超生物に対する考察 弐 ~相棒の本心~


『……つっても。俺が言った事は全部、推測の域を出ない事なんだがな』


 共喰いをして巨大化するのが本当ならば、既にどこかで巨大化している個体がいるかもしれない。下手をすれば、その個体に襲われる可能性だって、確率がゼロとは言いきれない。


 例え、72の悪魔最強と噂されるアモンや、序列第一位のバエルがいたとしても、巨大化した化物が相手では、到底太刀打ちできる筈がない。


 物理的な攻撃は、先程の鉄より硬い甲殻によって阻まれ、化物に喰われてしまえば、どんな者だろうとそこで終わりだ。


『……ともなれば、炎や雷などの力が必要になるな』


『相手が変温動物である事を、大前提に考えていらっしゃいますが……果たしてそれが上手くいくでしょうか?』


『まぁ、それはまた別の時に考えるとして。まずは俺が言った推測の証拠からだ。施設内部に設置された監視カメラを見れば、様々な個体を見つけられるかもしれないしな』


『よ~し、それじゃ~早速、奥を目指してレッツゴ~!』


 そう言ったレイジーは、通路を突き破って横たわる謎の死体に背を向けて、指令室を目指し先を急ぎ始めた。そして彼の後を追う様にカエデ達が続く。


 最後尾のアモンが、ふと後ろを振り向く。しかしそこには何の変哲もない、凄惨な光景が広がっているだけだった。血を見慣れている大悪魔は、怪訝そうに首を傾げると、レイジー達の後を追った。


 アモンが去ってから数秒後、壁の向こう側から何かをすり潰す様な音が聞こえ始め、壁を突き破った状態で力尽きた化物の亡骸が、一瞬にして壁の向こう側へと、引きずり込まれるようにして消えてしまう。


――――すり潰すような音が消えたと同時。壁の向こう側から、ゲップの様な音が一回だけ聞こえた。



『ここまでは、順調に探索が進んでいますが、相手は鉄の壁を貫く化物。聴覚が発達しているとの情報もあり、鉄の壁を貫き、こちらを串刺しにする可能性も十分にあり得ます!!』


 縁起でもない事を口にする、ヘルメスの言葉を聞いて、レイジーは不意打ちの可能性を視野に入れる。聴覚が発達している相手に、バエルの透明化は意味がないのかもしれない。


『……温度で物を見る場合。バエルの能力は全く意味がないんだよな』


『え? も、もしかしてアタシ役立たず……?』


 震え声でレイジーに尋ねるバエル。だが、既にそうだと決まった訳ではない。彼女を連れてきた事は、恐らく間違いではないだろうとレイジーは思っていた。


『いや、俺は間違いではないと思ってる。実際にお前がいなければ、あの化物が共喰いするなんて、絶対に分からなかっただろうからな』


『ほ、本当か主人ますたぁ!? アタシ、役に立ってるか!?』


『バカ! 大声を出すなって!』


 そう言って、バエルがレイジーの背後へと、半泣きになりながら飛びついてきた。その一部始終を、全て見ていたカエデは、機械の操縦を止めて、自分の胸元に目を落とす。


「……やっぱり負けてる」


 カエデが軍に所属していた時は、周囲は男ばかりで女性は少なかった。従って、女性特有の問題を意識した事が、全く無かったのだ。


 中々の美形と評判が高かった彼女は、軍内部の女性が少ない事も手伝って、ナンパにも似た形で、男に言い寄られる事もあった。


 だが、男に負けない気の強さが、徐々に表へと現れるようになり、後にタックを組む事になるクレイから、『漢女』というあだ名を付けられた。彼とタックを組んでから、男に言い寄られる事も無くなったのだが。


 当時の彼も、カエデと同じく軍の中でも五本の指に入る程の、イケメンだと有名であった。カエデは彼と組む事になったの知って、人知れず喜びもしたが、カエデは彼の本当の姿を知っていく事になる。


 その中でも印象的だったのは、彼が致命的に朝に弱い事。軍内部は男性が圧倒的に多かった為、女性専用の部屋は用意されていなかった。従って、男女の二人一組で、一つの部屋が割り当てられる事になる。


