第五十二話 雑多なる始まりの洞



 巣窟迷宮のエトヴァゼルの第一層。


 もっとも地上に近い階層だけあって、その構造はあまり迷宮らしくなく、自然の洞窟に酷似している。


 薄暗い鍾乳洞の洞窟。湿気が高く、そこら中にコケが生い茂っている。あちこちに灯された松明の光が、行き来する人の陰をしきりに壁へと投影する。


 とにかく、他の階層に比べて人が多い。


 故に、ヌルスが孔から這い出るのも、ずいぶんとタイミングをうかがう必要があった。


 バタバタとガサツな足音が通り過ぎるのを確認して、ずるりと這い出るヌルス。すぐさま身をととのえると、間一髪、通路の向こうから歩いてくる人影。無精ひげと薄汚い恰好の男の視線を浴びながらも、ヌルスはなんともない風を装ってやり過ごす。


「あん……? 見ない顔だな」


『…………』


 不躾に顔を近づけてくる相手に、無言でやり過ごす。明らかに非友好的だし、うかつに筆談を試みない方がいいだろう。間近に佇む男からは、不愉快な異臭を感じる。


「けっ、だんまりかよ」


 返事をしないヌルスに関心を失ったのか、男はそのまま去っていく。男の背中が迷宮の中に消えるのを見送って一息つく間もなく、また別の人間の気配がする。どうやら、ここでじっとしているのはあまり賢い判断ではなさそうだ。しかしこれだけ人がうろついていると、気配を避けて歩くわけにもいかない。


 とりあえず、動いてみるべきか。この人の多さからも、一階層がそう広い訳ではないのが見て取れる。すぐにフロアガーディアンの小部屋にたどり着けるだろう。


 そう行動指針を固め、ヌルスはあまり人に近づかないよう、気配を探りながら移動を開始した。


《しかし想定はしていたが、まあ、なんというか……》


 移動の途中、迷宮のあちらこちらにたむろしている冒険者の姿が目に入る。ほとんどは薄汚い恰好をした、能力的にも一般人に毛が生えたような人々だ。


 彼らはどうやら徒党を組んで迷宮の魔物を狩りだしているらしい。少しのぞき込むと、一匹の小さな魔物を4人がかりで取り囲んでいる様子が目に入った。


 魔物はいくつも小さな手傷を負っており、大分弱っている。それを男達は遠巻きにしながら少しずつ傷を負わせているようだ。


『ギ……ギィ……!』


「ちっ、こいつしぶといな……」


「さっさと倒れろよ」


 トカゲのような魔物が牙をむいて威嚇するのに気おされながらも、口汚い罵倒が飛ぶ。と、魔物が正面の相手に気を取られたところで、背後に回り込んだ男が剣で切りかかった。


「もらったっ」


『ギャンッ!?』


 傷によるダメージにか、反応が鈍っていた魔物はその一撃を回避できなかった。無防備な背面に剣が深く食い込み、ビクンと痙攣した後その手足から力が抜ける。倒れた魔物の体はたちまち燃え尽きて灰になるが、それよりも早く男達がその死体に蠅のように群がった。


「どけ、トドメを刺したのは俺だぞ!」


「馬鹿いえ、俺が弱らせていたからこそだろうが」


「邪魔だ、すっこんでろ!」


 忽ち始まる争奪戦。ちっぽけな魔力の欠片を巡って、同士討ちでもしそうな勢いでいがみあいが始まる。


 その見苦しいさまを遠巻きに観察しながらも、ヌルスは彼らに存在を気づかれる前に足早にその場を後にした。


《なるほど。一層の魔物は弱いから、小銭稼ぎ目当ての冒険者が多いのか》


 印象としては、冒険者というよりは唯のごろつきだが。弱いといっても、鍛えていない人間よりははるかに強い魔物相手に、集団で掛かる事で安全マージンを取るのは確かに悪い手ではないが、報酬が釣り合っているとは思えない。それでいて結局命の危険が絡むのは変わらないのだから、向上心があるならもうちょっと自分を鍛えて2層で魔物を狩った方が利率はいいのではないかと思う。あれだと、魔力結晶がいくら良い値段で売れると言っても、時間当たりの効率でいえばかなり悪いのではないか?


《いや、私の気にする事ではないか。そもそも人間側からすれば、いくら効率が悪くても迷宮から魔力を持ち出してくれるに越したことはないし、とにかく量が重視されているのか》


 効率が良いに越したことはないが、全てがそう上手く回る訳ではない。


 ヌルスからすると1層の冒険者達の有り様は効率が悪いにも程があるが、全体としてはそれでうまく回っているのだろう。


 それはそれとして、ヌルス個人としてはあまり関わり合いになりたくない手合いばかりだが。


《さっさとフロアガーディアンを倒して先に進もう》


 分岐路に差し掛かり、少しだけ魔力を探る。


 1層というだけあって、大気中の魔力は非常に薄いし、活動している魔物の反応も弱い。その中で、一際強く感じる反応がある。これが転移陣、ひいてはフロアガーディアンの配置された小部屋だろう。


 道はいささか複雑のようだが、方角が分かっていればどうという事はない。


 松明の明かりに照らされる中を先に進むと、直ぐに目的の場所にはたどり着いた。


 が、そこには何やら、多数の冒険者がたむろしていた。


《??》


 予想外の盛況ぶりに疑問符が浮かび、思わず足が止まる。てっきり挑戦者が順番待ちをしているのかと思ったがそうではないようだ。小部屋に続く道の壁際によりかかるようにして、複数の冒険者達がヌルスをじろりと見咎めてくる。


