幸運の色

 目の前でエリカが魔獣に殺された。血飛沫が舞いゆっくりと倒れ、光を失った目はこちらを向き、遅かったねと言った。


 魔獣はコニーを、ヨハンを、子供達を殺し、村を亡ぼした。シスターシグネも、殺された。


 体は動かない。ただ失ったものをぼうっと見ている。


 魔獣が近寄って立ち上がりその爪を振り上げても、動かない。


 魔獣の爪が、振り下ろされる。








 山賊が現れ村人達を殺した。ミゲルがアドルフを殺し、食料とカティを奪った。


 すぐに山賊達の元へ向かう。せめて一人だけでも。


 着いた頃にはカティは死んでいた。血だまりに横たわり、奇麗な茶色だった髪を真っ赤に染め、もう遅いよと言った。


 体は動かない。ただ手遅れになったものをぼうっと見ている。


 ミゲルが近寄って魔力を籠めて剣を振り上げても、動かない。


 ミゲルの剣が、振り下ろされる。








 イルマと魔王が戦っている。互角のようで激しい戦いをして、イルマが死んだ。だが魔王も瀕死で、今なら魔王を殺せる。


 しかし体は動かない。




 イルマは言った。




 お前は何もしない




 お前は失ったものを戻せないと知っている


 お前は手遅れになったものを取り返せないと知っている




 掌から零れ落ちたものばかりを見て、前を見ようとしない


 最悪の中で、最善を探ろうとしない






 違う


 しないんじゃなくてできないんだ






 いや、お前は何もしない








 分からない


 頭の中を白い雲が覆って何も分からない


 前も後ろも、上も下も、息の仕方も、ぼくの名前も






 世界が崩れる。


 黒く染まる。


 誰かが言った。




 守るものが無くなった時、お前は……












「ぷはあッ……!」




 暗闇をかき分け新鮮な空気を取り込む。少し冷たい空気が気道を通って肺に満ちると、熱くなった体を適度に冷ましてくれた。


 息の仕方を取り戻し頭の霞が晴れていくと、少し考える余裕ができてきた。




(……なんだこれ)




 寝ぼけ眼で自分の呼吸を塞いでいた物を確かめる。


 それは顔程の大きさで、柔らかくかつ指を押し返す弾力があるどこか懐かしいような感触をし、それが二つあり顔を挟み込んできて……




「ジーク、私はそこまで許した覚えはないぞ」




「……え?」




 視線を上げるとそこには目つきを鋭くしたセシリアの顔があって、それはつまり今ジークが掴んでいたのは――




「あ、ああ……ご、ごめんなさい……えっと、これは……」




 頭にまとわりついていた眠気は吹っ飛び顔は真っ赤でしどろもどろになる。浅い知識と何となくの感覚で理解していた女性の触れてはいけない所に勝手に触れ、どころか掴んで弄ぶとは、ジーク自身も予想していない最低な行為である。


 セシリアは起き上がって自分の胸を抱き恥ずかしそうにしている。




「うなされていたから抱いてあげたのに、まさかこう返されるとはな……それで、私は着替えたいのだが」




 ほんのり赤く染まった頬でそんなことを言われては、ジークは「今すぐ出ていきます!!」と叫んで勢いよく部屋を飛び出していった。




 一人残った部屋で、セシリアは胸を持ち上げながら呟いた。




「そんなにも良いものだろうか……」












 まだ朝早く、二人は人が少なめな通りを歩く。二人がいるのが町の西側なのでまだ日が直接当たっておらず、景色がうっすらと白みがかって見えた。




「どんな夢を見ていたんだ?随分とうなされていたようだが」




「う~ん、それがあんまり覚えてないんですよね」




 今朝の衝撃的な失敗もあり、悪夢の内容は思い出せなかった。態々思い出したいものではないが、自分にとって重要なことだったような気もして、ジークは痒い所があるはずなのに掻けない気持ち悪さを感じていた。