 クレイと組んだ最初は、軍人が朝に弱くてどうするんだと、彼を叱っていた事もあったが、いつの間にか叱る事を止めて、彼を叩き起こす役になっていた。


 ……死亡した扱いになった後、彼女の傷心を察した上官が、新しいパートナーを組ませようとはしなかった為、広々と二人分の部屋を、何の遠慮もなく使えたのだが。


「あん? どうしたんだカエデ?」


「……ゴメン、ちょっと昔の事を思い出してた」


 レイジーの一言で、ハッと現実に引き戻された時、カエデは自分の心の中にある本心に気が付いた。


そっか……私はなんだかんだ言って、クレイといた時が――――何よりも一番楽しかったんだ。


 デウスクエスやアラストゥムの開発で、すっかり自分は満たされた気分になっていたが、それは自分への嘘だった。いつでも、どこに行っても、クレイがカエデの隣にいたのだから。


(私が……いつの間にか忘れてたんだ。クレイ……いいえ、レイジーがいないと、何をしても面白くないって)


 今の今まで、ずっと死んだと思っていた相棒は、こうして自分の目の前にいる。ずっと逃げ続けた現実と、やっと向き合えたと思った時、音も立てずにカエデの頬から水が落ちていった。


 その涙を、レイジーに悟られないよう、彼のいる方向とは逆の方向へと顔を向ける。しかし――――遅かった。


「おいおい……また泣いてんのか? お前、見ねぇ内に涙脆くなったな……」


「……何年来の付き合いだと思ってんの。本当に死んだと思ってたんだから、少しぐらいは……泣かせて欲しいわね」


「だからって今泣く奴がいるかよ……」


 顔をそらしたまま、そう言って目元を拭うカエデの姿を見て、仕方なさそうに溜息を吐いた。


 このまま、カエデをそっとしておくかと、レイジーが思った次の瞬間、彼らがいる通路の奥から、奇妙な鳴き声が聞こえてくる。


『ギリリリリリギィ!!』


『お、おっと!? この奇妙な鳴き声は一体何でしょうか!? もしや……例の化物の鳴き声なのでしょうか?』


 実況するヘルメスの声も、心なしか震えているように聞こえる。レイジーも呆れた表情から一変、画面の最奥部を凝視する。カエデも、急いで目元を拭いた後、レイジーと同じように画面に目を凝らした。


 その奥から、奇妙な鳴き声と共に現れたのは……カマキリだ。見た目こそ確かにカマキリだが、背中には虫の羽ではなく、鳥の翼がついている。


 さらによく見ると、鎌状になっている手は二対。足には薔薇の棘にも似た突起物が、びっしりと無数に付いていた。


 顔立ち自体はカマキリだが、目は蜻蛉のような大きな複眼になっている。互い違いに光る、無数の眼の集合体が、四人全員を捉えていた。バエルはすっかり怖気付いて、アモンの後ろへと一目散に隠れる。


