第五十三話 ちょんぎります



 青い転移の光が晴れた後に広がっていたのは、見覚えのある石の回廊だった。


 ヌルスが生まれた場所でもある。


 思えば、ここに戻ってくるのは随分と久しぶりだ。魔力が僅かに漂う空気の匂いもどこか懐かしい。かつてヌルスは小さく弱い体で、この回廊に息を潜めて冒険者の様子をうかがっていた。あれから数か月も経っていないはずなのに、遥か遠い昔の事のように感じる。


《なるほど。これが故郷に帰ってくる、という感覚か。また一つ、人を理解できた気がする》


 本来であれば魔物はその階層で生まれ、生きて、他に移動する事無くその活動を追える。このような望郷の情を感じる魔物は私ぐらいのものだろう、と想いながら、ヌルスはまず周辺を索敵した。


 転移陣出入口は基本的に安全地帯、魔物の姿はない。だがここで注意するべきは冒険者の姿だ。特に、2層で女性冒険者パーティーに追いかけまわされたのをヌルスは忘れていない。本能的に、その姿を警戒してしまう。


 が。


 因果というべきか。付近に人がいない事を確認して安堵するヌルスを不意打ちするように、一組の冒険者パーティーが回廊の角の向こうから姿を表した。


 その新手の姿を確認して、ヌルスの魔力が乱れに乱れた。


《ひ……ひぃぃ!?》


「……? 初めて見る顔ですね、新人の方ですか?」


 ヌルスの姿を目の当たりにして眉を潜める女剣士。忘れるはずもない。かつて2層において、ヌルスの命を奪わんと執拗な追跡劇を演じた冒険者の一人だ。その背後からは、これまた見覚えのある弓手をはじめとする冒険者がゾロゾロと続いている。


 まさかの、一番合いたくなかった冒険者達のご登場である。幸先が悪いにも程があった。


 忌まわしい恐怖の記憶が強制的にフラッシュバックし、ヌルスの全身の触手が竦み上がる。


《た、退避……い、いや、ここでいきなり逃げ出したらそれこそ変だ! こ、ここは、なんとかして取り繕うべき……だ、大丈夫だ! 今の私は触手には見えないはず、た、多分! 大丈夫だ。落ち着け……落ち着け……》


 反射的に逃げ出そうとする本能を理論で宥め、なんとか冷静さを取り繕ったヌルスは、これまでにないほどの慎重さで体をコントロールしつつ、ぺこりと頭を下げた。


「おや、これはご丁寧にどうも」


 ヌルスの挨拶をみて、女剣士もぺこりと頭を下げてくる。どうやら、今の所見破られてはいないようだ……それを確信して、ヌルスにも少し余裕が出てくる。


 相手に攻撃の意思がないのを確認して、ヌルスは懐から一冊の本を取り出す。それは隠し部屋にいくつかあった日記帳の一つだが、常に記録をつけるために持ち歩いている訳ではない。いくつか張った付箋を手繰り、目的のページを開いて相手に見せる。


「? 何々……『私はヌルス。諸事情あってこちらの言葉に不慣れな故、筆談で失礼する』? これはどうもご丁寧に。私はサラ、冒険者パーティー“チョッパー”のリーダーをやっています」


 特に訝しむ様子もなく、ヌルスの“設定”を信じたのか、自己紹介してくれる女冒険者こと、サラ。その表情は穏やかで、とてもあの時鬼気迫る表情でヌルスを追いかけまわした女剣士と同一人物には思えない。


 が、ほかならぬヌルスが見間違うはずがない。間違いなくあの時の冒険者だ。


 ちらり、とサラの視線がヌルスの装備を品定めする。一瞬緊張に身が硬くなるが、特にサラの態度が激変するという事はなく、完全に相手を同じ人間、同じ冒険者と信じ切った気やすい態度でサラは話をつづけた。


