第二十七話 ワープ・ボルト
『ヲロロッ!』
《っ、しまった!》
再び吐き出される黒い狙撃。その一撃は、ヌルスが構えていた杖の先端を的確に打ち抜いた。台座が破壊され、触媒が床に転がっていく。思わずそれを拾いに行こうとしたヌルスは、反射的に危険を感じ逆方向に転がった。間一髪、振り下ろされた長い腕がヌルスのいた場所を打ち据える。
触媒との間を遮るような腕を前に、ヌルスは己が追い詰められている事を悟った。
残されている触媒はあと一つ。効くとは思えない水魔法の触媒だ。いや、高密度に圧縮したウォーターボルトであればある程度のダメージは狙えるだろうが、どうせ先ほどのように墨で迎撃される。質量がある魔術攻撃は、遅い。
選択肢を、間違えた。
先に氷魔法を使うべきだった。三度目撃する事がフロアガーディアンが魔術に対抗する限度であったならば、その後で不可視かつ高速の風属性で攻撃すれば迎撃される可能性は下げられたはずだ。相手の能力ばかりに注視し、もっと根源的な問題に気が付かなかったヌルスの落ち度だ。
そもそもの対モンスター戦の経験が少なすぎる故の事だが、それを理解した所でいまさら何の慰めにもならない。
どうする、とヌルスは試案する。
ダメ元で水魔術を打ち込んでみるか? だがそれに失敗した場合、どうなる? 杖無しで、直接触媒を手にして魔術を使うのはノックバックダメージによる自爆の可能性が高い。自傷ダメージでヌルスの方が大きなダメージを受ける可能性もある。例え他の選択肢がないとしても、それはあまり賢い戦い方ではない。それならむしろ、力負けするのがわかっていてもモンスターとしての獣性をむき出しにして触手戦を挑んだほうがまだ納得できるというものだ。
悩む間にも、時間は進んでいく。フロアガーディアンが、ゆっくりと触手を引き戻している。ヌルスを追い詰めているのを理解しているのだろう、その動きはゆっくりだが確実だ。明らかにヌルスの動きを警戒している。
《……いや、同じ間違いをしてどうする。状況をよく確認するんだ》
自分の中で考えただけでは、現実には対応できない。状況をよく見て考えなければならない。
触媒は、少し離れたところに転がっている。だが取りに行くまでに確実に触腕による攻撃をうけるだろう。
出入口は相変わらず、完全に塞がっている。戦いの中で振動が起きたが、それで崩れる様子はない。水魔法はこちらに使うか? だが破壊できなかったらそれで詰みだ。
フロアガーディアンは変わらず健在。能力耐性の宝玉は二つ空いている。見た目は元気だが、相当に疲弊しているのは間違いないはずだ。仮にヌルスがあれの立場だったとして、痛撃を三回も受ければ存在維持に精いっぱいのはずだ。
あとは……。
炎魔術の攻撃で千切れた触腕が、灰になっているのが見えた。わずかに残る灰色の炭の山、その中にキラリと光る結晶の姿が確認できる。
《……!!》
閃くものがあった。
幸い、フロアガーディアンの意志は取り落した触媒に向けられている。ちょうど、灰になって転がっているのはそちらとは反対側だ。戦いの中でフロアガーディアンがある程度動いているので、拾いに行くのは問題なさそうだ。
念のため、一度触媒を取りにいくように見せかけるフェイントを行う。それにひっかかって触腕を大振りするのを横目に踵を返し、ヌルスは灰の中の結晶に飛びついた。
《……どうせ自爆するなら、威力が大きいほうがいいよな!》
拾い上げた結晶は、片腕とはいえフロアガーディアン産だからか、雑魚モンスターのそれと比べると大きく形もまとまっている。歪んだ卵型のその紫色の輝きの奥に、渦巻く黒い闇を見とがめて、ヌルスは覚悟を決めてフロアガーディアンに向き直った。
