前任者と主

『はぁ、やれやれ。やっと遊び疲れて眠ってくれたようですね……』


『……流石に私も疲れました』


「お前達がいなかったら、確実に俺は死んでいた……」


 あれから実に4時間、休憩なしでパイモンとバエルの2人が、いい加減に遊び疲れて眠るまで、3人は彼女達に付き合っていたのである。


 レイジーが呟いていた通り、もしたった1人で、彼女達の遊びに付き合っていたら……死んでいたというのは大げさだとしても、ダウンはしていただろう。


 レイジーは、ガープへと寄りかかって、すうすうと寝息を立てて眠る2人を見て、少しだけ笑った後、懐からグリモワールを取り出す。


「……もう一度、あの世界に行ってみる。今度は大きな荒事になる可能性も0じゃない。ダンタリオン、疲れているところ悪いが、アガレスとウァサゴの爺さん達を呼んできてくれないか?」


『そういうのはガープに頼んだ方が……』


 ダンタリオンが、レイジーの言うことに反論しようとした時、ガープが小さく咳払いをして、自分の膝の上で寝ている2人に、ちらと視線を注ぐ。


『自分に回ってきた仕事から逃げるために、貴方は女王様の睡眠を邪魔するのですか?』


『……分かったよ、自分で言ったことだ。私が行けばいいんだろう? 女王様の言うことは絶対だからね』


 こればっかりは仕方がない、とでも言いたげにダンタリオンは肩をすくめ、レイジーに言われた通り、部屋を後にした。


 その光景を見て、レイジーが珍しいものを見たように、目を丸にしてガープを見る。


「あのダンタリオンに仕事をさせるのか……。ダメ元で仕事を振ってみたが、まさかアイツがなぁ……」


『元を辿れば、勝手にあちらが言い出した事です。自業自得という奴でしょう。……良いお灸になったのではないでしょうか』


 ガープの、まるで清々したかのような言い方に、レイジーの左顔面が引きつる。


 レイジーは「お、おぅ……そうか」とだけ、短く言ってお茶を濁すしかなかった。


(やっぱり女は怖ぇな……。下手するとロキやダンタリオンより段違いに怖いかもな……)