 なんとか思い出そうとあちらこちらを見て、最後にセシリアの顔を見上げると、ジークは顔を赤くしながら背けた。




 その様子に気づいたセシリアは小さく笑った。




「そこまで気にするな。驚きはしたがそう怒ってはおらん」




 そう言われてもジークは顔を上げることができない。罪の意識と、自覚できないそれ以外の何かがジークの心を占めていた。




「……私には弟がいてな。だが家を飛び出したっきり会っていない。……私は弟とあのように添い寝をしてみたかったのだ」




 私の我儘に付き合わせてしまった、そう言ったセシリアの表情を見たジークは少し躊躇い、セシリアの手を取った。




「……セシリアさん。ぼくは弟さんにはなれませんが、弟さんの代わりくらいにはなれますよ」




 痴漢を働いた自分が言うのもおかしいが、あの表情を見た自分にできそうなことはそれだけだった。


 目を見ながらそう言うと、セシリアはきょとんとした顔をした後、口元を抑えて笑い嬉しそうに顔を明るくした。




「それは嬉しい提案だな。弟はまだ八歳ぐらいだろうから代わりも難しいだろうが」




 だが、とセシリアは続けた。




「弟としてではなく、男性としてエスコートして頂こうか。ジーク殿?」




 腰をかがめて目線をシークの下までさげ、上目遣いでそう言った。




 初めて見る顔の向きと表情に、ジークはしどろもどろになって、小さな声でよろしくおねがいします、と呟いた。




「……エロガキ」




 普段ジークが誰かと会話している時は口を出さないイルマが、到頭限界に達したのかただの悪口を発した。


 ジークは何も言い返せず、黙ってその言葉を受け入れるしかなかった。




「フフッ、冗談だ。私達は遊びに来たわけではない。アラハバイに起こるであろう事件の調査に来たのだ」




 セシリアは手を離し、歩く人や路地裏の奥を眺めている。


 ジークも気持ちを切り替えどう調査するか考えてみる。グロアが情報を集めてくれるのをただ待っている訳にはいかない。


 とはいえそんな簡単に良い案が思い浮かぶはずもない。表にいる人達が知っているとは思えないし、路地裏の人達はダンの息がかかっていることを考えると教えてくれないだろう。


 どうしたものかと二人で悩んでいると……




「大人は?」




「え?」




「ん?どうしたジーク」




 ああいえ何でも……とごまかし、イルマの呟きに聞き返した。少し気まずいが背に腹は代えられない。


 イルマは渋い顔をして面倒くさそうに答えた。




「……この町の規模なら孤児の他に大人の浮浪者もそれなりにいるはずじゃ。だがダンとかいう小僧の話を聞いた時、奴の周りに大人がいなかった。あの娘も言っていたが、同年代や子供ばかり集めているのは何か理由があるのではないか?」




 そうだったかな、とあまりピンと来てはいないがイルマが言うならそうなのだろうと、やることは決まった。




「セシリアさん、大人を探しましょう」




「……大人?」




 ジークは慌てて考えを説明すると、セシリアはふむと頷いた。


 そしてそれは良い考えだとしつつも、どこを探せばよいか尋ねる。




「また路地裏でも良いと思うんですけど……」




 昨日トールと歩いた時は浮浪者の姿は見えなかった。偶然いなかっただけかダン達が追い出したか分からないが、路地裏にはいない可能性がある。


 ジークが悩み言い淀んでいると、セシリアはジークの手を取って強引に進みだした。




「そうか、ならまずはそこら辺にいる人から話を聞いて行こう。こういうのはとりあえずやってみて後から悩むものだ」




 まあ私はそれで何度も後悔をしたことがあるがな、と笑いながら付け加えセシリアはどんどん進んで行った。


 ジークは、セシリアを含めた三人ならダンの計画を止められると勇気が湧いてきた。

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