馬鹿
「こ、これは……」
ジークとセシリアは大きな音がした場所へ最速でたどり着いた。そこは分厚い壁があった所で、二人は口を開いて固まってしまった。
「馬鹿な、これを一人でやったというのか……!」
そこには分厚い壁を貫く穴があり、穴の淵は黒く変色し焼け焦げた臭いが辺りに充満している。
セシリアの背中には嫌な汗が流れた。自分やミゲルの魔術ではここまでの破壊力は出ない。つまり我々の知らない魔術が使われており、そしてそれは途轍もない威力を持った魔術だということだ。
(この魔術は……)
「ジーク、すぐに追うぞ!奴は今疲労しているはずだ」
当然ここまでの威力であれば消費する魔力量も膨大なはずだ。それを一人で賄ったのは驚くべきことだが恐らく魔力を使い果たしているに違いない。ここは魔力の回復を待たずに突撃するべきだ。
(私やミゲルの武器を盗んだのは消費魔力量の少ない魔術が欲しかったのか……)
まだあまり時間は経っていない。そう遠くには行っていないはずだ。
二人は穴を抜けダン達を追う。
開戦の時は、近い。
――三日前――
路地裏に連れ込まれたグロアは恐怖で固まってしまった。今まで大して危険な目に合ってこなかったので油断していたが、ここは決して治安が良い場所ではない。掴まれた腕と口元を抑える手は万力の様にがっちりと動かず、抵抗すらできなかった。
今から何をされるか分からず、ただ怯えて自然と涙が流れてきた。
「グロア、俺だ」
聞き覚えのある声に恐る恐る振り返ると、その顔には見覚えがあった。
ゆっくりと手を離され、対面に立つ。
「ダンくん……」
そこにいたのはダンだった。聞きたいことは山ほどあっても、一言名前を呼べばそれ以外は口にできなかった。
「怪我も病気も無いみたいだな。良かった」
グロアは掴まれていた腕を摩る。相当な力を加えられていたと思ったが、きつく握られていた訳ではないようで痣にはなっていなかった。
だが怖かったのは事実で、目を伏せ腕を組んだ。
「勝手なことを言わないで。一人で出て行ってあんなことを計画して、わたしはそんなダンくんが……嫌い」
伏せた目を上げることはできない。ダンの瞳を見ることができない。それが何故かをグロア自身がまだ理解してはいない。しかしダンは、理解しているようだった。
「悪かった。お前を巻き込みたくなかったんだ」
そう素直に謝られては、グロアはどう返せばよいか分からなかった。昔からこうだった。ダンがグロアを怒らせても、素直に謝ってそれでお終いだった。
今回も、ダンに会ったら言ってやると考えていたことがしぼむ様に小さくなっていた。
「グロア」
ダンの呼ぶ声に渋々顔を上げると、ダンは既にグロアのごく近い距離まで来ていた。グロアの目を真っすぐに見つめている。グロアは初めてここまで近くでダンの顔を見た。
暗闇の中でその冷たい瞳は剣のような冷たさと輝きを放っている様に見えて、グロアは目を離せなかった。
分かっているのだ。この瞳がとても危うく、冷徹で、酷薄だと云うことは分かっているのだ。
「グロア、お前に頼みがあるんだ」
「……私に?」
「ああ、お前が協力してくれれば、俺もトールも戻ることができる」
グロアの手を今度は優しく握る。冷たい瞳とは正反対の手の温もりと、男性のごつごつとした手触りを感じる。
気づけばグロアとダンの間は殆ど埋まっていた。
「グロアにしかできない事なんだ」
「わたしにしか……できない……」
グロアはダンの魅力に抗うことはできなかった。グロア自身馬鹿だと思っていながらも、心の隙間を埋めるダンの言葉を、ただ求めてしまった。
(馬鹿だ。本当に馬鹿だ……)
物置の中でグロアは頭を抱えた。いや正確には、手足が縛られているので頭を抱えているような姿勢を取った。
昨日、ダンに言われるまま二人を薬で眠らせ剣を盗み出し、それを拠点にいたダンに渡すまでは良かった。
そうすれば計画を実行することなく、トールを解放してダンも戻ってくると言われたからだ。
しかしダンはその約束を守ることは無く、剣を奪い縄で縛って物置に押し込まれた。
そんな都合の良い話など無いことは少し考えればわかったことだ。だというのに盲目的に信じ二人を裏切り、そしてまた自分も裏切られた。得られたものなど何もなかった。
(何でわたしはこんなに馬鹿なんだろう)
物置の冷たい床を頬で感じながらため息をつく。人を裏切ったのも裏切られたのも初めてだった。
自分を責めまたため息をつくその時、遠くで何かが爆発したような大きな音がした。床に頭がついていたのでより強く揺れを感じる。
(まさかこれって……)
ダンの計画が始まったということか。グロアはまた泣きそうになる。
自分のせいで計画が始まった。また失敗してしまった。ただみんなで普通に暮らしたかっただけなのに。
(もう、何もしない方がいいのかな……)
悔やみ、責め、後悔に押しつぶされそうになる。
この件とは関係ない今までの失敗も頭に浮かび、呻き声が漏れ、床に額を付け蹲った……
そしてゴンッと額を強く床に打ち付けた。
(そんなわけない!)
顔を上げる。今度は痛みで涙が出そうになるが目からは零さない。
(わたしは何の責任も取ってない!二人に謝らなくちゃいけないし、ダンくんも止めないといけないんだ!)
赤くなった額が覚悟を表す。後悔も悔恨も、今だけは忘れる。とにかくここを抜け出さなければいけない。
その為にはどうすれば良いか考え、しばらく唸って閃いた。
「……あの、水をくれない?」
物置の扉の外に立っている子供に声をかける。閉じ込められる際に見た、ダンに協力している孤児の内の一人だった。偶に交代するような足音がするが、どの足音も小さかったのでここにいるのは皆子供なのだろう。
グロアの要望に対し、話をしてはいけないと命令されているのか無視を決め込む。
その後も声をかけるが反応することは無く、グロアは途方に暮れてしまった。
(早くここを出たいのに……ジークくんとセシリアさんにわたしは……)
とにかく脱出するきっかけが欲しい。誰か一人くらいは反応を示してくれるはずだと考え、見張りが交代する度に声をかけることに決めた。
一人二人と交代し何度も声をかけるが殆ど反応は無く、子供なのに徹底して言いつけを守る姿にグロアは奇妙な気味の悪さを覚えた。
そして三人目が今までより早く交代し四人目に入ると、今度は別な要求をしてみようと思った。
「あ、あの。お手洗いに行かせてくれない?どうしても、その、なんていうか……」
逃げる為の口実も半分あるが、半分は本気である。冷えた物置の中は暗く顔はあまり見えないが、恐らく赤くなっていただろう。
「姉ちゃん、静かにしててくれ……」
「……トール?」
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