第二十八話 美酒を味わう暇もなく
《なんとかなった……のか?》
血を滴らせる触手を切り離しつつ、ヌルスはしばし茫然とする。切り離された触手は地面に落ちると、忽ちに周辺の血痕と共に炭化して消滅する。同じように、あれだけぶちまけられていたフロアガーディアンの血痕も今は完全に灰となり、その存在の痕跡は転がる魔力結晶のみである。
現実感の無さに、ヌルスはただ戸惑っていた。
ただ仕留めたというだけならともかく、引き出した歪みの力はあまりにも強大だった。使い手にも牙を剥くあの力が、いざ攻撃魔術として解き放たれればあれ程のものになるとは。
あの論文に書き足されていた所有者のメモ書きもわかる。
これは確かに、危険で魅力的な力だ。一歩間違えば使用者に破滅を齎す、という点は違いない。だがそれを踏まえても、魅入られるには十分な力だ。
ヌルスは当然知る由もないが、それは人類史において多くの人間が魅入られのめり込んできた感情だ。
純粋な破壊。圧倒的な破壊。あきらかに必要以上の、過剰極まりない力。
それはすなわち、芸術である。生きる上では余分な物。無駄とも取れるそれに、人は魅了されてやまないものなのだ。
《とと、いかんいかん。ぼうっとしてしまった》
体をブルブル振って気を取り直したヌルスは、とりあえず触媒の回収に向かう。今の所手持ちの触媒はあの隠し部屋にあるのが全部で、供給が見込めない以上貴重品だ。無くさないようにしなければならない。
黄色く光る触媒を見つけ、その元に歩み寄ろうとしたヌルスは、しかしそこで、何やら部屋の外が騒がしい事に気が付いた。分厚い壁ごしに、何やら人の騒ぐ声が聞こえる。
《むぅ?》
意識を塞がれた出入口に向ける
青い鉱石のようなもので完全に塞がれていた出入口だが、それはフロアガーディアンの絶命と共に灰色に色あせ、見るからに強度が落ちた石灰石のような有様になっていた。それが、外からの振動でドンドンと震えている。見る間に石にヒビが入り、外からの松明の赤い光が差し込んでくる。ぽろりと剥がれ落ちた小石程の破片、その隙間からちらりと見えた部屋の外には、冒険者が複数たむろしているようだった。
《あ》
そこでヌルスは思い出す。
事前リサーチでは、この所謂ボス部屋は出入り自由であったはずだ。それが突如として塞がれていたら、それは冒険者にとっても一大事である。異常に気が付いた冒険者が大挙してやってくるのもおかしな話ではないはずだ。当然、彼らもまた入口を塞ぐ障害物の排除を試みているはずである。そして戦闘中は破壊できなかった事で、ますます人が集まっているはずだ。
《ま、不味い!》
このままでは多数の冒険者がこの部屋になだれ込んでくる。そして彼らが目の当たりにするのは、外套も鉄兜も失った、胴鎧一つのヌルスの姿だ。ほぼ間違いなく、未知の新種フロアガーディアンとして、この事態の原因と認識され討伐される事になる。疲弊しきった今の状態ではとうてい戦って生き延びるのは不可能だ。
《に、逃げなくては! こ、こんな事で死んでたまるかー!》
わちゃわちゃと転移陣に向かって駆け出す。フロアガーディアンを倒した以上、ヌルスにもその使用権原はある筈だ。一刻も早く次の階層に脱出せねば。
しかしながら、ヌルスの動きは哀れな程遅かった。本来の触手型モンスターの移動速度は決してそこまで遅くはないのだが、ヌルスは人間に擬態する為にその歩き方をずっと真似ていた。その身に染み付いた移動方法がこの場においても出てしまっているのだが、気が動転しているヌルスは気が付かない。
背後でカラン、とまた障害物が砕けて転がり落ちる音。まだ人間が覗き込むには小さいが、それでもそろそろ部屋の中が見えてしまうかもしれない。一層の焦りがヌルスを襲う。
《どどどどどうすれば……そうだ!》
閃きがヌルスの脳に去来する。ヌルスは大きく一本の触手を振り上げると、それをえいや、と召喚陣に向けて伸ばした。クラーケンが似たような事をやっていたのでその物まねだ。
召喚陣には、とにかく使用者が触れればいいだけのはずである。全身が収まっている必要はないはず。であれば、この伸ばした触手の先が触れさえすれば、それで陣は起動するはず。
《とどけとどけとどけ……届けぇー!》
限界ギリギリまで伸ばした触手が、魔法陣にちょんと触れる。途端、魔法陣が青く輝き、その光がヌルスの体を包み込む。
一瞬後には、その肉体は光の塊になって、魔法陣に吸い込まれるようにして消失した。
間一髪。ヌルスの姿が消えた直後、障害物が完全に破壊され、冒険者達が我さきに部屋へと入ってくる。彼らは臨戦態勢で武器を構えつつ声を上げた。
「大丈夫か!? ……って、なんだ。誰も居ないぞ?」
六人ばかりの冒険者が、部屋に散らばりつつ状況を確認する。彼らの目に映るのは、部屋に残された魔力結晶と、転がる黄色い宝石、折れた杖、ビリビリに敗れた上に真っ黒に汚れた外套、そしていくばくかの戦闘の痕跡だ。
