叡智の紙園 ~エイチノカミゾノ~

ACROS

序章 主と少女と超生物

主の悩みは尽きない 壱

「緊急速達! Dゾーン・モンスター『ガタノゾア』及び、Bゾーン・モンスター『ケートス』が内部施設を破壊! 両者、接触しました!」


「支援要請! Xゾーン・モンスター『ヘカトンケイル』と、Wゾーン・モンスター『ゴリアテ』が施設内部で接触! 被害甚大です!」


 いきなり喧しく鳴り響く、サイレンの様な音。アナウンス的な口調で語られるのは、神話や伝説に出てくる化物達の名前。


 そのサイレンやアナウンスを、耳を塞いだ状態で、聞いている男がいた。


 毎度の事で慣れているのか、彼は「またやってるよ…」と言いたげな表情で、深く溜息を吐いた。


(また…。いや、逆に何もない方が、かえって不気味か…?)


 (それはいい加減、自分の感覚が麻痺している所為だろう)と、男は胸中で自分に言い聞かせる。


 そして、化物達を収容している施設を映すモニターを、疲れきって呆れたような目で見つめる。


 この男の名は『レイジー=リアス』。


 もちろん彼が見つめるモニターには、アナウンスで名が挙がった化物と思わしき、人のなりとは言い難い化物達が、争っている様子が映っている。


 この化物達を、カメラごしに見つめている彼は、見ての通り『管理者』という立場にある。管理する対象はもちろん、カメラに映っているような化物達だ。


 では、この化物達を管理している場所は、一体どこなのか。


 管理者であるレイジーは、ここを『叡智の紙園』と呼んでいる。


 彼が一つの本や、少し物騒で愉快な仲間達と共にここを創り上げた後、彼は『創造主』から『管理者』へと、自分の仕事を鞍替えしたのだ。


 そして現在――――自分の仕事を、安易に鞍替えした事に対して、非常に後悔している。


 自分が作った世界の管理をする事になったとはいえ、化物達が全く言う事を聞いてくれない。


「…犬みたいに、大人しくはならねぇよな。神話に出てくるケルベロスですら、俺の言う事を聞いてくれねぇもんな」


 レイジーは溜息を深く吐いた後、小さくボソボソと詠唱を唱え始めた。


 そう、彼は魔法を駆使して、ガタノゾアやヘカトンケイルといった、人智が生み出した化物達を管理している。


 彼が得意とする魔法は、瞬時にテレポートができる『転送魔法』と、『転写魔法』と彼が呼んでいる、少し特殊な魔法。


 その他にも、様々な魔法を扱う事はできるが、その二つに比べて、使う機会がほとんど無い。


「面倒だな…。あ、それならこうしてやればいいんだ」


 思い付いたような表情をした後、レイジーは呪文の詠唱を始めるが、とても人が話すときに使う言葉とは、思えないような言語だ。


 詠唱が終わったのか、彼の口元が動かなくなった瞬間。モニターに映っている、ガタノゾアとケートス、ヘカトンケイルとゴリアテの2組の様子が、先程とはうって変わって、狼狽えたような様子になった。


 するといきなり、モニターがホワイトアウトした後、光が徐々に引いていく。


 ガタノゾアとケートスを映すモニターでは、何かを威嚇するように、2体が咆哮を上げる様子が映っている。


 別のモニターでは、ヘカトンケイルとゴリアテが、明らかに動揺して、先程まで戦っていた互いの顔と、光が発生した方向を、交互に見ている様子が映されていた。


 その二組の怪物の反応を見て、「ふぅ…」と小さく息をついて、椅子に腰かけたレイジーは、そのモニターから2組のモンスター達を、面白そうに眺めていた。


 そして彼は、手元にあるカメラの操作盤を使って、撮影角度を変える。


 そこには、鏡に体を映したかのように、全く同じ姿をしたモンスターが対峙しているところだったのだ。レイジーはそのモニターを見て、満足そうに独り言を呟く。


「さて、この対戦カードは面白くなりs…」


「なんで施設の復元を優先せずに、化物にミラーマッチさせてんのよ!!」


「イテっ!?」


 レイジーが、同じ姿のモンスターが対峙しているモニターを見て、一人で楽しんでいた最中。不意にレイジーの後頭部から、『スパン!』と小気味の良い音が聞こえた。


 後頭部を叩かれた衝撃で、座っていた椅子から前方に飛び出したレイジーが、モニターに顔面から飛び込み、モニターと熱いキスをする。


 そんなみっともない姿を、見せつける様に露呈している、我らがあるじを見て、くれない色の髪と、みどり色の髪を持つ二人の少女が、呆れ果てたような表情でレイジーを見下みおろしていた。


