第五十話 家に帰るまでがなんとやら


 結論からいうと。


 魔術師頼み、というのは案外馬鹿にならないのではないか。


 目の前にぽっかりと空いた通気孔らしき穴を前に、ヌルスは割と本気でそんな風に思った。


 ここは4階層の外周部。


 森が途切れて僅かに数メートル程を置いて、地面がそのまませり上がり壁となり、湾曲して天井に続いている。壁面には無数の凹凸がネズミ返しのように迫り出している上に、地上から10mほどまで緑色のコケに覆われている。人間がここを昇っていくのは不可能だろう。


 左右に目を向ければ、デコボコと張り出した崖部が壁のようになっている。この階層自体は全体的にドーム状だが、綺麗な球形になっている事はなく、外周部はかなり入り組んだ複雑な形状をしている。壁沿いに進むと、普通に進むときの数倍の距離を歩かされるという事で、冒険者にも人気が無いようだ。3層もそうだが、迷路攻略の王道である壁沿いに進む、というやり方ではゴールにたどり着くのが困難な造りになっているのは、どこか作為的ですらある。


 そんな外周部なだけに、見えてきた時はこれは骨が折れるぞ、と思っていたのだが。


 結果的には、ほとんど労せずこうやって目的の物が発見できた。


 勿論、ただの偶然ではない。


 必然より分かりやすい理由がある。ヌルスは茫然と隣に立つアルテイシアに意識を向けた。


 さらり、と指を紙に走らせる。


『貴方が神か?』


「あははは、そんな大げさな。でもこんなに簡単に見つかるとは思っていませんでした、ヌルスさんの日ごろの行いが良いからですね!」


『いや、君のおかげだ』


 そう。これを発見したのはアルテイシアである。


 切っ掛けは、外壁に近づいた彼女のちょっとした質問だった。


 「その探している穴、どこかに続いているんですか?」という疑問。穴を何のために探しているかと尋ねられると答えようがなかったが、どういう構造なのか、という質問であるならば特に問題はない。それでも仔細は言えず、少し誤魔化すようにしてヌルスは答えた。


 『詳しくは言えないが、どこかに繋がってはいる。繋がってないと私が困る』という曖昧な答えではあったが、アルテイシアには十分だったらしい。少し考え込んだ彼女は、何やら眼鏡をはずしてきょろきょろと外壁を見渡し始めた。


 近づいてきたとはいっても大分距離がある。そんな裸眼で何か見えるはずもない。


 一体何をしているのだろうか見守るヌルスの前でアルテイシアは何かを見つけたように、眼鏡を戻すとヌルスのローブを引っ張って「あっちです!」と案内した。


 その先にあったのだ。まさに、探し求めていた通気孔が。


《いやはや、ほんとに助かるというか》


 近づいて精神を集中させると、確かに魔力と空気の流れがある。この向こうに、件の隠し部屋が存在しているのは間違いない。


 あれだけ悲壮な決意と最悪の予想を覚悟していたのにあっさりと見つかって、少し拍子抜け、というのが本心ではある。とはいえ、一人ではこれを見つけるのにどれだけ苦労したかを考えると震えがくる。素直にアルテイシアに感謝するべきだろう。


『感謝感激。君は私にとって幸運の女神だ』


「そ、それは褒めすぎですよぅ。でもよかったです!」


 頬を染めて照れ照れと頬に手を当てるアルテイシア。おっしゃる通り本当に良かったと言わんばかりに激しく頷くヌルスだが、しかし。


 ここからどうしよう?


《……しまった》


 不安のあまり、先の事まで考えていなかった事に今更気が付く。


 ヌルスの都合だけで考えれば、アルテイシアとのパーティーはここまでだ。隠し部屋が見つかった以上、速やかに帰還し、休息と今後の対策に努めたい所だ。だが、まさかアルテイシアの目の前で「お疲れ様ー」と言わんばかりに触手に戻り、この穴を潜っていく訳にはいかない。今後二度と会う予定がないのなら正体を晒しても問題ないが、アルテイシア達も迷宮探索を続行する以上いつどこで再開するか分からないというか、普通にギルドに人に化ける怪しい触手の話を伝えられてしまうだろう。


