第十二話 兜被り その2


 迷宮3層は、広大な地底湖のようになっている区画だ。広いエリアの底には湖が広がっており、その湖を渡るように無数の隆起が回廊のように入り乱れている。


 湖には冒険者を襲う怪魚がいるため、探索するには回廊を渡るしかない。だが、回廊の上は天井から滴る水滴で濡れていて足場が悪く、さらに足場の悪さを物ともしない両生類型のモンスターや、頭上から奇襲してくるコウモリ型モンスターが多数存在している。それらと交戦中に足をすべらせて落下すれば、湖のモンスターの餌食になってしまうという訳だ。


 難所の一つには間違いなく、多くの犠牲者を出している階層だが、それだけに対策や攻略方法も編み出されている。


 滑らないようにブーツは環境に合わせた物をあしらう事。万が一落ちた仲間の救出のために、ロープをちゃんと持ち歩く事。コウモリ型モンスターが苦手とするお香を焚く事。そういった対策を怠る事がなければ、一転してそこまで危険なエリアではなくなる。


 少なくとも、クリーグやアトラスにとっては、鼻歌交じりに探索できる程度の難易度でしかなかった。


 今も鎧袖一触、挟み撃ちしてきた両生類型モンスターを一刀のもとに切り捨てた所だ。燃え尽きて灰になっていくモンスターを前に、鞘に剣を戻す。


「流石に、今の私達がここをうろつくのは過剰戦力だな」


「だな。初心者どもの稼ぎを横取りするみたいで悪い気がしなくもない」


「うそつけ、どうせこのぐらいの稼ぎじゃ今日の飲み代にもならないとか、そんな事を考えているんだろ」


「バレたか」


「全く」


 軽口を叩き合いながら、カンテラの明かりで道を照らしながら先に進む。どの道を通ればどこにいけるのか、もはや諳んじられる程に頭に叩き込んである。かつてはアトラスも、この階層の構造に苦しめられたものだ。今となっては懐かしくすらある。


「しかし、いないな。兜被り」


「本当に回廊の上にいるのか? 何か聞いてないのか?」


「あー、うん。2層と3層で見かけたー、とは聞いてたんだが。考えてみれば場所は特に聞かなかったな。まあ、駆け出しどもが探し回ってるし、出現場所に傾向があればとっくに掴まってそうだしなあ」


「……ふむ」


 アトラスはしばし足を止めて、回廊の足場を見る。


 何度も言うが、ここは足場が悪い。滑り止めを足裏に張っていなければ、踏ん張る事も難しい。聞いた話では、兜被りというのは防具に体を隠してフラフラと動き回っているらしい。つまり、視界が悪いか、防具が重すぎるのだ。そんな状態で、この危険な回廊を渡るだろうか? 滑り落ちて下のモンスターのエサになるのが関の山な気がする。


「……下かもしれないな」


「下?」


「ああ。湖の畔とか、食堂が魚を栽培しているっていう飛び地の池とか。次の階層にはつながっていない外れルートだが、だからこそそっちの方に居るかもしれない」


「あー。確かに。だいたいあっちも人間が探し回ってるのわかってるだろうしな、人気の無い方に行ってるかもしれない」


「決まったな。引き返そう」


 すぐに回廊を降りてスタート地点に向かい、そこから脇に降りていく。この階層は全面湖だが足の踏み場が無い訳ではなく、ドーム状の空間の端には浜辺じみた足場が広がっている。危険な回廊を渡らなくともここを歩いていけばいいんじゃないか、というのは初心者が誰しも思い浮かべる事だが、実際の所ここを歩いて行ってもぐるりと3層を一周するだけに終わる。次の階層に繋がるフロアガーディアンの潜む部屋は回廊を渡った先、ドーム空間の壁の中にあるのだ。縄梯子などを用意すれば理論的には昇れるかもしれないが、つるつる滑る壁や回廊に、ひっきりなしに襲ってくるモンスターの襲撃に備えつつ設置するのは至難の業だ。どう考えてもルートを把握した上で回廊を歩いて行った方が早い。


