第四十七話 アルテイシアの目論見 その1



 とりあえず、現状は上手くいっている。


 静かに自分の左後ろ後方についてくるヌルスの姿を確認し、アルテイシアは彼に気が付かれぬよう、小さく息を吐いた。


 言動から察するに、ヌルスはアルテイシアが彼の正体を知っているという事に気がついてはいない。いや、多少は怪しんではいるが、理論的に考えて正体を看破されていれば今の様に振舞うはずはない、と考えているのだろう。


 そう。アルテイシアは、ヌルスの正体を完全に理解している。彼の正体が触手型モンスターの変異体であるという事も、それを隠して冒険者としてふるまっているのも、恐らくは保身のために冒険者に対し協力的だという事も、全て。


 聞き込みの結果、ヌルスの事を知ったというのも嘘だ。情報収集の過程で人助けする謎の魔術師の事は聞いたが、そもそもヌルスの正体を確信した上での情報の補強にすぎない。どちらかというと、ボロを出さない為のアリバイ作りの面が強い。


 それは、アルテイシアが実は気絶しておらず、自分を助けたヌルスの姿をしっかり見ていた、というのもあるが、他にも彼女のある才能が理由でもある。


 少し眼鏡をずらし、そう気が付かれないようにヌルスに裸眼の視線を向ける。


 色落ちした青灰色のローブを身に纏い、その下に薄汚れた鉄の鎧を着こんだ、それこそ墓場をうろつくリビングデッド(迷信の怪物)のような姿をしたヌルス。だが、眼鏡を外したアルテイシアには、それとは違うモノが見えている。


 ゆれるローブのシルエットの下、渦巻く闇色の力の流れ。ゆっくりと螺旋状に回転するその闇の中で、無数の光点が星のように煌めき、時折流星のような輝きが中心に向かって奔る。ソラをいびつな形に切り抜いたような等身大の宇宙に、アルテイシアは何度も目を奪われた。


 ヌルスの、魔力のカタチ。


 思わず、感嘆が口を突いて出る。


「なんて、綺麗……」


 彼女の目は、魔力の流れを見る特別な魔眼でもある。生来の才覚に加え、この特殊な目こそが、アルテイシアを学院始まって以来の天才と言わしめる天稟。才能ある魔術師であっても感覚を研ぎ澄ませなければ感じ取れない魔力の流れを、アルテイシアは唯見るだけで全てを理解できる。それが魔術師の世界において、どれだけのアドバンテージかは計り知れない。


 だが、同時に見なくてもよいものもまた見えてしまう。生物の体内にも魔力は存在しているため、その流れを見る事で、間接的に相手の考えも見えてしまう。それはつまり、人が心に隠している暗い部分、汚い部分も見えてしまうという事でもある。そして、アルテイシアは断片的な情報から全容を把握できる程度には、頭の回る子だった。


 どんな人間でも、聖人君子などという事は無い。善良な人でも心の中には恨み妬みを抱えていて、でもそれを努力で抑え込み外に出さない事で、他人と上手くやっていくものだ。年老いた牧師が口癖のように言っていた、人は善悪の両方を知った上で悪を選ばない事が出来る生き物なのだと。だが、アルテイシアの目は、人の秘めた悪を詳らかにしてしまう。


 どれだけ親しい友人でも、どれだけ暖かい両親でも、その心の奥底には一抹の悪がある。ましてや、滴るような悪意を仮面で隠して近づいてくる老人達の醜さときたら。この目に振り回されるあまり、人と目を合わせるのすら恐怖だった時期もある。今つけている、目の力を封じる特殊な魔水晶の眼鏡を恩師から与えられなければ、アルテイシアはとっくの昔に発狂しているか、世の全てに絶望して邪悪な魔術師になり果てていたかもしれない。


 そんな風に、様々な人の魔力の流れを見てきたアルテイシアだから、ヌルスが人ではない事は、どれだけ上手に偽装していても少し眼鏡をずらすだけですぐにわかった。いやまあ、実際の所そんなに上手じゃなくて、ちょっと勘の鋭い人ならすぐにわかってしまうのだろうが……。


 だから、だろうか。


 彼の存在を、しばらくは自分ひとりのモノにしたい、という欲求が胸に沸いたのは。


 ヌルスの魔力は、見た事もないほど清らかで、同時に混沌に満ちている。ただ魔物だから、というだけではない。恐らく、ヌルス本人に、悪意や邪悪さが皆無に近いのだ。先ほどもいったように、彼は倫理と論理で稼働している。その源は恐らく感情……死にたくない、だとか……ではあるのだろうが、そこに悪しきモノがないのだ。人間社会の醜悪さに汚染されていない、純朴な赤子のようですらある。


 そして、その魔力の形も独特だ。例えば人は、肉体の経絡によって魔力が循環しているので、自然とそれに沿った形になる。だが、ヌルスは経絡どころか、決まった肉体の構造が存在していないようで、まるで肉の皮に魔力を詰め込んだような、生物とは明らかに違うカタチをしている。さらに呼吸も代謝も存在しないせいか、その魔力の流れは常に一定だ。その中に時折煌めく異分子は、恐らく彼の思考だろう。見ていると慌てたり考え込んでいる時にキラキラと流星の数が明らかに増える。分かりやすくて面白い。