『ヒィィィィィ……!! アモン助けてぇ~!』


『……ホゥ。確かにこれは……虫でも動物でもない生き物ですね。ですが、先程の死体や、カエデ様がお話になった内容に、こんな生物はいなかったように思いますが……?』


『そ、それはこっちが聞きたいわよ……一体何なのよコイツ等は……!』


『翼があるって事は、骨と外骨格の二つを併せ持つ生物なのか……? だとしたら、俺達の斜め上を行く進化を遂げた生物って事だが……』


 その化物は、アモンよりも優に大きい。彼が横に三人並んでも大丈夫そうな広さの廊下を、隙間なく封鎖できるほどの大きさがあるのだ。


 加えてこんな状態の彼等に、容赦なく二対の鎌が振るわれようものなら、間違いなく避けられるものではない。


 ……だが、その化物はレイジー達の様子を窺うだけで、全く襲ってくる素振りを見せない。


 その事を怪訝に思ったレイジーが、目の一つをジッと見ると、電灯の点滅に合わせて、こちらへ目線が集中している事に気が付く。


『そうか……虫の目だ。虫の目だから、こちらが十分に見えていないのかもしれないぜ!』


『え……? そうなの?』


『あぁ。コイツはきっと、電灯の明かりを頼りに物を見ているんだろう。物音に気付かれはしたが、コイツ等は俺達が見えていない。さっさと逃げr……』


 化物から目を離した、本当に一瞬の事だった。目を離した瞬間、何らかの風で自分の髪が揺れた事に気付いたレイジーは、何事かと前を向く。


 その目の前には振り下ろされ、鉄の床には砕けた電灯の破片が散っていた。大きな穴を穿った化物の大鎌も、ちゃんと鉄の床に突き刺さっている。画面を見ていた野次馬達も、ヘルメスも、レイジーやカエデも、全員が言葉を失った。


 レイジーは、こちらが立てる音を、聞き漏らさず感知する聴覚の他に、相手にある物を忘れていたのだ。


 レイジーは、グリモワールの力を使って、バエルやアモン達と話をしている為、もちろん声など少しも出せない。


 ともなれば、透明状態のこちらを感知する方法は、ただ一つしか残されていなかった。


「ま、まさか……。熱感知で物を見ているのか?」


 グリモワールの力を使わず、自分の口からそんな言葉が、画面に向かって無意識に飛び出した。画面に映されている化物は、返答の代わりに、レイジーの顔を見ながら、もう片方の鎌を振り上げる。


 それを見て、熱で物を見ている事を確信したレイジーは、即座にグリモワールの力を使って、バエルとアモンに退避するように言った。


『に、逃げろお前ら! コイツは明かりを頼りに、俺達を見ていたんじゃない……電灯の熱を見ていただけだ!!』


『それを先に言いなさいよ~ッ!?』


『結局アタシ、役立たず~!?』


 全員が同時に回れ右をして、猛スピードで怪物から逃走を開始した。四人が、自分の目の前から逃げたのを見て、化物も奇妙な声を上げた後に追跡を開始する。


『キュリリリリリィッ!!』


 鉄の床を貫いた大鎌を引き抜き、足音荒げてレイジー達に迫る。追いかけられている最中、彼の脳裏にはある懸念が渦巻いていた。


『マズいな……。あんなに大きな物音を立てられると……!!』


『そんな心配してるヒマなんてないわよ! さっさと逃げる算段を考えないt……!?』


 カエデが悲鳴にも似た声で、レイジーを怒鳴りつける途中。グラグラと、いきなり鉄の床が揺れ始めた。


 その振動に立ち止まる四人。化物も何が起こっているのかと、立ち止まって周囲を見渡していたその時。


――――鉄の床の下から、奇妙な形をした棒が突き上げられる。


 歪に尖った先端と、変な括れがある柱の様な物体。最初は何事かと思ったが、咄嗟にレイジーが、突き上げられた棒が何なのかを悟った。


『今度は――――サソリの尻尾?! ここに移住してきた生物達は、一体どんな成長を遂げてんだ……?』


『私に聞かないでよ。私はあんな化物の飼育員じゃないんだから……』


 蠍の尾が、下の階層から鉄の板を突き抜けて、レイジー達を襲ってきた。ラッシュをかけるように、二対の蠍の尾が鉄の板を次々と突き破っていく。


 だが廊下を踏み鳴らす音が、化物の足音しか聞こえなくなった為、カマキリモドキの方向へと蠍の尾が進んでいく。


 レイジー達を追いかけていた化物は、カマキリの攻撃態勢をとって蠍の尾を迎え撃つ。


 モグラたたきの様に、互い違いに出入りを繰り返す蠍の尾を、大鎌の一閃が捉えた。


 二つほど、ぶつ切りにされた蠍の尾だった物が、透明な液体と紫色の液体を辺りに撒き散らしながら、ウネウネと穴だらけの床の上でのた打ち回る。


『紫色の液体……! そうか、やはりこの化物の血だったんだな』


 切られた蠍の尾の先端から、紫と透明な色の液体が、噴水の様に周囲に撒き散らされ、鉄の廊下を溶かし始めた。その液体を、頭からかぶったカマキリモドキの甲殻も、徐々に融解していく。


 溶けだした鉄の床の下、蠍の尾によって開けられた穴の中には、カマキリモドキに勝るとも劣らない程の大きさを持つ化物が潜んでいた。しかし、下の階層には電灯が無いらしく、その姿までは分からない。


