超生物に対する考察 壱 


「何で……何でこんな事になったんだ? ついでに俺は、何でこんな事に付き合ってるんだ?」


「良いじゃないの。形はどうであれ、皆で敵の情報を共有する事が大事なのよ」


 若干だが、顔面が引き攣っているレイジーを尻目に、カエデは至って上機嫌だ。


 それもその筈、カエデは大衆の前に立った途端、上機嫌になる癖があった。逆にレイジーは、彼等を束ねるリーダーである重圧からか、完全に表情筋が固まってしまっている。


 いつでも出発できる準備を、万全に整えたレイジーとカエデの周囲には、叡智の紙園内に住まう者達が大量に集まっている。


 カエデの提案によって、カエデが準備した配線の先に、液晶の大画面が用意され、その画面に映される視界を頼りに、かつての司令部内を探索する事となったのだ。


 つまり、探索系のゲームに似た感覚で、カエデは敵の情報を共有しようと言い出したのだ。


 スタート地点は、紙園内にある屋敷の中庭。


 ルールは、対象となる生物に対して、一切の攻撃をしてはならない事。そして可能な限り、その生物に関する情報を、最大限に引き出す事が第一とされた。


 脱落と判定される基準は、その生物に生身の人間と間違われて捕食される。またはその生物からの攻撃によって、機械が操縦不能及び、蘇生ができない状態になった時とした。


 更に野次馬達を沸かせたのは、脱落と判定する者達を、完全ランダムで、野次馬達の中から選ぶと言う物だった。


 そして、その判定する者達が、カエデの手によって三人選ばれた。


 一人は『クローズド=ヘル』。二人目は『エンブーレ=ハデス』。そして最後の一人は『天照大神』となった。


「えっ、私がやるの?」


「ぬぅ……。人前に出る事は、あまり好き好まない性質なのだが……」


「あらあら……私ですか?」


 ヘルとアマテラスは、少し困惑しながらも、判定員の席に着いたのに対して、ハデスは渋々と言った感じで、一番遅く判定員の席についた。


 いつも持ち歩いている大鎌を、自分の傍にある壁に立てかけたハデスだけ、一度だけ席を立つと、フードを目深に被り直してから席に再びつく。


 そんなハデスの様子を見て、レイジーも笑いそうになってしまう。しかし、ハデスのフードの影から赤い眼光が、一瞬だけプレイヤー席にいるレイジーのみを捉えた。


(あ、ヤッベ……。なんで俺だけ、こんなに目を付けられてるんだよ……)


 目が赤く光った時は、多少なりともハデスが怒っている証だ。レイジーは、前々からハデスの事について、ペルセポネから、色々と教えてもらっている。


 彼は、色々と根に持つタイプではないと、ペルセポネから聞いているが、明らかに見た目からしても、色々と根に持っていそうなタイプの臭いがしていた。


 レイジーには、これが今後の判定に影響が出ない事を、ただ祈る事しかできないが。


『さて……我らが主『レイジー=リアス』の知人『風木 蓮華』さんの提案で、急遽このゲームが始まりました! 久方ぶりの大型イベントに、みんな盛り上がってますね~! 今回の記録兼実況役は、『ゲルホンテ=ヘルメス』がお送りします!』


 大音量に設定されたスピーカーから、ヘルメスの声が中庭中に流れている。


 マイクやスピーカーを、つい先ほど初めて見た筈なのにも関わらず、完全に自分の物として使いこなしている。カエデは、彼の天才的な才能に、ただ感心するしかなかった。


「凄いわね……ちょっと使い方を教えただけで、もう使いこなしているわ……」


「ヘルメスはそう言う奴だ。一度でも理屈を覚えれば、大体の事は普通にこなせる。……ああいう奴を、本物の天才と呼ぶんだろうな」


 やたらマイクを気に入ったのか、妙に熱を持った喋り方をするヘルメスを見て、少しだけ笑うレイジー。


 ヘルメスの熱気を受けて、野次馬達のボルテージも徐々に上がっていく。最初は、あまり乗る気ではなかったレイジーも、その雰囲気を見て、これはこれで良いか……と思い直し始めていた。


『ではそろそろ。会場を盛り上げる余興もここまでにして、本命と行きましょう!』


 ヘルメスの振りから、レイジーとカエデは、自分達の席に座る様に促される。二人が席についたと同時、ヘルメスがいきなり、判定員として選出された三人に、一人ずつマイクを向けた。


