第五十四話 黄金との再会


 思わぬ再会でごっそり精神力を削られたヌルスだったが、いつまでも潰れている訳にはいかない。休息しある程度気力を取り戻したところで、2層の探索に出発する。


 1層と同じく、2層ももはやヌルスにとって適切な難易度の狩場ではなくなっている。遭遇する亜人型モンスターを魔術の一撃で粉砕しつつ、かつて隠れて進んだ石の回廊を堂々と歩む。


《うーん。これはこれで、なかなか気分がいい……》


 かつて隠れてやり過ごすしかなかった相手を、正面から歯牙にもかけず圧倒するというのは、疲弊した精神には良い滋養になった。今も、石斧を手に正面から挑みかかってきた魔物の胸元にファイアボルトを撃ち込み、粉微塵に粉砕した所だ。残された下半身が数歩前に進んでばたりと倒れ、たちまち灰になる。その灰の中から青色の魔力結晶を拾い上げると、ぽいっと鎧の中に放り込み、もごもごと吸収する。


《とはいえ、量は物足りないな。4層のに慣れた後だと腹の足しにもならない。我ながら、随分と贅沢になってしまったものだ》


 それはつまり、4層相応の魔物にヌルス自身成長しつつあるという事である。基本的に階層を移動する事の無い魔物が、二層分も強くなる事はまず無い。


 ただ、振り返ってみると、消費魔力に見合うほど肉体が強くなったか、というと疑問がある。成長した今の姿でも、2層のモンスターとがっつり組み合ったら割と危ない。本性を曝け出して無数の触手で締め上げれば何とか、といった所で、魔術抜きではとてもではないが安定して勝利する事はできない。それだけ魔術がヌルスの戦闘力に大きく寄与しているという事でもあるのだが、魔術抜きだとせいぜい3層ぐらいが適正なのではないだろうか。


《元が最弱クラスの魔物だからだろうか、この伸びしろの短さは》


 もしそうならちょっと悲しい。


 そんな事を考えながら迷宮を進んでいると、前方からキンキン、金属が打ち鳴らす音が聞こえてくる。どうやら冒険者が戦っているようだ。


 ヌルスは壁際によって身を隠しながら、先の部屋での戦闘の様子を伺った。


 小部屋の中では今まさに、三人の冒険者パーティーが亜人の魔物と交戦している所だった。


 魔物は両手持ちの大斧を武器にした、頭部に二本の立派な角を生やした半牛半人。それに対するのは、年若い金髪の剣士と赤い髪の剣士、そして緑色の髪の軽装の女。うち二人にヌルスは見覚えがあった。


 3層でヌルスを見逃しアドバイスをくれた恩人の顔を忘れるはずがない。あの後のヌルスの生きざまを決定づけたともいえる彼らに、こうして2層で再開するとは。


 あの時のモンスターだとバレる訳にはいかないが、それはそれとしてお礼が言いたい。できれば、仲良くなりたいとも思う。


 が、今はそれどころではないのもわかっている。


『とりあえずは今の所、御取込中のようだな』


 ブモォオ、と雄たけびを上げて魔物が斧を振りかぶり、その一撃を軽装の女が回避する。他二人はその一歩後ろで何やらアドバイスらしき言葉を叫んでいる。


 女を前に出して戦わせているというより、訓練の一環、といった感じのようだ。少なくとも剣士二人は3層を問題なく出入りできる実力なのだから、こうして2層で時間を潰す理由がない。恐らく、あの女冒険者を使い物になるように仕込んでいる最中なのだろう。


 女冒険者は強力だが遅い魔物の攻撃を華麗に掻い潜り、手にしたナイフで的確にダメージを蓄積させている。動きが早い上に手足が柔軟で、どことなく親近感を感じる柔らかさ。骨があっても人間ってあんなに体が曲がるんだな、とヌルスは改めて感心した。


 見た所戦いぶりに危なげはなく、直に決着はつくだろう。ヌルスは焦れる事もなく、戦いの終わりを待った。


 その時だ。


「た、助けてくれぇー!」


 どこからともなく響く情けない男の声。


 何事かと思うと、奥に繋がる道から走って戻ってくる冒険者の姿が。みすぼらしい、戦場に釣り合ってない貧相な防具。その顔には覚えがある。ヌルスを出し抜いて先にいったチンピラの一人だ。


