狡知と知恵と知識と…… 弐
レイジーに、バジリスクとコカトリスを、ラファエルという少女に預けるように言われたヘル。
彼女は、父親であるロキの意外な一面を見て、多少の動揺をしつつも、兄達が待つ部屋へと歩を進めていた。頭の上には小さいカメレオンモドキ、手には小さいヒヨコモドキを乗せてたまま、ふと徐に呟いた。
「……父さんも、あんな顔をする事があるんだ」
『クル?』
『ピィ?』
ヘルの独り言に反応した二匹は、彼女の顔を覗き込む。視界に入った二体を、両手に乗せたヘルは、首を横に振った後に二匹にニコッと笑いかけた。
「ううん、何でもないのよ。……そんな事より、貴方達を見ていると、兄さん達が小さかった頃を思い出すわ~……」
実はフェンリルとヨルムンガンドは、レイジーによって今よりも強めの、能力制限をかけられていた頃があった。その時の姿は、今の姿よりもさらに小さく、まるで狼と蛇の子供同然の大きさだったのだ。
ヘルは大して、悪い事もしていなかったので、結果的には上の兄二匹が、レイジーの罰則を受ける瞬間を見る形となったが。
コカトリスもバジリスクも、ヘルの言っている事が理解できていないのか、二匹揃って首を傾げている。すると廊下の反対側から、白い毛並みの大きい狼が見えた。頭には、蜷局とぐろを巻いた蛇が、ちゃんと乗っている。
「あら兄さん達。私を探してたの?」
ヘルに話しかけられたフェンリルは、ヘルの姿を見ると、『フン』と鼻で息をして踵を返し、元来た道を引き返し始めた。兄のそっけない態度に、ヘルは少しだけ溜息を吐いた後、ブツブツと文句を言いながら付いて行く。
俯き気味に、ブツブツと文句を言っていると、白くフサフサした物が、額を掠めている感覚を覚えた。何かと思ったヘルが、ふと顔を上げた瞬間、ヨルムンガンドがフェンリルの白い尻尾に巻き付いたまま、こちらをジッと見つめていた。
「兄さんどうしt……イタタタタタタ!! 痛い痛い痛い痛い!!」
妹の質問も聞かず、ヨルムンガンドはいきなり、ヘルの鼻筋に噛み付いたのだ。言葉が話せない、フェンリルとヨルムンガンドはこういう形でしか、妹のヘルに抗議できない。
ヘルの悲鳴を無視して、ヨルムンガンドは三秒間ほど噛み付いた後、いきなり噛み付いていた口を放した。噛み付かれた鼻筋をさすり、紫と蒼のオッドアイを潤ませながら、いきなり噛み付いてきたヨルムンガンドに抗議する。
「ちょっと! 何で兄さんが噛み付かなくちゃいけないのよ!! 私は何も悪いことしてないでしょ!? ……あ、まさか。フェンリル兄さんの指図ね!?」
ヘルはヨルムンガンドに怒っている最中、フェンリルの頭部が不自然に揺れているのを見逃さなかった。
彼の頭が不自然に揺れている時は決まって、隠れて笑っている証拠なのだ。しかも笑っていると言う事は、ヨルムンガンドにフェンリルが指図したとしか考えられない。途端にヘルの怒りの矛先が、二番目の兄から一番上の兄へと変更された。
ヘルがフェンリルに、文句の雨嵐を撒き散らしている内に、三人は元居た部屋へと戻って来ていた。扉を開けると、そこには様々な人物が、レイジーの指示で待たされている。
「ホントにこの部屋に人が多すぎるのよ……って、あら?」
ふと、最初に入った時は、全く気が付かなかったが、その者達の中に、黒いピエロの服を着た者が、黒い婦人服を来た女性と一緒にいる事に気が付いた。ヘルは即座に、その二人も自分と同じ、冥界の者であると直感した。
「……貴女達二人も、冥界からここに呼びつけられたの?」
「いえ。私達は主人に、例の騒動について調べてこいと言われて、此処にやって来ただけです。ところで、どうして私達が冥界出身だと……?」
ピエロの方は、何も全く喋らずに、驚く仕草をするだけであった。婦人服の女性はともかく、黒いピエロの方を、ヘルは少しやりづらく感じたが、婦人服の女性の言葉にしばらく考え込む。
「あ~……そんな雰囲気がするからかしらね?」
「ウフフ……。案外『女の勘』も侮れないモノね」
黒い婦人服の女性は、そう笑った後に、自らの名を『ペルセポネ』と名乗った。そして隣にいるピエロは、彼女の従者ともいえる存在『死の精霊 タナトス』とペルセポネは呼んだ。
冥界を司る神として、ヘルも自分の名を名乗る。するとペルセポネは、驚いた顔をしてヘルの全身を、ジッと見まわしてから言った。
「私はてっきり、貴女を冥界のお姫様かと思っていたのですが……そうですか、貴女自身が冥界を……。なら私も、彼のような冥界の支配者になれますかね?」
「……は?」
先程『主人がいる』と、彼女本人の口から聞いたばかりだったヘルは、思わず素が出てしまった。ペルセポネの発言を、傍でしっかり聞いていたタナトスも思わず、ノーリアクションでペルセポネの顔を見つめる。