 まず、ヘルメスのマイクが、真っ先に向けられたのは……ヘルだ。唐突に向けられた棒に、彼女が困惑していると、一旦マイクを自分の口元にあて、まるで手本を見せるようにヘルメスが喋り始めた。


『ではまずヘルさん。この二人……片や私達の主と、未知数のプレイヤーですが、どちらが優秀な働きをすると予想しますか?』


『え、えぇ~っと……私達のご主人じゃないですか? 色々と何をさせても万能な人ですし……』


『なるほど……。確かにご主人は万能ですから、ありえない話ではないでしょう。ですが……相手は謎の生物。例えご主人とは言え、何もかもが定石通りにいくとは限りません。では次、アマテラスさん!』


 ヘルの予想に、自身の感想を述べた後、ヘルメスは隣に座るアマテラスへと話を振った。


 ……アマテラスは、ニコニコしているだけで、一切言葉をしゃべらない。


 マイクを向けても、全く言葉を発さない彼女の様子に、ヘルメスが困惑していると、野次馬の中からスサノオが飛び出して、ヘルメスに耳打ちを始める。


 その話を、頷きながら聞いているかと思えば、納得したような表情をするヘルメス。全て伝え終わったのか、ヘルメスの耳元から顔を放した。


『……あ、そうなの? え~、弟のスサノオ君に通訳してもらったところ、どうやら彼女もご主人を応援しているそうです! 理由は……ヘルさんと同じく、何をやらせても万能そうだから。スサノオ君ありがとね……』


 ヘルメスは、最後にボソッとスサノオに礼を言った後、彼を野次馬の中へと戻した。そして一息入れた後、再びマイクを強く持ち、声を大にして喋り始めた。


『一言も発さずに語ってくれたアマテラスさんは、生粋の大和撫子って事なのでしょう。では次の人に参ります。三人目の判定員に選ばれたエンブーレ=ハデス叔z……さんです!!』


『だから、まだそんな歳ではないと、何度も言っているだろう……』


 少々うんざりしたような声音で、ハデスがヘルメスに口を開いた。ヘルメスも、うっかり口を滑らせてしまった様で、ハデスにペコペコと頭を下げている。


『すみません、アテナさんの影響でつい……と、ハデスさんはどちらが活躍するとお思いで?』


『……レイジーではなく、小娘に賭けても良いと思っている。少しは面白くしてくれるのではないか?』


 ハデスの言葉に、野次馬も盛り上がった。その盛り上がり具合を見て、レイジーも面白そうに、コメントするハデスの様子を見ている。


「……ハデスの奴、口数が少ない割には、盛り上げ方が上手いな。まぁ、アイツはあんな顔して、実は女に優しいから、当然っちゃ当然か……」


「あ、あんな顔って……面と向かって言ったら失礼だけど、顔じゃなくて完全に骸骨じゃないの。……でも、場を盛り上げてくれた事には感謝しないとね」


「意外にペルセポネの面影と、お前を重ねてたりしてな?」


 「今でこそ丸くなった方だが、アイツもお前みたいな時があったんだよ」と言いながら、腹を抱えて笑いそうになっているレイジー。


 カエデは、ハデスの被るフードの下から覗く骸骨を見て、自分の肩を抱いて身震いした。


「わ、私はあんなの趣味じゃないわよ……?」


「そうそう、アイツも最初はそう言ってたんだよ。本当にペルセポネとそっくりだ」


 どうやら、ハデスと結ばれる前のペルセポネは、本当に彼を怖がっていたらしい。


 カエデの反応も、彼女そのものだった事が、よほど面白かったのか、レイジーは後ろを向いて小さく笑っていた。その事が面白くないのか、口を尖らせてレイジーに反論した。


「言っちゃ失礼なのは分かってるけど、趣味じゃないのは分かるでしょ!? そもそもペルセポネって人、私は見た事ないんだけど!?」


 カエデが、ペルセポネを見た事が無いと言った瞬間、レイジーは野次馬の隅を指さす。


 その指が指し示す先には、キョロキョロと周囲を見回す黒服の婦人がいた。その傍には、見るからにグロテスクな、これまた黒い服の道化が控えていた。


 その姿を見たカエデは、『あまり似てないじゃない!』と言いかかった言葉を飲み込んだ。確かに顔立ちこそ似ていないが、彼女から放たれるオーラ的な物に……カエデは自分と似通ったものを見る。


