第四十二話 迷宮の悪意
ヌルスが4層の樹上に身を潜めてからしばらくの日数が経過した。
冒険者の再進出も進んでいるようで、4層にも頻繁に出入りするようになってきている。
《明らかに人の出入りが増えているな》
今日も、ヌルスは木の上から冒険者を見下ろして観察する。出入口近辺の安全地帯という事もあり、冒険者達は樹上を見上げる事もない。おかげで、安全に彼らの様子を観察できた。
4層は、少しずつ、草が踏みしめられて道らしきものが出来つつある。ある意味では、冒険者の行動がすごく分かりやすい階層ともいえるだろう。ただ、すでに4層踏破済みの冒険者でも構造が変わってしまったこの密林を踏破するのは少し手間取っているようで、正解ルートはいまだ見つかっていないようだ。
今も眼下では熟練パーティーらしき一党が、地図を広げて道を確認している。なぜそう判断できたかというと、装備を見ればわかる。一見すると古臭い装備だが、魔力が込められている。これまでの道中で、エンチャント装備なんて見た事が無い。間違いなく、本来の活動範囲はもっと深い所のパーティーだろう。
正直、生きた心地がしないので早くどこかに行ってくれないかな、とヌルスは只管祈るばかりである。
「えっと、さっきこっちにいったら崖で行き止まりだったよな」
「こっちに行ったら底なし沼らしい」
「じゃあ、こっちか」
そんな感じでやり取りして、倒れた草を踏みしめて歩く冒険者達。ああやって鉄の足裏で何度も何度も踏みしめられて、冒険者の道が出来るのだろう。
彼らが索敵範囲外まで離れていったのを確認して、ヌルスは安堵のため息をついた。
しかし。
《ふぅむ……》
冒険者が踏みしめて歩く道の跡を見て、しばしヌルスは思案にふける。
どうやら冒険者の間では、こうやって出来た道に続くのが安牌、という考えのようだが、樹上から見下ろしたヌルスはまた違う印象を受けた。
《この階層において、道を限定するのは悪手ではないか?》
この4層の最大の特徴は、通路が限定されていない事だ。2層は石の迷宮であり、3層は地底湖の上を渡る回廊と、冒険者の行動経路は常に制限されていた。だが、4層にはそれが無い。一方で、少し前も見えないほどの草木が生い茂り、自由ではあるが一歩進めば闇の中だ。
指針が無いと行動しづらいというのは分かる。すでに誰かが通った道があれば、それはすくなくとも人が通れた、という事だ。ならばそれに続いた方がいい、というのも安全管理としてわかるが、しかしそれこそが冒険者の足を縛る危険な考えではないのだろうか。
少なくとも魔物の視点だと、そうして冒険者の進行ルートがはっきりしているのならば、逆に襲いやすいというものだ。
と、なると。
この階層の確実な攻略方法は、別にあるのではないか?
以前にも考えたが、この階層ではあえて定石に逆らうのが必要な気がする。
《闇雲に進んでも危険ではあるが……本当に危険なのはそちらではなく、点在する即死ポイントだろうな》
例えば、巨大怪物が潜む地下水脈に繋がる泉とか。思い出してヌルスはブルリと体を震わせた。
《ブルブル。……なんだろうな。迷宮というのはダンジョンコアと現実のせめぎ合いの結果生み出される偶発的な構造物であるはずだから、こういう表現が適切であるかはわからないが……どうにもこの階層は、安全を確保しようという生物の本能を逆手に取った造りのような気がする》
人ではなく魔物であるヌルスの印象はそういう感じになる。
最も、どう逆手にとっているのか、まだ言語化はできていない。
《真相としては、もっとシンプルに突破できるのではないか?》
ふと、そんな事を思いつく。
ヌルスは少し考えた後、胴鎧に収納している油紙の包みを取り出して中身を改める。
油紙の中には、魔術用のスクロール、触媒、その他に必要かも、と思った小道具が収めてある。その中から、何も書かれていない真っ白な紙を取り出すと、ヌルスは触手の先端に黒い粘液を滲ませた。
木の上からは、4層の構造が良く見える。その中にあってあきらかに何かあるな、という違和感のあるポイントを、紙の上に記して構造を整理してみる。
《……なんだかこうやって改めてみると。やたらこう、まっすぐ整理されてるように見えるな。マス目に置かれた駒のようだ》
人間の視覚や聴覚とは違う、魔物ならではの超感覚で世界を認識しているヌルスは、遠近感や錯視による測量ミスは軽微だ。だからこそ気が付いた。
一見すると、4層は草木に覆われ、不規則と混沌に満ちた階層に見える。だがそういった雑音を取り払い、シンプルに要所だけを拾い上げると、かっちりとした造りになっているのが見えてくる。構造としては2層の石の迷宮に近いだろうか。あそこも、四角い部屋が規則的に並んでいる階層だった。今はどうなっているのか知らないが、そう変わってはいないだろう。
《ふむ。で、明らかに何かあるポイントの周囲をこう、囲って、と……ほう》
点在するポイント、その周辺を大きく囲った結果、そこには阿弥陀くじの正解ルートのような形の道が浮かび上がりつつあった。まだ完全に確定するには情報が足りないし、明らかに何かあるポイントとは別に魔物の群生地などの障害もあるだろう。完全ではない。
だがそれを踏まえても、闇雲に探索したり冒険者道に続くよりも確実な指針のように見える。
《成程な。何ごとも先駆者の後を続く事から始まるが、それだけでは駄目、という事かね。この階層は。……本当に偶然なのか?》
どうにも、悪意ある何者かの意思が介在しているようにしか思えないが……まあ、そのあたりは、ここ以外にも何十だか何百だかの迷宮の存在と対峙してきた人間がとっくに模索しつくしているだろう。今ヌルスが考える事ではない。
問題は、このルートが本当に正しいのかの検証が必要、という事だ。仮説は証明して初めて意味のあるものになる。
それに何より忘れてはいけないのが、この階層に隠れ家に戻れる通風孔があるかどうか、その確認だ。
人が出入りするようになった時点で3層に戻り、通風孔は確認してある。案の定塞がったままだったそれを前に2層へ戻る事も考慮したが、その場合、2層のフロアガーディアンと戦う事になる。流石に負けるつもりは無いが、下から上がってきたのにフロアガーディアンと戦っている、という事実が冒険者に認識されると不味い事になる。
いや、そもそもフロアガーディアンを倒してないのに転移陣が使えるかどうかもわからないのだが。原理的にありえないので、逆走したらどうなるかは本にも書いていない。
故に、結局4層に通風孔が繋がっている事に賭けるしかないのだ。だが、この危険な階層を闇雲に捜索しても結果は見えている。
まずは、安全なルートを確保するのが先決だ。そしてそれを基準にして探索範囲を広げていくしかない。
ヌルスは周囲に人がいない事を確認すると、するすると木を降りた。
《触媒やスクロールの準備もよし、と。……さて。冒険を始めようか》
状況は依然、ヌルスにとって極めて不利だ。にもかかわらず、その心を満たしているのは悲壮感や焦燥だけではない。心なしウキウキしている自分に気が付かないままに、ヌルスは探索を開始した。
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