 顔には一切出さず、レイジーは無表情を装った状態で、パラパラとグリモワールを開き、ガープの様子を横目で窺う。


 バエルとパイモンを撫でながら、微かに微笑む彼女は、絵画にでもなりそうな光景であったが、ふと思い出したようにレイジーの方に視線が向けられた。


 慌ててレイジーは、視線をグリモワールへと移し、あたかも本を読んでいるかのような雰囲気を装う。


『そういえばレイジー様。例の大罪2名について、ソロモン様から話は聞けたのですか?』


「あ、あぁ。なんでも……お前達の中にいるかもしれないという情報を、師匠じゃなくサタンからもらった」


『サタン……って、それを鵜呑みにしたのですか?』


「あぁ。もちろん理由だってある。サタンからその話を聞いて、俺の中にあった仮説が確信に変わったってだけの話だ」


『……その口調、誰が大罪なのか分かったような言い方ですね』


「あぁ。相変わらず、察しが良いなお前は」


『そうでもなければ、貴方のような変わり者にお仕えはできませんので』


「さりげなく貶された気がするんだが? 俺の気のせいか?」


 レイジーの訴えに対して、ガープが『気のせいです』とだけ言って、綺麗な笑みを浮かべてレイジーに笑いかける。


 暫くの間、レイジーはジッとガープの顔を見ていたが、「そうか、気のせいか」とだけ言って言葉を続けた。


「まず1人目はアモン。アイツが恐らく、強欲の悪魔『マモン』だ。恐らくアイツは、自分の意思1つで、マモンに戻れるんじゃないかと俺は睨んでいる」


『確かに、あのアモンさんなら、普通に頷ける話ですね。……で、もう1人。『暴食』の大罪の悪魔は誰なのですか?』


 ガープの問いに、レイジーは何も言わず、ただガープの膝元を指差した。


 怪訝そうに眉をひそめたガープは、レイジーの指が、何を差しているのかを確認するために自分の膝元をみる。


 そして、もう一度レイジーの指から、自分の膝元までを目で追った。


『……私を揶揄っていらっしゃいますか? それともその両目が、腐り落ちておいでですか?』


「それはこっちの台詞だ。俺が何の考えも無しに物を言うと思っt」


『はい』


「……何で即答するの?」


『それはレイジー様が、そういう者だと認識されているからでは?』


「お前等がどう見てるかは知らねぇけど、俺は一応お前達の主人だからな!?」


『それは私を含む皆が分かっている事です。あのベリアルですら、レイジー様がマスターであることを認識していますので』


 ガープは、そう言い放った後に『となると、やはり後者でしたか……』と、呟いたかと思うとジッと、座ったままの状態で、レイジーの眼を見つめる。


「ど、どうしたんだよ?」


『いえ、ただ本当に眼が腐っておいでなのかと思っただけなので』


「……もう突っ込まないぞ。いい加減話を元に戻す。バアルが暴食の悪魔『バアル・ゼブル』。またはベルゼブブつってな。お前も聞いた事はあるんじゃねぇか?」


『随分と野暮な質問ですね。悪魔の世界では、なにより上下関係が重んじられますので、それは私とて例外なく、最低限の教養として教えられております』


「バアル達の会話が例外的なだけか……」


『人の世界でも上下関係を重んじているなら、当然天使や悪魔だって同じことです。両者共々、元は人間が作り出した者達なのですから』


「お前が尤もらしい事を言ってるのは分かるが、それをお前はちゃんと実践してるか?」


 つい先程の彼女が、レイジーに向かって発言した内容を振り返ると、なんとも説得力に欠ける。


 しかし彼女は、顔色を微塵も変える事なく、その追求に対して『最低限の礼儀は欠いていないと自負しています』と言ってのけた。


「おう、そうか……本当にそうか?」


『きっと気のせいです』


「そうか……」


 「強引に煙に巻かれた」と、表現しても良さそうな違和感を、レイジーは胸中に抱きながら納得してしまう。


 レイジーが首を傾げていると、ダンタリオンが部屋に入ってきた。


『主、アガレスとウァサゴのお爺さんをお連れしたよ』


「あ? あ、あぁ……2人とも入ってくれ」


 レイジーの指示を聞いたダンタリオンは、ドアノブを握ったまま、部屋の外へと入るような仕草を見せる。


 すると大型のワニが、ローブを被った2人を、その背に乗せて部屋に入ってきた。


 ワニの手綱を握った老人が、部屋に入ってくるなり、真っ先にレイジーに話しかける。


『あまり老人を無理強いするな。特に儂等の事は、ソロモンからも教わっ……あぁ、その当人も今や老人だったか』


「おいおい、あまり師匠の事を悪く言ってやるな。アンタ等とは違って、人間は短命なんだからよ」


 レイジーの返答を聞いて、2人が同時に笑いだす。そして、手綱を握っている人物の背後から、もう1つの声がした。


『人間をやめたお前さんが、今更そんな事を言える立場かの。それはそうと、お前さん……ソロモンの奴に似てきたな。奴の若い頃を見ているようじゃわい』


「そうかぁ……? そんな事を言うのは、爺さん2人だけだぜ?」


 この2人は、ハルファスとマルファス同様に双子の悪魔。


 ワニの手綱を握っているローブの人物が、グリモワール序列第二位の公爵『クエイカー=アガレス』である。


 そして、その後ろにいるのが、グリモワール序列第三位の君主『クエイカー=ウァサゴ』だ。


 『まぁ、ともかくじゃ』とウァサゴがその話を打ち切り、逸れてしまった話題を元に戻す。


『ダン坊から大体の話は聞いておる。しかし、儂等から言えることは―――戦ってどうこうできるような相手ではないという事だけじゃ』


「……そりゃそうだよな。俺だってそれが分からないほどの大バカじゃないさ」


 これから戦おうとしている『外なる神々』は、言い換えると『叡智の落とし子』と揶揄しても、何ら差し支えないだろう。


 アレこそが、この宇宙全ての真理なのだから。


『ダン坊って言い方は、流石にあんまりだと思うんだけど……』


『何を言ってる。儂等から見れば、どいつもこいつも、まだまだ駄々をこねるガキ同然だ』


 最後に『大悪魔としての年季が違うんだよ年季が』と言って、アガレスがダンタリオンを黙らせると、再び本題に戻る。


『お前さんも知っての通り、あの連中は何かを作ろうとしている。それは間違いなく、新しい外なる神々、または旧支配者の1柱であろう』


『まぁ、あの連中の事じゃ。大方その生物の失敗作でも、あの手この手で人間にけしかけて、酒の肴にでもしようとしておるんじゃろう。とことん悪趣味な連中じゃて……』


「大悪魔のアンタがそれを言うか……。って事は相当ヤバいんだな」


 まさかレイジーも、れっきとした大悪魔の口から、悪趣味な連中という言葉を聞くとは思っていなかったらしく、ただ苦笑いしかできなかった。


 ウァサゴとアガレスは、レイジーの言葉を聞いて、やれやれと言いながら首を横に振った。


『ヤバい等という言葉で済めば、まだ笑い話で済むんじゃがな』


『どれだけ物騒な連中なのかは、お前さんも知っているだろう。まさか忘れた訳じゃあるまい?』


「まさか、忘れやしないさ。叡智の巫女の話だろ?」


 『叡智の巫女』とは、レイジー達が勝手に名前をつけた存在である。


 本来ならば、『叡智の巫女』という名前もない存在であったが、彼女がレイジーの『前任者』であった。


 しかし、なぜ創造者から管理者へと、仕事を鞍替えしたレイジーの前任者なのか、そこにはちゃんと理由があった。


 彼女は―――最初に『叡智の紙園』という構想を掲げた者なのだ。


『ソロモン王のみならず、お前さんは彼女の想いもその背に背負っておるのだ。だったら少しぐらい主らしい振る舞いを……』


「わ~ってるよ、んなことぐらい。だからこうして、外なる神々の足跡を辿るなんて、命知らずな真似してるんじゃねぇか」


 この叡知の紙園は、人間はもちろんのこと、外なる神々の目も届かない、別次元に浮かぶ世界なのだ。


 一体紙園が、どういう原理で出来たのかも、前任者ではないレイジー達には分からない。


「もちろん、やることは山積みだ。だが、こんな場所で外なる神々に、押し潰される訳にはいかねぇ……だろ?」


 アガレスは、自分が言おうとしていた事を、先に言われてしまったからか、狐に摘ままれたような表情で、レイジーを見つめたまま動かない。


 それに対してウァサゴは、面白いものをみたと言いたげに、手を叩いて笑いだした。


『ホッホッホッ! レイジー、お前さんはやはり、ソロモンの奴に似てきたの。儂の目は間違ってなかった』


「ソイツはどうも……」


 それだけ言って、咳払いをした時。思い出したように、その話を聞いていたガープに、あることを話始めた。


「そうだ、向こうに行く前に、お前にあることを頼みたい。万が一の事態になったら……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る