「……私も将来、あんな人が好きになっちゃうのかしら」


「さぁな。なんなら今から、未来予知の能力でもくれてやろうか?」


 まだあの言葉を覚えているのか……と、カエデはうんざりしかかっていたが、そんな事を構う素振りも無く、レイジーは懐からグリモワールを取り出して、ページを捲り始めた。


 無言で、グリモワールを閉じさせたカエデは、一発だけレイジーの頭を叩くと、自分の席に再び戻った。


「そんな事をする余裕があるなら、さぞかし良いプレイができるんでしょうねぇ……楽しみだわ~」


「精神的なプレッシャーをかけるのは止めろ。昔から、俺がそれに弱い事を知ってて、わざとやってるだろ……」


「あら、そんなのを禁止するルールは無くってよ。オホホホ……」


 いかにもわざとらしく、口元を手で覆って上品に笑うカエデに、レイジーは小さく舌打ちをする。


 不愉快な表情を見せたレイジーを見て、カエデはニヤリと笑い、額に欠けていた作業用のゴーグルを装着した。


それを見たレイジーも、操縦器を手に取り、右手を上げてヘルメスに合図する。


 その合図を見たヘルメスは、間を持たせるためのトークを止めて、大画面を指さした。


『両者とも用意ができた様です! さて……一体どんな敵が待っているのでしょうか!?』


 レイジーとカエデに、どこを見ても瓜二つの機械が、転送魔法による巨大な本の前に立つ。本は次々と、自分のページを独りでに捲っていき、やがて白いページを見せた。


 ヘルメスのアイデアで、野次馬達からカウントダウンの声が飛ぶ。徐々に近づく、ゲームスタートへのカウントダウンを前に、カエデの顔がレイジーの方に向いた。


「せいぜい、自分の身代わりを壊さない事ね!」


「ハッ、勝手に言ってろ! お前が逃げられたのは運が良かっただけで、今度はそう簡単にはいかねぇぜ?」


弐! 壱! 零! ゲームスタート!!


 スタートの合図と同時に、二つの機械が白く光るページに向かって前進する。小競り合いをしながら突入した、白いページの先には……


――――赤く染まる天井に壁。そしておぞましい数の死体が、床一面に転がっていた。


 いきなり、そんな衝撃的な映像が映るとは、微塵も思っていなかった野次馬達は、思わず悲鳴を上げる。


 カエデもレイジーも、小競り合いをさせる操作を止めて、自分達の機械が映す、凄惨な現場を茫然と見つめる。レイジーは、自分の機械を引き返させようとするが、寸でのところで思いとどまった。


「あのコレ……僕の負けで良いんで、引き返してもいいですか?」


「そんなの許される訳ないでしょ!? ど、どうなってるのよ……私はこんな光景見てないわ!」


 そう言ったカエデは、自分が転送されてきた白いページの後ろに、力ずくで二つに裂かれた防護フィルターを見つける。


 ここでカエデは、あの生物に追いかけられ、間一髪のところで喰われかけた。あの姿を、頭の中で思い出しただけで、ゾッと全身の毛が逆立つような思いになった。


 しかも、床に転がっている死体の群れは、全て頭や四肢のいずれかが欠落している事もあり、場合によっては胴体を食い荒らされ、四肢しか残っていない死体もあった。その地獄絵図は、お化け屋敷など、全く比にならない程の恐ろしさを醸し出している。


『……コ、コレが未知の生物の生態でしょうか。かなりの残虐性が、おびたたしい数の遺体から伺い知れますね……』


 流石のヘルメスも、これには実況に困っている。


 赤色に点滅する電灯に照らされて、床・壁・天井のいずれにも、何かを突き刺したような無数の跡がある。


 たった一体で、この数の跡を付けるのは、よほどの時間をかけない限り、ほぼ不可能とみて間違いないだろう。敵は多数……その事実を知ったレイジーの額から、張り付くような汗の嫌な感覚を覚える。