 彼はドタドタと不格好に走り、戦闘中のパーティーの横を走ってそのままヌルスの方に向かってくる。体を横に寄せて道を譲るヌルスに礼も言わず、男は一目散に走り去っていった。


《なんだったんだ……?》


 訝しみながらも視線を冒険者パーティーに戻す。と、そちらは何やら、血相を変えて金髪と赤髪が剣を抜き、チンピラが逃げてきた方に向けて警戒を飛ばしていた。


 何事か。それはすぐにヌルスにも分かる事となる。


 通路の向こう、迷宮の奥から、何匹もの亜人モンスターが鼻息も荒く、ドシドシとこちらにやってきているのだ。彼らは小部屋に留まる冒険者達の姿を見咎めると、雄たけびを上げて突進してくる。


 唖然とするヌルス。2層のモンスターはそこそこ強い代わりにあまり群れないはず。だが、目の前にはその認識を裏切って何匹ものモンスターがグループを組んで冒険者に襲いかかっている。それも、先ほどまでヌルスが一撃で蹴散らしていた魔物と比べてもそれなりに屈強な個体ばかりだ。


《なんだ、何が起きてる!?》


 ……ヌルスは知らない事だが、冒険者にとっても、行ってはならない禁止行為はいくつか存在する。トレイン、と呼ばれる行動もその一つだ。


 早い話が魔物の擦り付けだ。実力に見合わない奥地に勢いだけで入り込んで、命惜しさに逃げ帰り道中で他の冒険者に標的を押し付ける。当然、逃げる過程で他の魔物を次々と引っ掛けるので、押し付けられた側は本来想定していない大多数の魔物との突然の戦闘を強制されるため、たとえ実力者であっても命を落とす危険性がある。


 冒険者同士の諍いや盗難といった事例にも基本的に不干渉を貫く冒険者ギルドでも、明確に禁止行為と定めている程の、極めて悪辣な行為である。件のチンピラは、それをやってしまったのだ。


 そしてそんな事を知らないヌルスでも、今目の前で起きている状況が冒険者達の力量を越えた事態である事は容易に分かった。素早く金髪の剣士が交戦中だった手負いにトドメを刺すも、彼らの前には5匹以上の大型の魔物が興奮状態で向かってきている。


 たった三人の冒険者で受けきれるような突撃ではない。逃げるしかない……だが、今さっきまで一人魔物相手に鍛錬していた女冒険者は、疲弊しており息も切れている。彼女は、逃げられない。


 そして、仲間を見捨てる訳にはいかないと言わんばかりに、金髪と赤髪は魔物達と一戦交えるつもりのようだ。


《無謀というか、お人よしというか……》


 その姿を前に、ヌルスの心に過ぎったのは呆れか、感嘆か。自分でもよく分からない感情のままに、ヌルスは杖を手にして小部屋に踏み入った。


 考えようによっては悪くない。


 一方的に感じている恩を返す良い機会だ。触媒の宝石を、状況を考えて雷属性に切り替える。


『γ α β』


 放たれるのはライトニングミストの魔術。突き出した杖の先から迸ったそれは狙い通り小部屋の天井に向かって放たれ、そしてそのまま突進してくる魔物達に上から降り注いだ。


「ギャギィッ!?」


「ブルルゥッ!?」


 突然バリバリする電撃に襲われ、興奮状態だった魔物達が悲鳴を上げて体勢を崩す。痺れに先頭の一匹が足をつんのめらせると、そのまま後続がぶつかり、揉み合って勢いのままに倒れ込んだ。


 大きな音を立てて転倒する魔物列車。一方、冒険者達は突然背後から放たれた魔術に驚愕しつつ、ヌルスの方に振り返る。


 彼らの目に入るのは、全身を襤褸で覆った鎧姿の不審な人物。その者の手には、何故か筆談でこのように文字が描かれているのが見えた事だろう。


『助太刀』


「……感謝する!!」


 多くの言葉は必要ない。冒険者達は僅かなやりとりで意思疎通し、最速で最適の行動に移す。


 魔物の波濤を受け止めるつもりで前に出ていた剣士二人は、シーフの肩を抱えて大きく後方へ下がる。今のやりとりで、魔術師の火力は分かった。剣士二人で魔物を攻撃するよりも、火力は魔術師にまかせ、自分達は魔物の接近を阻止する方が有効と判断したのだ。


