第四十八話 アルテイシアの目論見 その2


「すいません……。うう、穴があったら入りたい……」


 倒木を椅子にして腰かけ、羞恥のあまり顔を手で覆うアルテイシア。ヌルスはそんな彼女の傍らで、杖を手にして周辺を警戒している。ヌルスにはアルテイシアに呆れた様子は全くなく、突然体調を崩した同行者に対する気配りだけが感じられる。それ故に、ますます自分の不純さにアルテイシアは恥じ入ってしまった。


 流石に見咎めたのか、ヌルスが懐から紙を取り出して文字を書き始める。最初は芋虫が断末魔の血痕を残したようだった文字も、この一日で随分と読めるものになった。やはり学習能力がずば抜けている、とアルテイシアの幾分か冷静な部分が淡々と品定めしている。


『気にするな』


「は、はい……。でもご迷惑を……」


『もし悪いと思うなら、何か話をしてくれ』


「はぁ……話、ですか」


 落ち着くまで話をしよう、という事だろうか。悪くない提案である。何か別の事に気を紛らわせていれば、この火照った体も落ち着くだろう。


 とはいえ、何を話すべきか。せっかくだからヌルスにとって必要な話がしたい、と思うも、彼がどこまで何を知っているのかなどわからない。


 ならば、話は簡単な方がいい。


「ヌルスさんは、何かお聞きしたい事がありますか?」


『…………』


 突然尋ねられて、ヌルスが硬直する。考え事をしているのだろうが、ぴたりと完全に活動が停止しているのは不自然極まりない。こういう時人間はどういう仕草をするのか、のデータはまだ不足しているらしい。


 ややあって、再びヌルスが筆談を再開した。


『触手』


「はい?」


『触手型モンスターが何故嫌われているのか、教えて欲しい』


 想定内ではあるが、ここで来るとは思っていなかった質問に、アルテイシアは首を傾げた。ヌルスの正体を考えれば自然な話だが、ここで唐突に触手について聞いてくるのはいささか不自然でもある。彼にしては珍しい。


 逆に言えば、多少の不自然さを省みても、アルテイシアに話が聞きたかった、という事なのだろうか。彼女なら、少しぐらい唐突な質問でも機嫌を損ねる事はないだろう、的な。


 これは彼からある程度の信頼を得られた、という事なのだろうか。


 少し嬉しくはある。


「あらぁ……」


『その。2層で触手モンスターを目の敵にしている女冒険者を見た。彼女達は何故、あんなに怒っていたのだ?』


「あらまぁ」


 つまり2層で追いかけまわされた経験がおありらしい。嘘のつけない触手である。


 少し、アルテイシアは考える。


 ここで、触手型モンスターの見た目が女性からすると生理的嫌悪感を催すものだと伝えた所で、それはヌルスを傷つけるだけに終わるだろう。彼は理論派であるがゆえに、そういう感情的な判断基準は苦手かもしれない。なんだったらアルテイシアに気を使って距離を置かれてしまう可能性もある。


 困る。それはとても困る。


 少なくともアルテイシアからすると、見た目はさほど気にはならない。いや、得体の知れない触手は流石に嫌いだが、ヌルスなら話は別だ。同年代の男子よりよっぽどメンタリティが安定していると思われる彼は嫌悪の対象からは除外されている。


 この繊細で優秀な教え子を相手に、どう説明すれば余計な諍いを起こさずに済むか。しばし考えて、アルテイシアは話を切り出した。


「そうですね。理由はいくつかありますが……触手型モンスターの中には、人間を直接捕食対象にしているものがいるからでしょう。彼らが本来、迷宮内における外的要因のスカベンジャーをしているのはご存知ですよね?」


『勿論』


 流石に即答である。自分の事であるからしてよく知っている、という事なのだろう。


「話が早くて助かります。つまりですね、触手型モンスターは迷宮で数少ない、外部の資源を直接活用できる魔物、という事な訳です。そうなると、その特性をもっと直接的に利用するケースもまた、有るという訳です」


『直接? 人間を食べるのか』


「それも一つの手段ですが、他にも色々あります。例えば、苗床にする……とか」


 そう。群れているのを見ればわかるが、小型の触手型モンスターは普通の生物のように繁殖で数を増やす事が出来る。自分達の繁殖に適した環境を意図的に作り出す事を触手達が実行してしまえば、どうなるのか?


