第三十四話 図画工作の時間ダヨ



 とはいえ、状況が厄介な事には変わりない。またしばらく、隠れ家に引っ込んでいた方が安全そうだ。


《やれやれ。目的を全く果たせずにいるのに、呑気な事だな我ながら》


 迷宮の外でも魔物が生きていく方法。そんなものが本当にあるのか無いのか、それは分からないが、それでも探し続ける他は無い。別に他に、生きる理由もない訳だし。とはいえ、流石にこれだけトラブル続きではいくら魔物でも疲れを覚えてくる。


 とはいえ、露骨に弱った仕草をすれば、モンスター達の注意を引いてしまう。4層と違って、3層の魔物は昼夜問わず活動している。弱ったモンスターなんて、それこそ冒険者よりもお手軽でリターンのある獲物だ。冒険者との戦いに生き延びた魔物が、しかし片手や片足を失った事で戦闘力を損ない、かつて肩を並べて戦っていた同類の餌食になるという事も珍しくは無いのだ。


《……そういえば、なんか変だな》


 そういえば、しかし強い魔物と弱い魔物が肩を並べて冒険者と戦った場合、戦闘後に弱っているのでなければ強い魔物が弱い魔物を即座に襲う、というケースは見た事が無い。欠損者はすぐに襲われるのだが。


 戦闘後は一定時間、同士討ちを禁じるような本能が働くのだろうか。怪我した魔物がそれから除外されるのは、迷宮内の戦闘力を一定に保つ、みたいな仕組みがあるのか?


 よくわからない。生まれた時から最弱の魔物であったヌルスからすると他の魔物と接触する事自体がリスクであるため、共に戦った事が無い。だいたい、冒険者と交戦すれば生き延びられない事は請け合いだ。


 今の姿なら、そこそこいい線行くかもしれないが。


《…………》


 ヌルスは冒険者に普段偽装している。逆に言えば、偽装を解いて完全にモンスターとしてふるまえば、冒険者相手に他の魔物と共同戦線を張る事もできるのではないか?


 疲れで魔が差したのか、そんな事が脳裏に浮かぶ。


 一瞬本気で試すか考えたヌルスだったが、すぐにその不毛さに気が付いて取りやめる。


 そんな事をしても、意味が無い。ヌルスという自我に目覚めた魔物にとって、冒険者を殺す事はリスクばかりでリターンが無い。


《そもそも、今の私が迷宮の魔物に同類とみなされているか大分怪しいしな》


 迷宮の魔物は普段敵対しているが、冒険者を発見した場合、一定時間同士討ちをしない共闘モード、とでもいうべきものに入る。その理屈でいえば、モンスター達は一定範囲に冒険者が存在するならヌルスに対して攻撃をしないはずだ。だが実際の所、3層においては近隣に冒険者がいる状態でも他の魔物との戦闘が勃発している。モンスター達からみればヌルスが同類であるのはバレバレのようだから、何かしらの条件をヌルスは逸脱してしまったのだろうと考えた方が自然だ。


 そう考えると、フロアガーディアンのあの出入口を塞ぐ謎の挙動も、イレギュラー化した魔物であるヌルスを感知し、それを確実に排除しようとした迷宮の自己防衛反応だったのではないのだろうか。普通の魔物と違い、フロアガーディアンはより迷宮の免疫、それに近い存在であるから故。ヌルスはそう考え始めていた。


 実際には違うのだが、現時点でそれをヌルスが知るすべはない。そして真相を知らなければ尤もな仮説に思えたので、ヌルスはとりあえず、それが真相ではないか、と仮定した。


《となると、私は人間とも、魔物とも違う相容れない存在という訳か。……いやいや。何を考えている。そんな事考えても気が滅入るだけだろう……》


 やはり疲労がたまっているとしょうもない事ばかり考える。ヌルスはぶるぶると体をふるって纏わりつくような不毛な思考を振り払うと、隠し部屋に戻る事だけに集中するように意識した。


 幸い、その後雑魚モンスターに絡まれるような事はなく。ヌルスは無事に、隠し部屋に戻る事が出来たのだった。




《ふぅ……》


 べしゃり、と床に這いつくばる触手の塊。無数に伸びている触手だけでなく、その中心にある本体部分も、空気の抜けた風船のように床に伸びている。


《疲れた……》


 我が巣ともいえる安全地帯に戻ってきて気が抜けたのだろう。どっと噴き出してきた疲労感にすっかり虚脱するヌルス。ローブや帽子、杖や鎧も適当に投げ出して、しばらくぐったりと力なく潰れる。