 ちらと、徐にカエデを流し目で見てみたが、やはり彼女もレイジーと同じことを思っているようで、額から噴き出した雨粒よりも大きめの汗が、頬を伝って落ちていた。


「ハッ、怖気付くのはまだ早いぜ? 開始してから、まだ数分も経ってないんだからな!」


「強がるのも今の内、アンタの方こそビビるんじゃないわよ!」


 もはや情報調査のゲームではなく、肝試しにも似たゲームになりつつあった。その時ふと、カエデの脳裏に上官の姿が思い浮かぶ。


「……上官。そうだ、上官を探さなくちゃ!」


「無茶をいうな。この死体の数を見て、あのオッサンが生きている確率なんて万に一つもねぇ。頭を喰われてたら、本人かどうかの判別もつかねぇんだ。……酷な話だが、死んでると思った方が良い。覚悟しとけ」


「…………」


 確かにレイジーの言う通りだ。これだけの残虐性を持っている生物が、たった一人の男を、はいそうですかと、簡単に見逃すわけがない。


 仮にも相手は生物なのだろうが、その習性や痕跡からは、まるで知性が感じられない。その生物にあるのは、獲物を追い詰める為に必要な知識と、残忍かつ狡猾に相手を仕留めた経験だけだ。


「……上官との通信が途絶しちゃったから、どうなったのか詳しい事は分からないわ。でも緊急の通信だったから、通信室か指令室からの通信である事に間違いはないわ」


「指令室か通信室の内部に、施設全体を監視するモニターもある筈だ。敵との対峙は、まずそれを確認してからだな。……道中で出くわさないように祈るしかないが」


 そう言った後、レイジーは片手を高く掲げ、人差し指を立てる。すると、野次馬の中から、バエルがレイジーの元へと飛んできた。


 なぜ自分が呼ばれたのか、何も分かっていない彼女は、目を点にしてレイジーをジッと見つめる。


『何の用だ主人。おせっきょーなら、アモンからいっぱい貰ったぞ?』


「いや、そうじゃない。お前に頼みたい事があって……」


『ハッ!? もしや昨晩のシュークリームを、こっそり盗み食いしたのがバレたのか……!?』


「それは初耳だな。お前、後で覚えとけよ?」


 自分の用件を、全く喋らせようとしないバエルに、レイジーは少しイラッとしている。レイジーが怖い顔をしているのを見たアモンが、遅れてレイジーの元へと飛んで来た。


『……レイジー様、私の主人がいかがなさいましたか?』


「……この施設に送り込んで、コイツをその生物のエサにしたい。異論はないな?」


『ホゥ、了解いたしました。早速手配させます』


『少しはお前も反論しろ! 仮にも私の執事だろ!?』


「食い物の恨みは、死ぬよりも恐ろしいんだ。特に甘いものになるとなおさらな」


 鋭い眼光で、レイジーに睨み付けられたバエルは、途端に先程までの威勢を無くしてしまう。


 いきなりアモンの後ろに隠れたかと思えば、アモンの服をガッチリと掴んで、離さなくなってしまった。


 そんな主の、どこからどう見ても情けない姿を見たアモンは、深く溜息を吐き額に手をあてた後、レイジーの方へと向き直る。


『……レイジー様、一つだけお言葉ですが、ご冗談はお止めください。恐らくは私の主人の、透明化する能力を使いたいだけなのでしょう?』


「……これだけの会話で、それがよく分かったなアモン」


『知っていた上で、手配するとお答えしたのです。さぁ、バエル様。ここで活躍できれば、貴女様に対する周囲の評価も、軒並み跳ね上がる事でしょう。自信を持って行ってらっしゃいませ』


 バエルに対する周囲の評価が、軒並み跳ね上がると聞いた瞬間。バエルは途端に威勢を取り戻し、アモンの後ろに隠れるのを止めた。


 腰に手をあて、踏ん反り返るが如く、偉そうな態度をとるいつもの彼女だ。


『フッフッフッ……。コレを主人の命令どーりに熟せば、アタシの評価も、全部元どーりに……フッフッフッ』


「……コイツは見ての通り、夢見心地の状態だ。いつどんな失敗をするか、分かったもんじゃない。お前もソッと後ろで待機していてほしい」


『……了解しました』


『あぁっと!? 主には何か策があるみたいです! 二体の大悪魔をむこう側に召喚する気なのか!?』


 興奮気味に実況するヘルメスをよそに、アモンは了解の意を告げると、バエルの手を引き、その場から身を引いた。二人が去った事を、ちゃんと確認したレイジーは、機械を操作して、グリモワールを取り出させる。


