第二十一話 蟲の魔術師
無数の灯が、今日も冒険者達の希望と悲哀を微かに照らす迷宮3層。
地底湖の上に張り巡らされた回廊を、独りもそもそと歩く影があった。
《ふっふっふ……》
赤褐色の朽ち果て裾が千々に千切れた外套に、その下から除くのは鉄仮面と鉄の籠手。旅装束の剣士かと思いきや、その手に握られているのは魔術の杖だ。
冒険者の装備セオリーから完全に離れた装備のその人物は、まるで酔っぱらっているかのような不安定な足取りで滑りやすい回廊の上をふらふらと歩いていた。
その人物は勿論人間ではなく、冒険者に偽装したヌルスである。外套の中には胴鎧と、たくさんの触手が詰まっている。下半身は特に偽装する事なく、触手が剥きだした。脚甲等を装備して人間っぽく歩くのは、残念ながら難易度が高すぎて断念せざるを得なかった。今の細い触手は確かに今までと比べてもパワーに劣るわけではないのだが、それを束ねて二本の脚っぽくしようとするとどうしても上半身を支えられない。貧弱貧弱と侮っていた人間の装備を抱えきれない事にヌルスはいたくショックを受けたが、つまるところ人間にあってヌルスには無い物……すなわち骨、というのはヌルスが思うよりも遥かに自重の支えとして重要、という事である。
それを隠すための外套である。幸いにして腕の動きや指の動きを偽装するのはそう難しい事ではなく、激しく動かなければちょっと曖昧な感じの変な人間に見えるはずだ……とヌルスは信じていた。
実際のところどうだったかというと、まあかなり微妙である。本人は完璧に真似ているつもりだが、骨や関節がない触手の動きはぐにゃぐにゃとしていて、距離があればともかく近くで見たら素人でも違和感を覚えるかもしれない。残念ながら、冒険者を間近で観察するにはまだまだ力不足だ。
それでも全く駄目という訳ではない。理由はいくつかある。
一つは、ヌルスの戦術が魔術である事。基本的に杖を構えてもごもご呪文を唱えるだけなので、動きの不自然さがバレにくい。もし剣とか槍を使って戦おうものなら一発でバレていた。
二つ目は、3層の環境だ。基本的に薄暗く影の落ちるこの状況、多少触手が外套からはみ出していてもそうそう目につかない。また確かに落下しないよう足元に注意する必要はあるが、あくまで注視するのは自分の足、である。他人の足なんて見ている暇はない。
三つ目。幸いというべきか、冒険者の中には変わり者も多く、それ故にあまり深入りしないのがセオリーだ。人型、あるいは人間に偽装するモンスターが居ない訳ではないが、それは3層なんていう低階層に出現しないし、そもそもそれらは人間に対する敵意に溢れている。偽装するのも不意をつく為、あるいは戦術上の理由である。人間に敵意をもたず、通りすがってもぺこりと挨拶をかわし、背中を見せても襲ってこないヌルスは、モンスターだと看破するにはいささか無害に過ぎた。であるならば、怪しい奴には関わらないでおこう、の精神が優先される。
そういった複数の理由が重なって、ヌルスの残念な偽装は、一応機能していたのだった。本人は自分の完璧な偽装故にの事だな! と有頂天ではあったが。
《ふふふ。我が考えながら、ここまで上手く事が運ぶとはな。この知性、どこから来たのかわからないが、もしかして世紀の大賢者か何かの残滓を吸収していたのでは……?》
上機嫌に思い上がりも甚だしい事を考えながら道を行くヌルス。足元に気をつけながら慎重に回廊を渡る彼だが、それを見下ろす天井のコウモリモンスター達は「なんだあれ……」という視線を向けながら、ヌルスに襲い掛かる様子は見せない。
ちなみにここでまた一つ奇妙な偶然があるのだが、ヌルスは冒険者のセオリーや攻略法などを知らない。だから当然、天井に潜むモンスターが襲ってこないようにするための臭い袋のことも把握していない。ただ、この3層で果てた冒険者の遺品を纏っているので、当然装備には匂い袋の匂いが沁みついている。そのおかげで襲われていないのだが、そもそも当の本人は天井のコウモリモンスターが冒険者を襲ったり襲わなかったりする理由をそもそも勘違いしている。
《やはりな。この間、冒険者が変異モンスターと天上のモンスターに挟撃されているのを見てそうではないかと思ったが、この天井のモンスター、他のモンスターの襲撃に便乗して有利な時だけ襲うタイプだな。賢くはあるが、単体で襲ってこないならそう脅威ではない》
違います。
なんというか、本当にあまりにも見落としが多くて実態はデコボコにも程があるのだが、どういう訳か、今の所は上手くいっているのだった。
《ん? モンスター……私を狙っているのか》
回廊上に姿を表した両生類型モンスター。その視線がまっすぐ自分に向けられているのを見てとって、ヌルスは杖を構えなおした。
こちらを見つめるモンスターの視線には敵意しか感じない。いや、若干の食欲のようなものも向けられている。どうやらこの程度の偽装では、同じモンスターはごまかせないらしい。最も冒険者に完全に偽装していても、彼らと戦う事になるのは変わらない。どの道、モンスターとの戦闘は避けられないという訳だ。
《いいだろう。相手になってやる》
ヌルスの意思が伝わった訳ではないだろうが、その闘志に反応したように両生類型モンスターが向かってくる。足裏の吸盤で不安定で滑りやすい回廊を素早く動くのは驚異だが、ヌルスにとっては関係ない。
『α γ』
呪文の詠唱を開始するヌルスに、モンスターはぬるぬると接近してくる。至近距離まで近づくと、人一人丸のみにできる大口をかっぴらく。鋭い牙はないが、縁は刃物のように鋭く、怪力と相まって口に入らない部分はざっくりと切り落とし、飲み込める部分だけ持ち去っていくつもりだ。人間相手にはそんな大胆な行動にはなかなかでないので、これはやはりヌルスの正体がモンスターである事は彼らには筒抜けという事だろう。
最も。このまま素直に丸のみにされてやるつもりはヌルスには全くないが。
『β!』
呪文が完成し、雷撃の槍が放たれる。それは無防備に開かれた大口の口蓋を穿ち、雷光を煌めかせた。無防備に電撃を受けたモンスターの四肢が痙攣し、鼻を突くイオン臭を上げてその場に崩れ落ちる。
言うまでもなく、全身を粘液で覆ったこの手のモンスターに電撃は特攻だ。そもそもこの3層という環境のデザインからして、電撃系統の魔術はとてもよく効く。魔術師であるならばこんな階層は楽勝で突破し、先に行っているという事だ。逆に言えば、だいたい速攻クリアするせいでモンスター達も遭遇機会に恵まれず、経験を詰んでいない。
とはいえ油断は禁物だ。モンスターというのは律儀にタイマンを仕掛けてくるような殊勝な生き物ではない。
ヌルスは眼前の敵を素早く処理し、背後へと振り返る。そちらでは予想通り、バックアタックをしかけるつもりだったであろうモンスターが、ぺたぺたと吸盤の吸着力で切り立った岸壁を昇りきり、回廊の上に体を持ち上げている所だった。
<作者からのコメント>
sasakisanさん、PSKpさん、レビューありがとうございます!
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