第七話 魔術と蟲
全体の三分の一ほどを読み終え、ヌルスは本を閉じた。
《ふむ。実に興味深い》
ダンジョンで生まれたモンスターとして、本能的にいくつかの事柄は理解していたが、理論的に理解していた訳ではない。それにこのダンジョンの外の事など、何も知らない為、それが基本か例外かもわからなかった。
その上で、この本は非常に参考になった。いくつかの本能的な理解がこれで補強されたことになる。特に、迷宮が攻略された場合魔物が全滅するというのは非常に重要な情報だ。
《興味深い、が。何故、そんな本が、当のダンジョンの中にあるのだ?》
言うまでも無いが、この内容。ダンジョンに潜る前に知っているか、あるいは外で研究する人間が読むべき物である。ダンジョンの中で読み返すような物ではないはずだ。
本棚に目を向ければ、中級者用、上級者用、といったタイトルが見受けられる。もしかするとこちらが本命で、この初心者用、というのはいうなれば体裁の為に持ち込まれたものではないか? となると、上級者用を読めば、この部屋の主が何を考えて持ち込んだのか、そもそもこの部屋が何なのか理解できるのかもしれないが……。
《……先は長そうだ》
本の厚みを見てくたりと触手がしおれる。初心者用も大分分厚いが、中級者用、上級者用と進むにつれどんどん分厚くなっている。これを全部目を通すのは骨が折れそうだ。
興味があるかないかと言われると間違いなく興味深いが、とりあえずヌルスの関心は今、この部屋を作ったのが何者か、という点にこそある。ダンジョンに関する資料は、部屋の主の出自に直接関係するものとは思えない。
本棚のラインナップに目を向ける。先ほどと同じく、何割かの本のタイトルは見て取れない。それに全体の半分は、タイトルの無い本だ。装調が同じところを見ると、もしかすると本ではなく、ノートか何かなのかもしれない。鍵が掛かっていないから、読む事は可能そうだが……とりあえずヌルスは、タイトルの読める他の本から呼んでいくことにした。
一つ、興味深いものがあったのだ。
《魔術。魔術か……》
触手を伸ばしたのは『現代魔術理論』と書かれた本だ。
魔物としての本能で、魔術というものが何なのかはうっすらと知っている。が、それは敵対する立場としての認識だ。
曰く、剣のような近接武器でも、弓矢のような射撃武器でもなく、もっと別の方法で、モンスターに痛打を与えてくる者がいる。それらの攻撃は、肉体の頑強さだけで耐える事は難しい。だが同時に、多様出来るものではない為、耐えきるか数で押すか、そういった対処が有用である、と。
誰に教えられずとも、その危険性と対応をモンスターは知っている。
だが、理屈までは知りはしない。そして大抵のモンスターは関心も持たない。しかしヌルスは、普通のモンスターではない為に関心を持った。
《魔術……。人間にとっては特殊技能であったはずだ。この部屋を作ったのは魔術師なのか?》
パラパラと本を捲ると、無数の付箋や書き込みが残されていた。ほぼ手付かずだった『ダンジョンの仕組み ~初心者向け~』に比べると、随分と使い込んだ感じがある。何度も何度も、頻繁に読み直していたようだ。
と、特に読み込んだであろう、一際草臥れたページが目に入った。そこには、次のような記述がある。
『であるからして、魔術というのは我々人間には抗えない荒れ狂う大海の飛沫を、掬い上げてこの世界に齎す行為である。脆弱な人間の肉体ではそれを直接扱う行為には耐えられない為、媒体を用い、この世界の法則に嵌め込む事で、辛うじて制御を可能にしているのが魔術なのである。この点こそが、エルフの使う精霊術等と決定的に違う点であり、我々魔術師が超越しなければいけない問題である。故に、魔術の発展とは、天才的な才覚によって辛うじて爆発せずにした火種を、理論と経験によって凡人でも安全に制御できるよう体系化していく事なのである』
《↑ 安全性を担保すればするほど魔術はつまらなく有り触れたものになっていく。その果ては、精霊術と出来る事は変わらない。であるならば、より根源の問題、人に扱えぬ根源の歪みを直接行使する事こそが魔術の神髄ではないのか?》
《↑ 人の身で扱えぬならば、人を越えればよい。あるいは魔物どもであれば、その反動に耐えられるのでは?》
《……うわあ》
正直にヌルスはドン引きした。
理論説明の導入に当たって、魔術が一般的にいかなるものであるか纏めたと思われる一文に当たって、この部屋の主によるものと思わしきが書き込まれている。やや崩した筆記体による覚書からは、書いた者の才覚に対する傲慢ともいえる自負が滲み出ている。まるでこの理論書の著者に対する攻撃的な意見というか、挑戦というか。さらにその横に、後年書き足されたと思われる追加分は、これまた内容に大いに問題がありそうだった。文章そのものは短いが、年数を経て書き手の精神が大きく歪んでしまっているであろう事が文体に現れている。
《こういう人間もいるのか……》
他の書き込みも見たが、補足説明や但し書き一つとっても、傲慢さがにじみ出ている。正直あほらしい、というのがヌルスの感想だ。理論書といっても、これを書いた段階の話だ。後々に、著者も意見を改めたかもしれない過去の一瞬を切り取った理論に、イチイチ噛みついているのは、暇なんだな、としか言いようが無い。あるいは著者との関係がよろしくなかったのかもしれない。それならそれで直接議論すればいいのに、こうやって書物の方にネチネチ陰口のように書き足しているあたり、性格が悪い。
