第三十話 そして彼女と出会う
《恐らく、この道を大きく外れると強い魔物に遭遇するとか、そういう危険な要素があるんだろうな……》
最初から道があったとも考えにくいので、これは冒険者達が地道に流血と屍を積み上げてつくった道のはずだ。それを意図して無視するのは愚か者のする事である。繁み一つ挟んで道を見失わないようにしながら、ヌルスは極力物音を立てないように道を進んだ。
しかし、本当に下草が多い。粘液で覆われた体が忽ち草塗れになってしまい、ヌルスは心の底から辟易とした。人間よりは頑丈だから、草の汁でかぶれるとか、葉のふちで肉を切るとかはないだろうが、うっとおしいものはうっとおしい。
《ええい。先ほどの女魔術師、よくもまああんな太ももが露出するような恰好でここを歩けたものだな》
できうる限り静かに移動しているので、ガサゴソというより、カサ……コソ……という風に移動するヌルス。と、その頭上から何やら、水滴が一つ、垂れてきた。
《ん、なんだ?》
まさか朝露でもあるまい……動きを止めて見上げたヌルスは、その時になってようやく、ソレらを認識した。
《な、なな……?!》
見上げた上には、傍らの大木から伸びた枝が視界を覆うように広がっている。上からの光を最大効率で吸収するためか、外から見ると葉っぱのドームのようになっている梢は、下から見るとわりとスカスカで枝ばかりが目立つ。それは良い。問題は、その枝の間に絡みつく無数の緑色のツタと、その先に実っている壺のような何かだ。
大きさはちょうど人一人がまるっと収まる程。袋のような壺のようなそんな形状で、入口の部分にはギザギザした葉っぱがフタのように生えている。知識がある者ならウツボカズラと呼ぶ食虫植物を、さらに数十倍に大きくしたようなモンスターが、さながら果実のように枝の間に無数にぶら下がっていた。先ほど落ちてきた滴は、このモンスターの涎だが消化液だからしい。
獣型や昆虫型には注意を払っていたヌルスだが、まさか植物型がいるとは想像していなかった。いやまあ、あくまで植物とか動物などという区分は、疑似生命体であるモンスターには存在しないのだが……なんにせよ、在り方が違うというか、なんというか。
幸いにしてあちらはまだヌルスに気が付いていないようだ。今のうちにそおっと通り抜けるべきなのだが、見上げていたヌルスはある事に気が付いた。
何か。
誰か一人、掴まっている。
「むー! むーー!!」
何やら袋に囚われて、じたばたしてる足が二本。モンスターに頭から逆さに丸呑みされて、自力では脱出が出来ないでいるらしい。あのままでは遅かれ早かれ窒息死するか、消化液に溶かされてしまうだろう。外部からの助けが無ければ脱出できなさそうだが、ここは道から少し外れている上に、枝の大分高い所だ。こんなヤバそうなモンスターの群生地に好き好んでくる冒険者もいないだろうし、助けは期待できないだろう。
つまり、冒険者の命はヌルスにかかっているという事になる。
《うーーん……。死んでいるんだったら何ら気にすることはないんだが……》
ちらりと手元の触媒に目を向ける。風の触媒のウィンドボルトの威力なら、モンスターの外皮を貫いて中身にあまりダメージを与えずに救出できるだろう。距離がちょっと遠いのが逆に都合がよい。が、そうやって手を出した場合、周辺のモンスターが一斉に襲い掛かってくる可能性がある。触手型モンスターの誇りにかけてツタなんぞに負けてやるつもりは無いが、多勢に無勢、不利なのは認めざるを得ない。
一番安全策なのは見て見ぬふりをする事だが……。
「んーー! むーー! んー……」
悩んでいる間に、だんだん抵抗が弱くなってくる。黒のストッキングを纏って厚底ブーツを履いた足が、息切れしたように段々と大人しくなっていく。どうも、時間切れはすぐのようだ。
