国破りて虚空在り

 巨大な本に吸い込まれるようにして、レイジーとカエデの2人がやって来た場所は、レイジーの執務室だった。当然今は誰もおらず、電気も消えている。


 ここに来る間に、レイジーは今回起こった事の顛末を全て話した。


「実はその時、他の連中には言ってなかったんだが、グリモワールが1つだけ大きな街を見つけていたんだ。その化物を作った人間……あるいは人間の皮を被った化物かもしれねぇが、ソイツがいるならその大きな街しかない」


 それは知るべき事ではなかったかもしれない。現に苦しんでいるのは、レイジー本人だ。だが彼は、とっくの昔にもう仕方のない事だと割り切っていた。だからこそ、彼はこう思うようにしている。


――――本当の事を知って苦しむのは自分だけだ。自分が犠牲にさえなれば、他の皆は苦しまない。


 レイジーは全て知っていた。この戦いが終わるかどうか、もし仮に戦いが終わったとしても、自分が生きてられるかどうか自体、自分自身の身すら保証ができない。


 自身の安否すら保証できないような戦いに、アテナ達を巻き込む訳にはいかないのだ。アテナ達にこの事を、ただひたすら隠し通していたのは、この思い故であった。


 アテナ達はもとより、ましてや何も知らない人間であるカエデかのじょを、最前線で戦わせるわけにはいかない。


「ねぇ、レイジー。これから何をする気なの?」


「……街を1つ潰す勢いで、俺と大悪魔の連中がその化物を殲滅する」


「そんな……どうして!? どうしてそんなことをするのよ! それでは新しい憎しみが生まれてしまうだけじゃないの!? その街に住んでる人はどうなってもいいの!?」


「いいか、よく聞いてくれカエデ。確かに街1つを潰すかもしれないが、俺だってできる限り、人に死んでほしくはない。そこでお前の力が必要なんだ」


 ――――いつ以来だろうか、こうして相棒カエデに嘘を吐いたのは。


「お前はアテナ達と力を合わせて、人の避難と避難完了までの護衛を優先する。化物がもし現れた場合は、俺達がなるべく食い止める。アテナ達には俺達が取りこぼした奴を退けるだけでいいと伝えてくれ」


「えっ、ちょっt」


 カエデの声に耳を貸さず、レイジーは彼女をアテナ達の元へと転送してしまう。そして、その一部始終を見ていたと思わしき者達が、カエデの姿が消えたと同時に執務室の扉を開けて入ってきた。


『……ホゥ、宜しかったのですか。レイジー様』


「……あぁ、そうだ。これで良かった……少なくとも今は、そう思うことにする」


主人ますたぁ……』


 バエルが何かを言いかけた時、彼女の後ろにいたダンタリオンがそれを止めた。引き止められたと同時に後ろを見たバエルは、小さく首を横に振る、公爵の黒く塗りつぶされた顔を見る。


 自分達の後ろにいた悪魔達も、レイジーの顔を見ないように目を伏せていたり、何とも言えない表情をしていた。もちろん、隣にいたアモンも。


 バエルが、そんな皆の様子を見ていた時、ダンタリオンが静かに語りかけてきた。


『バエル様。我等はレイジー様に使えるしもべです。主に意見することも大事ですが、今はそっとしておきましょう。今の我々が主にできるのはそれだけです。かつてのソロモン王が、貴女にしてくれていたように……』


 普段のダンタリオンからは、微塵も想像もできないような声色だった。その声に一切ふざけている様子は見えない。


『ソロモンのじぃちゃんが……アタシにしてくれたように……』


 ダンタリオンに言われたことを、バエルは自分なりの言葉で反芻するが、その場ですぐに答えは出てこなかった。バエルがその言葉を反芻してから、およそ10秒ほど経過した時、レイジーが口を開いた。


「各位、戦闘準備。作戦遂行者72の悪魔全員デモンズ・スクランブル。これを他の大悪魔れんちゅうにも伝えておけ。全員この部屋に集合しろってな。ベリアルは俺が直接迎えに行く。心配はいらない」


 レイジーはそこまで言った後、静かで低く何かを威圧するかのような声音で、言葉を言い放つ。そんな彼の双眸には、紫色の炎が灯ったような、不思議な光が蠢いていた。


これより紙園の主の意思を以って命令する。を――――ぶっ潰せ。

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