第二十六話 挑戦する冒険者


《……ふ。ふふふふ》


 あまりにも理不尽な状況。生存の目はあまりにも低い。持ちうる全てをつぎ込んでも打開できるかは運次第。どれだけ準備を重ねて慎重に立ち回っても、予想外の事態が背を刺してくる。


 そんな状況に追い込まれながらも、ヌルスの心に去来するのは怒りや悲しみではなく、むしろ喜びに近い感情だった。


 もはや人の目を気にしている必要も余裕もない。触手型モンスターとしての正体を露にして、杖の触媒を取り換えながらクラーケンへと振り返る。


 持ちうる全てを駆使して、この難局を乗り越えるために、誕生以来未だかつてなかった熱を思考が帯びる。


《そうか……これが!》


 何故、人が命の危機が存在する迷宮に潜るのか。そこに、人生の意義を見出すのか。


 少しだけ、分かった気がする。


 手札を確認する。ヌルスに残されている触媒は、あと三つ。氷と、風と、水。それを使い切ったら、ヌルスにもう攻撃手段はない。そしてそれら触媒を使って放てる魔術は二種類。初歩的な弩の魔術と、霧の魔術だ。霧は魔力を多数消費する範囲攻撃だが、当然ながらダメージそのものはかなり低い。一回攻撃すれば耐性をつけられてしまう相手には、使う意味がない。


 つまり、三発。三発のボルトで、このクラーケンを仕留めなければならない。


 そして相性の考慮も必要だ。体表を粘液で覆われてぬるぬるとしているこの怪物には、明らかに水魔法は効果が薄い。これはあくまで最後の手として、氷と、風。実質二種類の魔術が頼りだ。


 あまりにも分が悪い。が、やるしかない。


《いくぞ……!》


 覚悟を決めたヌルスに、再びクラーケンが雄叫びを上げる。ノシノシと怪物が歩くたびに、その体重で小さく床が振動した。


『ヲロッ!!』


 クラーケンが声を上げて、長い触手を叩きつけてくる。オーバーモーションのおかげでヌルスでもなんとか回避が間に合い、寸前で離脱した脇を、ベタン! と音を立てて地面に触手が張り付いた。持ち上げた後には、めり込むようにして凹んだ石の床に、無数の吸盤の後が残されている。


 石をへこませるほどの腕力、直撃すればただでは済まない上に吸盤が張り付いてきて逃してくれない。もしかすると、そこからさらに巻き付いて締め上げるまでがセットなのかもしれない。頑強な鎧で身を守ったりしていれば助かるかもしれないが、人間が喰らえば人溜まりもないだろう。ヌルスの場合は、外套や鎧で身を守っている上に、その気になればそこから離脱できるのでまだ大分温情的だが、どちらにしろ打撃のダメージは大きいだろう。


 攻撃を食らわないに越したことはない。しかしながら、ヌルスの体の構造上、素早く動き回る事は難しい。少なくとも、今の時点では。


 となると、短期決戦しかない。


 拙速は巧遅に勝る。全てにおいて適用される訳ではないが、今はその通りにふるまうべきだろう。


 杖の先に煌めく触媒は、風。残された三つの属性の中では、一番通じそうだ。ヌルスはかぶっていた兜を投げ捨てると、触手としての姿を露にしたまま呪文の詠唱を開始した。


『α γ』


 魔術の威力を増す手段はいくつかある。例えば、より大きな魔力を引き出せる触媒に交換する、より洗練された魔術式を用意したスクロールを用意する、等々。だがその工夫の殆どは、用いる道具の改良であって、今この場で用意できるものではない。


 だが、手段がないわけではない。魔術は、扱うものがより精通していれば、当然その威力と精度を増す。


 同じ呪文でも、呪文の完成度でその威力は大きく変動する。人間ですらないヌルスが人間を真似て発する擬音程度では、本来の威力には到底及ばず、それはすなわち、まだまだ伸びしろがあるという事だ。練習で上手くいかなかった事がここにきて突然出来るようになるはずもないが、しかし、兜というデバフがなければ、先ほどまでより精度は上がるはずだ。もはや人間に擬態する必要が無い以上、音のこもる鉄兜で、人間の首の位置に限定して触手を扱う必要はない。何の制限もない状態で、最大限集中して呪文を詠唱する。