ヌルスがまた魔術攻撃をしてくると判断したのだろう、フロアガーディアンは威嚇の叫びを上げて鋭く墨を噴出してくる。物を貫くほどではないが、痛みを感じるほどの高圧で噴射されるそれを浴びながらもヌルスは触手を地面の僅かな凹凸にひっかけて抵抗しながら、突きつけるように触媒を掲げた。
『a α γ』
高圧の水流に触手がぷるぷる震えて発声が難しい。一瞬ためらって、ヌルスはボロボロの外套を脱ぎ去ると墨に対して盾のように掲げた。朽ちかけた布で長い時間は防げないだろうが、たった三つの単語を呟く時間なら稼げるはず。見る見る間に水圧で引き裂かれていく布を前にしながら、ヌルスは素早く呪文を詠唱した。
『α γ』
『β』
ウォ、と言語に尽くしがたい唸りが空間に轟いた。何もない空間の景色が、渦巻くように捻じれて裂け、その向こうに一瞬、紫色の空間が垣間見えたような気がする。その歪みと同じように、触媒を持った触手が切り裂かれ、引き裂かれ、引き千切られ、魂に響く激痛がヌルスを襲う。それにヌルスは必死に耐え、魔術の構築を維持し続ける。
渦巻く捻じれた空間が、やがて術式に従って一転に収束する。現れたのは、紫色の闇に輝く鏃。およそこの世の不吉な色を全て煮詰めたような魔力の弩が、歪みの弦にはじかれてフロアガーディアン目掛けて撃ちだされた。
それを、すぐさま迎撃するクラーケン。ヌルスを狙っていた墨の噴出が、そのまま狙いを変えて弩を迎撃する。が。
『ヲロッ!?』
高圧の水流は、しかし何ら弩に影響を与えていなかった。周辺の空間が歪み、それに合わせて水流が千々に乱れて干渉しない。
フロアガーディアンが驚愕したのは一瞬の事。だがその一瞬で十分だった。
歪みの弩が、その巨体の中央に炸裂する。
『ヲ……?!』
着弾した紫の輝きは、衝撃でその構成を失い、魔力となって解放される。生成時に空間をねじ切るように収束された魔力が、それとは逆に解放される。それがつまり、どういう事か。
逆再生のように空間の渦が逆巻いた。ただ先ほどとは違うのは、今度は可能な限り伸ばした触手の先ではなく、フロアガーディアンの腹のど真ん中でその現象が発生している。
空間が歪み、フロアガーディアンの実態がぐにゃりと歪む。その歪みそのままに、その肉体が引き裂かれる。
『ヲ、ヲロロロオッ!? ヲ……ッ』
ヌルスですら感覚を閉じたくなるような残虐なる光景がそこにあった。生きたまま、およそ原型をとどめないほどに、物体の強度を無視してねじ切られる肉体。青白い血が花火のように飛沫、床を真っ青に染めていく。触手の一本にいたるまで千々に引き裂かれ、肉塊どころか肉片と化していく。
やがて魔力が完全に消失した時、そこに残されていたのは、堆く積まれた青色の肉塊のみだった。
《……………………》
完全に言葉を失って立ち尽くすヌルス。ちらり、と魔術のフィードバックで引き裂かれた触手に目を向ける。僅か一本の触手の犠牲で、今も魂の奥まで響くような痛みがガンガンと響いている。それを、全身で味わったフロアガーディアンの末期の苦痛はどれほどのものか。少し想像するだけで怖気が走る。
何より、これをもし、制御を失っていたら。ヌルスはその身でこれを体験する羽目になっていた。
《…………お、おっかな……》
辛うじてそれだけを絞り出したヌルスの目の前で、ボッ、とフロアガーディアンの残骸が燃え上がる。急速に燃え尽きていくその有様に、ああ、ちゃんとモンスターの死体として処理されるんだな、とどこか安心すらヌルスは覚えた。それだけ異常な死に様だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます