第三十三話 知らぬが仏
さて。
九死に一生を得たヌルスは、死の恐怖と引き換えに4層の恐るべき側面を垣間見る事になったのだが、もう一つ、得る事が出来た知見がある。
4層には、日の出入りが存在する。
1,2時間ほどかけてヌルスがなんとか精神を立て直し、ずぶ濡れになってしまったローブと帽子を適当な枝にひっかけて干していると、燦々と輝いていたはずの光は少しずつ衰え赤くなり、ついには完全に消えてしまった。頭上には夜空のように黒い岩盤が広がるばかりで、その中に点々と星のように光の残滓が煌めいている。
それに伴い、階層におけるモンスターや冒険者の活動も減少していく気配があった。時折聞こえてくる鬨の声や魔物の雄たけび、そういった戦いの響きが聞こえてこなくなり、森に耳が痛いほどの静寂が満ちている。
まだ湿気を残しつつもある程度乾いたローブや帽子を木の枝から回収しつつ、ヌルスはそんな4層を見渡しながら思索にふけっていた。
《不思議なものだ。冒険者はともかく、魔物も夜になると大人しくなるとは》
人間という生き物は昼活動して夜は休むらしいから仕方ないとしても、疑似生命体である魔物にそういった生活サイクルは関係ない。事実、他の階層では昼夜関係なく魔物が動き回っているのだが、この層に関してはそれが当てはまらないらしい。
なので普通は転移陣の出口などといった安全地帯にキャンプを張る冒険者が、ここでは思い思いの場所で休んでいるようだ。流石に焚火を興すほど余裕ではないようだが、感覚を凝らすとところどころ、下草が刈り取られた円形の広場が存在しており、そこで冒険者達はテントを張っている。
妙といえば妙だ。そんなの、魔物に襲ってくれと言わんばかりではあるのだが……不思議と、魔物たちも襲撃を仕掛ける気配がない。
《……この空の明かりが何か影響しているのか? 例えば、この層の魔物は活動にあたってあの光の介在が必要である、とか》
魔物が人間を襲うのはあくまで迷宮に作り出された疑似生命体としての本能、迷宮の防衛反応によるもの。つまり、人間を襲う事による直接的なリターンは基本的には何もないのだ。場合によっては、その装備品や死体から魔力を得る事で活動時間延長に繋がるかもしれないが、基本的にそれを狙っての事ではない。
また魔物は、その階層が特殊な環境である場合、それを踏まえた体の造りをしているものである。外部からエネルギーの供給があるのなら、それを前提にするような。
となると、夜に人間を襲撃するのがあまりにも収支が悪いのであれば、無駄に魔力を消費せずに大人しくしている……という事もあるのかもしれない。
あるいはもっと単純に。
冒険者が静まり返ったこの夜間、変に騒ぎ立てると狙われてしまうのかもしれない。自分達の足元の下、昏い深淵を徘徊する化け物に。
《…………》
地面を突き破って生えてきた銀の口吻を思い出し、ヌルスはブルブルと体を震わせた。当分、あの恐怖は忘れられそうにない。
それにしても、一体あの化け物はなんだったんだのか。
4層といえば、決して浅くはないが深くも無い。そんな階層に、あんな化け物が居ていいのだろうか。水中というアウェー環境を差し置いても、仮に8層だの9層だのに進出できる実力の冒険者でも歯が立たないような気がする。
《あそこまでいくと、魔物というより迷宮の仕掛けそのものだな……。それなら考えようによっては、堕ちたら死ぬ猛毒の湖とか、溶岩とかが広がっているよりよっぽど温情……か?》
少なくとも、ある程度泳いだりできるのなら逃げる猶予はあったのだし。
果たして、冒険者達はあれの事を知っているのか。知った上でこうして呑気に夜を過ごしているのか、それとも知らないから休養できているのか。
ヌルスとしては、知ってしまった以上、とてもじゃないがこの階層でゆっくりする気にはなれない。この足元がいつ崩れてもおかしくはないという事も把握してしまった。暗い間は冒険者も魔物も動かないというなら、今のうちに3層に引き返させてもらうべきである。
ローブで体を覆い、前を閉じて触手が見えないように取り繕う。ちょっと乾ききっていないが、まあずぶ濡れを纏っている訳ではないからそう見咎められる事はないだろう。兜の代わりに帽子を深くかぶり、いかにも根暗そうな魔術師の姿を装う。手には、そこらへんの枝を折って作った簡単な杖。
これなら、4層から戦力不足で撤退してきた魔術師にも見えなくはない……そうヌルスは考えている。実際の所、よく見られると大分ボロが出ているのだが、3層の薄暗さがどれだけカバーしてくれるか、といった所だろうか。
《よし。戻るか》
出来るだけ物音を立てないように地面に降りる。下草を踏みしめた瞬間、その下に広がる真実がフラッシュバックするが、意思の力で抑え込む。そんな事でイチイチ足を止めてはいられないとわかっているが、やはり、そう簡単には割り切れそうにないようだ。
そのまま道を遡り、まっすぐ転移陣へ。陣の近くには三つほど冒険者のキャンプがあり、安全地帯という事もあって焚火を燃やしているパーティーもいた。当然、天幕の中で休憩している者ばかりではなく、火の番をしている者も居る。
一瞬ドキリとしたヌルスだが、引き返すわけにもいかない。出来る限り冒険者の視界に入らないようにしつつ、足早にその場を通り過ぎる。ちらり、と人相の悪い冒険者がヌルスの姿を見咎めたが、ボロボロのローブと適当に誂えた感じの杖を見ると、勝手に何か納得したように頷いて目を逸らした。
恐らく、プライドの高い魔術師様が失敗を隠したくてコソコソ上層に戻ろうとしている……そのように考えたのだろう。彼の横顔からは、ここで変に声をかけて恨みを買われても面倒くさい、そういった気だるげな本音が漂っている。
それはそれで有難い。注目されない事をいいことに、ヌルスはさっさと転移陣に触れる。
再び、青い光に包まれたかと思うと、視界が一転する。
見覚えのある、青い光に照らされたフロアガーディアンの小部屋だ。床に刻まれた吸盤の跡もそのままである。
ここを通り過ぎてまだ一日も経っていないのに猛烈な懐かしさを覚えながら、ヌルスはこそこそと静かにかつ足早で出入口に向かう。
《ん?》
と、出入口に差し掛かったヌルスは、何か見覚えのない、縄のようなものが出入口に張り巡らされている事に気が付く。一瞬、また封鎖されているのかと考えたが、よく見るとそれは人の手によるもののようだ。
出入口から顔を出して、周辺に人がいない事を確認してからぬるり、と縄を通り抜ける。よく見ると出入口横には看板がかけられていて、何か注意書きがしてあった。
幸い、ヌルスにも読める言語である。
《何々……『フロアガーディアンに記録に無い行動が見られたため、ギルドによる調査が完了するまで安全の為に未踏破者は挑戦を控えてください』……か。ああ、私が戦った時に出入口を封鎖された事か》
あの時も複数人の冒険者が騒いでいたが、ギルドとやら動き出す事になっていたとは、話がなかなか大きい事になっている。恐らく、これが地上なら監視員を置くのだろうが、ここは生憎迷宮の只中である。むしろ、事情を知らない物臭がひっかからないようにこうして縄を張り看板を掛けているあたり、かなり対応が念入りだ。どうやらギルドでも割と重視するような、なかなかの異常事態だったらしい。
《……あの時逃げ切れて幸いだったな》
状況的にヌルスは間違いなく原因の新種モンスターとして扱われる訳で、その場合絶対に生きては返してもらえなかっただろう。姿を目撃されていてもアウトだった、この様子だと迷宮全体で謎のモンスターの追跡大会が勃発していたのでないか?
幸い、そういった気配はないので姿も確認されていないようだ。ギリギリで逃げ切れて本当によかった。あらためて安堵するヌルスだった。
<作者からのコメント>
manekinさん、レビューありがとうございます!
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