第三十八話 アルテイシアと仲間たち その1
「ふわぁ……」
アルテイシア・ストラ・ヴェーゼは、正直なところ朝が苦手だ。
許されるのなら、朝日が山の頂に差し掛かるまで、ふかふかの布団の中で微睡んでいたいのが正直な本音。そんな彼女でも、冒険に出発する日の朝は、流石に早起きをする。
「おはよう。……エミーリア、朝よ」
「ええ、もうそんな時間……?」
まだ太陽が山脈から顔を覗かせる前に寝床から這い出すと、隣のベッドに眠っている仲間に声をかけて、虚ろな目で身支度を始める。冷たい水で顔を洗えば意識もはっきりしてくるので、軽く魔術で湯を沸かし、暖かいお湯で改めて顔を丁寧に濯ぐ。
乾いた布で顔を拭うと、すちゃりと眼鏡を鼻にかける。伊達だが、アルテイシアが平常を保つには必要不可欠な小道具だ。
「んー……」
「はい、お湯」
「ありがと……」
ふらふらと横にやってきたルームメイトに、新しく用意した湯を満たした桶を渡す。
その後は友人お勧めの化粧水で肌を保湿する間に髪を梳き、長い髪を三つ編みに編む。長い金髪はアルテイシアのひそかな自慢であり、こだわりの三つ編みは一人で編むのが大変だとしても他人には任せない。
割れた安宿の鏡を頼りに、手慣れた手つきで髪が結われていく。
その途中で脱色したように白く染まってしまった毛先を見たアルテイシアは、はぁ、と悩まし気にため息をついた。
ハイドポッド、だっただろうか。4層の魔物に丸呑みされた際、ローブと帽子のおかげで体は溶かされずに済んだが、毛先は駄目だった。最初はそうでもなかったものの、時間がたつとあきらかに変色を始め、今ではこのありさまだ
切り落とす事も考えたが、それはもう少し髪が伸びてからの事になるだろう。
実際の所、三つ編みが短くなってしまうのと、毛先が白くグラディーションしているの、果たしてどちらがみっともないか、というのはなかなかに甲乙つけがたいものがある。
パーティーを組んでいる男子生徒のエルリックは「なんだかカッコいいじゃん!」とか女心が分からないにも程がある事を宣っていたので軽くしばいた。
「髪が短い魔女なんて箔がつかないよね……」
「……んー、なぁに? また髪の話?」
生来のブラウンのクセッ毛をどうにかウェーブっぽくしようと悪戦苦闘しているエミーリアが横にやってくる。魔術師謹製の寝ぐせ直しを以てしても簡単には整わない剛毛にブラシをガシガシかける彼女は、少し妬ましそうにアルテイシアにジト目を向けた。
「いいわよねキューティクル美人は、ちょっとの脱色も目に付くんだから。私はそれ以前の問題よ」
「そう? 私はエミーリアのウェーブヘアも可愛いと思うけど」
「この剛毛に毎朝苦戦してるのを見ておいてそれ言う? ああ、いっそショートヘアにしたいわ。誰よ、魔女は髪を伸ばすべき、なんてルール作った奴」
「髪は魔力の媒体になるから……」
「そうは言っても髪を伸ばしている男なんてほとんどいないじゃない! 差別よ、差別!!」
「ははは……」
定期的にこの手の話題で癇癪を起す友人を、苦笑いしながら宥めるアルテイシア。
実際の所、確かに髪を伸ばすのは魔術行使に影響があるが、それは古い考えでもある。学問として魔術を研究するニコライ式魔術においては、男であっても髪を積極的に伸ばすべき、という考えが今でも根強いが、魔術をあくまでツール、便利な道具として発展を促すエジニアス式魔術においては、足りなければ他所から持ってくるべき、という考えで髪を伸ばすべきだとは考えていない。
結局の所、個人の自由でしかないのだ。その上で女性魔術師が髪を伸ばすのは、言ってみれば御洒落の意味合いが強い。二人ともまだそんな風に思う相手はいないが、好きになった相手が長い髪が好きだった場合、そこから改めて伸ばすのはちょっと大変だ、という話である。言ってしまえば、下心に過ぎないのである。
それはエミーリアも自覚してはいるのだが、毎朝の事にこうして爆発する事があるのだ。毎回付き合わされるアルテイシアも内心はうんざりしているが、気持ちが分からない訳ではないのでこうして癇癪に付き合ってあげていた。
「ほら、早く準備しよう? 男子と違って、女の子は色々大変なんだから。遅れたらまた、訳知り顔でぶーぶー言われるわよ」
「うー。わかってるわよ。……ありがと」
「はいはい」
