第十話 付け焼刃は火傷する
去っていく冒険者達。そんな彼らを見送って、ヌルスはぐったりと触手をしおれさせていた。
《どうやら、なんとか助かったみたいだ……アチチチ》
ガーネットを手にしていた触手をぷるぷると震わせる。宝石は魔術の触媒だ。魔術的に、その輝きは魔界のそれとつながっているとされ、才能がある者が使用する事で特定の属性で魔力を引き出す事ができる。ガーネットは炎の魔力の触媒だ。それが、高熱を生じるであろう事は、体系的に魔術を勉強していたならば当然の帰結として思い当たるべき問題である。
しかし残念ながら、ヌルスの知識は付け焼刃だ。なんとか魔術は発動したものの、上手くいったからこそ、触手は熱い思いをする事になった訳である。
《めっちゃ暑かったぞ、くそぅ。そうか、魔術師が杖の先とかに触媒つけるのはこのせいか……。雷の魔術とかを試さなかっただけ、幸運だったか》
もしこれが電気の魔術だったら。想像しただけで触手がすくみ上る。粘液で濡れたヌルスの体はよく電気を通すことだろう。
《何か対策を考えないといけないな。杖を持つか? ……いや、触手が杖を持つってどうなんだ……?》
問題があれば対策と対応を講じるべきである。
やはり一番簡単なのは、人間がそうしているように触媒を杖に加工する事だろうか。杖は基本的に頑丈な木材で作られている事が多い。触媒の受け皿を金属にしておけばそうそう簡単に燃える事はないし、木材は電気をあまり通さないので痺れたりもしない。他属性の魔力も、体から離す事で安全を確保できる、それでいて魔力の導線として機能するのだから、安直なようで実用的な素材なのだ。
問題は、この迷宮内でそんな木材はなかなか確保できない事だ。あの部屋の備品の中にある事を祈るべきだろう。
《あとは、どこかでドロップする、か? とはいえ、モンスターを倒して手に入るような素材は冒険者が根こそぎ持って帰るわけだし……ん? ドロップ?》
はた、とヌルスは目の前の地底湖に目を向ける。
この地底湖には、これまで天然のトラップに引っかかり、サーペントシャークの餌食になった冒険者の亡骸が沈んでいる。当然、その装備も多く沈んでいる事だろう。魔物たちは冒険者を仕留めても、その残骸から道具をはぎ取ったりすることはない、興味が無いのだ。
つまり、この湖の底を調べれば、装備ならいくらでも手に入るのでは?
《……ふむ?》
勿論、普通に湖に入れば、サーペントシャークの餌食になる。それはモンスターとて同じこと。だが、ヌルスには便利な器官がある。
触手は複数の触手をワキワキさせると、湖に近づき、黒く揺れる水面をのぞき込んだ。
そっと水面に触手を触れさせる。小さな波紋が立つのを、しばらく観察する。この程度では湖のモンスターが襲ってこない事を確認すると、ヌルスは触手をスルスルと伸ばし、湖の中に沈めていった。
ヌルスの触手は、視覚にも聴覚にも頼らない感覚でもって世界を認識している。そしてそれは空気も水も媒介にしていないらしく、水中においても彼の認識が曇るという事はなかった。それに触手は彼の思っていたよりも、かなり遠くまで伸びるようだ。
流石に沖合までは届かないが、湖のほとりの底程度なら、十分探る事が可能なほどである。これをもし戦闘に用いれば、冒険者の剣よりも遠い間合いから攻撃できるのではないかと一瞬彼は思ったが、痛覚が鋭敏である事を思い出して諦めた。自分の急所を叩きつけるようなものである。
それはともかく、水生の魔物たちを引き寄せないよう、波紋や水音を立てないように慎重に皆底を探った結果、人間の白骨死体といくつかの防具を見つける事ができた。状態が良い物を手繰り寄せ、岸辺に引き上げる。
《我ながらよい閃きと思ったが、そう甘くはなかったな》
引き上げたのは、鎖帷子や金属の胴当てといった、素肌を隠せる防具類だ。当初は杖がないかと探したのだが、素材的にそういうものは腐ってしまったらしい。それで方針転換だ。
《これらの装備品があれば、人間のような柔らかくて脆い生き物が魔物と戦えるようになるのだ。私の助けになるはず》
そういう訳である。それに、素肌を隠せる鎧に身を包めば、もしかすると人間に擬態できたりしないか、という思い付きもあった。これまでいろんな冒険者を観察していたが、迷宮に挑むにあたって、彼らは素肌をほとんど露出していない。しいていうならば顔ぐらいで、それも兜に覆われていたりする。その状態で彼らが同類を認識するのは、言葉と、敵対的かどうかであるという点にヌルスは注目した。
そう。
ヌルスは少なくとも冒険者に敵対的ではない。そして、触手を擦り合わせる事で発音の真似事もできる。それならば装備さえ整えれば、冒険者に擬態できるのではないか? モンスター同士はもともと敵同士のようなものだ。その状態で冒険者まで敵にするのは馬鹿らしい。人間に擬態する事で冒険者との交戦を避けられるなら、それはヌルスにとって大きなメリットになる。より間近で冒険者を観察できるという利点もある。
《ふっふふ! 我ながら天才的な発想ではないか?》
引き上げた鎖帷子をひっくり返し、中の白骨だの小魚型モンスターだのを湖に投棄すると、ヌルスはさっそくそれに触手を通した。通し……。
《……あ、あれ?》
べしょり、とその場に倒れこむ鎖帷子の塊。その中でウゴウゴと動く小さな何か。
……確かに、元からするとヌルスの体は大分大きくなったが、それでも人間と比較してなお小柄だ。触手の長さも太さも量も、全然人のそれを真似るには足りない。
もぞもぞと鎖帷子から這い出したヌルスは、ちょうど目の前に転がっていた兜をしばし観察すると、それに触手を伸ばして、かぽりと被ってみた。
ちょうどよい。
しばらく居心地のよい閉鎖空間にほけーっとなっていたヌルスは、はっと我に返ってブンブンと首を振った。
《いかんいかん。これではまた人に攻撃されてしまう。……でもなんだか落ち着くなあ》
その後しばらく兜の中で過ごした後、ヌルスはふらふらと左右にふらつきながら、兜をかぶったまま部屋への帰路についた。後には、打ち捨てられた鎖帷子が、まるで着ていた人間が溶けてしまったかのような有様で転がり、何も知らない冒険者をぎょっとさせる事になるのだが、またそれは別の話である。
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