「まず滅多にある事ではないのですが、時折、最弱モンスターである触手型の中にも、それなりに強力な個体が生まれる事があります。その多くは、ヒドラ型、と呼ばれる形状を取っている事から、ヒュドラ・テンタクルスと呼ぶ人もいますね。最大で全長5m程になる彼らは冒険者にとって非常に大きな脅威となりますが、真に危険なのは多くの個体が冒険者を資源として活用する術を理解しているという事です」


 そう。ヒュドラ・テンタクルスは知性や理性を持っている訳ではないが、何かしらの特殊な性質を持っている。それが冒険者を殺し、その死体を群れの元に手土産にもっていく……ぐらいであればまだ可愛い方だ。


 タチの悪い個体であれば、遭遇した冒険者はこの世の地獄を見る事になる。


「中には女性冒険者を捕らえて、その生殖機能を利用して同族の生産を行う個体がいたりします。実際の所、恒温動物の雌であれば何でもいいらしいのですが、迷宮に入ってくる動物は人間ぐらいですからね。毒やら何やらで身動きを封じられた冒険者は、自分の肉体を苗床に怪物が育っていくのを体感させられる訳です。こちらの場合、苗床にされた女性は多くの場合命には別条がないものの、深刻な精神障害を患う事が多いです」


 言葉を濁したが、実際の所は身動きを封じる、という表現は迂遠である。大体はろくでもない事になっているし……中にはそうやってこの世の地獄を味合わされる人間の感情を、魔力リソースとして吸い上げる個体もいた。色々な意味でさらなる苦しみを与え、より多くのリソースを吸い上げようとするわけだ。犠牲者の中には廃人になってしまった者も多いし、運よく正気を取り戻せても一生苦しみ続ける事になる。


 恐らく、2層でヌルスを追い回したという冒険者もその関係者か、被害者当人だろう。そんな目にあったのなら冒険者をやめればいいだろう、と外野は思うかもしれないが、化け物の借り腹にされた女性が、周囲から好奇の目や差別を受けずにやっていくのは難しいし、そんな女性を娶ってくれるもの好きとなるとさらに少ない。結局、冒険者稼業を続けるしかないのが実情なのだ。そもそも女性の身で冒険者をやっている時点で、アルテイシア自身がそうであるようにそれなりの事情持ちであろうし。


 一研究者としては、種族が違うどころかそもそも生物ですらない魔物が、人間の生殖器を利用して繁殖するそのプロセスに興味が無い訳ではないが、アルテイシアも人の子、女性である。そんな事が解明されるよりも、そういった犠牲者が減る方が望ましい。


 さて、そんな話を聞かされたヌルスではあるが、何やら固まって身動き一つしない。


 こっそり眼鏡をずらして彼の魔力の流れを見てみると、流星群かな? という勢いで無数の光が煌めいているのが見えた。何やらひどく動揺しているらしい。


 ややあって、今まで以上にたどたどしい手つきで文字が綴られた。


『つまり 触手は 悪い奴なのか』


「悪いかどうか、というと、彼らには知性がありませんので……。逆に言うと善悪関係なく毛嫌いされているのが実情ですね」


『そうだな それは そうだ。納得した』


 納得した……そう言いながらも、ヌルスの魔力の流れは乱れに乱れたままで、何やら力なくその場で腕を垂らしたまま棒立ちになってしまった。本性が触手型モンスターであるヌルスの場合、人間の形をとっているのは擬態にすぎず、人間のそれと同じとは限らないのだが、それを踏まえても……はっきりいえば、酷く消沈しているようだった。


「ヌルスさん。もしかして、触手型モンスターがお好きだったんですか?」


 びく、とアルテイシアの呼びかけに震えるように反応した後、何度も何度もヌルスは書き仕損じながら、紙を向けてきた。真っ黒に塗りつぶされた紙の片隅に、小さく押し込むようにして文字が綴られている。


『   嫌いではない』


「そうですか。ふふっ、それは良かったです。私もそう嫌いじゃないんですよ」


『』


 ばっ、と体全体を起こしてこちらに向くヌルス。その挙動を見て、「成程、触手に感覚があるとしても、本体はあの辺かな」とあたりをつけながら、アルテイシアはヌルスを宥めるように正直な感想を口にした。


「今言った事情はありますが、概ね触手型が嫌われてるのなんて見た目が9割です。ぬめぬめしたのが駄目とか、ウネウネしたのが駄目とか。私はその点、どっちも気になりませんしね。危害を加えられなければ、よわっちいのなら逃がしてあげます」


 勿論、ヌルスの好感度を上げようと口にしているのはある。だが、本音であるのも違いない。迷宮の魔物において、現実の物質を代謝できる触手型モンスター達は、しばしば研究の対象にもなる。彼らを解析する事で発展した術式だって無い訳ではないのだ。