もし口と肺があれば、ハァ、と深いため息をついているような気分で、ヌルスはしぶしぶ触媒を構えた。
《……まあ、これも奇縁という奴だ。仕方ない》
隠し部屋や、そこに残されたメモ書き。金髪の物好きな冒険者。
そういった奇縁というものに生かされてきた自覚があるヌルスは、それに従う事にした。
狙いを定め、呪文を詠唱する。杖無しでの詠唱で触媒を持つ手がチクッと切れたが、魔術そのものは問題なく発動した。
発動したウィンドボルトが、パァン、とモンスターの袋を穿つ。それに加えて続いていた抵抗によって傷口が押し広げられ、透明な消化液と共に捕らわれていた冒険者が、ずるりと外に吐き出された。
「え、あ……きゃぁあああああ………!?」
が、彼女を捕らえていたモンスターが居座っていたのは高所の枝。死の抱擁から解放されたのも束の間、捕らわれていた冒険者は悲鳴を上げながら真っ逆さまに落ちてくる。このまま何もしなければ地面に叩きつけられ、やっぱり命を落とすだろう。
だが、勿論そうはならない。落下地点に素早く回り込んだヌルスが、触手を広げて落ちてきた冒険者を優しく受け止めたからだ。
《ふ、ナイスキャッチ。んで、肝心の当人は、と》
「う、う~~~~ん……」
《気絶しているな。……いつも追いかけまわしてくる方の人間か。それならそっちの方が都合がいいな》
触手で抱きかかえた冒険者は、年若い女だった。彼女は落下の恐怖で気を失っているらしく、完全に目を閉じて失神しているようだった。おかげで、助けた相手から遁走する事にならなくて済んだヌルスは、これ幸いと相手の容態を確認した。
見た所、魔術師。それも黒いローブと尖がり帽子を纏った、コテコテのクラシックスタイルだ。ローブの下にはなんだろう、露出はやや控えめな感じの、凝った刺繍が施された衣服……冒険者、というには妙に身綺麗だ。
髪色は金髪で、長く伸ばしたそれを三つ編みにしているようだ。鼻には大きな眼鏡をかけているが、今は首までずれてしまっている。目を閉じているので瞳の色は分からないが、いわゆる、美人に分類される体型であるのは人種以前に生命体ですらないヌルスにも理解できる。つまるところ美少女という奴だ。
正直、ちょっとくらい顔とか溶けているのを想像していたのだが、思ったよりも無事のようだ。どうやら尖がり帽子とローブが、消化液から彼女の体を守ってくれたらしい。代わりに、もともと濃紺だったと思われるローブと帽子は、すっかり色あせて青灰色になってしまっていたが。糸もほつれてボロボロだ。
《まあ、無事なようならそれでいい。あとは……》
少女を抱えつつ、上空に意識を向ける。そこでは、敵対者の存在に気が付いたモンスター達が、ウニョウニョと蔦を捩らせながら動き出している所だった。袋の蓋を開き、威嚇するようにヌルスを見下ろす様は、どことなく蛇のような印象を与える。
《逃がしては……くれそうにないな。くっそう、貧乏くじだ》
愚痴りながらも、ヌルスは徹底抗戦の構えを取る。使用していたのが初級魔術ばかりなので、触媒もスクロールももうしばらくの発動には耐えるだろう。あのフロアガーディアンのように、魔術に耐性を持っている訳でもなさそうだ。問題は、魔術のノックバックダメージにこの体がどれぐらい耐えられるかだが……精神論としては、あの原始魔術の魂を引き裂く痛みに比べれば、この程度はなんとかなる。そう願いたい所である。
抱きかかえた少女を背後に庇うようにしつつ……触手であるヌルスには前も後ろも上下もないが……ヌルスは威勢よく触手を広げてモンスター達を威嚇した。
《ふん、かかってこい。お前ら全員、私のエサにしてやる……っ?!》
