師匠
(た、助かった……)
イルマは深く息を吐きその場にへたり込む。もし肉体があれば冷や汗で濡れていただろう。
(ここまで焦ったのは何十年ぶりか……)
古い記憶を呼び戻しぼうっと月を見上げる。そこには生前の頃から変わらぬ月が闇夜の空に浮かんでいた。
そしてただ、なんとなく見続けてしまった。
死んでからジークの体に入るまでは一眠りした程の感覚しかなかったが、その一瞬で長い時が流れ、魔法は廃れて魔術が台頭した。
(何故魔法は廃れたのか……)
一流は一握りでも三流ならそこそこいたはずだ。少なくとも三つの村や町に一人も魔法使いがいないのは、魔法使いそのものがいなくなったと考えるのが自然だろう。
そして魔術の存在がその考えを補強する。魔法には再現できない雷や斬撃を出すことができるそれは、魔法に取って代わったのではないか。
魔法は時代遅れかもしれない
一瞬過った考えたくない言葉。たった一眠りしただけで自分の人生を懸けて極めたものが何の意味も無くなってしまった。そんなことに耐えられる者はいない。
加えていえばイルマは、恐らく経ったであろう数百年の変化をあまり感じていなかった。確かに建物や服の様式が違うものがあったが、地域や気候の変化でも変わるもので、それで時代の変化は感じ取れなかった。
当然ながら人そのものにも変化が無く、ジークの体に入っている影響からか言葉にも差異は見当たらなかった。
しかしその中で魔法だけが廃れていたのだ。いや、イルマからすれば消えていたと言った方が正しいかもしれない。
それでもジークに魔法を教えたのはそれしか知らなかったからだし、それが最善だと思ったからだ。だが、それが最善でないのなら。セシリアはジークを連れて行きたがっていた。もしそこで魔術が学べるなら、その方が良いのではないか。
(魔王……何故お前はわたしを連れてきたんだ……)
イルマは不変の月にそう問いかけた。
セシリアは森から出てきてふうとため息をついた。夜が明け朝日が見えたことで、思っていたより時間がかかっていたことを知る。
肉体的な疲れはあまりないが、やはり尋問は得意では無いなと改めて思った。
「……どうでした?」
血に濡れて真っ赤に染まったジークが恐る恐る声をかける。平原に死体を放置できないため態々町から離れた山まで捨てに来たのだ。
そしてその間にセシリアが男の話を聞いていた。夜の間近くを通る度に聞こえた男の叫び声が頭にこびりついている。慣れない死体の処理も相まって今のジークの顔は死体達と同じ色をしていた。
「駄目だな。信用されていないのか大した情報を持っていない」
正しく骨折り損のくたびれ儲けといった様子で、二人はまたため息をついた。
このまま町へ行ってベッドに入り一眠りしたいところだが、血まみれの恰好で町に入るわけにはいかず森の中を流れていた川に入ることにした。
「ところで……」
森の中を歩きながらセシリアがチラリとジークを見て呟く。
言い難いことなのか少し溜めてから話し出した。
「ジーク、君に師匠はいるのか?」
「……はい、いますが」
「…………」
突然の良く分からない質問に何とか答えると、セシリアは続けて、ではどこまで教わったのか、と聞き出した。
ジークは返答に困ってしまった。魔術を使う人間に魔法のことを話して良いものか。もしかしたら魔法が禁忌になったことで使う者がいなくなった、といったことを考えると簡単に口にはできない。
特にセシリアはどこまで許してくれるかが分からないため悩む。
ジークが黙っている様子をどう解釈したのかは分からないが、セシリアは恥ずかしそうに自分の手を弄りながら言った。
「あの……そのだな、私が君の……師匠になっても良いか?」
「そうすれば君にまじゅ……ああいや、もっと強くなると思うんだ」
「確かに私はまだ入職して日が浅い新人だが、重要な仕事を任されるほどには強いんだ」
「君には才能がある。魔力の運用だけで私と張り合っていた。そんなことができる人間は中々いない」
「だから……」
どうだ?
横目でジークを盗み見るその奇麗な顔はほんのりと赤くなっている。薄暗い森の中でも、銀の髪と潤む目は宝石の様に光って見えた。
「…………」
「…………」
ジークは頬を掻き、中を見る。そこにはそっぽを向いて黙っている魔女がいた。この話の間、邪魔をするでもなくただ黙って聞き、しかし聞きたくないかのように明後日の方向を向きながらとんがり帽子を目深に被っている。
「……そうですね」
「……」
魔術に興味が無い訳ではない。セシリアからも指導してもらえばもっと強くなるかもしれない。
しかし……
「気持ちは嬉しいんですけど、ぼくには最強の師匠がいますから」
「……ジーク」
魔女イルマはジークを一流の魔法使いにすると約束した。
ならば他の師匠は必要ない。
「……そうか、良い師匠を持ったな」
「はい、少し面倒くさいですけど、ぼくにはもったいない人です」
ジークの横から一歩前に出てそう言うセシリアに、シークは一歩下がってとんがり帽子のイルマを見た。
やはりイルマはそっぽを向いているので表情は見えないが、なんとなく想像はついた。
馬鹿者が、と小さく呟いているのを聞いて、ジークはやっぱりなと笑った。
二人は体を洗い町へ帰った。その頃には日が中天にかかっていたので、ジークはセシリアを連れてグロアと待ち合わせの場所まで向かった。
そこは前に食事をした酒屋で、奥の席に座っていると思ったより早くグロアが現れた。グロアはこちらを見つけると小走りで寄ってきた。他の客にぶつかりそうになるほど慌てている所を見るとよっぽど良い情報を手に入れたのかもしれない。
期待して待っていると、グロアは机に手をつき、
「私、スパイの才能があるかもしれません!」
割と大きな声で叫んだ。まだ昼なのであまり人がいない店内に響き、殆どの客がこちらを怪訝そうな顔で見つめた。
あまりにも怪しい言葉を発したグロアは顔を真っ赤にして縮こまった。幸いにも小娘の戯言だと思われたようで客はまた飲み始め、二人は思わず息を吐く。
「……ごめんさい」
本当に大丈夫かと目で訴えるセシリアに、多分大丈夫と返答するが、あまり自身は無い。
「あの、なんであの時の奇麗なお姉さんがいるんですか?」
落ち着いたのかセシリアのことを聞くが、ジークは話すと長いので仲間になったということだけ伝えた。
グロアはふうーんと納得したのかしていないのか曖昧な返事をしたかと思えば、自分の手に入れた情報を思い出して前のめりになった。
「わたし、凄い情報を手に入れたんです!……ああいや、えっと、計画の日取りが分かったんですよ……!」
途中から声を抑えたグロアに会わせるように二人は頭を前に出す。
「計画は……三日後です……!」
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