第五十一話 都合の良い話


「大丈夫ですか?!」


 アルテイシアが膝をつく冒険者に駆け寄る。ヌルスはあまり近づかずに、ギリギリの所で存在を示すだけにする。この後の展開に備えての事だ。


「う……君は……」


「申し訳ありません、狙いが付けられなくて困っていたら友人が少々、乱暴な手段に訴えまして……。大丈夫ですか? 痺れ、抜けないような事はありませんか?」


「……いや、助かった。ありがとう」


 ふらつきながらも身を起こす冒険者。年若い男のように見える彼は取り落とした剣を拾い上げて鞘に戻しつつも、感謝と嫌悪の混じった複雑そうな視線をヌルスに向けてくる。一方、アルテイシアは彼に悟られないよう、「すいません」と視線で伝えてくる。


 構わない。ここでヌルスが悪役を演じた方が、恐らく望むように話が転がるだろう。


 少しぐらついた冒険者の肩をアルテイシアが支える。それに対し「すまん」と返す冒険者の声色は、純度の高い感謝が含まれていた。


「……あっちの男には言いたい事があるが、まあ助かったからよしとしようか……。それとすまない、あっちの方に相棒が倒れてる。魔物を引き離そうとして……」


「わかりました。……その状態ですと、相棒さんを連れて地上まで戻るのは難しそうですね。一端、転移陣の所までお送りしましょう」


 どうやら、狙い通りの展開になりそうだ。ヌルスは紙を取り出すと、返事の為に指を走らせた。


「いいのか?」


「ええ。友人と二人で探索していたのですが、そろそろ私もパーティーと合流しようと思っていたので」


「……言っちゃなんだが、友人は選んだ方がいいと思うぞ、あんた」


 正直な話、それにはヌルスも大いに同意する。一体何がアルテイシアの琴線に触れたかは知らないが、もう少し彼女は不審人物に警戒心を抱いた方がいい。確かにアルテイシアと交流を持つ事はヌルスにとってメリットであったが、アルテイシアにとっては時間の無駄、得る物は少ないだろうに。物好きな女である、という根本的な認識は変わっていないし、多分これからも変わらないだろう。


 しかしながら、アルテイシアの返事は少々意外なモノだった。


「いえ、あれでいい所もあるし、優しい所もあるんですよ? っと、すいません、ヌルスさん。私、お二人をちょっと転移陣まで送っていこうと思います」


『構わない。私が居れば二人は嫌な思いをするだろうから、同行はここまでだな』


「はい、お気遣いありがとうございます」


 一人で大丈夫か、はまあ心配するだけ無駄だろう。ハイドポッドに丸呑みされてるのが初対面だったから不安なイメージはあるが、実情として今日一日行動を共にした限りでは、下手をすれば4層を一人で攻略できてもおかしくはない実力者、という事は間違いない。ここから転移陣のある入口まで戻るぐらい、二人のお荷物を抱えていても問題は無いだろう。


 ハイドポッドにやられたのはそれこそ油断と情報不足が原因だ。……まあ逆に言うと、そういう脇の甘さがあるのだが。


 それにそもそも、そういう流れになるように取り計らったのだし、ここで私も送っていこうなんて言い出すわけにはいかない。正直、思った以上に都合の良い方向にすらすらと話が進んで、どこか作為的なものすら感じるが。


《いや、まさかな》


 ふって沸いた僅かな疑問を、ヌルスは些細な事と振り払った。


「それじゃあ、ヌルスさん。また迷宮でお会いしましょう」


『そうだな。機会があれば、また』


「ええ」


 そのまま、特に約束を交わす事なくその場を分かれた。


 お互い、迷宮探索をしている以上、生きていればまた顔を合わせる事だろう。特に同じ地図を使っているのだから、交流を持とうと思えばそう難しい話でもない。


 もっとも、ヌルスはしばらく彼女と顔を合わせるつもりは無いが。


 少々、同じ時間を共に過ごしすぎた。身近で人間を観察するのはとても良い勉強になったが、しかしそれはあちらも同じこと。長時間ヌルスと共に行動した事で、彼の正体を薄々察し始めている可能性だってなくはない。