「もしかして、貴方は魔術師ですか? 2層のモンスターはそんなに動きは早くないですが、独りだと厳しいと思いますよ。ギルドに戻って前衛の仲間を募るのをお勧めします」


『お気遣い感謝する。一応、これでも他の迷宮で4層までは単独で踏破済みだ。行ける所まで行ってみたい』


「おや、返事も用意済みでしたか。要らぬお世話だったみたいですね、ふふ」


 その疑問は想定済みと言わんばかりに、日記をめくって返事を見せる。まあ、この女剣士たちと再会するのは想定外だったが。


 だが考えてみれば当然の話である。それを予測していなかった、否、覚悟できていなかったヌルスの落ち度だ。


 しかし幸いにも、彼女らの雰囲気は穏やかなままだ。このまま何ごともなく分かれられればそれでよい。


 ヌルスは慎重に言葉を選び、空白のページに文字を綴った。


『私はこのまま先に進もうと思う』


「そうですか。私達は一旦、上に戻るつもりです。健闘を祈らせていただきますね」


『感謝する』


 そしてそのまますれ違う……その瞬間。真横に立ったサラが足を止めた。


《まさか、バレたか?!》


 緊張に思わず杖を強く握りしめる。だが、幸いにしてサラの要件はそうではなかった。


 いや、ヌルスにとってあまり関係ない話かというと、そうでもなかったが。


「そうそう。ついでに一つ、ご警告を。少し前に2層でヒドラ型の触手モンスターを見つけた事がありまして。……ヒドラ型は極めて危険な変異を起こす可能性があります。見つけた奴はまだ小さい個体でしたが、発見し次第、殺しておくのをお勧めします。なんだったら、捕まえて私達に差し出してくれたら謝礼金を出しますよ」


『……貴方達に渡したら、どうするんだ?』


 震える指先でなんとかそれだけを訪ねる。間違いなく愉快な想像はできないが、ここで聞いておかないのも後で気になりそうだったからだ。が、すぐにヌルスは尋ねた事を後悔する事になる。


 サラは、先ほどまでの朗らかな態度から一転、濁りきった光を写さない虚ろな瞳で、口元にひきつった笑みを浮かべてこう答えた。


「この世に存在した事を後悔するぐらいの苦痛を与えてやるんです。迷宮が触手モンスターを生み出すんじゃなかったと思うように。一本一本、触手を先端からブツ切りにして、本体に細かく切れ目を入れて酸に浸して……ふふ。他にも色々、ね」


 これまでと変わらない優しく丁寧な口調で語られる残虐な願望。


 サラの言葉に、背後のパーティーメンバーもうんうん、と頷き、あるいは口々にそれぞれの思う折檻について語っている。「生きたまま丸揚げにする」「細切れにして塩水に付け込む」「薬品で灰にならないようにしてバラバラ標本にする」、他にもいろいろ言っていたがこのあたりでヌルスは言葉を拾うのをやめた。聞きたくない。


 アルテイシアの言葉を思い出す。恐らく、このメンバーは皆、変異型の触手モンスターに身内が犠牲になったか、その犠牲者当人だ。頭ではわかっていたつもりだが、どれだけ憎まれているかその実例を前にして頭が回らない。


 というか、パーティー名のチョッパー、って、つまりそういう事なのか。


『そうか』


 筆談でよかった、とヌルスは心の底から安堵した。もし言葉を喋れるようになっていたとしても、恐怖のあまり縮こまって何も声を発せなくなっていたに違いない。


 確かに、それだけされたら迷宮というか、触手型モンスターの方が二度と生まれたくないと思うかもしれない。想像するだけでも、いや、想像する事すら恐ろしい。


『情報提供ありがとう。気をつける』


「ああ。くれぐれもよろしくお願いしますね。じゃ、よい冒険を」


 そのやり取りを最後に、冒険者パーティー“チョッパー”の面々は転移陣の光に包まれて姿を消した。それを見送ってから、他に今度こそ人間の気配が周囲にない事を確認して、ヌルスはずるずると壁に背を預けて沈み込んだ。


《こ、こわかったよぅ……。ア、アルテイシアさんに、会いたいよぉ……ひぃん……》


 自分に優しかった少女の事を思い出し、もし目があったら滂沱の涙を流しているであろう有様で泣き言を漏らすヌルスだった。





<作者からのコメント>

gmiroさん、スズキチさん、からさん、レビューありがとうございます!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る