 紅い髪の少女の手には、『あいぎす』とひらがなで書かれたハリセンが握られている。レイジーは、これで後頭部を叩かれたのだ。


 モニターから顔を話したレイジーは、ペッペッと汚い物が、口に入ったかのような仕草をした後、振り返って二人の少女達の名を言った。


「おい『ミネルヴァ』に『アテナ』! 部屋に入る時は、ノックしてから入って来いと、何度言ったら分k…」


 『ミネルヴァ』と『アテナ』は、二人ともローマ神話と、ギリシャ神話に語られる神だ。


 この髪と瞳の色が違うだけで、容姿がよく似通った二人。実は同一人物なのだが、レイジーの魔法で二人に分けられた経歴がある。


 その後、紆余曲折を経てレイジーに従い、ついてきている次第だ。…先ほどやり取りを見ての通り、従っているのは形だけだとは思うが。


 レイジーの言う事を遮るように、今度は額の上でピコッと可愛らしい音が鳴る。


 レイジーは、叩かれた額を抑えて前を見ると、いかにも怒った雰囲気の2人が、腕を組んで仁王立ちしていた。


 2人の腕の中で、『あいぎす』と『いーじす』と書かれた、ハリセンとピコピコハンマーが、途轍もない存在感を露呈している。


「今はそれどころじゃないでしょ! 大体アンタが出撃許可を出さないと、私達の武器だって、ハリセンとピコピコハンマーのままなんだからね!」


「貴方の遊び癖には、皆も手を焼いているんです! この際、私達が皆を代表して裁いてあげます!」


「そうやって、すぐに手を出すのはやめろお前ら!?」


 一向に減らず口を叩くレイジーに、ミネルヴァとアテナが、二人がかりで袋叩きに入った。最早、2人の主であるはずのレイジーには、一切の発言権が無くなっているようだ。


 叩かれて、殴られて、蹴られて、袋叩きが終わった時には、既にレイジーがボロボロになって、床に突っ伏していた。


 地面に突っ伏している状態のまま、レイジーが二人の足に触れる。そして、レイジーはゆっくりと顔を上げ、二人の顔を見上げた。


「そこまで言うなら…お前らが戦って来い。念のため助っ人も送るから、一緒に戦うんだぞ…。コピー共は引っ込めておくから」


「良いでしょう。行きましょうアテナ!」


「えぇ! 行くわよ!」


 二人の返事を聞いた直後、二人の姿が光の球体へと変化する。それと同時に、『あいぎす』が巨大な光の鎗へ。『いーじす』が、蛇の髪を持つ女性が刻まれた、黄金の盾へと姿を変えた。


 鎗と盾は、まるで磁石に引き寄せられるかのように、光の球体へと近付いていく。光の球体は、球体から人の容姿へと形を変え、引き寄せた鎗と盾を手に持つ。


 光に包まれた人型のシルエットが、二つの武器を持ったその瞬間――――光が爆ぜた。


「招来せよ―――『戦神 ミナーヴァ=アテナ』!」


「そんなボロボロの状態で言われても、いまいち雰囲気が出ないわよ…」


「一体どこの誰が、俺をこんな格好にしたと思ってんだ!?」


 レイジーの魔術によって、2人に分かたれた神が、再び一体化する事も可能だ。


 レイジーの反論になど、耳も貸す仕草も見せず、アテナは彼の目の前で、ハイヒールの踵を打ち付けて、床を踏み鳴らす。


 踵で床を踏み鳴らしただけで、轟音と共にレイジーの部屋の中で、旋風が巻き起こった。


「そんな苦情は後回しよ。さっさと私をそのモニターの場所へ転送なさい! さもないと、この部屋の中をめちゃくちゃにして…」


「分かった! 分かったから! これ以上この部屋を荒らすな!」


 威圧感たっぷりなアテナの眼光に、精神的にも肉体的にも気圧けおされたレイジーは、アテナに土下座しつつ、転送魔法の詠唱を始めた。


 するとレイジーの後ろに、彼と同じ身長ほどもある、非常に大きな本が、音もなく床から現れる。


 そして、その本の表紙がめくれ、色とりどりのページがめくれ…やがて、白く光るページが見えた時、本の動きが止まる。


「…ちゃんと助っ人ってのを寄越しなさいよ。アンタのせいで死んだら、アンタを一生呪ってやるんだから!!」


「不老不死が何言ってんだ。神様なんだろお前は……」


「う、煩いわね! あれよ…ア、アマテラスが、神様だって『タタリガミ』って神様になる時があるって教えてくれたのよ!」


 そう吐き捨てた後、アテナは足音荒く、そのページの中へと消えていった。


 そんなアテナを見送った後、レイジーがさらに短い詠唱を終えると、別のページが開き、紫色の光を放つページから、レイジーよりも大きな甲冑が、ガチャガチャと音を立てながら出てきた。