二人があまりにも、茫然とした表情をしている為、ペルセポネはヘルとタナトスの顔を交互に見て、困ったような表情を見せる。
「いや……ただの冗談ですよ? 流石に主人を裏切るまでして、冥界の支配者になるわけにもいきませんし……」
「なんだ冗談か……。てっきり本気で言っているのかと……」(冗談と言う割には、割と目が本気だったような気が……)
これが、ハデスに嫁入りしてから、ペルセポネに長年使えているタナトスの悩みである。時折ペルセポネは、冗談らしからぬ表情で、
これはペルセポネ自身が、冗談と本気の境界を理解していない事に、そもそもの原因があるのだが、まさか自分から『いくら何でも、その冗談は笑えないのですが……』や『もう少し、冗談と本気の境界を学んでください……』などと、苦言を呈するわけにもいかない。その事でタナトスは、かなり悩んでいた。
もちろん、その点を除けば、優しく容姿端麗な女神である事に、何ら変わりはないのだ。
先程のペルセポネの眼つきについて、ヘルが少しだけ考え込んでいると、どこからか可愛らしい声が聞こえてきた。
「あ、さっきのワンちゃんとヘビさんだ~」
「ワ、ワンちゃんに……へ、ヘビさん……? もしかして……」
妙な心当たりを覚えたヘルは、その声がした方向へと顔を向ける。その視線の先には、床に体を横たえるフェンリルとヨルムンガンドと、四枚の羽を生やした少女が、フェンリルとヨルムンガンドを撫でていた。
ヘルに撫でられるのを、極端に嫌がるフェンリルとヨルムンガンドも、彼女には心を許しているのか、嫌がる素振りを微塵も見せていない。フェンリルに至っては、犬の様に尻尾を振っているではないか。
(そんな風に尻尾を振ってるから、狼じゃなくて犬と間違われるのよ……!!)
兄二人の、意外な趣味を目の当たりにしたヘルは、兄達に対して途轍もない軽蔑の念を抱く。まさか二人揃って、小さい女の子に弱いとは、思ってもみなかったからだ。おまけにフェンリルは、狼ではなく犬と間違われても、満更でもなさそうな表情すら浮かべている。
自分とあの少女に対する扱いに、天地の差が生まれている事に対して、ヘルの怒りが頂点に達しようとしていた。
その時、彼女の頭の上と手元にいる、コカトリスとバジリスクが、その少女の元へ行こうと、ヘルの手の中でモゾモゾと動いている事に気付く。
「ん、どうしたの? ひょっとしてあの子がラファエルって子なの?」
「ピィ~ッ」
コカトリスは、ヘルの言葉を理解しているのか、落とすまいと指で捕えようとするヘルに向かって、自分達の邪魔をするなと言っているようにも見えた。
その時、頭の上からバジリスクが、コカトリスの背中にポトリと落ち、その様子をジッと見るヘルの掌から、小さい羽をはばたかせながら飛び降りた。
飛ぶと言うよりは、滑空していると言った方が正しい飛び方で、二匹は無事床に着陸し、おぼつかない足取りのまま、羽の生えた少女に近づく。
フェンリルとヨルムンガンドが、コカトリス達に気付き顔を持ち上げて、まだ幼い二体をジッと見つめる。その二体の視線を辿って、羽の生えた少女がコカトリス達を、彼女自身の視界に捉えた。
「あ! 何でこんな所にいるの!? 出てきちゃダメだって、あれほど言ったのに……」
そう言いながら少女は屈んで、コカトリスとバジリスクを掌の上に載せる。その様子を見ていたヘルは、羽の生えた少女に近づきつつ、その二体を見つけた時の状況を話し始めた。
「きっとお腹が空いていたんでしょう。ピーピー言いながら、あの広い廊下をチョコチョコと歩いていたから。……この子達が何を食べるのかは知らないけど」
「あの……貴女がこの子達を?」
「えぇ、私は『クローズド=ヘル』っていうの。ご主人に言われて、『ラファエル』と言う天使の子に、その子達を渡しておいてくれって言われたのよ。貴女がラファエルだって分かったのは、その子達が貴女を見て反応していたからなの。それと……私のバカな兄貴達が迷惑かけてるわね」
「えっ、お兄……さん?」
ヘルが侮蔑の目線を向ける先を、ラファエルが目で追いかける。その先には、目を瞑ったまま横になっている、フェンリルとヨルムンガンドの姿があった。
ラファエルは、どこをどうしたらこんなにも似ていない……もとい姿形自体が違う三兄弟が生まれるのかと、不思議そうな目でヘルを見つめている。その視線に気づいたヘルは、ラファエルの頭を撫でて少し笑った後、兄達の元へと歩み寄っていった。
ラファエルは、掌に乗っていたバジリスクを自分の頭の上に乗せ、コカトリスの頭を撫でながら、フェンリルとヨルムンガンドを怒鳴り散らすヘルを見て、誰にも聞こえない声量でポツリと呟いた。
「兄弟って……良いなぁ」
『ピィ?』
『クルル……?』
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