第四十三話 再会


 が。


 仮説というものは得てして、見落としていた現実に足を掬われるものである。


 その事をヌルスが思い知ったのは、探索開始から幾度目かの戦闘を潜り抜けての事だった。


《……っ!》


 今現在、ヌルスは3体のモンスターに取り囲まれている。背の高い草や低木の茂みに身を隠して接近してきた、猛獣型のモンスター達。さほど強敵、という訳ではないが、数が多いというのはそれだけで脅威が上がる。前も後ろもなく、全方位に同時に意識を配れるヌルスであるからこそ何とかなっているだけで、前しか見えない人間の冒険者であれば極めて危険な状態である。勿論、そうならない為に彼らはパーティーを組むのだが、それでも目が届かないという事はあり得るのだ。


『β γ』


『ギギィーー!』


 大きな葉を揺らして、正面から黄色い毛皮の獣が飛び掛かってくる。カヤネズミを極端に大きくしたような姿だが、主武器は前歯ではなく長く伸びた爪らしい。細さに反して強度があり、魔物の剛腕で振るわれれば人間相手であれば骨まで食い込む。素早い動きも相まって危険な敵だ。


 そして頭も回る。


 今正面から飛び掛かってきたのは囮だ。それに対応している間に、4時方向と7時方向に潜伏している魔物が背後から不意をつく、そういう算段である事をヌルスは看破している。


 故に、対処も明白だ。


『α』


 呪文の詠唱と共に杖を振れば、黄色い粒子が振りまかれるようにして触媒から放出される。


 ライトニングミスト。一定範囲に弱い電気を滞留させる魔術で、直接的な威力が低い事から補助的に使われる事が多い範囲魔術である。それを、ヌルスを中心とした全方位に散布する。


『ヂュッ!?』


『ヂヂッ!?』


 包囲していた魔物達の方が悲鳴を上げた。電撃に遮蔽物は関係ない。さらにこの電撃、致命傷には程遠いが、痛覚としては無視できない痛みを引き起こす。攪乱にはもってこいという訳だ。


 魔物達が怯んだ隙をついて、本命の攻撃魔術を素早く詠唱する。


 雷の矢が、背後に控えていた魔物の一匹を貫き、感電死させる。たちまちパチパチと燃え上がる死体を前に、残った二匹は連携攻撃は失敗したと見て取ったのか、一斉に飛び掛かってきた。同時攻撃で相手の対処リソースを奪うのはなかなか強かではあるが、ヌルスには効かない。


 何せ前も後ろもない触手型モンスターだ。前後からの挟撃にも動じず、ひらり、と飛び掛かりを回避する。むしろ逆に、着地でもたついた魔物を再び魔術で攻撃。もう一匹が悲鳴を上げて灰と化した。


『ヂュウ……ッ!』


《言葉が通じるとは思えないが。同じ魔物のよしみだ。ここで逃げ出せば見逃してやろう。魔力結晶は十分にあるのでな》


 当然ながら、ヌルスの言葉は同じ魔物にも届かない。


 刺し違えるつもりか、まっすぐ突っ込んできた魔物に対し、ヌルスは淡々と魔術を詠唱する。


 それで終わりだ。


 草むらの中、自分を取り囲むように残った焦げ跡を前に、ヌルスはふぅ、と脱力して戦闘態勢を解いた。


《やれやれ。なんとかなったか》


 余裕そうに見えて、実の所なかなか際どかった。あれらの魔物は、もしヌルスが肉弾戦で相手をしていればかなりの出血を強いられる程度には強かった。魔術様様、という訳である。


 その魔術も、無制限に使える訳ではない。触媒を確認したヌルスは、その輝きが鈍りつつあるのを見咎めて嫌な気分になった。続けて懐からスクロールを取り出し確認すると、こちらもあまり状態が良くない。特殊なインクで書きこまれた魔術回路が焼け跡のようになりつつあるのを見て取り、予備のスクロールと交換する。


《……思ったよりも消耗が激しい。隠れ家に戻れればスクロールは山ほどあるが、戻れないとジリ貧だぞ》


 魔術師の辛い所だ。いや、本職の魔術師であれば、必要に応じてスクロールを書き足したりできるのだろうだから、所詮ヌルスは付け焼刃の即席魔術師に過ぎないという事なのだろう。