「……ううん? とりあえずボスと誰かがやり合ってたのは間違いないみたいだが……」
「転移陣で消えるのが僅かに見えた。どうも一人だったみたいだな」
「なんか落ちてる。これは……魔術の触媒か? 杖っぽいものもある」
「誰かがフロアガーディアンと戦っていたのは間違いないな。床に吸盤の痕跡もある」
「なんか魔力結晶落ちてるぞ。サイズ的にボスの奴か? なんで拾わなかったんだろ」
起動している魔法陣を見て、冒険者の一人が首を傾げる。
「恥ずかしがり屋さんだったんじゃねえの? 俺達が踏み込もうとしてびっくりして先にいっちまったとか。いや、流石に無いか」
「まあ、出入口を塞がれるなんていうイレギュラーに遭遇した後だ、さっさと先に進んでしまいたかったのかもしれない。少なくとも、魔法陣の出口周辺は安全だからな」
「うーん、まあそうかもしれないが……でもなんで出入口が塞がってたんだ?」
「それだよな。聞いたことないぞ、3層で出入口封鎖なんて」
ガヤガヤと会話する冒険者達。とりあえず犠牲者はいなかったようなので、彼らの間に流れる空気は緩い。
このまま先に進んで、件の当事者にインタビューしてみるか、と話が進んだところで、しかし出入口付近で足踏みしていた一人の冒険者が気まずそうに手を上げた。その隣に立つ二人も、どこか申し訳なさそうに顔を逸らす。
「あの……」
「ん、なんだ?」
「すいません。その、僕のパーティ、ここまだ突破してません」
「え」
振り返った姿勢でギクリと固まる冒険者達。彼らの背後で、魔法陣の前に青いオーラが立ち上る。転がっていた魔力結晶が速やかに消失し、ハイ次ね、と言わんばかりに、再びフロアガーディアンが出現した。
『ヲロロロロ……』
「や、やべ……て、撤退! 撤退ー!!」
その場を咄嗟に仕切った冒険者の掛け声で、わあわあと全員で出入口に後退する。先ほどのように出入口は封鎖されておらず、全員が部屋の外に出ると、フロアガーディアンは出現した時と同じように青い光に包まれて消滅した。
ほっと一同は胸を撫でおろす。この場に居た冒険者の半分はすでに踏破済みだが、前準備なしでフロアガーディアンと戦わされるのは勘弁してほしい案件である。
「ふぅ、あっぶねー」
「でも、今の出入口塞がれてなかったよな。なんでだ?」
「どっちかというと出入口が塞がれてる方がイレギュラーなんだって。とりあえずギルドに報告だな。後は物好きが条件を調べてくれるだろう」
「いいのか? 俺達だけなら普通に魔法陣を潜れるだろう? 当事者に話を聞く方が大切じゃないか?」
「そうなんだが、もう魔法陣潜って先に行っちゃったからなあ。俺達が出入口の要害を突破しようとしてるのに気が付かなかったはずはないし、それでも先に行ったのなら相当の偏屈もんだろう。とっつかまえても質問に応じてくれるかわからん。それよりは、迅速にギルドに報告して一時封鎖してもらう方が先決だと思う。下手したら行動パターンが変わってる可能性がある」
「確かに、そっちの方が確実だな……よし、そこの未踏破パーティー、お前らもついてこい、証人は多い方がいい。なぁに、事が済んだらフロアガーディアン突破に協力してやるさ」
「え、いいんですか!?」
「まあ、それぐらいはな」
「でも代わりに倒したりはしないからな。フロアガーディアンを倒せないようじゃ、次の階層じゃ到底やっていけないからな。アドバイスとか、サポートだけだぞ」
「それでも助かります!」
そんな遣り取りの後に、一時的に結成された即席6人パーティは地上への道を急いだ。
なお、この後ギルドの検証によって、3層フロアガーディアンは、斬撃攻撃を行わず魔術攻撃によって大ダメージを与えた上で2回耐性をつけさせると、特殊行動として出入口を塞いでくるという行動パターンがある事が発覚する事になる。
前衛を伴わず魔術師が単独で迷宮に潜るのも、炎と雷に対して極端に属性防御が低いフロアガーディアンに対し魔術を二発も使って仕留め損ねるのも、普通にやっていたらまず発生しない条件であった為、何年も発覚していなかったレア行動という事になる。確かに様子見で魔術を撃ち込んで耐性を確認する、というのはありうる流れだが、大抵の場合次に前衛が近接攻撃を試し、そちらには耐性が付かないのを確認してそのまま切り倒すのが定番の流れだ。仕様というよりどっちかというとエラーではないか、というのが実証に望んだ有志の素直な感想である。
ギルドは事故防止のために一応周知を行ったものの、正直まず発生しない条件であるのは間違いない。件の魔術師と思われる当事者が何を思ってそんな事を試したのか、職員は疑問に首を傾げるが当然答えは出なかった。
<作者からのコメント>
soutatsu6139さん、kaaaakuさん、23170101さん、レビューありがとうございます!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます