕から話を直接つけてある。オーディンは相変わらず、どっしりと構えていて、決して動こうとする気配が無かったから、この作戦には入れられなかったけどね」


 そこまで言った後、やれやれ……と言いたげに、ロキが首を横に振った。アテナが言っている事同様に『最高神は動かない』というのは本当だったらしい。


 ヘルメスが、ロキからオーディンの話を聞いて、ゼウスとまったく同じだと思ったのか、俯いてクスクスと笑っていた。


 とその時、不意に扉が開き、再びヘルが顔を見せる。先程まで首にかけていた、ヨルムンガンドの姿は無く、代わりに紫色の髪の上に、何とも言い難い珍妙な生物が乗っていた。


「この子達、貴方が飼ってる子達でしょ? お腹を空かせてピーピー鳴いていたわよ?」


 そう言って部屋に入ってきたヘルの手元にも、またまた珍妙な生物が、両手の手のひらの上に乗っていた。


 頭に乗っている生物は、パッと見た感じはカメレオンなのだが、足が虫のように幾つも生えていた。一方で彼女の掌の上にいる生物は、どこを見てもヒヨコそのものだ。だがそのヒヨコには、小さいながらも『蛇のような鱗のある尻尾』がある。


「ちょ、おま……コイツ等は『バジリスク』と『コカトリス』じゃねぇか。ヘル、コイツらをどこで……?」


「父さんに言われた部屋に行ったけど、暇になって出てきたら、廊下の真ん中でこの子達がピーピー鳴きながら、何かを探す様に周囲を見回してたのよ」


「それで俺が飼っている生き物の事を思い出したって訳か……」


 出来る事なら、すぐにでも自分の手で、元に戻してやりたいところだが、素手でバジリスクやコカトリスには触れない。


 彼ら二体は見ての通り、まだまだ幼い幼体だが、想像を絶するような毒性を持っている。もし素手で触れてしまえば、たちまちにして皮膚が毒を吸収し、あっという間に全身に回って、もがき苦しみながら死に至る。


 ヘルは何の迷いも無く、素手でこの二体をガッツリ触っているが、それはヨルムンガンドの毒で、体の中に耐性ができているのだろう。流石は巨人の子供なだけはある。


 もしラファエル以外の者達が、何も知らずにバジリスク達に触れていたら……。そう思うとレイジーは、心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。


「あ~、この部屋に居てくれてもいいから、少しの間だけお前が面倒見てくれねぇか? 俺は直接、ソイツ等に触れねぇんだよ……」


「まぁ、それは別に良いけど……。ところで、何をする気なのよ?」


 ヘルはバジリスクを頭に乗せたまま、レイジーが座っていた席に着席して、コカトリスを優しく撫で始める。すると『クルル……』と気持ち良さげな声を出した直後、口から紫色の煙が飛び出した。


 それを見たロキが、柄にもなく座っていた椅子から飛び上がって、大声でヘルの抱くコカトリスを指さして言った。


「ど、毒ッ!? レ、レイジー、頼むからこの生き物達を、どこか別の場所に置いてくれないか……!?」


「あ、あぁ……分かった」


 余りにもロキが必死に言うので、ヘルに「集まるように言った部屋に、『ラファエル』という子供の天使がいる。コイツ等をその子に預けて、お前も部屋に待機していろ」と言って、ヘルをその部屋から再び退室させた。


 先程の騒動を、終始驚いた顔のまま、黙ってみていたヘルメスは、ロキに恐る恐る聞いてみた。


「あのぅ……ロキさんは、毒が関係する何か悪い事でもあったんですか?」


「あ、あぁ……。詳しい事は言えないが、とても酷い目に遭った事があってね。……ハァ」


 ロキは、ほとほとうんざりしたような表情で、額に手をあてて溜息を深く吐いた。


 一方でレイジーは、そんな様子のロキを見ながら(普段は飄々としているロキにも、こんな一面があったのか……)と、ただ唖然とするしかなかった。


 だが、そんな風に唖然とする暇は、今の紙園の住人達に残されていない。ふと毒に怯えるロキを見て、レイジーが思いついたように一つ言葉を呟いた。


「そうだ、機械あいては鉄の塊だ。それなら――――劇薬なり高温で溶かせばいいじゃねぇか」


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