 初見の、それもかなり怪しい風体の自分を一瞬で信用して陣形を変更する金髪の剣士にヌルスは《え、即決過ぎない??》と正直戸惑ったものの、恩人にあてにされて悪い気はしない。


 今度はライトニングボルトで、団子になって転がっている魔物を撃ちぬく。本来単体相手の攻撃魔術だが、あんなふうにもみくちゃに絡み合っていたら電気の性質上、感電して一網打尽だ。忽ち燃え尽きて魔物数匹分の大きな灰の山が出来上がるが、それを踏み散らして続々と魔物が小部屋に入ってくる。全員、目を血走らせて鼻息も荒く、興奮の極みのような状態だ。


 そして最後に、その一番後ろから、何やら奇妙な風体の魔物がノシノシと部屋に入ってきた。 姿形そのものは、他の亜人魔物と変わらない。ただ、その魔物は何故か、全身が金ぴかに光り輝いていた。まるで動く黄金の彫像だ。


「くそ、変異体までいるのか!」


《変異体……? 3層に出た超臭い息を吐くトカゲみたいなものか》


 記憶にある一例を思い出し納得するヌルス。


 しかし、目の前にいる変異体とやらは、あまり強そうに見えないのが正直なところだ。ここの魔物は、恵まれた肉体から武器を振り回してくるのが厄介なのだが、この金ぴか牛男は、見た所手に何も武器を持っていない。素手だ。とてもじゃないが脅威には見えない。


 と、黄金の怪物が何やら、仲間たちの背後でポーズを決め始めた。いわゆるマッスルポージングを決めて筋肉をメリメリと浮かび上がらせるのは、まあ、逞しくは見えるのだろうが、一体何がしたいのか分からない。


 呆気に取られてきょとんとしているヌルスを、金髪剣士の緊張に満ちた声が現実に引き戻した。


「気をつけろ! 黄金の変異体は周辺の同族に強力な支援効果を与える力がある!」


《えっ》


 慌てて魔力の流れを確認すると、金髪剣士の言う通り黄金の魔物から他の魔物に膨大な量の魔力が流れ込んでいるのが確認できた。


 これだけの魔力を注ぎ込まれれば、一時的にランクアップしたに等しい強化になるかもしれない。初めて見る現象だ。


《そんなのありか!?》


「来るぞ!」


 バフを受けて一回り筋肉が膨れ上がったように見える魔物達が、それぞれ重量級の武器を手に迫りくる。その数、4匹。


 咄嗟にヌルスがファイアボルトを放ち一匹を撃ち倒すが、二発目の発動が整う前に接近を許してしまう。


 すぐさま剣士二人が迎撃に向かうが、一人足りない。冒険者達もなんとか阻止しようとするが、その横を抜けて一匹がこちらに向かってくる。支援効果のせいか、彼らも目の前の一匹を相手にするので精一杯のようだ。


《ふむ……》


「くぅ……やるしかない……っ」


 ちらり、とヌルスは傍らで控える女冒険者に目を向ける。本人の士気は十分なようだが、まだ息が上がっているし何より武装が軽量すぎる。機動力を生かしての攪乱ならともかく、この場において求められるのは相手の突進を受け止める馬力だ。彼女には到底不可能と見たヌルスは、進んで自分から前に出た。


「あ、ちょっと!?」


 女冒険者の静止を振り切り、魔物と正面から相対する。唸り声と共に大上段に得物を振り上げる亜人の魔物。振り下ろしをまともに食らえば、ヌルスとて危険だ。


《そのつもりは当然ないがな。多少分は悪いが……!》


 その魔物相手に、杖を武器に組みかかる。振り上げた武器の柄を杖で抑え込み、ガッチリと互いを抑え込むパワー勝負に持ち込む。


「うっそぉ」


 背後から困惑したような声が聞こえる。魔術師がパワータイプの魔物と正面から組み合って押し負けていない事が信じられないのだろう。だがヌルスの正体は触手型の魔物だ、流石に元が元なので圧倒とはいかないが、短時間組み合うぐらいならどうという事はない。


 逆に言うとあくまで短時間だ。支援効果でより強靭になった彼らと、長時間取っ組み合うのはヌルスでも厳しい。


 まあその必要はないが。


『α γ β』


「ブモォ!?」


 そして組み合ったまま呪文を詠唱。力の押し合いに夢中になっていた魔物は成す術なく、至近距離から雷撃を浴びて上半身を吹き飛ばされた。流石に至近距離での発動はヌルスにも余波が及び、電撃の影響でビリビリと体が痺れる。その状態で擬態を続けられる自信が無かったので、ヌルスはその場に膝をつくようにしてしゃがみこんだ。