 なので、こちらには基本的に人はいない。アトラス自身、初めて来たときに実地検分で歩き回って以来だ。


 クリーグと二人、湖の浜辺を歩く。回廊の上に設置されている蝋燭の明かりが遠い。黒い湖面に映る灯が、時折走る波紋で揺れて煌めく。


「……割と観光名所になれるんじゃないか、ここ」


「時折上から落ちてくる冒険者が魚型モンスターに引きずり込まれるスプラッタシーンがなければ、な」


「そうだった」


 ちょっと呑気にすぎる感想だった。アトラスは気を抜きすぎていた事を反省し、周囲に木を配った。


「そういや、少し前に騒ぎがあったな、このあたり」


「騒ぎ?」


「ああ。冒険者が気まぐれを起こして畔を歩いてたら、防具だけがそこら中に転がっているのを発見してな。まるで中身が溶けてなくなったみたいな有様だったんで、すわ肉食スライムでも出たのかと一時大騒ぎになったんだ」


「それは怖いな……」


 肉食スライムといえば、迷宮で遭遇したくない魔物トップ3に入る。そもそも粘液状の魔物は対処が厄介で、物理攻撃が通じない訳ではないが倒すのに特殊な手段が必要になる。全体の質量が十分の一以下で互いに融合できないように切り分けるとか、そうでなければ松明で炙って質量を減らすとか魔法攻撃で構造物質そのものを破壊するとか、とにかく手間がかかる。そして肉食スライムは、その食性上積極的に冒険者を攻撃してくるのでそういった対処をする余裕を与えてくれないのだ。


 それでいて、あちらの攻撃に一度でも当たれば骨も残さず食い尽くされてしまう。粘液状の体の特性を利用して、鎧や鎖帷子を装着していてもその隙間から入り込んでくるため、事実上防御不能攻撃なのも厄介だ。


 冒険者からすれば、こちらの攻撃は効かないのにあちらの攻撃は防御不能で一撃必殺。嫌われて当然の手合いである。


 そんな肉食スライムの出現範囲を示すのが、ピカピカで中身のない鎧だ。肉食スライムが吸収するのは有機物だけなので、身に着けていた鎧は長年の返り血の汚れなどが取れてピッカピカになるのである。


 とはいえ、本当にそんなのが出ていたら、アトラスの耳に入らないはずがない。つまりは空騒ぎだったという事だ。大騒ぎというのも精々、クリーグのような噂好きの間で、という事だろう。


 案の定、クリーグは「なーんてな」と悪戯っぽくウィンクを返してくる。


「ま、よく見たら鎧は錆び錆び、組み合わせもバラバラって事で、どこかのもの好きが湖の底から装備品をサルベージしたものの、使い物にならないから放置した、ってところが真相だろうな。少なくとも、3層で肉食スライムの目撃報告はないから安心しろ」


「それはそれで、変な話だな。湖のモンスターに襲われる危険を覚悟でサルベージした防具をその場に置いていくなんて。ギルドに持ち込めば遺留品扱いで多少の謝礼は出るだろう?」


「まあめんどくさくなったんじゃね? 冒険者には多いぜ、そういう非論理的な行動に出る奴。そもそも、その辺の収支決算きちんと考える奴なら、冒険者なんてリスクばかりでかい仕事をせずに、商人の手伝いでもしてるって」


「それはそうだが……ああ、いや。クリーグが考えなし、という訳ではないからな? いつも感謝してる」


「ははは、気にしてねえってそんなの。兄ちゃんみたいに事情があって冒険者してるならともかく、俺は本当の根無し草だからな」


 他愛ない雑談に華を咲かせながらも、両者ともに腰の剣から手を離さない。いつ奇襲を受けても大丈夫なように、常在戦場の心得は忘れていない。


 と、行く先に少し変化があった。先ほどから左に湖、右に壁を望んで細い岸部を進んでいたのだが、この先は壁の一部が抉れるようにして別の空間が広がっている。話に聞いた、魚の養殖に使っている飛び池だろう。


 洞窟内では複数の池がある事など珍しくもない。最も、迷宮内の洞窟が自然のものか、というと多少微妙なラインではあるが。


「……ん?」


 そこでふと、アトラスの耳が小さな声のようなものを捕らえた。その場で足を止め、片手でクリーグを制する。何だよ? と視線を向けてくる彼にしーっとジェスチャーで示し、アトラスは足音を立てないように静かに池に近づいた。


 池のある空間は横穴のようになっており、床と天上に小さな鍾乳洞が張り出している。その奥に例の池があり、何やら水底がキラキラ光っている。魔法石か何かが沈んでいるらしい。まあ、ただでさえ暗い上に魔物もうろついているのだ、手元が明るいに越したことはないだろうが。水底に沈めているのは、欲を出した冒険者が持って行かないようにだろう。食用の魚を育成しているだけとはいえ、この3層で魚影が見える水の中に手を入れるのはなかなか勇気がいる。


 その、池のほとりに。


 鉄兜が、ぽつねんと置かれていた。

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