 それはそれとして、今アルテイシアが使ったのは詐欺の論法である。まず極論じみた衝撃的な話を聞かせ、後から付け足す見た目で嫌われているという一般論を小さく見せる。ヌルスの純粋さに付け込むようで心が痛む。


『君は嫌いではないのか』


「ええ。学院の中では触手型モンスターを解析してる研究室もありますし。一般の冒険者よりは慣れてますね」


 まあ、ここでいう解析、は灰にならないよう特殊な術式で固定した状態で分析……早い話が生きたまま解剖する事なのだが、それは言わないのが華だろう。


『そうか。教えてくれてありがとう』


 心なしか、筆跡も弾んでいる。どうやらヌルスにとってアルテイシアは、少なくとも嫌われたくはない、という事になっているらしい。嬉しい反面、結構な割合で情報を制限している自分の立ち回りに、少しアルテイシアは罪悪感を覚えた。


 ……実際の所。ヒュドラ・テンタクルスが恐れられているのは別に理由がある。いや、今いったのも十分な理由なのだが、最悪の事例について触れていない。


 冒険者にとっての悪夢。知性獲得型モンスターの最悪の一例。




 ブレインサッカー(脳吸い)。




 捕らえた冒険者の脳を啜り、複数の人間の知性と知識を獲得した化け物。迷宮を巣とし、獲得した知性で冒険者を捕らえては脳を食らい際限なく知識を膨らませていったそいつは、最終的には人語を操り賢者と問答すらできるレベルに達していたという。複数の魔術や戦闘技法を使いこなすばかりか、追いつめられるとこれまで捕食した人間の声真似をして相手の心を折りにかかるその邪悪極まりない狡猾さに、冒険者ギルドは尋常ではない被害を出す事になった。


 最終的にはそれそのものの討伐を諦め、迷宮を攻略しダンジョンコアを破壊するという間接的な方法でようやく葬り去る事が出来た正真正銘の怪物である。


 実際の所、触手型モンスターの変異体にはほかにも色々いるのにヒドラ型が代表みたいな扱いなのはこれが理由だ。


 ヌルスが、そのようになってしまうとは思えないが、可能性はゼロではない。極力、繋がりうる情報については伏せておくべきだろう。


 仲間たちにヌルスの事を話していないのもそのあたりの事情が関係している。エルリック辺りは理解を示してくれるかもしれないが、エミーリアはちょっと怪しいし、ロシュンは完全に駄目だ。彼は学院の重鎮との繋がりがある事もあって、ヌルスを処分するだけではなく最悪アルテイシアにも良い結果を齎さない。


 道理で言えば、今すぐにでもヌルスを殺すべきだというのはアルテイシアもわかっている。だが、この極めて貴重な研究対象を、よく調べもせずに処分してしまうのは憚られた。


 せめて、ヌルスが知性を獲得した経緯、そして発現した彼の特性。それを見極めてからでも遅くはないはずだ。少なくとも、現状、彼は冒険者に危害を加えていない、それは間違いない。魔力の残滓ではっきりとしている。


 他者を害し、その意識を吸収したのならば、ああも綺麗な闇色の魔力を持っている筈がない。


 もう少しだけでもいい。この闇色の輝きを身近で見ていたい。それがアルテイシアの本心であり……すでにもう充分、魔に魅入られている事に年若い彼女は自覚が無かった。


 それに、まあ。そもそも、その危険はあくまで低い可能性の話だ。


『~~~♪』


「ふふ。ご機嫌ですね。何か良い事がありました?」


『あったとも。少なくとも私にとっては』


 さも嬉しそうに、機嫌よさそうに半身を揺らすヌルス。この純朴な怪物が、そんな悪鬼羅刹のような真似に手を染めるとは、アルテイシアには想像できなかった。勿論、彼が人間ではなく、論理で動く怪物であるのは理解している。必要であれば、どんな残虐行為でも行うであろうが……、だからこそ、そのような真似をするとは考えにくい。


 人を敵に回せば滅ぼされる事を彼はよく理解している。だからこそ、こうしてぎこちないながらも人を真似て、人を理解しようとしているのだから。


 その理性を、判断を、アルテイシアは信じたいと思った。


 例え。彼女の最終目的……迷宮踏破が、彼の未来を奪う事だとしても。


「…………」


『どうした?』


「いいえ。それより休憩はもう十分です。探索に向かいましょう」


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