第三話 誕生
触手型モンスター、あるいはテンタクルモンスター、その呼び名は様々だ。
はっきりしているのはそれらが迷宮内では最下級に分類される、ありふれた弱い存在である事だ。他のモンスターと比較するような強みもなく、ただ迷宮内の有機物を処理する、あるいは同じモンスターに捕食され彼らの活動資源になる、そういったものだ。中にはもちろん例外もあり、他のモンスターと真っ向から戦えるような強力な者、知的生命体の精神活動を捕食するような特殊な個体もいたが、それはあくまで例外。
少なくとも、ソレはありふれたスカベンジャーのコロニーに誕生した個体だった。
モンスターはあくまで疑似的な生命体であるため、老廃物や死体は出さない。だから迷宮内における廃棄物は、基本的に外部から持ち込まれたものになる。もっというと、冒険者の死体が主だ。ヌルスとなった個体も、他の多くの同種族と共に、腐肉の中でのたうつ一匹でしかなかった。
だが、ある時、それは自らの有り様に猛烈な違和感を覚えた。
《……煩わしい。なんだ。この、私に絡みつく物は》
同じように腐肉の中を這いずり回り、絡み合う同胞の肉。それが、酷く煩わしくてしょうがない。四六時中絡み合い、粘液を混ぜ合わせる事が、ある時から突然酷く耐えがたい苦痛に感じるようになった。
後に思えば、それはいわゆる自他境界線、もしくはプライベートゾーンの浸食に対するストレス反応だったのかもしれない。ともかく、そのような嫌悪感から、一匹の触手がコロニーから這い出した。
《どこか。他の何かと触れ合わない、独りでいられる場所は無いのか》
床を這って物陰に向かう。幸いにして、この階層は石造りの回廊のような構造であった。人間からすれば無意味に柱が立ち並び、壁際には人間の美術センスからはかけ離れた奇妙な彫像のような構造物が立ち並ぶ。その中に紛れてしまえば、小さな触手一匹、人の目からもモンスターの目からも逃れる事は簡単だった。
肌に触れる石の感触は冷たかったが、あの、生暖かいじめっとした、それでいて無遠慮に絡みついてくるそれよりはよっぽどマシだった。
人心地ついた所で、その触手は考えを巡らせた。
《……私は、なんだ? 私とは、何だ?》
本能は、この肉体が触手型モンスターである事を理解している。だが、その本能よりも不愉快さを優先した自分という存在は何なのか。
同類達の群れるコロニーを見ても、自分と同じような存在はいない。他の皆は特に違和感を感じる事なく、互いに絡み合って腐肉の中でのたうち回っている。では、それを良しとしなかった自分は何なのか。
少なくとも、その答えは自分の中にはない。ならば、外に求めるしかない。
ソレは、それから身を潜めたまま、迷宮の中を見て回った。
石造りの神殿、あるいは砦を思わせる迷宮の壁には、無数の蝋燭が炎を灯されている。もともと迷宮にあったものではなく、またモンスターが火を灯している訳ではない。恐らく、この迷宮に出入りする者達が灯したものだ。その明かりが生む影の中に紛れるようにして、ソレは隠れ潜んだ。
暗がりに隠れている彼のすぐ横を、ズシン、ズシンと音を立てて巨大な怪物が歩いていく。ソレは本能的に、その怪物の事を知っていた。それが、自分にとっても危険な存在だという事も。
《この階層は、二足歩行型のモンスターが多いな》
ノシノシと歩く、二本の角を持った徘徊モンスターをやり過ごし、十分に安全距離を確保できたのを確認して周囲を見渡した。同じモンスターだが、だからといって仲良くできるという事はあり得ない。
ソレはあくまで、群れなければ何もできないたかが触手一匹。他のモンスターに見つかればこれ幸いとおやつにされる事は必死。外界から持ち込まれた有機物を糧とするスカベンジャー達が特殊なだけで、ほとんどのモンスターは同じモンスターを捕食する事で、その活動時間を延長すると、ソレは誰に説明されずとも知っていた。モンスターの常識だ。
《……常識。常識とは何だ。私の知る事、知らない事、その違いはなんだ?》
答えを求めて、ソレはさらに迷宮を這いまわる。
と、先ほどやり過した二本角が歩いて行った方角から、キンキンと金属のぶつかり合う音、モンスターの雄たけび、そういった騒然とした騒ぎが聞こえてきた。
モンスター同士のやり取りではない。恐らく、きっと、そうだ。
冒険者。
《……冒険者。冒険者とは、何だ》
冒険者。迷宮に侵入してくる敵対者。ダンジョンを消し去ろうとする者達。
迷宮に生まれたモンスター達は皆、例外なく本能的に冒険者達が自分達の敵だと、相容れない相手だと理解している。故に、どのような温厚なモンスターでも、あるいはどれだけ攻撃的なモンスターであっても、冒険者の前では一時そのスタンスを棚上げにする。本来であれば捕食者、あるいは被食者であっても、冒険者の前では協同して排除にかかる。
それが迷宮のモンスターというものだ。
しかし、冒険者が実際のところどういったものかは、何も知らない。