 今回は色々あった。横たわりながらヌルスは本日の出来事を回想する。


 冒険者の偽装が形になって、3層の探索とフロアガーディアンへの偵察。予定通りに進んだのはそこまでで、突然の出入口封鎖からの強制デスマッチに、一か八かでの自爆覚悟で歪みの魔術行使、勝利したものの冒険者に発見されそうになって慌てて転移。4層にたどり着いた後も冒険者にニアミスしそうになったり、食べられそうになっている冒険者に手を貸したり、それでローブと帽子を手に入れたもののそのままでは使えないので泉で手洗いを試みたら、今度は巨大な湖に得体の知れない怪物の強襲ときたものである。


 イベント盛りだくさんにも程がある。


 何が悪かったか、といっても、ヌルス的には特に落ち度があったとは思えない。その場その場での最適解をこなしたつもりで、これだ。敢えて言うなら4層到達直後、迂闊に動かずにそのままその場にずっと隠れていればよかったかもしれないが、転移陣近くは一番冒険者が出入りする場所である。いきなり女魔術師に察知されそうになっていたし、じっと隠れていれば見つからなかったとは言い切れない。


 結局、最善を尽くしてなるようになったのが現状である。


 反省会を開いたところで、結論としては結局『出来る事を尽くしたが、そもそも出来る事の範囲が狭かったのが悪い』としか言えないだろう。


《……それはそうと、大分記憶が欠落してるな……》


 思い返して気が付いたが、インパクトの大きい出来事が多かったせいか、最初の3層を探索していた辺りの事をすっぽり忘れている。それにそれぞれのイベントも、印象が後に起きた出来事に上書きされている感じで、詳細が段々怪しくなってくる。


《いかんな。忘れっぽいつもりはないが、せっかくの経験も忘れてしまっては意味が無い。……ああ、そうだ》


 はっと思い出して、ヌルスはべりべりと床から身を剥がした。


 そのまま本棚に向かい、ベチャベチャと漁る。本棚の一角、鍵のかけられていない分厚い冊子を探しだして机に置く。その本は、ただ一言『日記』とだけ背表紙に記されている。勿論、厳重に封印されている例の日記ではなく、それとは別の新品の日記帳だ。


 ぺらりと中身を開くと、多少色あせてはいるものの、真っ白な無垢のページが広がった。


《なるほど。いちいち書物に記さねば記憶の参照も人間はできないのかと思ったが、詳細を物質として保存しておく、という意味では確かに有用だな。実体のない情報は知らぬうちに劣化、変質するとしても、インクの図形、という形で保存された情報は変質しない。なるほど、馬鹿にしていたがなかなかどうして》


 机を漁り、インク瓶とペンを探す。メモ書きなどをみても自分で書きこんでいたのだから、当然そういった道具はあるはずだ。


 想定通り、目的の物はすぐに見つかった。が、残念ながら、ヌルスの望むような形ではなかった。


《ありゃ》


 ペン先は問題ない。多少使い込んで先が丸くなっているものの、状態のよいものがみつかった。問題はインクだ。


 この拠点が放棄されてからどれだけの時間が経過したのか分からないが、恐らくは年単位である。使用済みで気密の甘い瓶から水分が蒸発するには十分な時間であり、見つけた瓶の底には黒い塊が張り付いているだけだった。


《まいったな……》


 インクがなければペンもただの尖った金属棒である。


 瓶を逆さにして振ってみても、パラパラと乾いた粉が降ってくるだけだ。これではどうにもならない。他にないかと調べてみても、複数ある予備も皆同じような状態である。


 水を注いでみるか、という考えが頭に過ぎる。結局はインクも、水に顔料を溶かしたものだ。固まってしまっているが、細かく砕けばあるいは……。


《いや、待てよ》


 ヌルスはふと思いついて、触手の先端をインクの瓶に差し込んだ。触手の先端に意識を集中しながら、体の水分を絞り出すようなイメージを送り込む。


 先ほどは、長く触手を伸ばそうとすればかなり長く伸ばす事が出来た。ならば、意識すれば水の代わりに粘液を分泌できないかと考えたのだ。出来れば粘度が低くサラサラしていて、かつ、残っている固まった墨を効率よくとかせるような液体がいい……そう願って念じると、ぷつぷつと触手の表面に水滴が生じ、ついにはこぽこぽと液体が瓶にたまり始める。


《おお、やってみるものだな! ……って、ん?》


 成功に沸いたのも束の間、瓶の中で発生している異常に気が付き体を傾げるヌルス。


 いくらヌルスでも知っている。インクは、こうシュワシュワ音を立てたり、ガラスの瓶を溶かしたりしない、と。


《ぬわああ!?》


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