望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~

SIS

The Beginning of Distortion, Inheritance of Wisdom ~巣窟迷宮の魔術師~

第一話 迷宮の不審者




 巣窟迷宮エトヴァゼル。


 地下六層、暗黒の回廊にて。


 一組四人の冒険者パーティーが、光の無い迷宮の中を探索していた。


 一人はまだ年若い、幼さすら残す精悍な横顔の金髪の青年。もう一人は人生を一通り噛みしめた、青年というには年老いた、中年というにはまだ貫禄の足りない赤髪の男。


 青年はきっちりと着込んだ胴当てに分厚いコート、手には飾り気のないロングソードと盾という品の良い剣士装備、赤髪の男は使い古した革鎧を身に纏い、対して手にするのは歴戦を掻い潜ってきた事が窺える使い込まれた剛剣。何もかもが正反対に見える二人だが、息の合った動きで互いの死角をカバーするように前後を警戒している。


 その彼らに守られているのは、シーフの少女と壮年のクレリック。緑色のショートカットの少女は動きやすい軽装で、右手には松明。クレリックは周囲を警戒しつつ、両手で小ぶりのメイスを硬く握りしめている。


 一行の足元には、剣と盾を装備した人骨のようなものが転がっている。迷宮に潜む魔物、スケルトン。その残骸だ。


「……よし、敵の姿はねえ」


「ふぅ」


 周囲に、少なくとも松明の明かりが届く範囲で敵の姿が無い事を確認し、一行は緊張を解いた。青年が剣を鞘に戻す一方で、砕けた白骨を見繕っていた男が、残骸の中からナイフを拾ってシーフに投げ渡す。


「ほらよ」


「あんがと」


 受け取ったナイフを手の中で回転させて具合を確かめ、腰の鞘に戻す少女。一方、クレリックは散らばる人骨に向けて目を閉じると、軽くVの字を切った。


 それを見た男が律儀だねえ、と肩をすくめる。


「こいつら複製だろ? 本物の仏さんじゃないんだし、別に印を切るこたあねえんじゃねえの? ほら、消滅が始まった」


 男の言葉通り、散らばった白骨はパチパチと炭が燃えるように急速に炭化していくところだった。完全に灰の塊になってしまうと、ひとりでにぐしゃりと潰れ、溶けるように消えてしまう。後には僅かな金属片が残るばかり。それを目敏く見とがめたシーフが、手早く拾い集める。


「ちぇ、これだけか。しけてる」


「はは。まあ、性分というものです。仮初とはいえ、生き物のように動いていたものですから、どうしても」


「ふーん。ま、別に咎める訳じゃねえよ。個々人の考え方ってのがあるしな。で、リーダー。さっきから何やってんだよ」


「ん……」


 戦闘後の緊張をほぐす歓談に興じているメンバーの中で、独りだけ、青年は仲間の歓談にも加わらず落ち着かなさそうに周囲を見渡していた。鞘に剣を納めつつも、その柄頭には手が添えられたまま、戦闘状態ではないにしろ戦闘準備状態を維持している。


「いや……どうにも収まりが悪くてね。落ち着かないんだ」


「ああ? やめてくれよリーダー、あんたの勘はよく当たるんだ。そういう情報はきちんと共有してくれないと」


 青年の言葉を聞いて、男は解いていた警戒を再び張り巡らせた。シーフとクレリックも、びくっと肩をすくませて周囲を確認する。


 松明の明かりで暗闇を照らす。灯のオレンジ色の光の元に、黒い岩肌、うっすらと靄がかかったような迷宮の回廊が浮かび上がる。その中に、敵の姿はない。


 ふと、シーフの脳裏を閃きが過ぎった。


「……上?」


 天井を灯で照らす。


 六層は暗黒の回廊と呼ばれるだけの事はあって、床も壁も天井も、地肌がむき出しの黒い岩盤だ。階層の構造上鍾乳洞が出来る事もないようで、凸凹した黒い岩が広がっている。


 その中に、不自然な物がある。


 岩肌にあるまじき、ぬらり、とした輝き。湿った何かが、天上に張り付いている。


「デスマント! ……アトソン!」


 冒険者の間で不吉かつ不名誉な死の象徴として語られる怪物の姿を確認し、シーフが警告の声を上げる。だが、それにパーティーメンバーが反応するよりも早く、怪物が動いた。名前の通り薄く広がった布のような体をはためかせ、天上から怪物が舞い落ちる。狙いは、メンバーの中で最も反応が鈍かったクレリックだ。