「……何事だ。なぜお前が、ボロ雑巾の様になっている…?」


「あぁ、その話は後だ。それよりも、あのモニターに映っている、あの女の子を助けに行ってほしいんだ。俺は直接戦えないから、行ってくれないか?」


「……そんな事をして、またブリュンヒルデに嫉妬されるのは御免だ」


「コイツは、王子アンタが思ってるような、卑怯な奴じゃない。この件は、俺から王子アンタの奥さんに話をしておくから、何とか助っ人を頼まれてくれないか。なあ――――『龍殺しシグルス=ジークフリート』の王子様」


 『シグルス=ジークフリート』と呼ばれた甲冑は、レイジーの頼みを前に、顎に手を当てて暫く考える。


 数秒だけ考えた後、全身を覆った甲冑が動き、レイジーの顔を、甲冑の隙間から蒼い双眸が覗いた。


 それと同時に、彼が背負っている『神剣 バルムンク』に手をかける。


「……よかろう。お前には私と妻を助けられた恩義もある。できる限り協力しよう」


「その返事を待っていた。この先にあの化物と戦っている女の子が待っているぜ。龍殺しの王子様」


 そう言ったレイジーは、本にアテナを転送したのと同じページを、詠唱して開かせ、ジークフリートをアテナの元へ転送した。


 レイジーはひとまず一段落した部屋を見回し、転送に使った本を消してから自分の席に、深く腰掛けた。


 モニターに映っているのは、もはや三つ巴の戦いになっているガタノゾアとケートス、そしてレイジーが転送したアテナだった。


 あの2体を相手に有利に戦うアテナを見て、ジークフリートを送った事が無意味に思えてきた時、画面奥の方向に、二つの巨大な影が見え隠れし始める。その2つの影は、人の姿をしていた。


「…ゴリアテとヘカトンケイルの争いが、ガタノゾアとケートスやアテナまで巻き込もうとしているのか。やっぱりジークフリートを送っておいて正解だったな」


「おや? どうしたのですかご主人。そのボロボロな有様は…」


 また、不意に後ろから声をかけられ、レイジーは後ろを向いた。そこには、三人の羽が生えた人間がいる。


 性別や外見が違えど、共通した特徴は頭に光の輪、そして背中から生えた立派な四枚の羽根であった。レイジーは、その三人を見て、少し驚いたような表情を見せた。


「おや、誰かと思えば。ウリエルと『熾天使』の連中じゃないか。お前達から俺の元に来るなんて珍しいな」


「ラファエルが私達に泣きついてきたんです。『ご主人の部屋から、男の人の悲鳴と女の人の声が聞こえた』と。もしやと思って、駆けつけてみれば…。やはり、そういう事だったんですね」


「な、なにがあったの…コレ。ご主人はボロボロだし、部屋はグチャグチャだし…」


 よく見ると、ウリエルの後ろに、今にも泣きだしそうな表情で、ラファエルが隠れていた。やはり、他の熾天使と同じように、幼いながらも四枚の羽根と光の輪がついている。


 レイジーは、ウリエルの後ろに隠れたままのラファエルと、同じ目線になるように屈み込んで、ラファエルを何とかして安心させる為の口実を考え始めた。


「あ、いや何でもないんだラファエル。ちょっと…そう、俺が掃除してなかったから、アテナとミネルヴァのお姉ちゃんに怒られただけだから気にするな。な?」


 必死なレイジーの視線が、「頼むから話を合わせろ」と言いたげに、ラファエル以外の熾天使達に注がれる。流石のウリエル達も困惑したが、口達者なガブリエルが、彼の話に合わせて先陣をきった。