 そして自分の手の動作と連動させ、二つのグリモワールを前に、二人の所有者が、彼女達を召喚するための紋章を、虚空に描いた。


 先に出来上がったのは、金色に光る紋章であった。レイジーは、その紋章がどちらの紋章シジルであったか、少しだけ考えた後に、深く息を吸い込み、両手を合わせて召喚の呪文を唱える。


「えぇとこの紋章は確か……。エルロイズ・イェル・ザ・レイズ我は求め訴えたり。ソロモン王に仕えし72の悪魔よ。求めに応じて、我の元へと顕現せよ。不可視の偉大なる第1位『フロッグス=バエル』!!」


 宙に描いた紋章シジルが、召喚の呪文を唱えた途端、地面へと映り込み、その場に金色のシルエットを作る。しかし、それは幼い女の子のシルエットではない。


 そのシルエットが、金色の光を振り払う様に腕を振るった瞬間、金色の光はいきなり失われ、その光に包まれた姿が目に飛び込んできた。


 制限を解除されたバエルの姿を、モニター越しに見た瞬間、カエデの口から自分でも気が付かない内に、ある言葉が出てしまっていた。


「いよっし! バエルで当たってた!」


「……負けてる。色々と」


「負けてる? 一体何がだ?」


「……えっ、私何か言っちゃってた?」


「いきなり負けてるって……一体どうしたんだお前? もしや勝負を降りるのか?」


「ち、違うわよ!! 無意識の内に、言葉が出ちゃっただけよ……」


 そう言って、強く否定はするが、深く答えようとはしないカエデを妖しく思いつつ、レイジーは二つ目の紋章を描き、再び手を合わせ、大きく息を吸った後に、もう一つの呪文を唱えた。


エルロイズ・イェル・ザ・レイズ我は求め訴えたり。ソロモン王に仕えし72の悪魔よ。求めに応じて、我の前に顕現せよ。強欲なる智の第7位『アムンニクス=アモン』!!」


 呪文を唱えた直後、巨大な日本の腕が、宙に描いた紋章シジルの縁を掴み、巨大な体が紋章の内側から出てきた。それは、先程の紳士的な容姿のアモンとは程遠い者……もはや別人であった。