 他に分かる事と言えば、暗闇の中からレイジー達を睨み付ける、不気味な一つの紅い目玉があるぐらいだ。


 すると、見せしめにするかの如く、もう一本の蠍の尾が、強酸によって薄くなったカマキリモドキの甲殻を貫く。


 腹を一瞬で貫かれたカマキリモドキは、耳が痛くなるような悲鳴を上げたが、その声も次第に弱々しくなっていき、最終的には声を発さなくなってしまった。


『アレは恐らく……即効性が強い強酸性の劇毒だろうな。あのデカさの化物が、ものの数秒で黙るって事は……下手をすればの話だが、掠っただけで俺達にとっては、十分すぎる致命傷かもしれないな』


『レイジー様……ここは一度、身を引くべきではありませんか? 集めるべき情報は集めきったはずです。ここは素直に身を引いた方が賢明かと』


 流石のアモンも、ここは危険と判断したのか、身を引くように進言する。その言葉に、レイジーは首を縦に振る他なかった。


『……仕方ないか。ここで撤退して再び策を講じた後、コイツ等の殲滅に移る。これで納得できるか?』


『話し合いの結果にもよりますが、今のところはそれで了解いたします』


 化物から庇う様に、バエルを遠ざけながら答えるアモン。下の階層にいるとはいえ、相手がどんな攻撃を仕掛けてくるかもわからない。


 全員が身構えた時、先程のカマキリモドキが、ぶつ切りにした蠍の尾が、その怪物の目の前へと垂れ下がった。すると、その切断された尾の断面が隆起し始める。


 それから数秒も経たない間に、隆起した断面が、元の蠍の尾を形作った。その驚異的な治癒能力に、レイジーは思わず目を見張る。


『コイツは驚いた……まさか自己再生の能力を持ってるとはな』


 実はこの治癒能力、レイジーが思っているような、特異的な能力ではない。


 プラナリアと呼ばれる、不思議な生物を知っているだろうか。体をどこから切断しても、切断された組織を完全に復元する生物だ。


 全身が復元可能な細胞でできている為、どこから切断されようと、切断などされていなかったように元に戻ってしまう。


そして――――切断された断片からも、同じ個体が出来上がるのだ。


 切断された蠍の尾の先端部分も、本体と同じように細胞を隆起させ始める。すると、みるみるうちに二つの断片が合体し、全く同じ姿の生物を形作った。


 その姿は、四足歩行の生物。頭部はライオン、オオカミ、トラの三種類の生物の頭がある。背中の部分は、亀の甲羅の様に硬質化しており、尻尾は蠍の尾が二又になっている。


 大体の姿形は、ケルベロスやマンティコアに、似通った特徴があるが、分裂するなどという特徴は、その二体には無い特徴だった。


『コイツ等、ちょっと反則的じゃないか? 弱点らしい弱点が見当たらないんだが……』


『アンタがこの化物の事は言えないわよ。存在そのものが反則的な本を持ってる癖に』


『まぁ、そう言われたら、俺からは返す言葉も無いんだが……』


 下の階層に一体、そして自分達の目と鼻の先ほどの距離に、『全く同じ個体』がもう一体いる。先程の戦い方を見ていたレイジーも、流石にこれは勝てないと悟った。


 先程はたまたま、カマキリモドキが標的になったが、今度という今度は、レイジー達の身代わりになってくれる者などいない。


 彼はカエデ、アモン、バエルの順番に顔を見合わせ、グリモワールの力を使って、精一杯大きな声を出した。


『……全員退避ィ!! これだけ分かれば、何か対策は立てられる!! 今は生きる事を優先しろッ!!』


 レイジーの一声で、四人全員が回れ右をして、化物に背を向けて一目散に走り出した。レイジーは懐から、グリモワールを取り出して、転送魔法の詠唱を始める。


