第二十話 噂の救世主 その2
「おう!」
すぐさま強敵相手想定のフォーメーションを組みなおす冒険者。盾持ちが前に進み、両手で剣を構えた剣士が腰を低く落とす。タンクが相手の攻撃を受け、その隙をアタッカーがつく。能力がわからない以上、長期戦は危険が高い。多少のリスクを飲み込んで短期決戦に持ち込むのが、却って安全だ。
そんな人間の様子を前に、変異モンスターがぶくりと頬を膨らませた。ブレスの前兆と見たタンクが、盾を構えて前に出る。
毒か、炎か、あるいは水流か。いずれであっても想定済み。冒険者は何が来ても対応できる所存だった。
だが、変異モンスターが吹き付けてきたのは、そのいずれでもなかった。
「っ!? わ、く、臭っ!?」
「なんだこれ、悪臭ブレスかよ!?」
変異モンスターの口から吐き出される、紫色のガス。それは盾を腐食させる事も、高熱を伴っている事もなかったが、代わりに鼻をつく悪臭が彼らを襲った。閉鎖空間かつ不衛生な状態で長期間過ごす必要のある冒険者は悪臭にもなれているはずだが、それを踏まえてもなお気分を害するほどの悪臭に、防御は万全ながらも足が止まる。
げっふぅ、とブレスを吐き終わり、にたりと笑う変異モンスター。その様子を見て、冒険者は素早く互いに体調を確認した。
「何か異常は?」
「臭い以外いは特に。脱力感や体の違和感もない」
「店員さんは?」
「私も特に……」
どうやら臭いだけで、毒性も特にないらしい。となるとあまり脅威ではないのかもしれない、と冒険者の頭を油断がよぎった。この匂いが細菌性のものであれば、衣服などが朽ちる恐れはあるが、それもブレスを受けてちょっと汚れたくらいで、物理的な被害は皆無に等しい。このまま交戦を続けていれば悪臭がこちらのパフォーマンスを落とす事はあるだろう、それが目的の攻撃だろうか。
相手のブレスをデバフ系と判断し、冒険者は攻撃に移る判断をする。だが、その直前、にわかに騒がしくなった羽音に、彼らは戸惑ったように周囲を見渡した。
「なんだ?」
「羽音? ……天井のコウモリ型モンスターか?!」
そう。3層の脅威は、回廊から冒険者を突き落としてくる両生類型モンスターのほかに、天井の鍾乳洞にいる飛行モンスターも存在する。暗闇の中から襲い掛かってくるそれらを相手しながら回廊を渡り切るのは至難の業だ。だが、あまりにも脅威であるからこそ、根本的な対策が施されている。3層に踏み入る全ての冒険者は、それらを避けるための匂い袋を装備している。
そう、匂い袋。
「……しまった!」
冒険者が変異モンスターの狙いに気が付いた時にはもう遅く。闇の向こうから、コウモリ型モンスターの集団が波濤のように押し寄せてきた。その羽ばたきに包まれ、進むも引くもできず、その場に身を低くする事しかできない。
店員の悲鳴が響いた。
「ひぃぃいい!」
「くそっ、これじゃ立ち上がることも……うがああ!?」
「エリック!」
盾持ちが怪力で吹き飛ばされ、回廊から落ちていく。遥か眼下、黒い湖に水柱が上った。
変異モンスターは盾持ちを叩き落とした剛腕をゆっくりと引き戻し、剣士を黒い瞳でぎょろりとねめつけた。攻撃が来る、そうわかっていても、顔の周りを飛び交い、隙あらば突き落とそうとしてくる飛行モンスターの大群に、集中することができない。というより、少しでも気合を抜けば下の湖に真っ逆さまだ。
「く、くそ……!」
ズシン、ズシンと変異モンスターが迫ってくる。剣士が覚悟を決めた、その時。
『β γ α』
バチン! という痛撃が剣士を襲う。ダメージというには程遠いが、痛みだけは一級品。鋭い張り手のような衝撃が駆け抜け、視界が明滅した。
だが周囲のモンスターはそれにとどまらなかったようだ。飛行モンスター達は皆、硬直したように羽ばたきを停止させてボトボトと落ちていく。急に上空からの脅威から解放され、冒険者達は自由を取り戻した。
「何が……」
周囲を反射的に見まわした剣士は、ふとある事に気が付く。3層の回廊は、場所によっては立体的に複数の道が交差している場合もある。彼らの立つ回廊とは別に、少し下に伸びている回廊。そこに、見覚えのない影がある。それは襤褸をまとった魔術師のようにみえた。全身を包む外套から覗いているのは古びた籠手。それが、みすぼらしい杖を手に剣士やモンスターを見上げている。
『α γ β』
再びの詠唱。魔術師が持つ杖の先の触媒が黄色く輝いたかと思うと、放たれた雷光が暗闇を駆け抜けた。その一撃は回廊に届くと、上からの水滴で濡れている足場を一瞬でかけめぐった。冒険者達は、滑り止めもかねた絶縁体をブーツに仕込んでいるのもあり、悪くて少しビリビリとする程度。だが、全身を粘液に包み、回廊に這うようにしてしがみついている両生類モンスターの大半にはたまったものではなかった。苦痛の悲鳴が上がり、落ちたりはしないものの多くが痛みを恐れてその場を離れていく。
恐らく電撃魔法。ライトニングボルトの一撃だ。先ほど飛行モンスターの集団を蹴散らしたのも同系統の魔法だろう。
気が付けば多くのモンスターはその場を離れ、残るのは変異モンスターだけだ。体が大きいそいつは電撃の効き目が悪かったのかもしれないが、単体ならばそう大きな脅威ではない。手品の種も割れている。
「スマン、助かった! 恩に着る!」
剣士が礼の声を上げるが、魔術師は沈黙したままだ。彼、もしくは彼女はそれきり冒険者達の戦いに興味を失ったようにそっぽを向き、眼下の地底湖を見下ろした。
そこでは先ほど突き落とされた冒険者が、出来るだけ水音を立てないように陸にあがろうとしている。だが、すでにその背後には特徴的な三角形の背びれが水面に姿を見せ、男の背後を突け狙っている。まだ陸地までは遠い、このままでは彼はモンスターの餌食になってしまうだろう。
魔術師は杖の先端に手を駆けると、コチリ、と触媒になっている宝石を外した。黄色く輝くそれを懐に仕舞い、代わりに青白く輝く宝石を新たに取り付ける。柔らかい金具を指先でまげて宝石を固定した魔術師は、再び杖をかざして呪文を詠唱した。
『β γ α』
放たれたのは、今度は凍結の魔術。広範囲に霧のような冷気が出現し、シンシンと下に降りていく。それは泳ぐ男の背後へと降り注ぎ、周辺の水面を凍結させた。男を追っていたモンスターは、突如獲物との間を阻むように現れた極寒の障害に、戸惑ったように動きを止める。
モンスターの動きを封じるほどではないが、これで男が陸に逃げるだけの時間は稼げただろう。魔術師は安堵するようにうなずくそぶりを見せると、そのまま回廊を引き返した。
そして、変異モンスターを剣士が両断し、男が陸上に上がって一息ついて、それぞれ助けの主を確認しようとした時。その姿は、迷宮のどこかにすでに消え去ってしまった後だった。
これ以上のトラブルはご免だと彼らはすぐに店員を伴って引き返したが、安全地帯まで戻れば口をついて出るのは謎の救い主についてである。
「参ったな。お礼も言わせてくれないなんて」
「あまり見ない顔……いや、顔は見えなかったが。最近迷宮に入るようになった新人かな」
「魔術師なんて珍しい。まあ、おかげで調べればすぐわかるんじゃないか。酒の一杯でもおごらないと気が済まない」
「だな」
顔を見合わせて笑いあう冒険者達。
だがしかし。彼らの予想とは裏腹に、謎の魔術師が何者かについては、ギルドに確認してみてもとんと分からぬままだった。
<作者からのコメント>
winston4612さん、レビューありがとうございます!
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