 レイジーそっくりに変身した機械が、見上げなくてはアモンの顔は見えない程の大男。体の大きさは、バエルなどとは比較にもならない。


 アモンの変貌ぶりを、モニター越しに見ていたアレスが、半分茫然として見つめていた。


「……負けた。見事な鍛え方をしているな……。今度鍛え方を教えてほしいものだ」


「アンタが注目するところは、それだけなのね……」


 彼の隣で、アテナが深い溜息を吐いて、呆れたような視線をアレスに投げかける。


 もちろんアテナは、アレスとは違った面に着目していた。


 レイジーの近くにいれば、自ずと悪魔達とも面識ができてくる。しかし、制限を解除された悪魔達を見たのは、アテナにとって今回が初めてだった。


 バエルもアモンも、制限を解除すればその辺の神よりは何倍も強いと、前々から噂でも聞いていた。だが実際に目にした二人の姿を見て、ミネルヴァがある事を呟く。


「能力制限を受ける程の強力な力。アモンさんは見ての通りの、並外れた怪力だろうと、簡単に察しが付くでしょうが……バエルちゃんは一体なぜ?」


「さぁね。何の力があって、能力を制限されているのかは知らないけど、恐らくお頭が弱い子が使うと、とても危ないからじゃないかしら?」


 適当な受け答えをするアテナに溜息を吐き、ミネルヴァは反論を口にしようとするが、うまく言葉にできない。


 お頭が弱い事は周知の事実であり、本人も指摘されれば怒り出す程度の認識もある。彼女がバカだと、ただ肯定するつもりはなくとも、自然と反論ができない。


 そんな野次馬のやり取りなど、露も知らないバエルは、得意げに人指をパチンと鳴らして、自分の姿を消してみせた。


『フッフッフッ。この力を使って、今すぐお前達を透明に……あれ、なんでアタシが透明になってるんだ?』


「自分で自分を透明にしておいて、今更何を言ってんだ……」


 能力制限を解除した状態で、バエルを召喚して早々に、自分の能力をまともに扱えていない痴態を晒してしまう。


 アモンに至っては、主にかける言葉すら失っており、額に手をあてたまま、壁に巨体がもたれかかっていた。


『あぁ、あの頃の栄光を取り戻せるのは、一体いつの事になるのやら……。先を考えた私の頭に激痛が……』


『なんだ、体の調子が悪いのか? それなら無理して付いて来なくても、別に良かったんだぞ? 主人、今すぐアモンを戻してやってくれないか?』


「アモンの体の調子じゃねぇ。お前の頭の調子がずっと悪いんだよ」


 聞こえもしない、バエルを映すモニターに向かって、レイジーがツッコミを入れる。


 レイジーそっくりの機械の拳が、バエルの頭に向かって振り下ろされる。それを避けそこなった、彼女の頭上へと、レイジーそっくりな機械の拳が直撃した。


 拳をくらった瞬間、頭を押さえて悶絶する。それもその筈、この拳は肉体ではなく、金属でできているのだ。鉄の塊と化した拳を頭にくらって、悶絶しない者はいないだろう。


『……恐らく急がねばならないのでしょう。そうでもしなければ、忽ちにして化物の餌食となってしまいます』


『そ、それは嫌だ……。ほ、ほら! アタシを殴る暇があったらさっさと行くぞ!』


 アモンの一声で、バエルは全員の姿を空間に溶け込ませる。透明になった自分の手足を見て、興奮気味にカエデが声を出した。


「す、すごい……コレが俗に言う、透明人間って奴なのね!」


「透明になった事に、興奮するのは人の勝手だが、声や物音は向こうにも筒抜けだからな? いくらバエルでも、それは隠せないぞ」


 流石は72の悪魔全てを使役する、グリモワールの契約者といった所か。一人一人の悪魔が性格や行動、更には能力の弱点も把握している。


 バエルの能力も、流石に声や物音を隠せるほど、万能ではない。物音が、化物にも聞こえると知れた瞬間、カエデは興奮が収まってしまった。


 そしてお茶を濁す様に、一つ咳をした後、再び操縦器を握り、ごまかす様な事を口にする。


「と、透明人間ってのは、本や映画だけの話だと思ってたから、別にはしゃいだってかまわないじゃない!」


「いやだからな? はしゃいだり興奮するのは勝手だが、物音を立てるなと、俺は言ってるんだが……?」


「ちゃ、ちゃんと聞いてたわよ! 要は気付かれないように動けって事でしょ?」


 さっきの話を聞いていなかったのかと、レイジーに思わせるような失言に気付いたカエデは、慌てて取り繕ったような発言をする。


 取り繕った感丸出しな発言だったが、ちゃんと要点を押さえていた為、反論らしい反論ができない。納得がいかないまま、レイジーは首を縦に振るしかなかった。


 指令室へと続く道の途中、死体の中に混じって、通路を横断するような形で、綱のようなものが横たわっていた。


 物音を立てないようにと、バエル達に合図した後、静かにその綱へと近づく。その綱のような物の周りに、これでもかと散乱している死体を退け、その横たわっている綱の正体を見た。