適当に相槌を打ちつつも、アルテイシアは少しばかり目を伏せた。
礼を言いたいのは、こちらの方だ。本当ならば、彼女は勿論、他二人の男子生徒の友人達も、こうして安宿の一角で朝を過ごす必要はなかった。
全てはアルテイシアの事情だ。進級の条件として『迷宮踏破』等という無理難題を押し付けられたのは、あくまで彼女一人。それを「自分達にも箔がつくから」等とごり押ししてついてきてくれた彼女らには、本当に頭が上がらない。
決して仲間たちを失う訳にはいかない。そして同時に、そんな彼らを巻き込んでも自分の都合を諦めきれない自分は、やはり我が儘な女だとも思う。
そんな内面をおくびにも見せず、アルテイシアはエミーリアを鏡の前に座らせると、彼女の手から櫛を取った。
「ほら、私がやってあげるから、大人しくして」
「やった、ありがとアルテイシア~、お母さん大好き!」
「誰がお母さんですか」
身支度を終えた二人が下に降りると、食堂では案の定二人の男子生徒が先にテーブルについていた。
黒髪赤目のガサツそうな少年がエルリック、黒に見えるほど濃い緑の髪に黄色い目の穏やかそうな少年がロションだ。しかし第一印象とはあてにならないもので、人としてはエルリックの方がロションよりかなりマトモだ、とアルテイシアは思っている。
今も、降りてきた二人を見て、何やらロションが肘でエルリックをつつき、嫌そうな顔で彼がトレイの上に並んだ朝食の内、パンをしぶしぶロションに譲っているのが見えた。
呆れたようにエミーリアが問いかける。
「何してんの?」
「賭け事の報酬ですよ。あと半刻のうちにお二人が来るか来ないか、エルリックと勝負していたので」
「俺は嫌っていったのに吹っ掛けてきたのお前だろうが!」
「でも最終的に引き受けたのはエルリックでしょう? 負けたからと反故にするのは卑怯ですよ」
「反故にはしてねーだろ」
「はいはい、分かったから。そもそもパーティー間でそういう事禁止、つったでしょ。だからこれも没収っ!」
「「あっ」」
揉め事の原因であるパンをエミーリアが取り上げて、あむっと口にするのを見て声を上げる男子二人。
しょうもない事で揉める三人を他所に、アルテイシアはそそくさと食堂の奥に顔をだし、二人分の朝食を要求する事にした。銅貨を受付に置き、宿の店員に声をかける。
「朝食、二つお願いします」
「あいよ」
声をかけてからすぐに、ドン、と乱雑に二人分の朝食が受付から出された。
木のトレイに乗っているのは、丸皿に乗ったパンと適当に野菜を千切った感じのサラダ、そして器に満たされたよく分からないスープだ。まあ、値段相応といえばそうである。あえていうなら、パンが既に冷めかけているのが少しひっかかるところだ。多少味が悪くても出来立てが食べたいものだがしょうがない。
女子生徒にはちょうどいい量だが、男子生徒には物足りないだろう。とはいえ、それで賭け事をした所で、負けた方は空腹のまま迷宮探索に出発する事になる。そういう不確定要素を抱えられるのは勘弁してほしい。
「これだから男子は」。口には出さないが、本音としてはそれである。もう少し節操というか、落ち着きを以て欲しいものである。
感謝はしているが、それとは別に仲間への評価が辛辣なアルテイシアであった。
「はい、エミーリア」
「ありがと」
「どうも。それとエルリック、好かったら私のパンを食べてください」
「え、いいのか?」
「ええ。いつもアタッカーとしてお世話になっていますし、今日も期待していますから」
「やったっ」
差し出されたパンを何の臆面もなく受け取り、たちまち頬張るエルリック。やはり、パン抜きでは相当に物足りなかったらしい。
ネズミのような食べっぷりをニコニコとアルテイシアが眺めていると、その皿の上に、おずおずとエミーリアが自分の分のパンを置く。
「良いんです?」
「いいわよ、別に。これで元通りでしょ?」
「そうですね。では、頂きます」
別に、誰かを悪者にしたかった訳ではない。丸く収まったのならそれで何より。
朝食の味そのものは可もなく不可もなく、といった所ではあったが、四人の仲間と食べる朝ごはんは、まあ、そんなに嫌いではない、とアルテイシアは思った。
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