 他の二人に目を向けると、どうやら巧みに相手の力を受け流して白兵戦に持ち込んでいるようだ。轟音と共に振り下ろされ地面にめり込んだ大斧を踏み台にして跳躍した金髪剣士の剣が、無防備にさらされた魔物の首元をかききる。鮮血を吹き出して喉元を抑える魔物に、容赦ない追撃。胸元にバツの字を刻まれた亜人魔物が、ぐらりと傾いで後ろ向きに倒れ込んだ。


 その横では、赤髪の剣士が大ナタを得物とする魔物と切り結んでいる。しかしながら、ただでさえ人間より強靭な体躯を支援で強化された魔物との力戦は分が悪く、数度の打ち合いの末に剣が宙を舞う。くるくると回って天井に突き刺さる剣を見て、魔物が勝ち誇ったように唸り声をあげた。が、そのどてっぱらに、疾風のように飛び込んだ男の拳が突き刺さった。魔物がくの字に体を追って悶絶する所に、下がってきた頭へと追撃の拳が飛ぶ。頭が左右にぶれるほどの猛ラッシュのトドメは、ぐ、としゃがみ込む程に姿勢を低くしてのアッパーカット。頸椎の砕ける嫌な音と共に、今度は魔物の首が宙に舞った。


《うへえ》


 剣士といっても、戦いのスタイルがまるで違う。かたや王道的なフットワークを生かした華麗な剣術、かたや戦いの手段を剣に限定しない何でもあり。まさに個性や柔軟性が人間の強みである、というのを体現している。


 まあ、ヌルスは本来それと戦う立場だった訳だが。万が一、彼らを相手にすることになったら……考えただけで触手が縮み上がる。


「さて。どうする?」


「ブ、ブモ……ブモゥ!」


 嗾けた配下を全滅させられてたじろぐ黄金の魔物。だが、気を取り直したのか今度は自分が前に出てくる。直接、自らの手で戦おうというらしい。


 先ほどの支援能力の時に見せた魔力は相当なものだった。あれに支えられた戦闘力、とても甘く見れるものではない。


 体の痺れも取れてきた。ヌルスは油断せず杖を構え、冒険者三人も武器を構える。


 そんな一向に相対した黄金の魔物は、全身に魔力を漲らせ、グッとポーズを取った。


「ブモォ!」


 全身の筋肉が膨れ上がり、ビキビキと血管が浮かび上がる。漲る魔力で、その巨体が一回り大きくなったようにすら見えた。


 まさに、渾身のマッスルポーズ。


 一体今度は何が起こるのか、ヌルスは最大限の警戒を払って魔物と対峙する。


 ……。


 …………。


 ………………。


《?》


 何も。起こらない。


 困惑するヌルスを他所に、魔物はノリノリで次々とポージングを決めていく。どれもがその筋肉美を誇示するような構えであり、一見すると自らの剛力を見せつけているかのように見えるの、のだが……。


《…………えい》


「ブモォオオゥ!?」


 魔術一閃。放たれたライトニングボルトの直撃を食らって、黄金の魔物が感電に手足を痙攣させて倒れ込む。今の一撃で倒れないとなると相当な耐久力ではあるが……。


「……なあ、アトラス。もしかしてコイツって……」


「支援能力に特化しすぎて、本人の戦闘力が、皆無……?」


「じゃあ、つまりこいつの筋肉って……」


 一同が顔を見合わせる。


「「「《見せ筋?》」」」


 戦場に、しばしの沈黙が訪れる。その間も、金色の魔物はひっくりかえったまま起き上がってこない。耐えはしたけどダメージそのものは深刻らしい。


 代表して、赤髪の剣士が前に出る。その視線は酷く乾いていた。


「……。さっさとやっちまうか」


「ああ」


「そうね」


 何だか釈然としない感情も露に、冒険者達が刃を抜いて黄金の魔物を取り囲む。倒れたままの彼が最後に見たのは、まるでこれから解体される家畜を見るような冷徹な人間の視線だっただろう。


 同じ魔物として、ヌルスはその背後で小さく手を合わせた。


《君の事は同じ魔物として決して忘れない。……どうか安らかに》


「ブ……ブモォオオーーーーウ!!?」

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