「……ッ!? コ、コイツは……!!」


 死体をかき分けて現れたのは、血に汚れた甲冑の様な甲殻。金属光沢とまでは呼べなくとも、確かに血に塗れた電灯の光を反射していた。


 更に死体を退けると、腐食しているのか、体の一部が欠落していた。甲殻は腐食の影響すら受けないのか、血に塗れながらも、変わらない輝きを放っている。


 その甲殻の持ち主は、既に力尽きているのだろう。レイジーが触っても、身動きの一つもしない。


 少なくとも人ではない、この謎の生物らしき正体を把握しかねていた時、バエルが鼻を利かせて、この周囲に変な臭いが立ち込めている事に気付く。


『この臭い……人間の血じゃない。別の臭いが混じってる』


『……確かに。この臭いは人間の血ではありません。バエル様、よく分かりましたね』


『お前は本当に、私を主人だと思っているのか……?』


「……らしいわよ。この周囲に何かあるかもしれないわ」


「探してみるか。バエルが珍しく鼻を利かせてるんだしな」


『人間の血じゃない……? 大悪魔達が、何かに気付いたみたいですね。さてご主人とカエデさんは、一体何を見つけるのか!?』


 今の今まで、彼女が鼻を利かせた事など、一度たりとも無かった。だがそんな彼女が、アモンよりも先にこの臭いに気付いた。……という事は、何かある可能性がある。


 レイジーとカエデは、血に汚れた廊下の中を見渡していると、電灯が照らす場所に、赤くない液体が垂れている事にレイジーが気付く。しかもまだ乾燥していない。


「なんだこりゃ……紫色の液体?」


 その液体の出所は、死体の山で埋め尽くされている。レイジーは意を決して、その死体の山を再び脇へと退け始めた。


 すると十数秒も経たない間に、その液体出所が明らかになった。この綱の様な生物が突き破った、鉄の壁の隙間から漏れ出ている物だった。


『……獲物追い詰める為とはいえ、あそこまで狡猾な生物が、こんな非効率的な事をするでしょうか。私にはとても思えません』


『……単に壁を突き抜けたい気分だったんじゃないの?』


『人が真剣に推察している時に、そういう水の差し方は止めてもらえませんか?』


『なんだその言い方! アタシだって考えてるんだぞ!』


「口では何とでも言える……つってな」


 二人のやり取りを見て、少なくともレイジーは、考えてるか考えていないか、分からないような答えをはじき出すバエルの頭は、全く参考にならない事を理解した。


 だが、アモンの言った事は、確かに的を射ている発言だった。この横たわっている生物は、一体何が目的で、施設内の壁を突き破ったまま、こうして息絶えているのだろうか……。


「……ん? 今度は壁に、傷がたくさん付いてるな……」


 レイジーが頭を上げた時、突き抜けた生物の体の上あたりに、激しく摩耗した鉄板を見つけた。恐らくのた打ち回ったか、暴れたのだろうと予想はできる。鉄を貫ける程の強度を誇る、頑強な甲殻を持ってるのなら、鉄だけが摩耗してもおかしくはない。


 ……となると今度の問題は、何があってこの体勢のまま、いきなり暴れだしたのか、という事になる。


「この辺りは、迷路のように通路が張り巡らされているから、それを煩わしく思った化物が、ちょっと無理をして突き抜けただけかもしれないわよ?」


「それが当たってるなら別に問題はないんだ。……別に問題はな」


 コレを、生態や気まぐれとして見ているのならば、コレ自体は大した問題でもない。だがレイジーには、コレが生態や気まぐれの一つであるとは考えられなかった。


 暫く考え込んだ後、再びレイジーは腐食が始まっている箇所を、まじまじと見つめ始めた。それに倣ったカエデ達も、腐食の進んでいる箇所に目を凝らした。


『……レイジー様、私達と意思疎通はできませんか。やはり仕草だけで理解するには、少々厳しいものがありますので……』


『……すまねぇ、それをすっかり忘れていた』


 アモンに指摘されて初めて、グリモワールの力を駆使して、バエルとアモンに念話をし始める。ゴホンと咳をした後、レイジーは機械の腕で、その腐食している箇所を指さして言った。


『この箇所で著しく腐食が進行している。腐食ってのは本来、生命活動が続いていれば、そう簡単には起こり得ない現象だが……』


『そんな基礎中の基礎は、誰でも分かってるのよ。……つまり何が言いたいわけ?』


『つまり、この傷跡があるって事は――――コイツが『共喰い』をしたんじゃないかって可能性があるって事だよ』


『……ホゥ? しかしカエデ様は、一種類の化物としか対峙していないではありませんか。どこに二体目がいたと言うのです?』


『いや違う。カエデは既に……『二体目の化物』と遭遇していたんだ。一体目は追いかけられた時の個体。そして二体目は――――デウスクエスに乗り込む直前にな』


『……つまり、まだ他にも同種の別個体が、この内部で生き残っていると?』


 レイジーは、カエデの話に出てきた、自分を追いかけてきた個体と、二機の格納庫で遭遇した個体は、全くの別物だと言い出したのだ。


 要はこの生物にも、ゴキブリの様な特徴があると言う事だ。普段は、人肉などの肉食性だが、必要とあらば共喰いもする。爆発的な増殖力が無くては、共喰いなど軽々しくできるモノではないだろう。さもなければ、あっと言う間に絶滅してしまう。


「もっと言っておくと、恐らくは二体目にカエデが出くわした個体は、別の個体と共喰いをした個体だろう。共喰いをすればするほど、この生物は大きくなるのかもしれないぜ?」


 レイジーの考察を耳にした者達が、誰一人として声を上げる事はなかった。

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