 直線の廊下が、目測で500m程続いており、詠唱する為にグリモワールを見ながら走るには、十分すぎる距離だった。


――――後ろから、恐ろしい二体の化物に追いかけられている状態だが。


 余りの恐怖に、精神が耐えられなくなったのか、バエルだけが妙に足が速い。彼女は泣きながら、詠唱しながら走っているレイジーの背中に飛びついた。


『ま、主人ますたぁ! は、早くッ! このままじゃ、全員まとめて食べられちゃうって!』


『急かすなバカ野郎! 俺だって必死なんだよ!? ……どこまで詠唱したか忘れちまったじゃねぇか!!』


 バエルを怒鳴りつけた後、レイジーはまた詠唱を一から唱え始める。それでもレイジーは、バエルを背負ったままだ。


 自分達の主であるレイジーの、足しか引っ張っていない自分の主人を見たアモンは、再び深い溜息を吐いた後、少しだけ走る速度を落とした。


『……時間はいくらでも稼げます。ここは私にお任せください。レイジー様はその間に詠唱をお済ませになりますよう……』


『お、恩にきるぜアモン!』


 レイジーの返事を聞いたアモンは、急に立ち止まって踵を返す。振り向いた数十m先には、先程の化物が迷わずこちらに向かって走ってきている。


 アモンは首と肩の関節を鳴らし、巨大な両腕を鉄の床めがけて振り下ろす。するとアモンの両腕が、大きな音と共に鉄の床を貫いた。


 そしてアモンが力任せに、鉄の床を持ち上げ始める。ギシギシと軋む音を立てて、鉄の床が折れ曲がり、最終的には通路を塞ぐ鉄の壁となった。


 あまりの荒業に、その一部始終を見ていた野次馬達からも、ドッと歓声が湧き上がる。


「見てわかる通り、圧倒的な筋力の差ね。もし仮に、アモンと殴り合いになったら……アンタ確実に負けるわよ」


「ウムム……鍛え方が足りないのを認めざるを得まい。力ではなく、能力の方に頼り過ぎていたのかもしれんな」


 腕を組んで、自身の持つ力について、今一度考え直すアレス。しかし、アモンとアレスの両者を比べるには、余りにも両者が違い過ぎている。


「……まぁ。尤もな話をすると、この話を彼が聞いたら、『私と比べるなどとんでもない事です』とか言いそうだけどね」


「アモンさんの事ですから、確かにそう言いそうです。もしかしたら『私は私、アレス様はアレス様です。それではまるで、炎と水を比べているような物ですよ』とも言いそうですけどね」


「確かに。それもあり得るわね……」


 アテナとミネルヴァが、そんな話題で盛り上がり始めたのに対して、アレスはいまだに腕を組んでジッと考えていた……。


「力とは何か……か」


 野次馬同士のやり取りなど、欠片も知らないレイジーは、アモンの荒業に目を見張りながらも、転送魔法の詠唱を終える。


 詠唱が終わった事を、アモンに伝えようと、レイジーが後ろを向いた時、鉄の床に空いた穴を覗き込んでいたアモンが、踵を返して一目散にレイジーの元へと走ってきた。


『レイジー様、早くお逃げください!』


 一体どうしたんだと言おうとした時、穴の中から一対の蠍の尾が覗く。すると、下の階層にいた化物が、上半身だけを穴から出して、ジッとこちらを睨み付けていた。


 もしも、ここが一階下だったなら、間違いなくこの化物に、骨すら残さずに喰い殺されていただろう。


 だがここは、あの化物のいる階層よりも一階上にある。鉄の床では爪をひっかける場所も無く、そう簡単によじ登る事はできない。


 それを見ていたレイジーは、化物に背を向けて、自分が造った紙園へと続く本のゲートを指さした。


『見ての通り、コイツはこの階層に上がれない。弱点らしい弱点は見つからなかったが、少なくともコイツ等が合成生物ではないと分かった。それだけでも大きな収穫さ。さぁ、さっさと帰るぜ』