「そ、そうそう! だからラファエルは、何も気にしなくていいのさ。ご主人が怒られてるのは、いつも見ている事だろう?」


「…昨日のおやつの時に、この部屋に入ったけど、その時は綺麗に整頓されてたよ? アテナのお姉ちゃん達と、部屋を綺麗にしたんじゃなかったの?」


 レイジーが嘘を言い出し、ガブリエルが話を合わせたが、ラファエルのその一言で、その場の空気が一瞬にして凍りつく。


 熾天使全員から、一身に視線を受けるレイジー。尤も、ラファエル以外から受ける視線は、明らかに視線の意味が違っていたが。


「…い、いやだからな。ラファエルが行った後、少しだけお仕事をしてたんだ。その時、こんな事になっちゃったんだよ」


 そしてレイジーが再び、「話を合わせろ」と代弁する視線を、ラファエル以外の熾天使達に返す。


 今度は半分呆れたような視線で、何かを見つけたミカエルが、ラファエルにも分かりやすいように、屈んで指差しながら話しかける。


「そうだよ~。ご主人はここの最近、かなり忙しいんだ。ほら、あのモニターを見ての通り、モンスター達が施設を壊して、モンスター同士で戦い始めちゃうからだって~」


「ふぅん…?」


 ラファエルが、そのモニターに興味を持ったのか、ミカエルと近くにいたガブリエルの手を引いて、そのモニター画面に近づいた。


 上手くいったかは別として、何とかラファエルの気をそらす事ができたと、レイジーとウリエルはホッと安堵の溜息をもらす。


「ラファエルの発言には、本当に肝を冷やしましたが、何とかごまかせましたね…」


「あ、あぁ…。絶対に本当の事は言えないもんな。言ったら何を言い出すか分かったもんじゃないし…」


「…このおっきい生き物、自分の体を斬られて痛そう」


「!?」


 特に何も考えないだろうと思って、レイジーが気にかけずに見せたモニターを、ラファエルが見て『痛そう』という感想を漏らした。


 その瞬間、隣にいたミカエルとガブリエル、ホッと安堵の溜息を吐いていたレイジーとウリエルの表情が、全員同時に固まったまま動かなくなる。


「……いかなくちゃ。アテナのお姉ちゃんと甲冑のお兄さんも結構疲れてる」


「ちょ、ラファエr……」


 ミカエルの言葉に耳を貸さず、彼女の隣にいたラファエルの姿が、一瞬にして消えた。唐突な事態に、レイジーも熾天使達もパニックを起こしてしまっていた。


 思い出したかのように、レイジーが狼狽うろたえるミカエルとガブリエルに、指示を出す。


「そうだ、ミカエル。ラファエルはどのルートで、アテナ達の所に行こうとしている!? アイツは小さいから、そう遠くまではテレポートできない筈だ!」


「わ、分かりました! やってみます!」


「それでガブリエル。お前はラファエルの居場所が分かり次第、その周囲にアイツを閉じ込める壁を創れ! アイツは壁を抜けてテレポートはできないからな」


「承知した。でもご主人、ラファエルは――――」


「居場所が分かりました! ラファエルの居場所は――――」


 2人が同時に、ラファエルについて話そうとした時、戦況の様子を映すモニターに、壁が吹き飛ぶ様子が映りこんだ。


 唐突な壁を吹き飛ばす爆発に、アテナとジークフリートが振り向くところも映っている。その煙の中から現れたのは…紛れもないラファエル本人だったのだ。


「早ッ!? アイツは長距離のテレポートが出来ないんじゃ…!?」


「ご主人、違うんです。ラファエルは途中で…」


 予想をはるかに上回るラファエルの到着に、レイジーが驚いていた。ミカエルが言いかけていた時、ラファエルの後ろに、もう1人の影があるのを見つける。


 筋骨隆々とした肉体と、頑強そうな鎧に身を包んだ、とても厳つい顔の男だ。レイジーは、この顔を見た時、ミカエルが言いかけていた言葉の続きを、容易に想像する事ができた。


「そう、この人です! ラファエルが、この人に話しかけているシーンが、頭に浮かび上がってきたんです! でもご主人…この人は誰ですか?」


「…『軍神 アレス』だ。ラファエルがアテナの事を、アイツに喋ったから、アレスが力を貸したって事かもしれないな」


「これは不味いね…。ご主人、一応確認しておくけど『なんでガタノゾアの時だけ、僕たちを投入しない』んだい?」


「あぁ。答えは、お前が考えている事と、大体は同じだ」


 アテナが持つ『イージスの盾』に刻まれた、蛇の髪を持つおぞましい姿の女性。これは『ゴルゴン』と呼ばれる怪物の目が、埋め込まれている。ゴルゴンのもつ能力は、『自身の顔を見た者を石化させる』という能力だ。


 一方でガタノゾアの持つ能力も、ゴルゴンと同じ『自身の姿を見た者の石化』である。


 つまり、ゴルゴンの能力を以てして、アテナはガタノゾアを見ても、石化せずに対峙している事になる。


 だが、力が半減している為、石化能力自身もいくらか弱体化しているのも事実だ。弱体化したガタノゾアの状態ならば、恐らくゴルゴンの能力の方が上手うわてだろう。


 なお、ジークフリートを助っ人に呼んだのは、ガタノゾアとケートスを相手にしているアテナの代わりに、ヘカトンケイルとゴリアテの相手をさせる為であった。


 石化への対抗手段を持たない者が、闇雲にガタノゾアへと挑めばどうなるか、容易に想像がつくだろう。


「急げお前ら! 俺があそこまで転送してやる!」


 急いで詠唱を終わらせたレイジーが、転送用のページを開き熾天使達に入るよう促した。


 レイジーに、無理やり押し込まれるような形で、熾天使達が入った後、レイジーもその中へと慌ただしく入っていた…。

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