第五話 追放の地
回廊の先に、接続された小部屋はない。崩壊したように地肌がむき出しになった岩盤の壁があるだけだ。岩肌がむき出しになった凹凸の灰色の壁は、本来ならヌルスが身を隠すにはちょうどいいのだが、そこにいる、とバレている状態で隠れても何の意味もない。
《あ、ああ、しまった……っ!?》
あのまま先に進んでも矢で射抜かれるだけだったとはいえ、自ら進んで袋小路に入り込んでしまうとは。我に返ってヌルスは酷く後悔した。
足音は直ぐ背後、角の向こうにまで迫ってきている。すぐに曲がり角を曲がって冒険者達が姿を見せるだろう。足音からして最低でも四人、それらが殺気を漲らせてヌルスを取り囲む。そうなったら、さして素早くもないヌルスに逃げ出せる隙などない。騒ぎを聞きつけて巡回モンスターがかけつけるよりも早く、触手の体はブツ切りにされてしまうのは確定だ。
《い、いやだ、いやだ、まだ死にたくない! 死ぬのは嫌だ……! 存在が消えてしまうのは嫌だぁ! まだ、まだ何もできていないのに消えるのはいやだぁ……!》
本来ならばモンスターは死を恐れない。活動期間の延長の為に魔力を欲するが、それはあくまで本能的なもの。迷宮の機構に過ぎない彼らは、生きているとも言い難い。
だが、幸か不幸か、得てしまった知性と理性は、消滅の恐怖に竦み上がった。モンスターが死ねば、死体も残らず消滅する。ヌルスという変わり者の魔物がこの世界に存在していたという残滓、記録は何も残らない。今更ながら、その事実がソレの魂を慄かせる。
誰にも理解されない叫びをあげて、触手で壁をわさわさと探る。ダメ元で、とにかく身を隠せる隙間を必死に探す彼は、ふと、僅かな風の流れを感じ取った。
感覚を極限まで集中させて、小さな空気の動きを探る。
あった。崩れた大きめの石の裏側。石をどけると、蓋をされるように、壁に穴が空いている。空気の流れがあるという事は、行き止まりではなくどこかに繋がっているという事。
「いたぞ!」
《ひぃ!?》
躊躇っている時間はない。ヌルスは背後から迫ってくる殺気から逃れるように、全力で穴の中に飛び込んだ。一瞬遅れて、触手の尾を掠めるように振り下ろされた剣が床に突き刺さる。
「くそっ、逃げられた! なんだこの穴!?」
「下がって。炎を起こして燻すわ」
《!?!?》
あまりにも恐ろしい会話が聞こえてきて、ヌルスはひたすら穴の奥を目指して這いずった。穴はいささか崩れがちで、パラパラと小石が降ってきていまにもふさがりそうだ。枝分かれした無数の触手で障害物を取り除き、くねくねと曲がりくねった道を掘り進むように進む。
その動きは遅々として進まない。そしてそんなヌルスを追い立てるように、尻尾の先から熱と、煙っぽさが漂ってきた。言葉通り本当に火責めを始めた冒険者の殺意の高さに、だらだらと粘液が全身に噴き出す。
このままでは燻製にされてしまう。だが、ここで慌てて穴が完全に崩れてしまったら生き埋めだ。泣き叫んで滅茶滅茶に掘り進みたい衝動を理性で押さえて、ヌルスは慎重に崩れかけた穴の中を進み続けた。
実際にどれだけの間、彼が掘り進んだのかは分からない。一分か、十分か。1mか、10mか。先に繋がっている事を信じて進み続けた先、急に道が開けた。
崩れた砂利の中から這い出すように体を抜き出す。ちょっと焦げてしまった尻尾の先を気にしつつ、ヌルスは周囲の環境を観察した。
広間に出た、とかではない。
どうやら変わらず、穴の中のようだ。ただ、崩れかけて埋まっていた所とは違い、人が一人、ギリギリ通れるか通れないか、といった程度の広さがある。いやまあ、人間はヌルスのように体表を波打たたせて這いまわる事はできないから、ギリギリ人間は通れないといった感じだろうか?