『それは別に構わないけど、結局勝敗はどうすr……!!』


 カエデが、言い終わるか終わらないかのタイミングで、ライオンの顔をした頭の顎が、唐突に外れたような動きをした。


 口の中にはもう一つ顎があり、それを開くともう一つ顎が……という様に、喉の奥の方まで続いている。その様子を見たカエデは、最初に襲われた蟹の様な化物を想起した。


『皆、伏せてッ!』


 カエデは有無を言わさず、皆を床に押し倒し、自分も身を投げ出すようにして床に倒れ込んだ。


 その直後、怪物の口から、あの時の化物が放出したものと、まったく同じ怪光線が放たれる。その光線は、前方向を横に薙ぐように放たれ、何かが軋むような音が聞こえ始めた。不意に響く不気味な音が、レイジーの恐怖心を大きく煽る。


『ちょ、ちょっと待った……コイツも話にあった、変な光線を吐けるのかよ』


『待ったも待たないも無いわよ! 相手は話が全く通じない相手よ!?』


 カエデは、素早く立ち上がると、腰に手をかける。しかし、そこに軍刀は無い。


 ハッとした後、正面にいる怪物を見ると、今正に二回目の光線を、こちらめがけて照射しようとしている最中だった。


『マ、マズい……ッ!!』


 カエデが、光線を避けようと動き出す前に、化物の口から光線が発射される。


 眩い光の線が、自分に向けて発射され、もはやこれまでかと思われたその時。レイジーが、懐からグリモワールを取り出し、彼女の前へと投擲した。


 宙を舞うグリモワールに、怪光線が見事に的中。しかしグリモワールは、鉄の様に切断されることはなく、鏡が日光を反射するように、光線をあらぬ方向へと反射した。


「咄嗟に思い出して良かったぜ……。グリモワールには、ありとあらゆる物理的な物をはじく力があるんだ。グリモワールが光線を弾いたって事は、何かしらの物理的な力で、発生している光線という事だな。少なくとも魔法じゃない弾き方だ」


 怪光線を弾いた反動で、叩き付けられるように床へと落ちたグリモワールを、機械に拾わせ、レイジーは得意げな表情を浮かべる。


 カエデは、改めて何でもこなす、万能な本の力を目の当たりにし、言う言葉を失った。出てくるのは、ただ呆れたような、感心したような溜息だけだ。


「……本当に何でもアリね。その本は」


「あぁ、まったくだ。どんな機能があるのか、使ってる本人が忘れるぐらいだからな」


 その会話を遮るかのように化物が、今度はレイジーの頭を狙って怪光線を放つ。しかし、レイジーがグリモワールを開き、『鏡反射ミラー・リフレクト』と呟くほうが早かった。


 怪光線がレイジーの体に触れる数秒前、彼の体を包むように魔法の壁が展開され、怪光線はその壁に衝突する。その衝突で発生した眩い光に驚いたバエルは、腰を抜かして床に倒れ込んだ。


 魔法によって展開された壁は、怪光線を取り込み続ける。そして、壁を突き破ろうとする怪物の怪光線を断つ様に、壁が怪光線を反射した。


 弾き返された光線は、放った速度をそのままに、怪光線を打ち消しながら、怪物の左目を射貫く。


 時間が経てば、傷が再生するとはいえ、やはり痛みは感じるのだろう。時間差で化物が痛みに耐えかね、耳を劈くような悲鳴を上げた。


『ギュグガァアァアァァアァ!?』


『今の内だ! さっさと逃げるぞ!』


 その言葉に弾かれるように、カエデが腰を抜かして床に倒れ込んでいるバエルと、半分茫然としているアモンの腕を引っ張って、二人を我に返らせる。


『ウエッ!? ア、アタシ……何しようとしてたんだっけ?』


『……ハッ!? も、申し訳ありません。私とした事が……』


『謝るのは後! さっさと飛び込まないと、あの光線に打ち抜かれちゃうわよ!』


 二人を追い立てるように、本のページの中へと押し込んだ後、自分もそのページの中へと片足を入れ、グリモワールを開いたまま、後退るような形でページの方向へと、ゆっくり近づいて来るレイジーに手を伸ばした。