その事に興味を覚え、ソレは身を潜めたまま様子を伺う事にした。本能的に冒険者への敵愾心が浮き上がったが、それは彼の行動を制限するほど強くはない。それに今の自分のあまりに脆弱な状態を考えれば、戦おうという気にはならなかった。
柱の陰に隠れながら、こっそりと触手の先端だけを覗かせる。そこには目も鼻もないが、特殊な感覚器官によってそれらと変わらぬ質と量の情報を得る事が可能なのである。
戦っているのは、二人組の冒険者だった。一人が前に出てモンスターの相手をし、もう一人が後方から支援する。既に相対する二本角のモンスターは負傷しており、その右目に一本の矢が突き刺さっていた。
咆哮を上げて魔物が手にした棍棒を振りかぶる。人間を遥かに越える筋力と体格から繰り出される強烈な一撃を、しかし相対する冒険者は手にした盾で受け止めて見せた。盾がへしゃげ、変形してしまうものの、モンスターの一撃は彼を打ち倒すには至らない。
そして渾身の一撃を受けた事で身動きを止めたモンスター、その右肩を、素早く弓矢の一撃が射抜いた。肩関節を射抜かれ、苦悶の声を上げて後退する魔物の手から棍棒が取り落とされる。その隙を逃がさず、冒険者が剣で切りかかった。まだ動く左手で身を守ろうとするもののもはやまともな抵抗もできず、数刻の後にはモンスターは地響きと共に倒れ、絶命する。忽ち炭化し、あとには燃え損ねた骨欠片が残された。冒険者達は互いに笑みをかわすと欠片を拾い上げ、迷宮を先に進む。
その一部始終を見ていたソレは、いそいそと残された灰に近づくとそれを体に取り込んだ。腐肉を貪らないならば、これがソレの活動期間を延長する唯一の手段だ。己の内が満たされるのを感じながら、先ほど目撃した戦いの一部始終を思い返す。
……あの二本角の魔物。あれは、あらゆる要素において冒険者側を凌駕していたはずだ。力でも、皮膚の頑丈さでも、素早さにおいても。相手が二人である事を省みても、モンスター側に敗北する要素は見当たらない。
が、しかし。勝利したのは冒険者だ。
《……何故だ?》
ソレは強い疑問を抱く。
触手型モンスターは迷宮における最弱のモンスターだ。だが、冒険者……つまり人間は、それよりもさらにか弱い生き物である。
ソレがぐっと皮膚に力をいれれば弾いてしまえるような刃で傷を負い、力比べをすればソレは容易く人間の腕を肩から引き抜くだろう。さらに一週間は補給をせずとも生きていけるソレと違い、人間は三日も飲み食いしなければ死に至るという。
あくまで触手型モンスターは他の迷宮のモンスターと比べて弱いというだけであって、人間はそれ以下……間違いなく、迷宮に存在するすべての生き物で間違いなく最弱だろう。
なのに彼らは、自分達に勝るはずのモンスターを打ちのめして迷宮の奥へと進んでいく。
残されたリソースの吸収を終えたソレは、こっそり冒険者達の後を追った。
先に行ったであろう彼らの姿を探すと、迷宮の一角で、火を起こしている姿が見える。
……迷宮で、燃やせるものはあまりない。故に、あのように燃えるとしたら、彼らが持ち込んだ携帯燃料か、あるいは、取り残された有機物だ。
そして今回の場合、それは後者だった。
燃える炎の中から、無数の触手が這い出してきている。皮膚が焼き焦げ、逃げまどうようにのたうつ彼らを、冒険者達は容赦なく刃で切り裂き、あるいは矢を突き刺して仕留めていく。
冒険者、というか人間の、鎮魂という概念はうっすらと理解にある。モンスター同士でも、捕食関係になければ、それぐらいの情を抱く事はある。
だから、人間達の行動も理解できる。彼らからすれば、同類の死体をエサに増殖するモンスターは、疎ましく悍ましいものだろう。
燃え盛る嘗ての居場所に未練はない。
それどころか、かつての同類を鏖にした冒険者に、ソレが抱いたのは復讐心や敵意ではなく、興味だった。
確かに冒険者はモンスターに勝てる。だが、必ず勝てる訳ではない。
彼らが弱い存在である事は変わりないのだ。故に、あそこで燃えている死体のように、モンスターに敗北し絶命する事も、決して珍しくはない。
なのに彼らは、モンスターひしめく迷宮に侵入してくる。死力を尽くして、モンスターと戦い続ける。
《何故》
本能的に、モンスター……ひいてはダンジョンの存在が、彼らに取って不利益らしいという事は知っている。
だとしても、一つしかない命を投げ打ってまで、ダンジョンに侵入してくる、それは何故だ。
《何故だ?》
故に、知りたいと思った。
それが、その一匹の特殊個体モンスターの、真の意味での生誕だった。
<作者からのコメント>
TAMASANさん、コトプロスさん、raimaru425さん、toyadesuさん、spankuel1007さん、Mikan1215さん、dododokudokuさんレビューありがとうございます!
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