第十七話 歪みの力
歓喜に触手を振り上げ、その場でくるくると回る。かと思ったら回転を止め、ぷるぷると全身を震わせた。奇怪な動きで悦びを全身で表現しつつ、ヌルスは初めての勝利に踊り狂った。
なにせ大金星である。
本来ならば、道行くモンスターに気まぐれで摘ままれ齧られるだけの触手モンスター。それが逆に、一撃で格上のモンスターを仕留めたのだから。ジャイアントキリングも良い所である。
《ふははははははは! なんだ、やれるじゃないか! はははは!》
上機嫌で喜ぶヌルス。改めて成果を確認していると、ふとモンスターが消滅した水面にぷかりと浮いてきた物に気が付いた。
モンスターの残留物、ドロップだ。
改めて説明すると、モンスターは疑似的な生命体であり、活動を停止すると肉体は速やかに消失する。だが、全てが完璧に霧散する訳ではなく、燃え残りのような灰に加え一定確率でその痕跡がその場に残されるのだ。多くの場合はその肉体を構成していた魔力の結晶体(厳密にはかなり魔素の割合が多く、品質としては低いらしいが)、時々肉体構造の一部、場合によっては何らかの武器やアイテムが出現する。ダンジョン内はただでさえ一定量の魔力や魔素が充満しているため、モンスターが死亡した際に飽和が理由で溶け残りが出る、という解釈を人間達はしているらしい。ただ、結晶や肉体の一部ならともかく、完成した武器やアイテムがその場に出現するメカニズムには複数の論があるようだ。
そして、魔力結晶は外の世界では貴重なものらしい。通常の魔力結晶は、魔力に満ちた洞窟などで長い時間をかけて魔力が堆積してできるものであり、用途の広さに反して供給がごく限られている。ダンジョン産のそれは質が劣るとはいえ基本的な性質は一緒なので、冒険者はそれを売り払う事で報酬を得て、ギルドはその流通を管理、適切に資産運用する事で大きな利益を得ているとの知識が、本には記されていた。
それだけ聞くとギルドというのはあこぎな商売のように聞こえるが、大量の人員と資産を食い潰すダンジョン探索とその管理は、それぐらいの収入がないとやっていけられないのだろう。そしてダンジョンの踏破は人類の生存上の安全保障において必要不可欠である。
色々とややこしい事情があるんだろうな、というのはヌルスでも推察できた。
それはともかく。そんな冒険者にとっては貴重な収入源である魔力結晶だが、モンスターにとって無価値かというと全くそんな事はない。というか、モンスターがモンスターを襲って食らう理由がこれである。先ほどもいったように、迷宮内の魔物は活動停止すると速やかに肉体は消滅する。それはモンスターによって仕留められた場合も同じで、当然ながら仕留めた獲物の肉体を悠長に食べたりするわけではない。あくまで、その肉体を構成する魔力を強奪するのが目的なのだ。一番効率的なのは丸のみにしてしまう事だが、当然仕留めた後に残される魔力結晶を吸収しても問題は無い。ちなみに一番効率が悪いのは、肉体が消失した後に残される僅かな灰を吸収する方法だ。これは文字通りの燃えカスなので、それこそ最低クラスの貧弱な魔物でなければ肉体維持の足しにもならない。
なおヌルスがかつてそうだったように、冒険者の死体などを食らうスカベンジャーは、自力では他の魔物を仕留める事が不可能な食物連鎖の最下層であり、外の世界では植物とか菌類のポジションだ。現実に存在する肉を吸収して魔力に変える能力を持つが、それ故に上の魔物から一方的に貪られる立場である。サイズも小さく簡単に丸のみできるので吸収効率がよい。死んだ冒険者をスカベンジャーが分解して魔力を蓄え、それを他の魔物が喰らって活動期間を延長し、冒険者を殺し、その死体をスカベンジャーが……というサイクルである。
つまり何が言いたいかというと、こうして同じモンスターを仕留めるのも、そのドロップを独り占めできるのも、ヌルスには初めての体験である。