 魔力の流れを感知したり理解はできても、根本的な知識が足りない。本来それは、人間であっても数年の年月をかけて段階的に学ぶものなのだから、それをすっとばして魔術を手段として用いているヌルスが出来る事に制限があるのは当然の事なのだ。


《今後は魔術の使用を控えるべきか? いや、それで魔物相手に苦戦を強いられていたら本末転倒だな……むぅ》


 転がっている魔力結晶を拾い集めながら、ヌルスは自分が歩いてきた方角に目を向ける。


《……まいった。またよくわからなくなった》


 魔物との戦闘中、当然一か所に留まっている事はなく、互いに相手の出方を伺いながら動き回った。自分がどこから来たのか、どのように動いているのか、戦闘中そこまで気にしている余裕はない。結果、今自分がルートからどれぐらい外れてしまったのかよくわからなくなってしまったのだ。


 階層をいくらマス目のように区分けして移動を管理しても、戦闘を挟むとなかなか思ったようにするのは難しい。一応目印をつけているが、どこでいつ魔物と戦闘になるのか分からないので、どれぐらいの間隔をあけて設置すればいいのやら。


 言うは易し、実行は困難。


 この階層で冒険者が苦戦するのも納得である。


《しかたない、さっきつけた目印の所に戻るか……ううむ。繁みの潰れ方とか見ると、私は多分こっちから来たはずだから……》


 戦闘中の自分の立ち回りを思い出し、頭にかかる枝を払いのけながら来た道を一端引き返そうとするヌルス。


 油断はしていないが、頭の中は考え事でいっぱいだ。魔力の流れを読み、近くに魔物や冒険者がいないかは注意を払ってはいたが、この環境だ。近くにいなければいい、という程度のものであり、思考リソースの大半は記憶の追跡に向けられていた。


 それはつまり。


 自らの魔力を隠蔽できる程の熟練した術者であれば、ヌルスの注意を掻い潜って接近する事など、造作もないという事である。


 例えば学院創立以来の天才と呼ばれた、“彼女”のような魔術師であれば。


「……見つけました」


《?!》


 鬱蒼とした森林に見合わぬ、涼やかに響く人間の声。


 不意を突かれたヌルスは距離を取りつつ、声の方へと振り返り杖を向けた。


 その動きは、ぎこちないながらも人間を模していた為隙だらけだった。もし、声の主が敵対者であれば、容易くヌルスへ一撃をくわえる事が出来ただろう。


 だが、そのような事にはならなかった。


 声の主はその場から動かず、ただヌルスが振り返るのを待っていた。まるで害意が無いとしめすかのように。


 杖を突きつけた先に佇んでいたのは、一人の少女。


 濃紺のローブに、尖がり帽子。その下には、仕立ての良い小奇麗な衣装。先が白く変色した金の三つ編みに、大きな丸眼鏡。


 知っている。


 ヌルスはこの少女の事を知っている。


 以前、4層で魔物に丸呑みされていた所を助けた少女だ。


 確か。名前をアルテイシアといったはず。


《君は……》


「驚かせてしまいましたね。申し訳ありません。……まずは、自己紹介を。私は、アルテイシア・ストラ・ヴェーゼ。魔術学院の生徒で、今は貴方と同じ冒険者です」


 帽子を取り、ゆっくりと少女がお辞儀をする。


 ……冒険者が全て紳士ではない。以前3層でヌルスから魔力結晶をかすめとった男のように、盗賊とそう変わらないような者もいる。そんな相手に、無防備に首筋を見せるのは不用心ともいえる。だが少女はまるでヌルスがそんな事はしない、と信じ切っているかのように、丁寧に、そしてゆっくりと一礼を終えた。


 再びの対面。あの時は見えなかった青い瞳が、まっすぐにヌルスを見つめている。


「どうぞ、以後お見知りおきを」


 謳うように語る口元。小さく笑みが刻まれた唇に、ヌルスはただ、戸惑うばかりだった。


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