 が、冒険者達はすぐにヌルスから興味を失ったように視線をそらし、何をするでもなく壁に背を預けている。


 なんなんだこいつら、と思いつつも、どうにもフロアガーディアンに挑む様子は見えないので、とりあえず予定通り小部屋に進む。外でたむろしている冒険者達がついてくる様子は無い。


 小部屋の中央まで進むと、最奥で明滅する転移陣が目に入った。と同時に、ヌルスの前方に魔力が集中する気配。


 大量の魔力が凝集し、フロアガーディアンが形を成していく。現れたのは、巨躯を誇る亜人型モンスターだ。全身が赤く染まり、腰には無数の人の手を束ねて作った腰蓑のようなものをつけている。頭部には角のように隆起した瘤があり、口元には乱杭歯が唇を割いて剥き出しになっていた。


 手には、人間の胴体二回りほどの太さがある棍棒が握りられている。


 所謂、オーガとか、オウガとか、そういう風に呼ばれるタイプの魔物だ。見た目通りのパワータイプ。単純に力比べをすれば、成長したヌルスでもいささか厳しいだろう。


 が、正直なところ、脅威かと言われると全くそうではない。動きは遅いし、体皮もそう頑丈ではないようだ。攻撃手段も力任せに棍棒を振り回すだけのように見える。間接攻撃の手段があればそう脅威とは思えない。


 所詮、一層のフロアガーディアンだという事だろう。


「ガァオオオオゥ!」


『α γ β』


 威嚇のつもりか雄たけびを上げるガーディアンに対し、ヌルスは淡々と呪文を詠唱した。炎の矢が解き放たれ、フロアガーディアンの胸元を撃ちぬく。


 魔術に対する抵抗力はかなり低いらしく、一撃で胸元に炎と鮮血の華が咲き、怪物の巨体が反対側に吹き飛んだ。


 念のため、さらに数発、追撃を撃ち込む。爆発の赤い炎が咲き乱れ、黒い煙が晴れた頃にはもはやガーディアンの姿はそこには無い。まるでその存在証明のように、紫色に輝く魔力結晶がその場に残されている。


 瞬殺である。オーバーキルも甚だしい。


《……弱い者いじめのようでちょっと気が引けるな》


 所詮1層である。何かしらの特殊ギミックが発動する事もなく、一瞬で決着がついた。3層で発動した封鎖ギミックはヌルスはいまだに自分が原因だと思っているが、もしそうだったとしても瞬殺では発動しようもあるまい。


 ガーディアンの撃破を感知して、青く輝き始める転移陣。これで2層にいける……そう思ったヌルスの横を、人影が走り抜けた。


《ぬ?》


「へへっ、ありがとよ!」


「おまぬけ野郎に感謝するぜ!」


 入口外で待機していた冒険者達だ。彼らはヌルスを走って追い越すと、ドロップ品である魔力結晶を拾い上げて転移陣で姿を消す。おかしい、あいつら戦闘に参加してないはず、と思って振り返ると、入口近くでイライラとヌルスを睨む数人の視線が待ち受けていた


「……けっ。魔術師かよ」


「つまんね」


《……ああ、そういう事か》


 不機嫌そうな彼らの反応をみて、ヌルスはようやく事情を把握した。


 フロアガーディアンとの戦闘で封鎖が行われるのはある程度深い階層から、というのが鉄則だ。一層なんて、まずありえない。その状態で、フロアガーディアンを撃破した時、転移陣の使用許可の判定がどう降りているか。


 恐らく仕組みは単純。人間側の都合であるパーティーだのなんだのを迷宮側が感知していない以上、ガーディアン消滅時に、部屋にいたかいないかだろう。逆に言えば、ガーディアン戦に貢献したかしていないかなんて、関係ないのだ。


 それを利用して先ほどの連中は、ヌルスがガーディアンと戦っている間に部屋に入り込み、戦う事無く転移陣の使用許可を掠め取ったのだ。入口で不機嫌そうな連中は、ヌルスが文字通り瞬殺してしまったのでタイミングを逃した、という事だろう。


 成程。戦うでもなく部屋の入口にたむろしていたのは、最初からこれが狙いか。ある意味では迷宮の仕組みを熟知した狡猾なやり方ともいえるが、同時に本末転倒ともいえる。


《そういう手もあるのか。いやしかし、でも意味なくないか?》


 別にガーディアンを倒さずに転移陣を利用できるのならそれにこした事はないかもしれないが、一方でフロアガーディアンを倒せるかどうかは、冒険者からすれば次の階層でやっていけるかどうかの目安でもある。少なくとも2層のモンスターはいましがたヌルスが倒したオーガと同系統、数を頼みにどうにかできる程甘い相手ではない。的確な回避と、隙を伺っての大胆な攻撃。それが出来なければ、逃げまどうだけに終わる。収入を得るどころか、最悪命を落としかねない。


 だからこそ、冒険者は基本的にパーティーを組み、ズルをせずにフロアガーディアンを撃破して一層一層確実に攻略していくものの筈なのだが。


 それとも彼らは、2層で待ち受ける魔物が、一体一体は今のオーガほどではなくても人間からすると相当な脅威であるという事を理解していないのか?


《……まあ、いいや。それは彼らの問題だ》


 ヌルスが気にする事ではない。


 冒険者稼業は自己責任。都合よく利用されてしまったヌルスもそうだし、他人を利用するばかりの冒険者がどういう末路を迎えてもそれは他の誰かのせいではない。


 好きにすればいいのだ。ヌルス自身もそうであるように。


 背後の恨めし気な視線にはもはや構う事なく、ヌルスは転移陣に触れると2層へと移動した。







<作者からのコメント>

misosiru39さん、peatsさん、kamotu839さん、レビューありがとうございます!

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