 できれば、記憶が薄くなるぐらいには時間を置いた方がいいだろう。その間に、人間への擬態や声真似をもっと練習しておくべきか。


 冒険者に声をかけつつ引き返していくアルテイシアを見送って、ヌルスはその場を後にした。




「いや、本当に悪い……」


「いえいえ。私にとっても非常に都合が良かったので。ヌルスさん、そろそろおひとりになりたい様子でしたので。ふふふ」


「?」





《ふぅ。さて、色々あったが……これでようやく、拠点に帰れるか》


 一人通気孔の元に戻り、ヌルスは周辺に人の目が無い事を確認すると擬態を解いた。ぐずりと人のシルエットが崩れ、触手の塊となった彼は、そのままうぞうぞと通気孔へと潜り込む。籠手や鎧を触手に絡ませるようにして引き込み、穴の中を進んでいく。


 この通気孔はそこまで複雑な形状をしていないようだ。しばらくゆるやかにカーブするトンネルをくぐっていくと、直に見覚えのある明かりが見えてくる。


 ぼんやりとした、4層のそれに比べれば随分と頼りない明かり。しかしそれを見たヌルスの胸には言語に尽くしがたい安堵が満ちた。


《ふぅ……ようやく、ようやく帰ってこれたか》


 ずべち、と床に落ちて潰れながら、ヌルスは久方ぶりの我が家を見渡した。


 当然ながら変わりなく、開いたままの日記帳も、開いた状態で乾かしている魔術書も、皆、記憶にあるままの状態だ。ずるずると這いつくばって机の元にたどり着くと、ローブやら鎧やら籠手やらを投げ出して、ヌルスは本体を椅子の上にゆっくりと乗せた。


 ふぅ、と脱力する。


 肉体的には、定期的に魔力結晶を補給していたから問題はない。だが、安全が保障され物資が保管されている拠点に帰還できた事への、精神的充足というか、安堵というか、精神的な安らぎは身に染みるものがあった。


《人間達が、地上と迷宮を行き来しているの、不便じゃないかと思う事もあったが……ああ、今なら分かる。分かるぞ。効率じゃないんだな、心の安らぎというのは……》


 また一つ、人間についての理解を実感と共に深めながら、ヌルスはゆっくりと意識を閉じる。


 疲れた。


 今はしばし、惰眠を貪りたい。


 そのまま、椅子の上に丸まったまま、触手の塊はすやすやと眠りについた。




 そしてパチリと目が覚める。いや、目は無いが。


《ふう。よく寝た》


 多数の触手をぶるぶると震わせて、調子を確認する。


 たっぷり寝た事で精神の疲れも取れたのか、眠りにつく前はどこかひっかかりを感じた体の動きは滑らかでスムーズだ。触手の全てに自分の意思がいきわたっているのを感じ取り、ヌルスは機嫌よく日記帳を捲った。


《さて、忘れない内に記録を残しておこう》


 とぽとぽとぽ、と瓶に黒い粘液を満たし、ペンをチョンとつける。あとはさらさらっと。


 アルテイシアとの筆談はヌルスにとってとてもよい経験になった。日記に記される文字も、その直前と比べると天と地ほどに違う……気がする。


 文字そのものは魔術書のそれという手本があったから、より細かい作業に触手が適応した、といった方がいいだろう。より考えている事をイメージ通りに表現できるようになった、といったところ。