『何でそんなにチンタラしてんのよ! 八つ裂きにされても良いの!?』


『真後ろから攻撃されたら、元も子もないのは、他ならぬ俺達だぞ!? 慎重すぎて悪い事なんてないんだよ!』


 怪物の動きに、細心の注意を払いつつ、グリモワールを開いたままで後退ってくるレイジー。


 余りにも彼が遅い事に、とうとう痺れを切らしたカエデは、レイジーが自分の手の届く範囲まで寄ってきた瞬間、彼の首元に手を回し、本の中へと引きずり込んだ。


 最後の悪あがきのつもりか、怪物が本に向かって、一筋の怪光線を放つ。しかし、カエデがレイジーを引き込む方が、わずかな差で早かった。


 扉を閉ざし、姿を消した直後、扉が存在していた場所を、怪光線が突き抜ける。失った左目を瞑った状態で、化物は扉のあった場所を、ジッと見つめていた。



『見事二人共ゴールいたしました!! 』


 機械なので呼吸しないが、もしアレが本物の自分だったら……と、想像しただけで寒気がした。


それはもちろんの事だが、カエデもカエデだ。相手も自分も機械だと思っていたのか、まるで一切の手加減が無かった。


「怖いな……女の本気ってのは」


「女を怒らせるとどうなるかは、私の相棒が一番よく知ってるはずよ? それとも……もう忘れちゃったのかしら?」


 「何ならもう一度、徹底的に教えてあげても良いけど?」と言いながら、レイジーを不敵に睨み付けるカエデの表情は、自分が姿を消す前よりも、気迫が増しているように感じた。


 間違って、そこで首を縦に振ってしまうと、間違いなく自分の生死に関わるので、レイジーはカエデから距離をとりつつ、無言のまま首を横に振った。


「あら、遠慮しなくたっていいのよ? どの道、貴方に実刑を受けてもらわなくちゃいけないから、拒否したって無駄よ?」


「なんでそうなるんだよ!? 俺が何か悪い事したか!?」


「無断で軍隊を抜けた。その上、上官やパートナーの私にも理由を話さず無断で欠勤……。少なくともこの二つは、処罰の対象になるわよね?」


「お前は俺を、てっきり死んだと思ってたって言ってたzy……」


「口答えは許さないわよ! 確かに死んだと思ってはいたけれど、実際にこうして生きているなら話は別よ。つまり無断で軍隊を抜ける行為にも、同時に触れる事になるわよね?」


 レイジーには、反論の隙が一切なかった。確かに自分が死ななかった事は事実であり、カエデの言っている事は全て理に適っている。


 だがそれでも、レイジーはかつての相棒に、サンドバックの如く、無抵抗にボコボコと殴られる事だけは、何としてでも避けたかった。


 確かに、カエデに対する申し訳なさが、全く無い訳では無いが、それでもやはり、彼女のサンドバックにはなりたくないという、逃走心が勝ってしまった。


「そ、そもそも俺達が所属してた軍隊は、現に壊滅しちまったじゃねぇか……」


「それはそれ。これはこれよ! 私はアンタが軍隊を抜けた時の罰則を与えるだけよ。軍隊の規律に則ってね!」


「んな滅茶苦茶な……」


 最早、口での交渉は不可能と悟ったレイジーは、カエデに悟られないように、ゆっくりと後ずさりをはじめる。


 カエデは、レイジーが動けないでいると勘違いしているのか、非常にゆっくりとした足取りで、こちらに近づいてくる。逃げるなら、距離の空いている今しかないと考えたレイジーは、唐突に自分の後ろへと駆け出した。


「あっちょ……待ちなさい!!」


「いいや、待たねぇよ! こうして再会できた事は、確かに喜んじゃいるが、お前にサンドバックにされる事は御免被るぜ!」


 グリモワールを、自分の物として使いこなす魔術師になっても、やはり元は普通の元軍人。そこそこではあるが、並の人間よりは足が速い。特に逃げ足ともなれば、足の速さとは話も別になる。


 カエデも慌てて走り出し、逃げるレイジーの後を追いかける。彼女の足の速さも、男であるレイジーにも負けていない。


「足だけは本当に速いんだから……!! いい加減にしないともっと酷い目に遭わせるわよ!?」


「ハッ! それがどうしたってんだ! 要は捕まらなきゃ良いんだろ?」


 涼しい顔をして、一目散に逃げ回るレイジーを、見失うことなく追いかける彼女の顔は、怒りの中に少しの喜びが混じった表情になっていた。

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