第三話 アドベンチャラーの正体


『さて。私も隠れ家に戻るとしようか。七層は思っていたよりも過酷だったな……損傷した鎧の修繕もしなければ』


 言って、ローブを捲る彼の鎧の左わき腹、金属板が割けて中身が覗いていた。今は触手が傷を塞ぐようにそこを埋めているが、もしシーフにこれが気づかれていたらコトだったろう。念のため、普段から大げさにローブを纏っていた保険がここで功を奏した形だ。


 とはいえ、その場しのぎに過ぎない。他の冒険者に遭遇する前に、修繕が必要だ。


 ヌルスはしばしの休憩を切り上げると、独り真っ暗な中の洞窟を進む。やがて、ある行き止まりの通路、その壁の前で動きを止める。


 目前の壁には、大きな亀裂が入っている。その向こう側には空洞が続いているが、当然ながらまともな人間ならば通ろうなどとは思わない。獣道ならぬ、モンスター道という奴だ。


 ヌルスは杖を近くの岩場の陰に隠した。流石にこの2mを超える長さの杖を持ったままこの道を通る事はできない。もしかしたら目敏い誰かが見つけて持って行ってしまうかもしれないが、その時はその時だ。もともとダンジョンでのドロップ品、本来ならば冒険者達の持ち物になるべきだったものだ。モンスターであるヌルスが持っているほうがおかしい、と思えばあきらめもつく。


『さて、帰るか』


 ぐしゃり、とヌルスの輪郭が崩れた。普段意識して維持している人型の体型を崩し、本来の、無数の触手の集合体へと回帰する。それに伴い全身鎧も手足や胴がバラバラに分解される。これであれば、この細い道も通る事ができる。


 のたうつ触手と金属の塊となったヌルスは、ウゾゾ……とモンスター道に侵入する。その奥は人が通れないような細さで、さらに上にいったり下にいったり複雑な道になっているが、触手となった彼にはそう通り難い道ではない。凹凸に触手を絡ませてズルズルと奥へと進んでいく。


 随分と複雑な道で、例えここを通れる体格のモンスターでも好んで入ろうとは思わないだろう。途中で引き返そうと思っても一苦労だ。ただヌルスはこの先にあるものを知っている。だから、躊躇わずに奥へ奥へ進む事ができた。


 しばらく進むと、道の先から光が差し込んできた。太陽の光でも、松明の光でもない。その光を頼りに、ヌルスは奥へと這い進んだ。


 やがて急に空間が開ける。道は途切れ、ヌルスは重力に従ってボテリ、と床に落下した。


《ただいま、っと》


 たどり着いた先の空間は、小さな部屋になっていた。


 天井には、光を放つランタン。揺れる炎ではなく、淡い光を放つ石のようなものが収められている。魔力を用いた照明だ。地上ではもう珍しい物ではないらしいが、ヌルスはその様を知らない。


 部屋にあるのは、本棚と机、寝床、薬品棚に工房……そういった物が、小さな空間に押し込められるように収まっている。天井や壁にはいくつもの穴があり、ヌルスが這い出てきたのはそのうちの一つだ。他の穴も、ダンジョンのより上の階層に繋がっていたり、繋がってなかったりする。


 部屋に戻ったヌルスは、鎧の部品を床に並べつつ、自身は触手を絡ませて歪な人型を取った。この部屋はあくまで人間基準で作られた者なので、ここで過ごすのなら人型の方がいいのだ。


 そう、この部屋は人間の為に作られた、人間が運用していたものだ。残された記録から、魔術師が自分の隠れ家として作り出したモノらしいという事が分かっている。通路も本来は人が通るものではなく、通気口の類らしい。魔術師本人は、転移結界でこの部屋を出入りしていたようだが、それは機能を停止して久しいようだ。


 その魔術師がどうなってしまったのかは分からない。だが、発見した時には随分な時間が流れていたようだし、それから魔術師が戻ってきた形跡もない。すでに死んだか、この地を後にしたとみていいだろう。


 でなければ、鎧を脱いだりはしない。人型に擬態しているとはいえ、触手剥き出しでは醜悪な怪物もいい所だ。ヌルス自身、深層でこれと対面したらとりあえず敵として排除すると自分でも思うような姿である。一番楽な状態とはいえ、人と対面できる恰好ではない。


『ふぅ……』


 全身の触手の具合を確かめると、ヌルスは在庫の確認を始める。鎧を修繕するための金属の切れ端や道具の状態をチェックし、揃っているのを確認したら、炉に火を入れる。魔術師の工房らしく薪は要らず魔力を込めればいいのだが、充分加熱するのに時間がかかる。それを待つ間、鎧の破損個所にヤスリをかけながら、彼は日記帳をつけることにした。


 触手を伸ばして本棚から日記を取り出す。机の上に空きページを広げると、小皿に触手から黒く染色した粘液を垂らしてインク代わりにし、ペン先にちょんちょんとつける。粘度を少し確かめてから、ヌルスはさらさらと達筆で日記をしたためはじめた。


《本日の記録。六層ガーディアンとの戦い、それによる傷が癒えた事で七層の探索を始めた。七層は……ちょっと言語に尽くしがたい様相だった。本来なら私には適した環境だが、人に偽装する為鎧を装備している状態では劣悪な環境に代わるといっても過言ではない。また、晴れの日が近づいている事もあり、今、無理して探索を続行する必要もないと感じる。そのため、様子見程度に探索を進めていたが、思いのほか強力なモンスターに鎧を破損させられてしまった。不覚である》


 すらすらと文字を刻みながら、他の触手は鎧の修繕作業を進め、さらにまた別の触手は部屋の片づけ作業を行っている。人間では到底不可能なマルチタスクだが、そもそも普段から数百本の触手を個別制御しているヌルスにとってはそれほどの事ではない。彼にとってはむしろ、骨がない体で不審に思われぬよう鎧を動かす方がよっぽど高難度な作業だ。


《また、六層でアトラス、クリーグ、シオン、アトソンと遭遇した。五層突破後の休養は終わったらしい。デスマントに奇襲を受けていたが、辛うじて助ける事が出来た。六層は人間にはいささか動きづらい環境だ。晴れの日が近い事は彼らもわかっているだろうし、そう無茶をしない事を願う。いつものように地上への同道を誘われた。いつも断っているのに諦めが悪い連中である。その気持ちは有難くもある。この気持ちは忘れないでいたいものだ》


 そこでペンを置く。


 炉の方は、もうしばらくかかるようだ。ヌルスはしばし日記を見つめた後、ページをめくって最初の方の記録を開いた。


《日ki 今日 はじme る》


 彼とて最初から巧みに文字が書けたわけではない。最初の日記は、それこそ触手がのたうつような、辛うじて文字に見える程度のものだ。


 そのたどたどしい幼児のそれのような書体を触手の先でなぞりつつ、ヌルスはふと過去に思いを馳せた。

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