「ふふっ」


 彼にその事を伝えたらさぞ慌てるだろうな、そんな風にも考えるが、しかしまだ早計だろう。まだアルテイシアは、彼から完全な信頼を得ているとは言い難い。


 それにヌルスがどういう経緯で人間に近い知性を手に入れたのか、それを見極める必要もある。


 魔物が、人の知性を何らかの形で手に入れるケースそのものは、実はそう珍しい話でもない。数は少ないが、いくらか類例が報告されている。


 その多くは、魔力を扱う才を持った人間の脳を、魔物が摂取した、というケースだ。魔物は、魔力で活動する疑似生命体、というか、実体を持った魔術式そのもの、と言われている。故に、物質としての人間は彼らに影響を与える事はないが、魔力を経由する形で人間の知識、意識が影響を与える事があるのだ。いうなれば、魔力という共通要素を介して、魔物という計算式が人の意識で書き換えられてしまう……スクロールを蟲が食い破って起きる、魔術回路のバグのようなものだ。


 例えば、突然魔術を使う狼型モンスターが迷宮に出現し、甚大な被害を齎した事があった。調査してみると、その魔物の巣に魔術師の遺体があった。


 あるいは、小鬼型モンスターが突然、故人の名前を上げて自分がそうだと言い出し、かつてのパーティーメンバーにしか分からないような古い思い出をつらつらと語って見せた。


 もしくは、魔物に食い殺された英雄クラスの冒険者が、その強靭な意思で魔物の肉体を乗っ取り、人知れず迷宮の中で冒険者を救い続けていた。


 ぱっと思いつくだけでも、これだけの例がある。


「……でも、そう上手い話は無い……」


 そして、その全てがごく短時間のうちに終わりを迎えた。


 狼は直ぐに魔術を忘れ、ただのモンスターとして冒険者に討たれた。


 小鬼はかつての仲間と迷宮を探索するうちにやがて正気を失い、ただの怪物に戻って仲間に討たれた。


 英雄は、魔物としての本能を抑え続ける事が難しくなり、かつての親友に尊厳死を求めた。


 そう。


 あくまで人間の意識が魔物に影響を与えるのは、イレギュラーな事態……。時間が経過すれば、正常化作用によってバグは排除され、元の魔物に戻るだけだ。あくまで魔物という大きなプログラムに、欠片のような人間性がささったところで、全体を変える事など出来ないのだ。


 では、ヌルスの場合は?


 彼もそのうち、ただの怪物に戻ってしまうのだろうか。


 もしそうならば、そうなった彼を処分するのはアルテイシアの役目になるが……。


「…………」


 今の所、その兆しはない。というか、ヌルス自身には、自分が人間だという意識も微塵もないようだ。ケースとしては、人の技能をコピーした魔物、という事になるのだろうが、それにしては技能が劣化する様子が全く見えない。むしろ、会う度に何か新しい技術を身に着けてくる。


 さらに言えば、彼は非人間的なまでに理論派だ。人の意識が紛れ込んだにしては、どうにも辻褄が合わない。


 言動を見る限り、冒険者に攻撃を受けた事は一度や二度ではないはず。警戒っぷりがそれを物語っている。にもかかわらず、彼の心には同じ冒険者であるはずのアルテイシアに対する憎しみや敵意は、微塵も存在していない。


 恐らく、自分自身の生存、大成の為には、些細な恨み辛みを些事と切って捨てているのだろう。だがそんな真似は、感情に振り回される人間にはそうそうできるものではない。


 ……一つ。最悪のケースが過去に存在していたのを把握しているが、しかし、ヌルスは恐らく当てはまらないだろう。この短時間でも、彼が思慮深く恨みを買わない事を心掛けているのは見て取れる。件の件のような、悪逆極まりない事はできないだろう。


「ふふ……本当に、面白い人」


《??》


 思わず零れてしまった独り言を聞き咎めたのだろう、首を傾げるような仕草をする彼になんでもないですよ、と手を振る。それはそうと、首を傾げる角度が少し変である。後でそれとなく手本を見せよう、と心のメモ帳に書き込むアルテイシア。


 今日のローブが丈が短いのもそのためだ。再開したヌルスはそこそこ人間に偽装していたが、どうにも仕草がこう……人形っぽかった。関節の曲がる位置とかが変なのだ。なので、その手本になるつもりで足が良く見えるよう短く縫い留めてきたのだが、そのせいで寒さに震える事になるのは少し想定外だった。恥ずかしい所を見せてしまった。


 まあその甲斐はあっただろう。後ろをついてくるヌルスは、少しずつ歩き方のぎこちなさが消えているように見える。今現在も熱心に情報収集して結果を出している優秀な生徒を持った思いで、アルテイシアはご機嫌だ。


「……いや。ちょっと、待って」


 そして気が付く。


 ヌルスがアルテイシアの真似をしているのはいい。だがそれは、熱心に彼に彼女の一挙手一投足が観察されているという事だ。つまり、短くしたローブの下、ちょっと短めのスカートとその下から除く太ももとか、全部マジマジとずっと観察されているという事で……。


 じわ、とアルテイシアの太ももに汗が滲んだ。


 視線は感じない。だが、触手型モンスターであるヌルスに目はそもそも無い訳で。つまり、アルテイシアも知らない感覚器官によって、今もつぶさに彼女の太ももは観察されているという事になる。


 相手がただの魔物であるというなら何とも思わない。だがヌルスは恐らく人に近いレベルで思考できるようだし、ましてや触手モンスターである。


 本能的な羞恥に俄かに体温が上がっていくのを感じながら、アルテイシアは念仏のように自らに言い聞かせる。


「い、いえそれは違うわよアルテイシア……。彼に邪心とか欲情とかは感じられないんだから、私が気にしなければいい事……ええ、そうよ。彼からすると私は唯のお手本、教科書。気にしなければいいの……!」


《???(なんか急に体温の上昇を確認……???)》


 結局、自分を偽りきる事はできず、アルテイシアの体調を心配したヌルスの提案で小休憩を取る事になったのは、およそ10分後ぐらいの事であった。



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