背後を振り返ると、ヌルスが出てきたのは明らかに穴が崩れて埋まりました、といった体の砂利の山になっていた。もともとダンジョンに繋がれていたこの空気穴のような通路が、崩落で塞がってしまったと見られる。聞いた話だとダンジョンの構造は常に一定ではなく、定期的に変化するそうだからそれに巻き込まれたのだろうか。
はっきりしているのは、いかな冒険者が執念深くても、この奥にまで追ってくるのは不可能だろう、という事である。
つまり。
助かった。
《…………ふぅぅう~~~……》
へにょり、とその場に脱力するヌルス。ぺちょりと床に体が張り付くぐらいリラックスして、生きている悦びを噛みしめる。
これまで何度か危機に遭遇したが、今回はとびきりだった。この体のせいだろうか? 以前は少し物陰に隠れてやり過ごしていればすぐに向こうは諦めたのに、今回は異様に執念深かった。外見が変化した事と何か関連性があるのかもしれない。あるいは、今回遭遇した冒険者パーティー側の事情か。
ただの嫌悪感とかではないだろう。追い立てる冒険者達の目には明らかな殺意と怒り、そして僅かな恐怖があったように感じる。何か、あの冒険者一行はヌルスのような触手型モンスターに、特別な思い入れがあったのかもしれない。
巡り合わせが悪かったというやつだろうか。
何はともあれ、何とか逃げ延びた。
《しかし、この体の変化はなんだ?》
改めて、今の自分の体の状態を確認する。太い胴体に、途中から枝分かれした無数の細い触手。ヌルスは知らないし見たこともないが、その形状はヒドラと呼ばれるタイプのモンスターによく似ていることから、ヒドラ型触手、と呼ばれるものである。とはいえ、大抵のヒドラ型はもっともっと大きい。それに比べ、ヌルスのサイズは赤子といってもいいだろう。
そういった知識がなくとも、自分の体が知らぬ間に大きく変化しているというのは気味が悪くもある。しかしながら、動かす分には問題がないようだ。あの必死の逃走劇においても、この体はヌルスの意志の通りによく動いたというか、がらりと変わってしまった肉体にヌルスの方が適合してしまったというべきか。
勿論、小さな姿のままであれば、冒険者に発見されて逃走劇を演じる必要もなかったと思われるのだが。
《むぅ……まあ、考えてもしかたがないか。しかし、これからどうするべきか》
今後の行動を考えるが、当然ながら元居た場所に戻るという選択肢は無しである。あの執念深さだと、しばらくヌルスの姿を探してあの階層をうろついていてもおかしくはない。今回はたまたま助かっただけで、次に見つかったらもれなく殺される事は請け合いだ。
となると、選択肢は一つである。
たっぷり休憩を取って回復したヌルスは、上半身を持ち上げて穴の先を探った。この穴がどこまで伸びているかは分からないが、空気が流れている以上どこかに繋がっているのは間違いないはずである。
しばしの休憩で活力を取り戻したヌルスは、好奇心の赴くままに探索を開始した。
穴は、ヌルスの想定以上に長く続いていた。おまけに曲がりくねり、時には90度上に垂直に昇っていくこともあった。
ヌルスは尺取虫のように体を屈伸させて這いまわりつつ、時には枝分かれした触手で地面の凹凸を捕らえながら慎重に進んでいった。垂直な壁は、体表から粘度の高い粘液を分泌し、べちょっと張り付いて昇っていく。
幸か不幸か、この穴の中にモンスターはポップしないようだ。かといって、迷宮の外、という判定でもないようだ。本来の迷宮の仕様を考えるとおかしな通路である。恐らく、というかほぼ間違いなく、第三者が後から掘ったものに違いない。
しかし迷宮は定期的に構造が書き換わるという。まだ経験はした事がないが、その際に巻き込まれて穴が無くなったりしていないという事は、相当に迷宮の構造を理解した者が作ったのではないか? 見た目唯の通風孔だが、もしかするととんでもなく凄い代物なのかもしれない、とヌルスは考え始めていた。
そうやって進み続けて、そろそろヌルスが疲れを覚えて始めたころ。
唐突に、向かう先から光が差した。
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