通じもしない威勢を切ったところで、ヌルスは不意に湧き上がる魔力の流れを感じ取り、身を竦めた。同じ魔術師だから分かる。
これは。ヌルス以外の魔術行使だ。
「ファイアボルトォ!」
「ウィンドカッター!」
「アイシクルレーザー!」
一斉に放たれる魔術の猛攻が、モンスター達に襲い掛かる。ヌルスの知っているそれと系統は違うようだが、間違いなく魔術だ。
繁みの向こうに、三人の魔術師の姿がある。皆、腕の中で眠る少女と同じデザインの濃紺のローブと帽子を被っている。性別は男二人に女一人。手には短いスティックのような杖と、先端に煌めく魔術触媒。
彼ら彼女らは繁みの中に這いつくばっているヌルスと少女は見えていないようで、上空のモンスターに集中しているようだ。
「くっそ、急にアルテイシアの姿が見えなくなったと思ったら、こいつらのせいか!」
「ハイドポッド……不意打ちを得意とする植物型モンスターだね。冒険者の隊列を、一番後ろから丸のみにしていくっていう話だ」
「とにかく全部撃ち落すのよ! どれにアルテイシアが入ってるか分からないんだから、直撃させないようにね!」
「わーってるよ!」
再び一斉に魔術が放たれ、モンスター達のツタを断ち切って袋を落としていく。どうやら、彼らは少女の仲間らしい。文脈から察するに、いつの間にか姿を消した仲間を探して引き返してきた所で、モンスターの群れを見つけてこいつらが原因だと判断したようだ。
その認識はあっているのだが、モンスターが高い所に居る所を失念している。もう助けた後だからいいが、いくら袋に入っていてもあの高さから落とされたら大怪我では済まないと思うが。あるいは、そのまま消化されるよりはマシという割り切った判断なのかもしれないが……。
《いや。そこまで考えが及んでいないだけだな。あれは》
何にせよ、助けが来たならもう少女を庇っている必要は無いだろう。それどころか、見つかれば襲撃犯の一味と勘違いされかねない。さっきからこんなのばっかりである。
ちなみに、ヌルスの知る所ではないが彼らがこの場に駆け付けたのは、ヌルスの魔術が原因である。突然消えたパーティーメンバーの姿を探していたところ、道から外れた場所で魔術の発動を感知した彼らは、探している仲間が魔術で抵抗しているのだと判断して急いでやってきたのだ。まあつまり、見ようによってはヌルスが自ら招いた結果ではあるのだが、流石にそんな事までは分からない。
まあ、こんな日もあるさ、とヌルスは気持ちを入れ替えると少女を地面にそっと横たえた。そして少し考えて、溶けてボロボロになったローブと帽子を頂いていく。命を救った駄賃にはそう高いものではないだろう。
《まあ、目的は果たせたのだから、これはこれで、か……》
つり合いが取れているかは怪しいが、これもまた縁というものだろう。
冒険者に偽装するにはまだ足りないが、少なくともこれで遠目ならば誤魔化せるはずだ。他の小道具は、おいおい探す事としよう。
繁みの奥に離脱しつつ、最後にヌルスはちらりと少女の寝顔に意識を向けた。
《確か……アルテイシア、だったか。まあまた会う事もあるだろう。その時はよろしくな》
「あ、みんな! アルテイシアよ! 無事みたい!」
《おっと》
上空のモンスターをあらかた殲滅した所で、寝かされている少女に仲間たちが気が付いたようだ。これ以上の面倒事になる前に、ヌルスはさっさと繁みの奥へと逃げ出した。
だから。
ヌルスは最後まで気が付かなかった。
気を失っていたと思っていた少女が薄目を明けて、じっと藪の奥へ姿を消すヌルスを目で追っていたなどと。
ヌルスは、夢にも思っていなかった。
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