 明らかに部屋に籠って文字の練習していた時よりも上達が早かったのは、人間の隣に居るという緊張状態が齎した結果だろうか。


《……ふむ》


 日記の内容がそこに及んだところで、ふとペンが止まる。


《アルテイシア。アルテイシアか……》


 そういえば名前の綴りを聞いていなかった。こうだろうか、それともこうだろうか? 日記帳の上でペンが踊る。


 靡く濃紺のローブに、ユラユラゆれる金の三つ編み。躍動する太ももと、青く煌めく瞳。


 強く印象に残った彼女の印象を思い返しながら、ヌルスはしみじみと彼女との交流を思い返した。


《賢い子だったなぁ。彼女が私の魔術の師匠になってくれれば、もっと魔術の修練も捗るんだけどなぁ……》


 しきりに私優秀ですから! というのをアピールしていたが、それが自慢にならないぐらいには、そう、本当に彼女は優れた魔術師だった。というか、言ってる事の半分ぐらいはヌルスには理解できないレベルの話だった。残念ながら、議論というものは同じ知性レベル同士でなければ成立しないのだな、という好例であると認めざるを得ない。


 独学で魔術を習得できた事でちょっと調子にのっていたヌルスだったが、本当の天才はアルテイシアのような人物である、と現実を思い知らされた気分である。


《……ワンチャン、ないかな》


 そして、好ましい人物でもあった。


 そんな事が在る筈もないのに、もしかしたら彼女なら、自分の正体を明かしても理性的に対応してくれるのではないか。そんな、都合の良い妄想のような考えが頭をよぎる。


《触手は嫌いじゃないって言ってたし……いやでもあれ、額面通りとっていい言葉なのか? なんか裏なかったかあれ?》


 うーん、うーんと。答えの出ない懊悩に身を捩る触手。ぎゅるぎゅると触手を回転させ、セルフ雑巾絞りのように体を捩じれるだけ捩じった後、くたりとネルスは萎びた。


《……そんな事ある訳ないじゃん。アホらし》


 言葉とは裏腹に、ヌルスの頭に残るのは未練ばかりだ。


 妄想を振り払って気持ちを切り替えると、ヌルスは隠し部屋を見渡した。


《そんな事よりやる事はいっぱいだ。持ち出したスクロールや触媒は大半使い切ってしまったし、この隠し部屋に残されてる在庫を確認して今後の計画を纏めないと。あとは……》


 ちらり、と並ぶ通風孔に目を向ける。


《……今後、どう迷宮を攻略していくか、それが問題だな》


 見た所、繋がっている通気孔は三つ。一つは勿論4層に繋がっている通路。あとの二つは、これまで繋がっていなかった通路だ。うち一つは、かなりの魔力と魔素を感じる、間違いなく4層よりさらに先。だが、もう一方の通路から感じられる魔力や魔素は、明らかに少ない。かつての3層のそれより少ないのではないだろうか?


 これまで繋がっていた低階層は3層と2層。だがそのどちらでもなく、かつ、それより深い階層に繋がっていない、となると……。


《一層、か》


 都合が良いというか、なんというか。ここにきて、一階層へ繋がる道があるというのは。


 今後の事を考えても、一層からフロアガーディアンを突破して正規ルートで4層までの道を切り開いておくのは決して悪い事ではない。それ自体は歓迎すべき事だ。


 問題は……。


《もっとも難易度が低い階層。外の世界と最も近い階層。……いろんな人間が居るだろうな》


 それは勿論、あまり褒められたものではない人間も多くいるだろう。


 その事自体は問題ではない。多様性こそが人間の最大の武器だ。良い、悪いではない。


 ただ、ヌルス自身と合う合わないはまた別の話だ。特に純粋に人の目が多いと、正体がばれやすい危険はあるだろう。


《……むぅ》


 しかしそれでも、今回の件のように何かあった時、転移陣で上層に移動できないのはやはり問題だ。どうせ必要なら、早いうちにやってしまった方がいいだろう。


 それにヌルスの目的、迷宮の外に出ても生きていける方法、それが低階層には無い、とは言い切れない。とにかく一通り目を通す必要は絶対にある。


 あとは感情の問題だ。


《まあ、仕方ない。嫌な事は速めに終わらせてしまうべきだろう》


 気持ちを切り替え、ヌルスはしぶしぶ、その準備を始める事にした。


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