《有難い。灰をせっせと拾い集めるのも限界を感じていたのだ》
邪魔な兜を脱ぎ、スクロールと杖をその場に置くと、触手を伸ばして黒い水面に浮かぶ魔力結晶を回収する。手元に手繰り寄せたそれを、せっかくだからとまじまじと観察する。
魔力結晶は、いびつな形をした紫がかった半透明の固形物をしていた。本の知識によれば、自然界に存在する結晶というのはそれを構成する物質によってだいたいどのような形状になるか決まっているらしい。例えば、塩だと四角くなる、とか。だが魔力結晶は、そもそもこの世界に存在しえないものだからか、ぐにゃりと歪んだ球形に近い形をしていた。色合いは落とす魔物によって違うらしいが、それも形と関係があるのだろうか。
覗き込むと、半透明の結晶の反対側が透けて見える。だが魔術を操る事が出来るようになった今のヌルスの視点だと、ただ半透明なのではなく、その内部に何かが渦巻いているようにも見える。
魔力の触媒は、使用後にその才覚を持つ者が覗き込むとその魔力性質が垣間見える事がある。雷魔法の触媒は小さく電気が弾けていたり、水魔法の触媒であれば内部に水が溜まっていたり。魔界から魔力を引き寄せ、触媒を通して無色の魔力に属性という方向性を与える、という魔術の原理故だ。それらは時間経過ですぐに見えなくなってしまうが、なかなか面白いものではある。
となると、この魔力結晶は、そういった属性付与ではなく、素のまま、原初の魔力が通して見えているという事なのだろうか。書物によれば、人間の制御できるものではない、という話だったが。
《ふむん。そういえばマジマジと見た事はなかったな。どれどれ》
好奇心にまかせて、じっとその大渦を覗き込むヌルス。
それがいけなかった。
結晶の中で、ぐわり、と渦が大きく逆巻く。その直後、魔力結晶から魔界の魔力、無色の力がそのままにあふれ出したのだ。
その瞬間、結晶を掴んでいたヌルスの触手がまるで雑巾絞りのように捩じられる。抵抗できたのはほんの一瞬の事。次の瞬間には、濡れた紙を捩じ切るように、あっさりとヌルスの触手は千々に千切られ引き裂かれ、紫色の体液を撒き散らしながら挽肉になった。
《◆●×▼!?!》
凄まじい激痛に、声ならぬ悲鳴を上げるヌルス。
ぽろり、と魔力結晶が地面に転がり落ちる。だがそれを拾い上げる余裕もなく、ヌルスはしばし痛みをやり過ごすために丸まってじっと耐える。
本来ならば触手の一本や二本が千切られた所で、ヌルスには何の痛痒も無いはず。だが、今の歪みの衝撃はそういった肉体的な痛覚ではなく、いうなれば魂の形そのものに響くような激痛だった。全身から粘り気の強い防御用粘膜が反射的に分泌される。血と粘液でぐちゃぐちゃになりながら、ややあってヌルスはようやく正気をとりもどした。
《い、今のは……》
ズタズタに引き裂かれた触手を見る。人間の皮膚よりも遥かに頑丈で、刀剣であっても刃をきちんと立てなければ切り裂けないそれが、ぐちゃぐちゃに引き裂かれている。こんな傷口は、ヌルスであっても見た事が無い。
もしこの世界にミキサーがあって、回転しているそれに骨付き肉を放り込んだらこれに近いあり様になるかもしれない。そんな凄惨な傷口。
少なくとも自然治癒はほぼ完全に不可能だ。触手は再生力に優れるが、ここまでズタズタに引き裂かれてしまうといっそ自切して一から生えてくるのを待った方が建設的だ。ぐ、と触手の付け根に力を入れると、自動的に筋節が収縮し、ぽろりと触手が付け根から取れる。普通自切した触手はしばらくの間自律神経の働きでウネウネと動くのだが、引き裂かれた触手はすでに死んだようにぴくりとも動かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます