初戦【魔獣】1

ジークが到着する少し前、魔獣は迷っていた。この小さいのを今喰べるかどうか。小さいのはうまいから最後がいい。昔、巣の奥にいた細っこいのを最後に喰べたときは酷い気分だった。やはり取って置こうか。……いや、木の上にもいっぱいあるんだ。一つくらい今喰べてもいいだろう。




 そうして摘まみ上げたエリカの足を齧ろうとしたとき、魔獣は閃いた。




 そうだ、あいつを逃がしたんだからもうすぐ体の大きいやつが来る。その時、丸飲みにしたら……




 魔獣は、人間が希望を持った後絶望に叩きつけられるのが一番辛いことを知っていたし、その顔が大好物だった。腹も魔力も満たされないが、それらとは違う何かが満たされる、そんな気分になれた。

 大きい魔力が向かってきたことを感じ取り、なんて良いことを考えたんだ、と思いながら早速丸のみにした。




 その向かってくる人間の魔力が普通の人間より遥かに大きいことと、向かってくるスピードが異常に速いことは気づいていながら気にしていなかった。人間の個体差の範囲内だと思ったからだ。こういうところから人間の侮り方と知恵の浅さが見て取れるが、どれだけ浅くとも知恵があるというのは脅威なのである……












 ジークは立ち上がった魔獣を見つめていた。高さは大人三人分といったところか。腹と顎下を殴ったが大したダメージは見て取れない。魔獣は真っ赤に充血した額の目でジークを睨みつけると、自分の怒りをぶつける様に吠えた。音は衝撃となり生物を散らし森を震わすが、ジークは揺れない。冷静な怒りで魔獣へ向かう。




「ジーク、さっき鋭利な物で切り倒された木を見た。恐らくあの爪じゃ。あれに触れてはならぬ」




 イルマの助言はジークの足りない視野を補ってくれる。ジークは進路を魔獣の背中側に変える。周りの木を障害物にし、大きく迂回しながら魔獣の背中へ。魔獣は目と首で追おうとするがジークのスピードには追い付けていない。ジークが魔獣の背中に着く。やはり魔獣も背中は死角。ジークは渾身の魔力を右拳に籠め、魔獣の尻を殴る!




 ゴッ!




 さっきより硬い音、手ごたえ。拳は刺さるどころか弾き返された。多くの動物において、背中や尻は弱点ではない。脂肪や筋肉で硬く覆われているのだ。それはこの魔獣も例外ではない。ジークの場所を把握した魔獣はその鋭い爪を振りぬく。間一髪でジークは躱すが、目の前を爪が切り裂き一つ冷や汗をかいた。その爪は風を裂いた時の甲高い音を奏でていた。




「師匠……」




「ああ、あの目を狙うしかない……」




 ジークはここに来る途中、イルマから魔獣の倒し方を聞いていた。一つ目は魔獣の胸の奥、心臓とほぼ同じ位置にある魔石を砕くこと。二つ目は魔獣の回復が追いつかないほど肉体を損壊させること。三つ目はその魔獣特有の弱点を破壊すること。三つ目に関しては存在しない場合もあるが、この魔獣はあの額の目が弱点だろう。額の目から魔力が溢れている様に見える。そうなると先程の一撃が悔やまれる。


あの時顎ではなく額の目を狙っていたらこの戦いは終わっていたかもしれない。しかしジークはあの時頭に血が上っていたし、イルマは倒し方の知識は知っていたが真に理解していたわけではない。イルマは魔獣を倒すとき二つ目のやり方が大半で、魔獣と経験はほとんど無いのだ。イルマは心で悪態をつくが嘆いていても仕方がない。今はできることをするだけだ。




「ジーク、奴の背中へ回れ」




 背中への攻撃は効かないんじゃ……と思ったがすぐに理解し走る。木を利用しながら迂回し、途中魔獣にバレない様に木の枝を回収する。魔獣はもう学習したようで目で追わず聞き耳を立てている。音で攻撃を合わせるつもりだろうか。だが攻撃が来ると分かっていれば対応できる。




 ジークは構わず魔獣の背後に踏み出す。その足音を聞き、魔獣の右手が振り向くように襲い掛かる。しかしジークはその時すでに空中にいて、拾った枝に魔力を籠めていた。後はこれを刺すだけ――




「なッ!」




 魔獣が自分の顔面を左手で完全に覆っていた。ジークはなんとか枝を刺そうとするがあっさり折れ、裏拳の要領で弾き返されてしまう。大人数人分の重さがありそうなその腕に弾かれた衝撃は凄まじく、木々の間を通って地面にぶつかり二回三回と転がり、木に激突してようやく止まった。




「グゥッ!」




 充纏があるため致命的なダメージは無いが、全身を強く打ったのだ。無傷なわけが無い。そして……




(まずい……)




 魔獣に攻撃の手を読まれたのもまずいが、子供たちから離されたのがまずい。ジークは守る戦いだ。魔獣が子供たちを狙う前に早く戻らなくては。ジークは焦って戻ろうとするが、しかし魔獣は子供たちに見向きもせずただジークをじっと見るとその口を開いた。




「コロ……セナイ」




 言葉が足りないがジークは魔獣が何を言いたいのか分かった。魔獣が笑っていたからだ。




(お前は俺を殺せない……)