それはそれとして、参考書としても利用していたのは違いないようだ。付箋の多くは重要と思われる項目に貼られており、参照していた形跡がある。
《まあ参考にするには問題はないか……》
パラパラと適当に捲りつつ、付箋の着いているページを見ていく。少なくとも、物事の神髄を見極める目は確かなようで、前の持ち主の跡を追うようにする事で、長々しい論文も分かりやすく要点を抑える事が出来た。
つまるところ、魔術というのは魔界の力を利用するものらしい。この世界と隣り合わせにあり、しかし不可侵である二つの世界は、ごく一部の要素が互いに境界線を越えてやり取りされている。その一つが魔力だ。
山々から雨水が染み出し川となって海に流れるように、魔界から流れてきた魔力はこの世界に蓄積している。簡単な魔術はそれを利用する事で行使できるが、より大規模な魔術となると、直接魔界から力をくみ上げる必要がある。
だが、魔界に渦巻く力は、それこそ大嵐の海のようなもので、迂闊に触れれば忽ち引き裂かれるか捩じ切られるか、少なくとも人間の脆弱な肉体ではとても抗えない。だから、魔術媒体などを通して間接的に触れ、指向性を持たないエネルギーとして現実世界に組み上げた上で、炎や水、風、岩といった自然現象に変換して目的の為に利用する。それが一般的な魔術だ。
逆に言うと、魔力そのものを直接行使する事は難しい。人間の手に負えるように制限した段階で、それはもはやただの燃料としての性質しか持たない。現実世界に何かしらの影響を与えるような強い在り方の魔力は、まず真っ先に術者の肉体を引き裂くからだ。
《ふーむ。術者はホースのようなもの、か。……ホースってなんだ?》
人間世界の道具の事はよくわからないヌルスは首を傾げるが、まあニュアンスは通じる。
ようは器の問題という事だな、と触手は解釈した。
柔らかい肉の器に、グツグツに煮えたぎる熱湯を注いだら真っ先に煮えてしまうのはその器だ。なので、火傷しない程度に冷やしたぬるま湯を注ぐわけだが、そうなったらそのぬるま湯をぶっかけても相手には何の影響も与えられない。なので、そのぬるま湯に圧力をかけて押し出すなり、凍らせて固めて相手を叩くなり、あるいは毒を溶かして毒の水にしたり、とにかくそうやって手間をかける必要がある。
《しかし、気になるのはこの一文だな》
ページを遡り、ヌルスは最初に目を付けた走り書きに目を向けた。
《あるいは魔物どもであれば、その反動に耐えられるのでは。……つまり、私のような魔物でも、覚えれば魔術を使える、という事か?》
ヌルスは一応、人間に比べればかなり頑丈な方である。が、魔物の中では残念ながら最弱クラスだ。そして、一般的な魔物でも武器と戦術で倒してしまう冒険者からすれば、ヌルスなぞ手ごろな得物に過ぎない。さきほど追いかけまわされたように、敵意ある相手に発見されれば逃げまどうしかない。
だが、もし魔術を使えれば。せめて、冒険者に追撃を躊躇わせるぐらいの攻撃能力を持ち合わせていれば、話は変わってくるのではないか?
人間を積極的に殺したい訳ではない。自分を追いかけまわしたあの冒険者集団にしても、復讐したいとかそういう気持ちは別に存在しない。恐らく何かしら、自分のような触手型モンスターに嫌な思い出があったのだろうな、と推測する程度だ。
だがそれはそれ、これはこれ。これからも人間に発見される度に命をかけた鬼ごっこをしていたら、それこそ命がいくつあっても足りはしない。
手札は多いに越したことはない。
それに、魔術。魔術である。不思議な話だが、漠然とヌルスには魔術に対して憧れのような気持ちが存在していた。それは、魔物の中では貧弱な触手型モンスターが生き延びるためには、腕力以外の力が必要だという合理的判断だったのかもしれない。それを自覚しているかいないのか、もはや触手の中で魔術を習得するのは決定事項となっていた。
《魔術を実演するのに必要なのは、何よりもまず、触媒。魔術式。そして、正しい発声か。……発声?》
くにょり、と体を捻じ曲げて悩むヌルス。
言うまでも無いが、触手に声帯はない。同じ触手同士でやりとりするテレパシーの類はあるが、これは同族にしか通じないし、ヌルスは現状自我に目覚めた唯一の触手型モンスターだ、チャンネルの合う相手がいない。理屈でいうと、魔術式を起動するため、人間であるならば万人が利用できるであろう言葉を起動キーに設定しているという事らしい。才覚に頼らずに制御するという、論文著書の語る魔術の発展の歴史らしいといえば、そうだが。少なくとも触手はお呼びでないらしい。
早速手詰まりである。
ヌルスは懊悩した。
《むむむ……いや、諦めるのは早い。目の前には文字通りの専門書があるではないか。隅から隅まで読めば、何かしらの参考例の一つや二つ……!》
再び論文書に目を通す。今度は先ほどのように付箋を辿るのではなく、最初からきっちりと目を通していく。専門用語の羅列で目が滑る(例えであって本当に目がある訳ではない)が、ヌルスは頑張って順に内容を読んでいく。
その大半は頭の中を通り過ぎて行って知識として残らなかったが、果たして、触手は参考になりそうな記述を発見した。
《……これだ! これなら私でもやれる! 多分!》
<作者からのコメント>
sawronbowさん、hijiki_nokonokoさん、レビューありがとうございます!
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