第十九話 噂の救世主 その1



 迷宮にもよるが、低階層は比較的危険が少ない事も多い。そして迷宮内部は、天然自然では考えられないような構造をしている事も多いため、しばしば外界の者が利用する事もある。巣窟迷宮エトヴァゼルの3層はその代表例だ。地底湖の広がるこの階層は、定期的に晴れの日によって地形が変わる事はあっても、メインとなる湖の他に、小さな池がいくつか存在する基本構造は変わらない。よって、迷宮外の飲食店が、魚の養殖に用いていた。


 3層は危険なトラップがあるが、それでも対策しておけばそう難易度は高くない為、養殖事業はもう何年も続いていた。


 それでも、迷宮は迷宮である。例え冒険者を護衛につけても、万が一という事はありうる。


 そう、ちょうど、今の様に。


「ひぃいぃーー!」


「ええい、ちょっと静かにしててくれ! 気が散る!」


 回廊の足場が細くなる場所で、一つの冒険者パーティーが魔物たちの襲撃を受けていた。取り囲む両生類型モンスターと交戦しているのは三人の剣士で、彼らに囲まれるようにして小太りの男が頭を抱えてしゃがみこんでいる。その傍らには、魚を入れた篭が置かれている。


 見るからに戦力外の男は、外の飲食店の店員だ。そして他のメンバーは彼の護衛である。


 そんな彼らを、6匹を越える数の両生類型モンスターが取り囲み、じわじわと包囲を狭めている。至近まで肉薄してきたモンスターが牙のない、しかし刃物のように鋭い顎で噛みついてくるのを、剣士が盾でいなし剣を振るう。体表を粘膜で覆っている両生類モンスターに刃は効き目が悪いが、それをものともしない太刀筋が皮を割き、肉を切り、骨を断つ。半ば半分にまで断ち切られたモンスターは姿勢を崩し、底の湖へと落ちていった。


 だが一息いれる暇もなく、控えていたモンスターが前に出てくる。


 剣士が舌打ちをした。


「くっそ、数が多すぎる!」


「どうなってるんが、こいつら。なんで今日に限ってこんなに集まってくる?」


「魚狙い……じゃないな。もしそうだったら魚なんて捨てて逃げ出すんだが……」


 これまで篭の魚は勿論、養殖場の魚にだってモンスターが興味を示した事はないから違うだろう。モンスターが人間を襲うのは、本能的な防衛反応だ。モンスターはモンスター同士で生態系が完結していて、自らが生きるためにそれ以外の生き物を襲う必要はない。勿論、必要はないだけで何かしらの事情で攻撃する事はあるが。


 少なくともそのレアケースじゃない事は確かだ、と冒険者は自分達を注視するモンスターの視線から確信していた。奴らの注意は人間にのみ向けられている。魚には興味がない。


「何かヤバい予感がする。無理にでもつっきって離脱しよう」


「わかった。店員のおっちゃん、気持ちは分かるが、立ってくれ! このままだと死んじまうぞ」


「ひ、ひぃい……わかりましたよぉ……」


 背を丸くしたまま、身を起こす店員。この状況でも傍らの魚桶を手に取るのは、プロ根性というか、状況を理解していないだけなのか。


「俺たちで突破口を開く! はぐれずについてこい!」


「は、はひぃ!」


「いくぞ!」


 剣士二人が息を合わせ、後方の通路を塞ぐモンスターの排除にかかる。一人は盾でモンスターを殴打し、一人や剣でその鼻先を切り裂いて牽制する。致命には程遠いものの、勢いにおされてモンスターたちの包囲が一時的に弱まったかのように見えた。


「いまだ、いくぞ……いや、待て!」


 隙とみて駆けだそうとした冒険者が、しかし仲間を止める。剣を両手で構えなおし、本格的に事を構える姿勢となった彼は、闇の向こうに目を凝らした。


 一見、包囲を解いたかのように見えるモンスターの群れ。だが、彼らが引いてできた空間に、闇の向こうから悠々と進み出てくる影がある。消えかけている松明の明かりが、その姿を照らした。


 それは紫色に染まった体表を持つ、一匹の大型両生類モンスターだった。付き従うような他のモンスターよりも一回り以上大きく、腹ばいに四足歩行するのではなく半身を起こし二足歩行している。その感情を伺わせない黒い瞳が、上から冒険者たちを見下ろした。


 冒険者たちに動揺が走る。3層は何度も訪れている彼らだが、見た事のないモンスターだ。


「でかい……!」


「変異体か?!」


 迷宮は階層によって出現するモンスターがだいたい決まっているが、完全に固定ではない。何らかの要因、それまでなかったストレスなどによって新しいモンスターが出現する事もあれば、既存のモンスターが変異を起こし、大きく姿を変える事もある。冒険者達は知らぬ事だが、最近、この階層ではある小さな魔物が魔術の練習に励んでいた。それが刺激となり、新たな変異体が現れたのだろう。


 変異体の厄介なところは、当然ながら新しく出現した個体であるため、既存の知識が通用しないところである。強い弱いではなく、わからない、というのが最大の脅威なのだ。そもそも魔物は根本的に人間より頑強な肉体を持ち、生命体として上位である。情報という武器があるからこそ、それらと戦う事ができているのだから、その最大の武器である情報がないのは非常に危険な相手だ。


 普段であればまともに相手をせず、離脱に専念するべきである。だが今は状況が悪い。非戦闘員である店員を逃がす必要があるし、最悪彼を見捨てるとして、この狭い回廊上ではどのみちこの変異体を倒さなければ突破口は作れない。反対側に離脱したところで、階層の奥にいざなわれるだけで状況が悪くなるだけである。


 もしかするとこの状況をお膳立てしたのもコイツかもしれない。一般に知性が低いとされる両生類型モンスターだが、冒険者たちはこの群れを率いる大型モンスターが狼程度に知恵を働かせる前提で当たる事にした。


「油断するな! 手堅くいくぞ!」




<作者からのコメント>

リンゴ農家さん、レビューありがとうございます!



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