 デスマントと呼ばれる怪物は、身体の表側は海洋生物じみた鱗の無い滑りのある黒い肌だが、裏側はピンク色で滑り止めのように無数の小さな牙が生えている。そして強酸を発し、包み込んだ相手を骨まで溶かして肉のヘドロを吸い上げるのだ。包み込まれればまず命は助からない。


 眼前にばあ、と広がるピンク色の死を前に、クレリックが目を見開く。シーフも、前衛二人も間に合わない。


 誰もが彼の死を覚悟した、その時。


『α Θ λ β』


 暗黒の回廊、その回廊を迸った力の渦。小さな光の矢のような一撃が、今まさにクレリックを包み込もうとしたデスマントを横合いから穿った。あくまで重力に乗って覆いかぶさるだけの薄っぺらな怪物は、その一撃で壁に叩きつけられ、皮膜のような体が千々に乱れる。


「いまだ!」


 剣士二人が飛び掛かり、剣でトドメを刺す。奇襲さえ受けなければ、たいした相手ではない。薄い布のような怪物は、緑色の体液をまき散らして絶命した。すぐに炭化が始まり、パチパチと音を立てて燃え尽きる。


 だが戦利品には目もくれず、一向は闇の向こうに目を向ける。正しくは、その奥から姿を表すであろう、知人の姿を予想して。


「また助けられましたね、ヌルスさん」


 その言葉に応えるように、大柄な人影が松明の光の下に現れた。


 暗がりから松明の光の下に、ぬっと現れたのは、常人より頭一つ高い全身鎧の姿だった。肌の露出一つないフルプレートで、さらにその上からローブのような布を羽織っている。何の冗談か、手には剣や槍ではなく、魔法使いの持つような杖が握られていた。杖の先端は、複雑にねじくれた金属製の紋章らしきものが飾られ、その中央に触媒の宝石が怪しい光を放っている。


 およそ冒険者の装備の定石から外れた格好の、それは怪しい鎧姿だった。普通であれば、警戒されてしかるべき。


 その表情の窺えない鉄仮面が、ぺこりと一同に頭を下げた。


「おかげ様でメンバーに怪我はありません。お久しぶりです」


 突然現れた怪しげな鎧姿にも、パーティー一行は動揺する事無く、むしろ朗らかに会話に応じる。それも当然、鎧の男は知らぬ顔ではなく、そして彼が一行を助けたのも一度や二度ではない。


 彼の名はヌルス。ソロで迷宮を探索する冒険者の一人であり、そして道すがら、窮地に陥った冒険者を助けて回るお人よしでもあった。人は見た目によらず、とも言うが、彼はその典型ともいえる。


 特に、若い剣士の率いる一行は冒険者の中でも最前線組だ。その分窮地に立たされる事も多く、結果的にヌルスの助けがある事も多い。恩人ともいえる。


 ……まあ。ソロでその最前線をうろつき、他人を助ける余裕があるヌルスは一体何者か、という疑惑はあるが、それを尋ねる者は誰も居ない。冒険者なんていう商売をやっている以上、誰しも触れられたくはない傷があるものだ。


 青年は挨拶をかわすと改めて戦利品を手に取った。デスマントの残した緑色の結晶、それをヌルスに向かって差し出す。


「戦利品です。どうぞ」


 差し出された結晶を、ヌルスは腕を振って断る。だが金髪の剣士は、その手をとって強引に手のひらにそれを握らせた。


「パーティーメンバーの窮地を救ってもらっておいて、ドロップまでもっていったら私達はコソ泥と一緒です。お受け取りください」


 しばし迷ったようなしぐさの後、受け取った結晶を、ごそごそとローブの中にしまうヌルス。


 そんな彼を、シーフはジト目でマジマジと観察している。


「……もしかして、帰り? 私達より先に7層踏み込んだ後?」


 どことなく挑戦的な視線に、さぁ とヌルスは肩をすくめて見せる。まともに答えるつもりはないらしい。


「むぅ……」


「ヌルスさん。我々はこのあたりで一度帰還しようと思うのですが、よろしければ一緒にどうでしょうか? いくら貴方が実力者といっても、今から六層を遡るのは骨でしょう? 先ほどのお礼も兼ねて、という事で」


 大抵の冒険者では喜んで頷くであろう青年の申し出に、しかしヌルスはフードの下で鉄仮面を横に振った。


 金髪の剣士は残念と思いつつも、話をそれ以上引きずらなかった。あまり深入りするものでもない。


「そうですか……残念です。では、またの機会に」


 ぺこりと頭を下げて、来た道を引き返す青年。彼に従って、赤髪の剣士やシーフ、クレリックもその場を後にする。その様子を、ヌルスと名乗った男は一人見送った。


「今回も駄目だったか」


 十分に距離を置き、ここなら彼に会話が聞こえない、というあたりで青年が残念そうにつぶやいた。


「一度でいいから、彼と祝宴を共にしたかったんだが」


「いうてもよ、あんだけ目立つ鎧姿が、ギルドの職員は知らねーっていうんだぜ。どんな事情かは知らないけど、徹底して身元を隠してるタイプだぜあれ。応じるはずねーって」


「うん。まあでも、気になるよね、あの中身。実は女性だったりして。無口なのもそれを隠してるから、とか」


「ははは、吟遊詩人の好きそうな話ですね。まあでも、私は中身も真実男だと思いますがね。それはともかく、ご本人が隠したがっているのなら、そう追及しないのが吉でしょう。そう悪い人ではないとは私も思いますがね」


「そうかー? あんな全身鎧の上からさらにローブまで羽織ってる奴、全身全霊で怪しいやつじゃねーか?」


「本当に悪い人だったらあんな悪目立ちする格好するはずがないでしょう? 一目見たら一生忘れられませんよ、あんなの」


「ははは、それは違いない」


 クレリックの身も蓋もない意見に、青年も同意して思わず笑ってしまう。


 初めて彼に出会ったときは、それこそリビングメイルの類かと思ったものだ。あれから数か月以上の付き合いになるが、彼が何か人に害を成したという話は聞いていない。


 怪しい人物ではあるが、悪い人物ではないだろう。少なくともパーティーの意見は一致していた。


「それより、6層に踏み込んだ結果の反省会を帰ったらしよう。思ったよりも長丁場になりそうだぞ、これは」




《やれやれ》


 そんな青年とその一向のお喋りは、しかしきっちりとヌルスには聞こえていた。


 彼は松明の明かりもないまま、真っ暗な洞窟の中を見えているかのように歩く。周辺に誰も居ない事を確認し、物陰に腰かけた彼は、ローブを捲り、兜に手をかけた。


 ずるり、と兜を脱ぎ、その素顔が明らかになる。


《私とて、それが許されるならご同行したいというものだ》


 兜の中から現れたのは、勿論女の顔、ではない。だが男でもない。そもそも人間ですらなかった。


 粘液をおびて身をくねらせるピンク色の触手。植物の芽のようなそれが、全身鎧の首から数本伸びて、ウネウネと蠢いている。


 覗き込めば、鎧の中に無数の触手が蠢いているのが分かるだろう。それらが人間の動きを真似て、鎧を動かしているのだ。


 そう。ヌルスは人間ではない。


 迷宮に住まう、モンスターの一匹……触手型モンスターが彼の正体だ。


『ギルドに登録しているしていない以前に、モンスターは迷宮の外では生きていけないからな……』


 本来ならば、冒険者と敵対する立場の彼。しかし、彼の言動に、彼らに対する敵意は存在しない。


 目の代わりに、触手を去っていった冒険者達に向けて伸ばすヌルス。もう誰も居ない闇の中に、まるで焼き付けた後ろ姿を探し求めるように。人でいえば、ステージの上で輝く演者へ目を凝らすかのような仕草には、確かに親愛の情があった。

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