 ジークの勝ち筋は額の目を破壊すること。しかしそれがバレた以上魔獣はジークが近づく度に片方の手で顔を抑えるだろう。物体に魔力を籠めるのはまだ練習中で手を貫くほどの強度は無い。どうすれば……




「ジーク。真正面で戦おうとするな。戦いとは、何でもありだ」




 ジークは吹き飛ばされた衝撃と痛みで呆然としかけたが、イルマの助言に冷静さを取り戻しすぐさま行動を開始する。木の陰に隠れながら魔獣の周りを走りだした。








 魔獣はまたかと思い、顔を左手で覆って耳を立てる。しかし走り回るだけで何もしてこない。怖気づいたのかと位置を確認しようと左手を下ろすと、何かが高速で飛んでくる。




 バシィッ




 辛うじて弾いたそれを見ると……




 石だ。魔力の籠められた石が額の目を目掛けて高速で飛んできた……




 魔獣が石を見ている今も三本、枝が飛んでくる。今度は余裕をもって避けられた。しかし魔獣は今、少し恐怖した。数分前ジークの攻撃を防いだがその攻撃を完全に読んでいた訳ではない。ただ何となく額の目が弱点だと自分でも分かっていた保険のつもりだったのだ。




 やはりあいつは目を狙ってきて、今も狙い続けている。

 そしてこれでは、目が見えない……




 魔獣は目隠しをしたまま戦ったことは無かった。更に石を投げられて常に草を揺らされたり、木を叩かれたりすることで耳での位置の特定も容易ではない。




 だが魔獣はそこまで焦っていなかった。ジークの攻撃は魔獣には効かない――




 ドムッ!




警戒を緩めた瞬間に腹への殴打。拳が深く内側に入り内臓が暴れまわる。




 ウオェェ……これは……!




 魔獣は怒りに任せて両手を目の前へ叩きつける。地面が抉れるが、しかし既にジークの姿は無くガラ空きになった目へ、石や枝が幾つも飛んでくる。魔獣は体制を崩しながら慌てて避け、また手で顔を覆う。ジークの攻撃は魔獣を倒すほどのものではなくとも、魔獣の意気を削ぐには十分なものだった。魔獣は今まで感じたことが無い程の吐き気に襲われるが、吐くものが無いので解消できない。気持ち悪さが闘争心を飲み込んでいくような気がした。






 魔獣はその後も翻弄され続けた。後ろから来たと思い爪を振れば石を使ったフェイントで空いた腹に一発。とことこと近寄ってきた足音に突進しても粉砕したのは木で、止まった腹に一発。頭と腕を振り回しても、疲れと吐き気で動けなくなったところへ一発。目を守れば腹を、腹を守れば目を、だがどちらも守れば攻撃できず、執拗に腹を殴られた魔獣は、死ぬことは無くても死にそうなほどの気分の悪さに心を滅多打ちにされていた。


子供たちを人質に取ろうにもいつの間にか誘導され場所が分からない。なまじ選択肢が浮かぶせいで判断が遅いのだ。しかし追い詰められた魔獣は本日二度目の閃きを得る。




 これで完璧だ……!




 その姿はそう…………亀だった。背中を丸め蹲り、手で顔を肘で腹を守る完璧な防御の形。魔獣は気づいているのだろうか。その姿は今まで自分が追い詰めてきた者たちが取った姿だということを。しかし効力はあり次第に飛んでくる石は減っていき、やがて物音一つしなくなった。




 よし、やはりあいつはこれを攻略できない……!だがまだだ。油断させにきているのかもしれない……




 散々腹を殴られ疑心暗鬼になった魔獣が顔を上げたのは蹲ってから二十分程経ってからだった。




 やった、あいつは逃げた。勝ったんだ……!




 魔獣は自分に都合が良いことが全てだ。魔獣がこの場にいてジークが逃げたなら魔獣の勝ちである。そして勝った喜びからか吐き気も治まってきた魔獣は、そうだ、木の上に取って置いた小さいのを食べよう、と思い立った。場所が分からないのであまり得意ではない鼻を利かせてなんとか臭いを追う。しかしあるはずの木が見つからない。




 この辺から臭いを強く感じるしさっきまであったのは間違いないはずだ。だというのに無い。何故……




 あ




 やっと魔獣は気づいた。自分の選択の間違いに。自分がみじめったらしく蹲っていた間にあいつは獲物を奪っていったのだと。




 その瞬間、吐き気が消え去り毛が逆立ち歯をギシギシと鳴らし真っ赤な額の目から血が滲んだ。




 全部、全部、あいつのせいだ。腹が減ったのも吐き気を催したのも弱者のように蹲ったのも、全部全部あいつのせいだ!殺さなければならない。できる限りの苦痛を与えてからゆっくりと殺さなければならない!




 都合の良い誇りを傷つけられた魔獣は前足をつき、必死の形相で地面に鼻をつけて臭いを探る。




 こっちだ。この方向からあいつの臭いがする!




 魔獣は四肢に力を込め全力で走り出す。一刻も早くジークに追いつくため、脇目も振らず走り抜ける。そして木々の間を抜ける時、右から視界に入ってきたものを認識する。それは地面の上に出っ張った岩から飛び出し、右拳に魔力のベールを纏ったジーク。魔獣はそこで意識が途絶えた――

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