 かといって、こんな場所で露骨に分かれを切り出すのもどうだろう。アルテイシアからすればいくら追求しないと公言していても「探しているというからお手伝いしましたけど、これをどうするんです?」という疑問はあるだろうし、上手く彼女を言い包められるかどうか。


 だったら口封じに殺すか、という発想がちらりとよぎるが、それもあまり効率的ではない。ここに来るまでに発生した戦闘で、アルテイシアがヌルスより遥か格上の術者だという事は嫌というほど思い知らされた。不意を衝いても後の先を取られるのが目に見えている。


 では魔術戦ではなく近距離戦で、触手としての本性を剥き出しにして戦えば勝ち目があるかと言われると、それこそ下策だ。特に、あの、アストラルセイバー、だったか? あれを使われたら鎧ごとずんばらりだ。おそらくそういう状況の為の魔法であるし。


 何より、そんな選択は短慮かつ浅慮で、道理に反する。


 さてどうしようか、と頭の中で必死に穏便に場を解散する為の文言を高速回転させつつアルテイシアに振り返るヌルスだったが、しかし当の彼女は何やら、森の方に向けて目を凝らしているようだった。


《?》


「ああ、すいません。ちょっと人の悲鳴が聞こえたようで……」


《悲鳴ねぇ。今更気にするほどの事でも……》


 なんせ4層は結構な地獄だ。耳をすませば、どこかで誰かが苦境に立たされているのが聞こえている。とはいえ、だからといって助けに行けるかというとまた話が違う。壁で区切られてはいないが、見通しの効かない密林をつっきるのは大きな危険が伴う。助けに行った方が逆に危険に陥るのが関の山だ。無情なようだが、まず自分を守れない奴が人を助けるものではない。


 そう考え、アルテイシアを押し留めようとしたヌルスだが、しかしはたと気が付く。


 これは逆に、彼女と順当に別行動するよいきっかけになるのでは? 助けに行けば怪我人がいるはず。別に窮地を救ったからと言って必ず怪我人を送っていく必要はないが、アルテイシアは心優しい人間のようだ。放っておけずに迷宮の出入口まで付き添う事だろう。それに対し、ヌルスは非情とか以前に言葉が通じないというハンデがある、なんだかんだ理由をつければ最後まで付き合わずに離脱してもおかしくはないだろう。


《悪くない考えかもしれない。これでいくか》


「あっちです! ヌルスさん、助けに行きましょう!」


『了解』


 先に走り出したアルテイシアの後を追ってヌルスも続く。感覚を研ぎ澄ませば、繁みの中でガサガサと激しく動き回る人影らしきもの。チィン、と剣戟の音と共に火花が散り、一瞬戦う両者の姿が露になる。


 剣士らしき冒険者と、猛獣型の魔物。なるほど、人間には動きにくい繁みの中で交戦になり、徐々に追い詰められているといった体か。


「むむ、ちょっと狙いが……」


『私に任せろ』


 激しく争う両者は動き回っていて狙いが付けられない。さしものアルテイシアも、藪ごしに魔獣だけを狙い撃つのは難しいようだ。ならば仕方ない、とヌルスは嘆息し、触媒を雷魔術のそれに切り替えると前に出た。


 まあ。冒険者には、命が助かっただけマシ、と思っていただこう。


『γ α β』


「え? ヌルスさ……ああ、そういう事」


 広域攻撃魔術を詠唱するヌルスに一瞬声を上げるアルテイシアだが、才覚に満ち溢れた少女はすぐにその意図する所を理解して口を閉じた。


 察しの良い相棒で助かる。


 ヌルスの手によって、ぶわ、と電気を纏った霧が放出される。それは藪に阻まれる事なく広がると、魔物と冒険者を包み込んだ。当然、感電対象の識別など出来るはずも無いのでその両者が電撃に包まれ、苦悶の声が上がった。


「がぁっ!?」


『ヂュゥッ!?』


 完全な予想外の横やりに、冒険者はその場に膝をつき、魔獣も痺れて動きを止める。


 戦闘が一瞬硬直する、その隙をアルテイシアは勿論逃さない。


「ラピッドファイヤ……アストラルレーザー!」


 起動コードと共に、杖の先から連続で光の矢が放たれた。一定のリズムで途切れながら照射される閃光が、動きを止めた魔物達を的確に撃ち抜く。断末魔の声も上げる事ができないまま、魔物達は灰へと還った。




<作者からのコメント>

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

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