 動きの止まったヌルスめがけて、クラーケンが触手を大きく振り上げた。しなる剛腕が叩きつけられるまであと一秒。


 問題ない。


 先に、呪文の詠唱が完了する。


『  β!!』


 キュォウ、と触媒の宝石が唸った。周囲の大気が、一瞬で圧縮されるような魔術の発動。不可視のはずの大気が、高密度で球状に圧縮された事で、色づいたように見える。


 そしてその圧縮された大気が、細く鋭く打ち出された。


 ウィンドボルト。雷や炎のように原理的に肉体を破壊する効果は持たないし、氷のような物理的質量を持っている訳ではない。だが、軽い分早く、鋭い。例えば唇を尖らせて息を強く吹きかければ、普通に吹きかけるよりも強い勢いが出るだろう。それの何十倍、何百倍という現象が、魔術によって引き起こされたのだ。


 ボッ! と音を立ててクラーケンの横腹に穴が開く。青白い血がぱっ、と飛び散った。


『ヲロロ……』


 グラリ、と体勢を崩すクラーケン。物理的なダメージの大きさにか、今まで以上に大きくよろめく。が、残念ながら一息足りなかったようで、倒れこむ寸前で身を持ち直した。見ている前でみるみる傷口が塞がり始め、並ぶ宝玉の一つが緑に染まった。体色は、一瞬緑がかったようにみえたが、すぐに全体的に白っぽくなる。混色が進みすぎたからだろう。


 これで風属性にもこれで耐性をつけられてしまった事になる。


 だが、与えたダメージは大きいはずだ。傷口は塞がったが、あれは見た目だけだ。同じモンスターであるヌルスには分かる。


 あくまで魔力や魔素が生物を模しているだけの存在であるモンスターは、傷口の偽装や形を変える事はそう難しい事ではない。だがそれはあくまで見せかけのものであって、本質に響いたダメージはそう埋められるものではない。


 ならば、あと一発。まだ水よりはマシであろう氷の魔術が残っている。


 幸いにして、ガーディアンはダメージが大きく、すぐに反撃には移れないようだ。警戒しつつ、素早く触媒を交換する。


 煌めく白い宝石。氷魔術の触媒だ。


 これで決める。そのつもりでヌルスは呪文を詠唱した。


『α γ β!』


 キュォア、と先ほどとは少し違う形で、大気が吸い寄せられる感触。周辺一帯の水分が一転に絞り込まれ、魔力によって凍結する。自画自賛ながら素晴らしい精度で詠唱された氷の矢は、周囲一帯の空気を乾燥させながら形を形成し、鋭く絞り込まれた円錐状の形をとった。ミシリ、と固まり切ったそれが、パァン! と音を立てて射出する。


 風ほど早くはないが、その分質量が大きい。これで決まる、そうヌルスは確認して、ガーディアンの最後を見届けようとした。


 だが。


 一つ、ヌルスも忘れていることがある。


 能力耐性などなくとも、生き物は痛みから学ぶものであるという事だ。


『ヲロロゥ……ヲッ!』


 クラーケンがその口吻から、黒い墨を吐き出した。細く勢いのあるその黒い流水は、スナイパーさながらに飛来するアイスボルトを正面から迎撃した。氷の弩は当初、墨の流れをものともせずに突き進むかと思えたが、ある点から急激にその勢いを落としていく。


 墨も液体である。アイスボルトに触れた墨が凍り付き、その質量を急激に上昇させたのだ。やがて、水流の抵抗と増加する質量を初期加速度が支えきれなくなり、クラーケン直撃まであと少し、という所でアイスボルトはその勢いを失ってコテンと転がり落ちた。


《な……》


 想定外の展開にヌルスは驚愕しつつも、己の浅慮に怒りを覚えた。


 相手はフロアガーディアンだ。そんな大物が、いつまでも打ちのめされるままでいるはずがない。流石に考え無しに魔術を連射しすぎた。


 だが、直撃しなかった事で耐性もついていない。


 もう一度、と魔術の準備に入ったヌルスを、フロアガーディアンの縦に裂けた瞳孔がぎょろりと睨みつけた。




<作者からのコメント>

ホイストさん、hadukidamaさん、レビューありがとうございます!

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